島喰い

るつぺる

 寂れた漁村。村の歴史は古くかつては都と国外を行き来する航路の係留地として多少なり栄えたものの近年は飛空艇、及び蒸気機関の発達によって交通の便が見直された為衰退した。村民の数は著しく減少し、残り少ない世帯が漁によって凌ぎを得ている。

 その日、村に憲兵を伴った測量隊が訪れていた。帝都の勅命により新たな大陸地図を作成するにあたって全国的に展開される計画の一端である。彼らが村中の隅々まで計測を行う間、一人の兵士が村民に尋ねた。「暮らしはどうだ」境遇の異なる立場から兵士が放った言葉には市井の民を愚弄する意図が含まれていた。村民である彼らも決して無知な存在ではなく、その口調からも真意を察しつつそれでも遜った態度で「見ての通りでごぜえます」と返した。表情では笑みを浮かべつつ奥歯を噛み締めて押し込まれた感情がさざなみの音にかき消される。兵士は下卑た笑みを向け「そうか」とだけ呟くと答えた村民の脚を蹴飛ばしてみせた。痩せ細った枯れ枝のような脚に鉄製の甲冑が勢いを持って衝突すると周りにも響くほどの鈍い音を立てて骨が砕けるのだった。村民が絶叫をあげその場に倒れ込むと当の兵士や連れ立った憲兵たちがその様を見て大笑いするのだった。見るに見かねてか一軒の藁屋からまだ少女と思しき若者が飛び出して、屈強な兵士に臆することなく「あんた達は人間じゃない」と罵りあげた。兵士はどこか関心するように「ほう」と呟くと少女の姿を舐め回すように見て、閃いたとでもいうように彼女の腕を掴んで引き摺った。他の兵士が笑いながら「やめとけ」と冗談まじりに煽ると「こうでもなきゃこんな臭い村で何を楽しめってんだ」といやらしく笑った。少女は抵抗してみせたがこの力の差は一向に埋まらない。兵士は見せしめだと村の中央に彼女を引き込んで服を引き剥がそうとした。襤褸布はいとも簡単に千切れて肢体があらわになる。少女は悔しさのために涙を浮かべた。その時、兵士の肩を掴む者があった。「なんだ」振り向きざまに兵士は右目を指で突かれて悶絶する。「ロンデル殿、我々は帝都の命でこの地に赴いておるのですよ。謂わば世話になるわけです。行き過ぎた態度は慎しみなされ」男は身悶える兵士、ロンデルに向けて柔らかい口調で諌めた。ロンデルは「測量士風情が」と憤りをあらわにし男に掴みかかる。ところが次の瞬間には崩れ落ちて意識を失った。男の膝が丁度甲冑を解いたロンデルの股間に直撃したためである。男は羽織っていた生成りの外套を少女に被せると「私の名はカーマイン。同行者の無礼を申し訳なく思う。許せとは言えないが代わって詫びよう」と名乗った。少女はカーマインの頬を打つとそのまま走り去ってしまう。

「若造、ロンデルの莫迦が起きたら何しでかすかわからんぞ」

「お仲間の手綱くらいしっかり握ったらどうです兵長殿。帝都なら死罪ものですよ」

「言ってきかせるさ。聞かなきゃ俺の独断で文字通りクビ切りだ。ただあんな野郎でも目をかけてきた。この落とし前はどうつける」

「それは都に戻ってからにしましょう。まもなく作業も終わります。彼らはあなた方と違って職務に忠実ですからね。私はこの村の長に先程の詫びを申し入れてきます。兵長殿は怪我した村民の手当てを」


 今は殆ど使われることのない船着場に老人が腰を据えてパイプを蒸していた。カーマインはその隣に座り込むと老人に語りかける。

「少ないですがお受け取りください。村人には申し訳なかった」

「おまえさん、少しは話ができるようじゃがちっともわかっておらんの」

「我々は所詮立場の違う生き物ですから」

「左様。辺境に生まれたというだけで常日頃よりまともな扱いを受けてこなかった儂らと都の庇護下で生きるあんた方とでは到底分かり合えぬというわけじゃ。普段見捨て置かれた儂らの願いはただその日を無事暮らすこと。気まぐれで荒らして良いものかはあんたならわかるじゃろて」

「ごもっとも。ですがこれも帝より授かった使命にてご容赦いただきたい。まもなく作業も終わります。これ以上は私の権限で無礼はさせません」

「無礼か。あの娘が負った傷はもはや礼節の範疇を越えとる。一生のしこりになるやもしれん。おまえさんがどう詫びたところでじゃ。兵士連中もあんたもその点では変わらん」

「返す言葉もありませんね。ではどのように望まれるか村長殿」

「先も言ったが儂らの願いは安寧じゃ。あんたらが去ればそれが元通りかと言えば一つ引っ掛かりが残っておるんじゃがの」

「なるほど。海辺の村にも狸が出るとは私もまだまだ見識の甘さを痛感します」

「ほっほ。さてどうする。丁度力を持て余した連中もおることじゃ。もし儂の申し出を聞き入れるなら村の財産でも女でもなんでもくれてやろうて。儂の今生の目的を果たせるならの」

