第6話 幼馴染
あいりは、幼馴染の田代に、最近は、ずっと自分を委ねていた。
どうしても、自分のことが不安で、どうしていいのか分からない状態になっていることに、自分で苛立っていたのだ。
それがどうして、
「そんなに苛立つのか?」
ということが、自分でもよく分からないでいた。
だが、考えてみると、よくわかってきたのは、
「自分がこれからしようとしていることを指摘されることに腹を立てている」
ということであった。
今まで、彼氏になったり、彼氏になりそうでも、それ以上になれなかった人は、そのほとんどが、この。
「やろうとしたことを指摘してきた人たち」
だったのだ。
さらに、あいりに精神疾患があるということを知ってか、悪気があるのかないのか、
「あいりには分からないだろう」
という意識があって、あいりが分かっていることでも、さも、分かっていないだろうことを指摘して、それに対して、悦に入っているやつもいたりする。
それが、普段はあまり関わっていない人であれば、そこまではないのだが、自分が、
「委ねたい」
であったり、
「好きになった人」
と思えるような人であったら、許せないのだ。
「私のことをもっと知ってほしい」
あるいは、
「彼氏だったら、分かってくれているはずだ」
という気持ちになることで、思いは通じるものだと思うことだった。
それなのに、
「何も分かっていない」
と思うと、
「私が、ダメだから、まわりも分かってくれない」
という思いと、まわりについていけない自分に対して、劣等感が激しくなり、パニックを起こしてしまうことで、
「信じたいはずの人が信じられない」
と思うのだろう。
そう思うと、パニック障害を引き起こし、ずっと泣いていたり、ひどい時には、引き付けを起こしてしまったりすることだろう。
そうなると、もう自分ではどうすることもできない。どうしても誰かに頼らなければいけなくなり、誰かに委ねたり、助けてもらうしかない自分の立場を、感じさせられるのだろう。
だから、パニックを起こしても、
「誰なら自分を助けてくれるのか?」
ということを見極めるしかないということになる。
だから、余計に、自分が信じたいと思う相手であったり、信じているはずの相手が普段と違った態度を取ると、不安で仕方がなくなるのだろう。
そのうちに、今度は、
「自分のことを分かってもらいたい」
という意識からか、
「彼が言っていることを、注意深く観察する」
ということが自然と身についてくるのだろう。
しかし、それにも限界がある。
そのため、意識が無理を引き起こし、精神的にパニックになってしまうことで、喧嘩になったり、相手に呆れられ、最後には別れることになるのだろう。
しかし、それくらいのことで別れを切り出す相手であれば、もっと切羽詰まった時、あてにならないといってもいい。
そういう意味で、
「別れて正解」
という人もいたに違いない。
あいりの難しいところは、
「規則正しい生活をしないと、精神的に崩れてしまう」
ということであった。
もちろん、田代はそのあたりのことはわかっているのだが、まわりの知り合いや友達は、なかなかそこまで分かっていない人が多い。
つまりは、
「それだけ付き合いが中途半端だ」
ということではないだろうか?
そんなことを考えていると、あいりは、彼氏だけではなく、
「友達もしっかり選ばないといけない」
ということに気が付いた。
そのことは、田代もよく分かっているので、
「無理のない程度に、徐々に友達を整理していくといい」
と、いうアドバイスをしてくれた。
確かに友達の中には、完全に、あいりに依存しているかのような人もいるくらいで、相談事があれば、
「いつでもどこでも関係ない」
というくらいの人だっているようだ。
それを考えると、
「そんな人こそ、斬らなければいけない人で、気が付けば、電話で話している割合も、かなりのものだったのではないだろうか?」
と言えるのだった。
あいりが、どのような相手と関わるかというのは、田代にしても、気になるところであった。
「下手な人と関わってくれると、せっかく俺が気を付けているのに、元も子もなくなる」
ということで、
「本末転倒ではないか?」
と感じさせることだろう。
あいりは、それから友達の、
「断捨離」
を始めたのだった。
断捨離というのは、言葉でいうほど簡単ではなかった。ある程度の人とは簡単に切れたのだが、人によっては、自分と同じような、
「危なっかしい人」
で、こちらが相手の気持ちを分かるのと同じで、相手もこっちの気持ちを分かるという関係だったのだ。
だから、
「こっちが相談することもある」
と思うと、どうしても、簡単に切ることができなかった。
だから、田代のいう、
「無理なく、ゆっくりと」
という言葉は当たり前のことなのであり、あいりも分かっていることだったのだ。
だから、あいりは、徐々に電話の時間を短くしていくように、
「タイミングを見計らって切っている」
という態度に出てくると、相手も、あいりの気持ちが分かるのか、
