第3話 二度目の後悔

 その夢はおかしかった。


 気づくと昇降口にいて、上履きへ履き替えると教室へ向かう。そうして放課後の部活が終われば視界は真っ暗になって、再び視界が開けるといつの間にか朝になっていて、それも既に下駄箱の前に立っている状態だった。


 同じ一日をループしているのかと思ったけど、ラウンジのホワイトボードに書かれている日付は変わっているし、カバンの中の教科書類の内容もしっかり変わっていた。


 今思えば違和感ばかりだった。


 これだけおれの意識は鮮明なのに、どうして夢から覚めないんだ。


 そもそも、これは本当に夢の中なのか?


 そう思ったのは、部活の時間にチームメイトと接触した時に、しっかりと痛みを感じたからだ。


 相手の身体とぶつかった時の衝撃や、地面に転がった時の手の平に広がった砂の感触、その全部が現実のものと遜色なかった。


 けれど、夢の中で一日を終えて、次に昇降口で目を覚ますと、日付は翌日ではなく、数日後のものになっていて、その間隔は三日後だったり、はたまた一週間後だったりとバラバラだったから、やっぱり夢の中なんだと思ったり。


 そうして何回かの繰り返しを行った頃には、おれはもう、今見せられているこの景色が夢なのか現実なのか分からなくなってしまいそうになっていた。


 一刻も早くこの訳の分からない世界から抜け出したいという気持ちに支配されるようになった。


 もしかしておれは酒の飲みすぎで急性アル中でも起こして病院に居るんだろうか。そしてなかなか意識が戻らなくて、だからこうして長い夢を見続けているんだろうか。


 そんなことまで考えるようになってしまっていた。でも、夢の中のおれはお構いなしに、あの頃のようにその日を淡々と過ごしていく。


 目の前で自分の幼い振る舞いを延々と見せ続けられるほど地獄なことはないだろ。


 何とかして夢から覚めるための手がかりを探そうと、これまでの夢をふり返ると、全ての夢で共通していることが一つだけあった。




 今まで見てきた夢の中で、おれは必ず光弥と会話をしている。




 中学時代のおれは毎日あいつと話をするほど仲が良かったわけではない。むしろその逆だ。出来ることなら話したくなかったくらいだ。


 そこから気が付いた。


 きっとあいつとの会話に何かヒントがあるはずだ。


 そうとなれば、今回の夢であいつと接触した時に、この夢のことについて思い切って聞き出してみよう。


 おれはそう意気込んで、下駄箱から上履きを取り出す自分の手を見つめた。



 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



「おーい駿、課題早く出しなよ。駿だけじゃなくお前らも。回収係困ってんぞ」



 朝のホームルームが終わり、提出期限となっていたワークをクラスの奴らが教卓の上に提出していくのを眺めながら、おれは教室の窓際にいつものメンツで集まってだべっていた。


 中心に居るのは剛義くんだ。二つ前の夢の辺りで、それまでは光弥と何気ない会話をしていたはずの剛義くんが光弥を毛嫌いし始めて、おれはそれに乗じる形で剛義くんのグループに入れてもらえるようになっていた。



「うるさ。出さなくてもおれらが減点されるだけなんだから、お前に関係なくね」


「確かにお前らがかっこつけたいのは勝手にどうぞって感じだけど、それで他の奴に迷惑かけてたらただダサいだけだと思うけどね。まあいいや。もう先生のとこ持ってっちゃっていいよ」



 おどおどせずに平気で皆の前で反抗できる剛義くんはやっぱりすごいなと思ったし、そんな剛義くんの迫力に負けることなく睨み返して自分の意見をぶつけられる光弥にも、自分にはない強さを感じて悔しくなった。


