第3話 希釈される存在


「ちょっ、ちょっと待ってくれ!真里!俺...何かしたか?」


 と彼は質問してみる。しかし激昂した彼女の耳には入っていない様子。彼を睨みながら近くに置いてあったカッターを乱雑に取り刃を出した。


「『何か』じゃないだろ。今までしでかしたこと、忘れたとは言わせないぜ」


 修正者は見下すようなニヤケ顔で言った。大層バカにしたような笑顔だ。そして続けて話す。


「亮介。お前は10歳の時に越してきたコイツに何した?」

「…何も?」

「しらを切るな。見苦しい」


 そう意味のない嘘をバッサリと切る。亮介はその態度に少しのイラつきを覚え始めた。それから同時に心臓の鼓動がより早くなっていく。


「…当時12歳だったお前は学校では孤立し親は仕事で滅多に合えなかった。つまりは孤独であった」

「…」

「そんな時に真里が来たんだったな。彼女は唯一良く接してくれる存在だった。お前にとっては救世主とも言える。だから好いた。まぁここまでは心底どうでもいい」


「……チッ」


 軽い舌打ち。それは何か不都合なことが怒った時のもの。対して修正者の口角が上がる。


「ははは、問題なのはここから。真里には小学生ながら元々好きな男がいた。そのガキは彼女の幼馴染だった。お似合いと言ったところだったようだ」

「……ふぅ」

「そこでなんとか自分に振り向いてもらいたいお前は最大のミスを犯した。いや、誰でもあったらやりたくなるもんな


【運命改竄】

それは現実を意のままに操る能力。


12歳のある時目覚めたこの能力で彼女は彼と出会ってさえ無いことにした。さらには無条件にお前のことを好くようにしてな」


「……はぁ」


 彼はバツが悪そうな表情でため息を吐く。足を忙しなくゆすり手をポケットに入れている。その姿は見るからにイラついた人間そのもの。

図星、ということだ。


「そんで、俺は今さっき、お前が消し去った運命の記憶をコイツに与えてやった」

「……最悪だ」


 口に手を当てて呟く。そうして次の瞬間


「死ねぇ!」ブン


 とこの時を今か今かと待っていた真里がカッターで切り掛かる。力の入った重い攻撃は例えカッターであろうと相当な痛手になる。


「っっクソ!?」バッ


 しかし両腕でなんとか腕を止めた。そのまま縺れ合い地面へと倒れ込む。幾ら強く手を閉めようと得物を握る手は硬く閉ざされている。


「お、落ち着け!俺は兄だ!お前が大好きなお兄ちゃんだ!」

「ちがう!このクソ野郎!陽太を返してよ!死ね!死ね!」

「っなんてことを言うんだ!!」ガバッ


 そんなこんなで地面で彼等はバタバタと暴れ合う。殴ったり蹴ったり大騒ぎ。


「ふふふっ、ふふふはははっ、あはははは!」


 その様子を修正者はさぞ愉快そうに笑って観戦していた。椅子へと腰掛けていつのまにか手に持っていたワインに口をつける。


 

「死ね死ね死ね!」シュッ

「っったく、、クソっ!クソが!」ドゴッ


「痴話喧嘩なんて微笑ましいな」


 恍惚とする黒い目は少量の血が飛び散る現場を目撃する。

亮介の腕にカッターが刺さったのだ。それも深く


「うっっつ!!」


 苦痛に顔を歪め声を上がるが彼女の怒りは収まることを知らない。刺さった物をすぐに抜くと、彼に跨り頭へと再度差し込む。


 刺し傷からは赤黒い血が多量に出ていた。けれどアドレナリンによって無理矢理に動かし攻撃を止める。しかしそれでも力はうまく入らない。


「う、う、う、うぁぁぁぁぁ!!!」

「死ねぇぇ!」


 刃が目元まであと数センチに迫る。


「「うぁぁぁぁぁ!!」」





———ザクッ




「……え」バタッ


 覆い被さっていた真里が倒れる。彼女の後頭部から滝のような血が出ている。その背後には朱色に染まったナイフを持っている男の姿があった。


「はっ?」


「おうおう、殺されるのは困る」

「……な、な、なな、な、ぜ」


 呂律も回らないうちに愕然と問う。口を馬鹿らしく開いたまま、目だけを男に向ける。すると


「お前は...もっと...別のところだ」


 との言葉が男から発された。亮介はその言葉の意味が分からなかった。しかしながら、感じることが出来た。出来てしまった。

死より恐ろしい何かを——


「……す、少し、質問をしていいか」ガタッ


 仰向けに脱力する。今の状況を完全には理解していない彼の最適解。恐怖はあるが逆に冷静になった。しかし、意識が現在に追いつけばこれもすぐ崩れ落ちる。


「いいだろう。冥土の土産という奴か」

「はぁ、、、お前誰?」


「俺は修正者。運命が使わした使者、いや死神みたいなもんか」

「…あぁ。そうか……うん…じゃあ…やっぱり俺を……うぅ…」


 不意に体が小刻みに震え出す。現実を受け入れ始めてきたのだろう。表情は暗く眉は落ちかかっていた。たとえ諦めても恐怖を感じなくなるわけではない。ここから行く場所に未来はあるはずもなく。


 彼はその胸が裂けんばかりに、中から弾ける怯えをから逃れるため質問を続ける。呼吸を少し早くしながら。


「なんで俺…?」

「それはお前が運命を乱したから」


「…運命ってなにさ」

「皆が結果的に生き残れるよう、制定されたシステムのことさ。素晴らしいだろ?コイツのおかげで今のいままで人類は存続し、栄華を極めてきた」


「そうか……ははは………ははははっ…………あはははははははははははははっ!!」


 半ば信じ難い話に思わず腹の底から大笑いが起こる。引き攣るくらいの笑顔いっぱいの顔であった。何が面白いのかは良く理解してはいないもののおかしくて仕方がない。


体の震えは恐怖と笑いでこと更に大きくなる。そして一通り笑い終えるとスッと体の動きを全て止め、話しかけた。


「…最後に一つ……やっぱり…………消されなきゃ駄目……かな」

「それは、絶対さ」

「あぁ……俺は、俺は...愛されたかっただけなのに....どうしてさ」


 彼はもう笑いも泣きも震えも笑いもしない。声に抑揚はなくただ機械的に音声を発するレコーダーと化している。生気を失ったその姿は初見で死体と言われても気づかないだろう。


「どうしてもなにもない。今お前に乗せられたものは運命を乱したという罪だ」カッカッ


 革靴の音を立て、寝転がる者に近づく。一歩歩くごとに耳をつんざく金属音が鳴った。しかし、何も起きることはない。


 ついに男は彼に辿り着き、額を触る。その時、最後の言葉が掠れて聞こえて来た。


「ははっ...お前。すぐに消せばよかったのに、、、こんな...どうしてなかなか……遠回しなことをするんだな」スッ


———ゴーン ゴーン ゴーン


 遠くから鐘の音が鳴る。彼の肉体と存在が薄れる。男は口を開く。


「嫌がらせだよ」


 と。

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