「あまり相談してはいけない」
ということに気付き、次第に時間を減らしていってくれるようだった。
それでも、あいりは、今までに蝕まれた精神は、いかんともしがたく、結構辛い状態だった。
病院の先生からも、いろいろ言われているが、どこまでできるか、自分でも考えてしまうところがあるようだ。
時々通院がつらい時は、田代が一緒に付き添ってくれていたようだ。
医者も、
「まわりの人に、知っていてもらうのは大切なことだから」
ということで、田代がついてきてくれた時の診察を、一緒に受けることもあったりしたのだ。
田代も、分かっていることもあったが、医者に聴いて、初めて、
「なるほど」
と思うこともある。
いつも一人の目で見ている時は、どうしても、贔屓目に見てしまったり、
「自分が嫌われたくない」
という気持ちから、できなかったこともあったことだろう。
だから、
「世の中の構造」
というと大げさであるが、見方を少しでも広げることが大切だということは、先生の話から、納得のいくことであった。
こういう説教的な話は、よほどの説得力のある人でなければ、理屈が分からないので、話を聴いても、右から左に流れてしまうことだってあったに違いない。
だが、田代は違っていた。
先生の話を真摯に受け止め、その内容を理解しようとすることで、いかに、自分が何をしなければいけないのかということが分かってくる。
だから、田代にも、
「どのような断捨離が必要なのか?」
ということも考えたりしていた。
ただ、一つ気になっているのは、
「あいりに対して、あまりかまいすぎると、億劫になってしまうことで、自分まで断捨離の対称にされてしまう」
ということだったのだ。
だが、それは考えすぎだったようで、何といっても、一緒に病院についてきてくれて、医者の話も一緒に聴いてくれる人を、さすがに断捨離などできるわけもない。
「俺を切ったりすれば、それこそ、まわりに誰もいなくなってしまう」
ということだからだった。
あいりの症状は、
「一進一退」
を繰り返していて、双極性障害の躁状態と鬱状態が、交互にやってくる。
その時々で、対応が違うのだ。
しかも、外的に変な影響を受けてしまうと、対応する方も大変だ。
うまくいっているつもりでも、話がうまく通じなかったりすると、そこから少しずつ狂いが生じて、修復には、さらに時間と労力を必要とする。
それも、回復というよりも、
「現状維持」
というところまでしかいかないのだ。
だから、
「努力が報われない」
ということもえてしてあるもので、それを考えると、うまくいかないということも普通にあるのだった。
ただ、
「あいりだって絶えず努力をしているんだ」
と思うと、
「俺がへこたれたりするのは、いけないことだ」
と自分に言い聞かせてみたりする。
それをあいりには悟られてはいけない。さりげなく、サポートするくらいのつもりがいいということは医者から聞かされていた。
それは、あいりが検査のために、治療室に入っている時、診察室に残った田代が、
「あいりのいないところで、聞かされた話」
だったのだ。
「あいりさんの病状は、結構大変なところがありますが、根気よく見守っていけば、大丈夫です」
と医者から言われたことは、ひとまず安心できることだった。
いくら、一緒に医者に付き添っているといっても、診察内容は本人しか聞かないのだから、いつも寄り添っている田代としては、
「俺だって知りたいんだけどな」
と思っていたところへ、
「ご一緒にお話を聴いていただきたい」
と医者に言われた時、嬉しさと同時に不安もあった。
「まわりにつきそう人も聞かないといけないほど、ひどいものなのか?」
という気持ちがあったのだ。
しかし、冷静になって聴いていると、症状は、自分が思っていたのと、さほど変わりはないようだった。
ただ、
「その場合にどのように対応すればいいのか?」
という具体的な話も聞かれたのはありがたかったし、
「彼女は、頭がいいから、ある程度のことは、ちゃんと分かっています。だから、それをしつこく言ったりすると、せっかく自覚していることが、すべて悪いことのように思えてきたり、気持ちに整理がつかなくなったりして、パニックに陥ったりします。ただ、今の彼女を支えているのは、早く病気を治したいという気持ちが強いことですね。そのために、規則正しい生活を心がけることと、まわりの人の気遣いが大切だと思います。我々医者は、助言や治療はできますが、ご本人の生活に入り込むことはできません。だから、まわりの人で、少しでも彼女に寄り添ってあげられる人がいるのは、私たちにとっても嬉しいことなんです。これからもよろしくお願いします」
と医者からお願いされたほどだった。
そして、
「彼女の様子で何か、今までにないような症状が出てきて、本人が意識していないようなことがあれば、直接私に連絡をいただけますか?」
と、いわれ、連絡先をもらった。
「あなたのような幼馴染であれば、以前の彼女というものをよく知っていて、今までの経緯も一番お分かりでしょうから、あなたの目を我々も信じようと思うんですよ」