 ただ、おれはまた違う焦りを感じていた。


 剛義くんと光弥との関係がぎくしゃくし始めて、剛義くんがおれをグループに引き入れたということは、もうが近づいているということだ。


 あの日が来てしまえば、おれはもう光弥と話をするチャンスを完全に失ってしまう。


 確か、それまでに何回か光弥がおれと一対一で話をしてくれるタイミングがあったはずだ。そこであいつから夢のことについて聞き出さなくちゃ。



 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼



 体育の時間、剛義くんがその日の片づけを先生から指示された。



「駿、これやっといてくんね」


「えっ、流石に一人じゃ……」


「あ?なんか文句あんの?」


「いや……うん、やっとくよ」


「マジ?!やっぱ駿は優しいな!サンキューな!」



 本当はおれだってめんどくさかった。指示されたのは剛義くんなのに、なんでおれがやらなくちゃいけないんだよって思っていた。手伝ってくれとかなら分かるけど。


 けど、あの威圧感を前にすると拒否なんてできるわけもなく、言うことを聞けばあの人を惹きつけるような笑顔を向けて、乱暴ではあるけれど肩を組んできてくれることが嬉しくて、こうしていつも言うことを聞いてしまっていた。


 そうして皆が出て行ってから、体育館に一人ぽつんと残って片づけをしてると、一人の生徒が体育館に入ってくるのが見えた。次のクラスの奴がもう来たのかと焦ったけど、それは他のクラスや学年の奴でもなく、光弥だった。



 そうだった。こいつはいつも、そういう奴を放っておけないやつだった。



「駿、お前さ、剛義のグループさっさと抜けた方がいいよ」



 しばらく無言のまま片づけを手伝ってくれていた光弥が、ふとそう口を開いた。


「は?なんで……」


 理由なんてわざわざ聞かなくても、自分でも分かっていた。おれは剛義くんたちに都合よく使われているだけだって。


 分かっていたけど、認めたくなかったんだ。


 認めてしまったら、もっと惨めな気持ちになると思っていた。


 当時のぐちゃぐちゃになった感情が流れ込んでくる。夢の中のおれは、当然あの頃のおれのままなのだから、それも当然か。



「分かってんだろ。じゃあ聞くけど、あいつらと居るようになってから、お前学校居る間ずっとビクビクしてない?安心できてないだろ」


「……お前に何が分かるんだよ!」



 そうだ。おれはそうやってムキになって、あいつを睨みつけた。



「分かんないよ。けど、お前が楽しくなさそうだなってのは分かるよ。小学校からの付き合いじゃん」


「……!!」



 そして、その言葉が棘みたいに、心をチクチクと刺してきたんだよな。


 おれはずっとお前に対して勝手に劣等感を抱いて、目の敵にして嫌っているのに、そんなおれのことをこれまでと変わらない目で見てくれる。その優しさがおれには毒だった。



「まあいきなりこんな話して悪かったっても思ってるよ。とりあえず、あいつらんとこ居るのきつくなったら、またおれとも話してよ。いつでも待ってっからさ」



 おれはついに耐え切れなくなって、片付けも放棄して体育館を飛び出してしまった。結局あの後、片付けは光弥がやっててくれて、確認に来た先生にも自分が片付けたことは言わずに、「忘れ物して取りに来てました」って誤魔化してくれたんだよな。


 どうして、今になってあいつがどれだけ貴重な奴だったかって気づくんだろうな。


 おい、昔のおれ。今だぞ。今しかないぞ。


 おれはもう遅いけど、夢の中のお前はまだあいつと話せるんだろ。


 あいつは後期に入る前、夏休みを期にこの学校を離れる。


 だからその前に、ちゃんとあいつと正面から話すんだ。


 お前ができないならおれがやってやる。今度はおれに話をさせろ。



 そんな思いが伝わったのか、夢の中のおれは、おれが持っている記憶とは違って、それから光弥と話すようになっていった。


 前日の部活の話しだったり、マンガの話しだったりっていう何気ない日常会話だったけど、夢の中のおれももっと早くさらけ出してしまえばよかったって思ったことだろう。とても安らかな気持ちになっているのをおれも感じたくらいだった。



 そうして、やっとチャンスが来た。



「光弥、おれもお前と話したい」


「……?何言ってんだ?今まで話してただろ。もしかして寝ぼけてんのか~?」



 思ってもみなかった。夢の中のおれがあいつと楽しそうに笑い合っているのを見て、ついおれも話したいと願ってしまった。まさかそれが届いて、夢の中のおれが、今のおれの言葉をあいつに届けてくれるなんて。