「申し訳ないが私は憲兵とは違う。悪徳に加担するわけにはいきません」

「そうかの。儂の見立てではおまえさん、測量士よりは彼奴らのほうに近しい獣と思えるが」

「……」

「この海には"島喰い"と儂らが呼んどる莫迦に大きな鱶がおる。其奴には手を焼いとってのう。この村が寂れたのも一つは航路の衰退じゃが、もう一つがその島喰いの影響じゃ。先祖の代から受け継いできた。其れを討つのが儂の本願。他はどうでもええ」

「貴方のような者に統治される村人たちを思えば泣けてきますね」

「涙なんぞ出とらんようじゃが。お主よりも先に話を聞きにきた男はやる気満々じゃったぞ」

「兵長殿」

「まもなく儂が船を出す。おまえさんがあくまで国家の正義を通すなら奴らを止めるべきではないかね」


 波が荒れる。憲兵達は互いを鼓舞し島喰い討伐に意気揚々と向かう。国家直属といえどその忠誠は決して一枚岩ではない。地方に派遣される末端の兵士といえば薄給でいながら命に関わる問題に直面させられることも決して少なくはない。ひと度戦争が起きれば使い捨ての駒に過ぎず軽んじられた存在だ。鬱屈した生に彼らはずっと刺激を求めていた。評価を求めていた。一国の兵ではなく一人の人間として村長に加担した。カーマインはその中で自らを理性であるべきと定めた。謀反に等しい憲兵の行いを看過出来ない。部下を村に残すと船に乗り上げた。一団は沖を目指し進む。


 船は一時間足らずで村から随分と離れた。波は一向に激しさを増し、曇天もあやかって不気味な雰囲気を醸す。狼狽える兵士もいた。長からはただ大きな鱶と聞くも想像が及ばない。果たしてこれを討てるのかという懐疑は海が広がりを見せるほどに強まった。一瞬の凪が訪れ、雲の隙間から俄かに陽が差すとロンデルは気晴らしに歌を口ずさんだ。故郷に伝わる古い民謡だ。中には同郷の者が居りそれに続く。和みかけた空気にそれは突如割り込んできた。高らかに歌い上げるロンデルの屈強な図体がまるで路傍に生えた雑草であるかというほどに見えた。島喰い。その巨体は誰しもの想像を遥かに越えた。名に恥じぬ大鮫であった。ロンデルは喰われたというよりは一飲みだった。跳ねた鱶を老人が子供のような無邪気な瞳で迎えた。島喰いはそのままロンデルの体を持っていくと歌声は途絶え、水面に全身を叩きつけて波を起こす。船は返りそうになるも村長の舵捌きは流石としか言いようもなくなんとか切り抜ける。

「兵長殿ッ」カーマインが叫ぶと兵長は船に据え付けた発射式の大銛を構えた。その切先は確実に島喰いを捉えたものの一発では手応えがない。憲兵達も銛に剣にと手投げで応戦する。しかしながらここは島喰いの縄張りで本領は向こうにあった。水中から突進された船体は大きな揺れを起こし、足を取られた兵士が何人も落水していく。「怯むなッ 撃てッ」怒号が響き渡り二本目の大銛が島喰いを捉えた。それでも勢いが止まることはなく遂に船も耐えきれず破損箇所も見られた。

「村長殿。こんなものに勝算はない。引き返すべきだ」

「若造。どうやって帰れと」

「貴殿、まさか」

「あの娘は儂の孫じゃった。生い先短い儂にしてやれることはこんなものしかないでな」

「クソ爺ッ テメェ最初からそのつもりで」

「兵長殿ッ」

「引っ込んでろッ」

「この場を切り抜けるが先決です」

「喧しいッ もう助からん」

「儂が島喰いを討ちたかったのは本心じゃよ。じゃが一目見て満足した。あれに家族や友を喰われたことを恨んでおったがようやく悟った。儂もすぐいく」

 兵長はそのまま老人を海へと放り投げた。島喰いの注意は一瞬其方へと向き追撃が止む。

「なんということを」

「ここにきて倫理か。くだらねえ。俺はやるぞ」

 兵長は武具を脱ぎ捨て愛刀だけを携えると傾きつつある船の甲板を走り抜け水中の島喰い目掛けて飛び込んだ。その後はどうなったかわからない。沈みゆく船の上でカーマインは祈りを捧げた。ここで散った者達を鎮めるのが残された役目だと感じた。彼は聖職者の家に生まれるもその生業に反発し軍に入った。兵役の中で荒んでいく魂が癒しを求めて辿り着いたのは嫌ったはずの家業。そう思ってももう戻ることは出来なかった。悔恨がある。未練がある。ひととおりの感情が収斂した時、カーマインはただ祈ることにした。ひと度大きな波が立つ。怪物の姿は閉じられた聖なる瞳には映らない。船は全壊し祈りに殉じた者は海の底に飲まれていった。


「綺麗な歌ですね」

「お爺ちゃんに教わったの」

「無事に戻りますかね。カーマイン様達」

「さあね、でも少し悪いことしちゃったわ。助けてくれたのに」

「あの方はきっと怒ってなどいませんよ。そういう人ですから」

 海は静けさを取り戻しつつあった。あたりが暗夜に飲まれていく中で少女は続きを歌った。

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島喰い るつぺる @pefnk

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