というのだった。
それは、田代にとって、
「願ったり叶ったり」
だったのだ。
その思いが分かっているだけに、田代は、
「医者のいうこともしっかりと理解しなければならないんだな」
と感じたのだった。
元々、
「俺はあいりのために、覚悟を決める」
というところまで考えていた。
「そこまで考えないと、どこまで相手を考えてあげるか?」
ということの頭の整理がつかないではないか。
最近の田代は、よく頭痛が続いていた。
あいりもそのことが分かっていたようで、何度目かの一緒の通院で、
「田代さん、最近頭痛が続いていると言っていたので、一緒に見てもらえるようになりませんか?」
とあいりがいうので、先生が、
「じゃあ、私が診てみましょう」
という。
この先生は、神経科はもちろんのこと、脳外科の権威でもあったのだ。
とりあえず、精密検査のようなことをしてみたが、そこで極端にひどいことはなかったようだ。
MRIやレントゲンでは、異常は見られず、脳波検査も正常だった。
「偏頭痛かも知れませんね」
ということであったが、とりあえず、様子を見てみようということになった。
医者も一つ気になっていたのが、
「ストレスからの頭痛」
というものであった。
「田代さん、あまり無理をなさらないでくださいね。あなたが、無理をすると、せっかくあいりさんをサポートできる立場のあなたまで、体調を崩すと、お互いにきつくなるだけですからね」
ということは言われた。
実際、田代も自分の中で、
「ストレスが溜まっている」
ということはわかっているようだった。
「田代さんは、結構繊細な方なんですね?」
とあいりにいうと、
「ええ、そうなんです。繊細というよりも、純粋な感じを私は受けています」
とあいりは医者に言った。
医者もそれを聞いて。
「ああ、なるほど、それはわかる気がする」
ということを言って、自分なりに理解しているようだった。
田代の頭痛は、やはり偏頭痛のようであり、ただ、最近、それが定期的に起こるようになってきた。
「やはり精神的に何かを抱えている」
という証拠なんだろうか?
ということを、田代も、自覚しているようだった。
実際に、抱えるストレスというのは、あいりのことばかりだった。
あいりも、本当は、
「ごめんなさい」
と面と向かって言いたいのだが、なぜかそれができるわけではなかった。
これが他の人だったら、別に言えるのだろうが、相手が、田代だったら、
「そんなことを言えるわけもない」
と思っている。
それだけ田代を大切に思っていて、完全に頼っているという証拠なのだろう。
それを考えると、正直な気持ちを自分の口からいうことができないことに、苛立ちも覚えているのだが、なぜか、安心感もあった。
「自分の気持ちが分かる気がするからだ」
と感じたからだったのだが、
「彼も一緒になって、医者の話を聴いてくれている」
という思いから、自分が彼に依存していて、それでも医者は、それを咎めることはない。
そういう意味で、
「私の委ねは、依存ではないということなのかしら?」
と思うようになると、
「じゃあ、何なのかしら?」
と感じるようになり、その思いをあいりは、見つけあぐねていた。
あいりも、自分で自分のことを、
「本当は頭がいいんだ」
と思っていた。
そして、
「人の気持ちを分かったりすることもできるんだ」
と思っていただけに、
「田代さんの気持ちを、時々分からない時がある」
ということが不安だったのだ。
他の人とは違った意味で、分からない感覚である。
完全にベールに包まれたようなそんな雰囲気の中で。
「どう考えればいいのだろう?」
ということであった。
だが、それはあくまでも、考えすぎだったようで、定期的に医者に通うようになって、少しずつよくなっていくのだった。
田代はそんな病院の帰り道、一人の男性と出会った。どこかで見たことがあったような人だったが、田代の会社の先輩で、最近辞めた人だった。その人と、最初は普通に話をしていたのだが、一緒にいたあいりのことが気になったのか、チラチラと見ている。それを見て気になった田代が、
「どうしたんですか?」
と聞いてみると、
「ああ、いや、私もずっと昔の知り合いにとてもよく似ていたのでね」
と言って、あいりを意識してしまっていたのだ。
「そうなんですか?」
ということで、相手が用事があるということで、ゆっくり話をできる状況ではないようで、急いで、その場を去っていった。
実は、用事があるというのは口実で、これ以上、あいりを見るのに忍びないという状況だったのだ。
「今の人は?」
とあいりが聞くので、田代は、
「ああ、前、会社でお世話になった人で、三津木さんという人なんだよ」
というではないか。
そう、賢明な読者であれば、容易に想像がつくであろう。
「三津木義治」
まさにその人だったのだ。
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