 おれの声が届くなら、今なら質問できるはずだ。



「ひ、久しぶりだな……」


「だから、ずっと喋ってたろって。昨日も学校で会ってるし」


「そ、そうだよな。ええっと、あのさ……」



 今まではただ眺めているだけだったから、まさか今の自分がまた改めてあの時のあいつと話すということに緊張してしまって、上手く言葉を出すことが出来ない。


 あいつは良いやつだから、そんなおれを見て心配した様子を見せてくれるだけで済んでいる。



 相手はあいつとはいえ中学生だ。今のおれは大学生。緊張すんな。


 そうやって心を落ち着かせてから、おれはなんとか口を開いた。



「信じてくれないかもしれないけど、今のおれはさっきまでお前が話してたおれじゃなくて、未来から来たおれなんだよ」



 そう言うと、ポカーンとした顔を見せたけど、やっぱりあいつは相手の様子を察する才能でもあったのか、おれがふざけているわけじゃないと分かったようで、笑うことなく続きの言葉を待っていた。



「ここは夢の中なんだろ?お前と改めて話すことが出来て嬉しいけど、いつまで経っても覚めない夢なんて不気味すぎる。なあ、お前なら何か知ってるんだろ?どうやったらこの夢が覚める?」



 ただ、やっぱりあまりにも内容が突飛しすぎていたからなのか、流石のあいつでも受け止めきれなかったのだろう。



「やっぱお前疲れてんじゃねえか?ちょっと保健室行って休んできなよ。おれもついていこうか?」



 おれは焦った。こうして話せるのが今しかないかもしれない。このチャンスを逃すわけにはいかない。どうしても聞き出さなければならない。



「違う!本当なんだ!どうして分かってくれないんだよ!これはきっとおれの後悔が作り出した夢なんだ!そして、この夢を作り上げているのはお前だろ……?あの時は悪かったって……罰を与えようと思ってるんだろ?もう反省してるって……頼むから、もう許してくれよ……」


「お、落ち着けって……本当に大丈夫か?」



 そうやって光弥はおれの両肩に手を当てて、心配そうに顔を覗き込んでくる。


 それは演技なのか?本心なのか?


 おれをどうしてもこの夢の中から解放してくれないのか?


 だってもう時間が無いじゃないか。


 今日を終えたら、次に目を覚ますのは明日とは限らない。これまでの経験からして数日の間隔が空いてしまうのは確実だ。そうなればお前と話せるのはあと数回、もしかしたら、次に目を覚ました時が「あの日」かもしれないんだ。



 どうして……分かってくれないんだよ。



 そう思った途端、急に光弥と距離が空いたように感じた。



 気が付けばまた夢の中のおれが手を動かして、自分から光弥を引き剥がしていた。また心の中に戻ってしまったのか?おれが自由に話すことが出来る時間が終わってしまった?


 おれが、あの頃のおれと同じように、またあいつのことを信頼することが出来なかったから?


 でも無理だろ……こんな状況で。


 あんな反応されるのも当然だし、あんな反応を見せられてもなお、あいつがおれの言葉を信じてくれることを信じて説明を続けろって?


 あいつからも変な目で見られるようになったらそれこそ終わりじゃないか。



 けど、そうすべきだったんだろうな。


 おれがあいつに対して不安を感じた途端、主導権は夢の中のおれに戻ってしまった。


 なのに、おれの感情は夢の中のおれにも影響を与えてしまって、心を開きかけてきていたはずなのに、夢の中のおれはまた光弥に対してそっけない態度を取るようになってしまった。


 おれは必死に訴え続けた。またあいつと話したいと。


 この夢から抜け出すために。必死に。


 けど、その願いは届かなかった。


 夢の内容がそれまでと変わって、一日のうちに光弥と会わない回が続いてしまった。いくらあいつに会いに行きたいと思っていても、夢の中のおれがあいつと話そうとしない限り、あいつが夢の中のおれと話そうとしない限り、そんなチャンスは二度とこない。



 ただただ目の前の光景が流れていった。



 そうしてついに、最悪の事態を迎えることになった。


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