第2話 浮上

 教室の席に腰を下ろして、黒板の上の壁掛け時計に目をやると、針は7時を過ぎたところ。


 朝練のために早く来ている奴らも、体育館か校庭にいるから、教室にいるのはおれだけだ。


 時計を見上げながら、おれこんなに学校に早く来てたことあったっけ、なんてぼんやりとしていたけど、深くは考えないことにした。


 もう何年も前のことだ。


 そういう日があったかもしれないし、なかったかもしれない。


 だってこれ、あくまでも夢の中のことだし。


 勝手にキョロキョロと動く視界を無理やり共有されること数分。


 やっとのことで夢の中のおれは、机の中に手を突っ込んだ。


 何を取り出すかと思えば、その手に握られていたのは、一冊のマンガだった。


 この時に取り出すのが、教科書かワークブックとかなら、おれの学力ももう少し上がってたんだろうな。


 我ながら馬鹿だと思う。


 そうして取り出したマンガを開いたおれは、数ページ進んでは周囲の様子を確認してを繰り返している。


 自分の行動であることはわかっていても、そんなにビビるなら、最初からすんなよ

 ってついつい思ってしまう。


 パラパラとめくられていくページの内容に懐かしさを覚えるのが半分、が半分。


 前者はたぶん今のおれ。後者は夢の中のおれが感じている気持ち、つまり、あの時おれがそう思っていたんだろうなっていう記憶が呼び起こされたものなんだと思う。


 なんだか当時の自分の行動を、こうして内側からではあるものの客観的に見ていくうちに、徐々に頭の隅、あるいは心の奥で埃をかぶっていた記憶が鮮明になっていく感じがした。


 キョロキョロと周囲の状況を確認しているのは、本来禁止されているマンガを持ち込んでいることがバレないように、という怯えからくるものだった。


 あの当時は、やっちゃいけないと言われていることをやったり、先生の言うことを聞かなかったり、反抗して威圧的な態度を取ったり、そういうことをしている奴がかっこいいって思ってしまっていた。


 けれど、おれはそういう奴にはなりきれていなかった。


 ルールを破るということにしても、取った行動はマンガを持ち込むという、最悪の結果でも説教されて没収されるくらいだ。


 なのにそれすらも怖がって、誰もいない時間に、誰もいないであろう場所でこうしてマンガを読み、あまつさえ常にビクビクと周囲を警戒している。


 本当に気が弱い。


 その癖に、プライドだけは高かった。

 今でもプライドは高いままだと思う。


 度胸は今でも持ち合わせていない方だ。


 だから、突然ガラガラと音を立てて開かれた教室のドアに怯え、飛び上がった夢の中の自分の緊張と焦りが、瞬時に今のおれの胸の中にも伝わってきている。


 静寂を破ったその音に、「さっき確認した時は誰もいなかったはずなのに」「どうして気づかなかった」「いつからそこにいたんだ」「なんて言い訳する」「ていうか誰が来たんだ」「見られたか」なんて、次々と頭の中を様々な思考が駆け巡っていく。


 椅子の上で身体を大きく飛び跳ねさせて、机に膝を強打し、慌てて手に持っていたマンガを机の中に隠す。


 バクバクと音を立てる心臓を落ち着かせる暇もなく、すぐにドアの方へと目を向けた。


 夢の中だってのに、全身に走る強い拍動がやけにリアルで、それはもう不快だった。


 たぶん、そこに立っていた奴があいつだったからってのもあると思う。



「あははっ!大袈裟だなぁ駿!そんなにビビんなら持ってこなきゃいいのに〜」



 その爽やかな笑顔と、明るい声の懐かしさに、おれは言葉を失った。


 けど、夢の中のおれは若干の苛立ちを覚えながら、目の前を通り過ぎていくそいつを見上げていた。


 坂比良さかひら 光弥こうや


 こいつはおれにとって、剛義くんと並ぶくらい、その存在を疎ましいと思っていた相手だった。


 同じ小学校で同じ地区、なんなら家を出て数分もたたないうちのところにあいつの家があった。


 おれは小学校の頃から足が速くて、中学に入って、他の小学校の奴らが入ってきてからは薄れたけど、顔も割と良い方だった。


 バレンタインでは何個もチョコを貰ったりした。


 対してあいつは運動はそこそこ、というかどちらかと言うと苦手な部類で、走るのも遅かったし、体力も無かった。


 クラスでも目立つ方って訳じゃなく、みんなが盛り上がっているのを後ろから眺めている側のやつだった。


 けど、あいつが貰っていたチョコは、おれよりも少ないのに、その数個のどれもがおれのよりも断然特別なものに見えた。


 学校から離れて地区に戻れば、近所のおばちゃん達や、下級生たちはみんなあいつに好印象を抱いていた。


 おれはずっと、それが面白くなかった。


 それが、中学に入ってからのあいつの変化を目の当たりにして、良くない方向に燻っていった。


 全然背が伸びないおれに対して、同じくらいの身長だったはずのあいつは、ぐんぐんと伸びていって、三年の春には入学時から20センチも伸びてやがった。


 体育ではおれの方が活躍してたから、運動が苦手なのは変わってなかったみたいだと思っていたのに。


 あいつは中学から本格的に始めた競技に、余程の適性があったのか、とてつもない早さで成長して、すぐに頭角を現した。


 隣町も含めたこの地域一帯で、その競技をやっている人であればあいつの名前は当然知っている。それくらいの実力者になってしまった。


 そんなあいつは後輩にも慕われ、部長にまで昇りつめた。


 部長だけじゃない。


 クラスメイトたちからも推されて学級委員長になり、更に他のクラスの学級委員長たちからも推されて学年委員長にまでなった。


 同じくらい平凡なやつ、いや、正直おれの方があいつよりも上だと思ってたのに。


 どうして皆あいつの言葉ばかり信じるんだ。


 どうして皆あいつばかり見るんだ。


 この数年間、思い出すことすらなかったのに、夢の中でこうして声をかけられるだけで、またあの時の黒い感情が湧き上がってしまうのは、おれがまだまだ幼稚だからなんだろうか。



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