第5話 結婚

 三津木は、

「人生で、この人ほど愛する人は、もう現れないだろう」

 という思いを抱きながら、無理を押し通して、結果別れることになったのだが、一年間というショックを経て、

「私は、どうすればいいのか?」

 と思い、飲み屋で知り合った、男性と、一緒に飲むようになり、行きつけのスナックまでできたのだった。

 その友達も、ちょうど失恋していて、お互いに一人でやけ酒状態だったのだが、一緒に飲んでみると、結構気が合う仲間になっていた。

 その友達は、高卒で田舎から出てきていて、親戚が社長をしている会社で仕事をしていた。

 その子は、高校までは田舎に住んでいたので、高校時代には、真面目で、

「優等生タイプ」

 だったという。

 しかし、都会でおじさんが社長をしているところに就職し、おじさんが、いわゆる、

「大人の遊び」

 を教えてくれたのだった。

「大人の遊び」

 というのは、高校時代から憧れていたもので、高校時代までは、童貞だったのだが、社会人になったことで、社長が、

「祝いだ」

 ということで、いろいろな、

「大人の遊び」

 を教えてくれたのだった。

 それも、

「童貞喪失」

 という遊びで、

「普通なら、ボーナスでも出ないと、そう簡単に行けるものではない」

 というところだったのだ。

 今でこそ、

「大衆店」

「格安店」

 などというものもあるが、当時は、

「サービスも一流」

 と言われる店ばかりで、遊びというよりも、神聖なものというイメージが強かったのではないだろうか。

 相手の女の子も、いわゆる、

「童貞キラー」

 と呼ばれるような女の子で、社長も分かっているようで、

「彼女に相手をしてもらえ」

 ということで、ほとんど、

「問答無用」

 だったという。

 おかげで、彼は、彼女のおかげで晴れて、童貞を卒業できて、こういうお店を今まで、

「いかがわしい」

 と思っていたが、実際はそうではなく、

「聖母マリアのような女性がいる、神聖なお店」

 と感じるようになった。

「いかがわしい」

 というイメージは、その店にいる女性が皆、

「借金のかたで、身を売るしかなくなった女の子たち」

 というイメージで見ていたので、店のバックには、怖いお兄さんたちが、蔓延っているのだろうと考えたのだった。

 しかし、相手をしてくれた女性は、しっかりとしていた。

「さすが、童貞キラーと言われるだけのことはある」

 と思ったが、本人の前で口にできるわけもない。

 しかし、彼女の方から、

「誰かの紹介でこられたの?」

 と言われたので、おじさんの名前を出すと、

「ああ、社長さんのとこの社員なのね。あの社長さん、私のことを気遣ってか、よくお客さんを紹介してくれるのよ。私は本当に感謝しているわ」

 と言っていた。

 そして、

「私のことを童貞キラーだって言ってなかった?」

 と聞かれたので、初めてそこで、

「そうです」

 と答えると、彼女は大きな声で笑い始めた。

「やっぱりね。あの社長さん、私に童貞の子をよくつけてくれるんですよ、おかげで童貞キラーの称号を貰うことができたわ」

 というので、

「嫌じゃないんですか?」

 と聞かれたので、

「嫌ということはないわよ。むしろ、そうやって私の宣伝してくれるの、とっても嬉しいの。私たちは、なかなか自分から宣伝というのはできないので、お客さんからの口伝がもらえるというのは、ありがたいことなんですよ」

 というではないか。

 さらに、

「私は、別にこの仕事を後ろめたいと思ってやっているわけではないのよ。かといって、誇りを持っているというわけでもない。そこで、社長は、それでもいいんだけど、誇りを持てるようにしてほしいなということを言ってくれるので、それから、私のお客さんを紹介してくれるようになったんですよ。それも、童貞の子が多いのよね。きっと社長は、私に誇りをもってほしいのかなって想ったけど、それはそれでいいのかなって感じたの」

 という。

 彼女のその話を聴いて、三津木は、

「俺は今まで、偏見を持っていたのだろうか?」

 と考えるようになった。

 偏見というよりも、

「いかがわしい」

 というイメージが偏見に繋がっていたのではないか?

 ということであった。

 友達は、今まで付き合った女性と最後まで行っていなかった。

 本当に好きで好きでたまらないと思っていた女性とも、身体の関係になる前に別れていたのだ。

 あとになってから、

「別れるくらいなら、やっとけばよかった」

 などと決して思わない。

 逆に、

「もし、彼女とやっていれば、別れがさらにつらかったことだろうな」

 と考えた。

 だが、結果として、身体の関係はあろうがなかろうが、

「一番つらい別れ」

 を感じているということに変わりはないのだから、それなら、

「お互いにキレイなまま別れて正解だったのかも知れないな」

 と思うのだった。

 正直、別れなど、きれいだろうか汚かろうが、別に意識しないといってもいいのだが、後悔をするしないということを考えると、

「やっぱり、きれいに越したことはない」

 と思ったのだ。

 三津木が、その友達と仲良くなったのも、彼の気持ちが分かったからだ。

 友達は、三津木のような、大きな別れを経験したわけではなかったが、高校を卒業して、一人都会で暮らしていると、寂しくなったようで、社長もそれが分かったのか、いつも連れてきてくれる馴染みの店であれば、月に、5本までなら、

「ボトルを入れてもいい」

 と言ってくれた。

 5本というと、結構なものだと思えるのだが、社長とすれば、

「友達を作って、その友達と一緒に飲めばいい」

 というような粋な計らいだったのだ。

 ちょうど、失恋したショックから、やけ酒を呑もうと思って入ったお店で、知り合った二人は、

「意気投合した」

というところであった。

 友達にはすぐになれた。

 ママさんが気さくな人で、

「この二人は友達になれるだろう」

 と思ったのか、積極的に、二人を紹介したのだった。

 二人とも、4つほど年齢が離れていたが、考え方は似ているところがあったので、意気投合するまでに、ほとんど時間が掛からなかった。

 友達の方は、相手が年上でも、会社の上司ほど年齢が離れているわけではないので、気軽に話しかけられた。

 三津木の方も、彼を見ていて、

「どこか背伸びをしたいという意識があるようだが、少年っぽさが残っていて、新鮮に感じられる」

 というところであった。

 ママさんから見ても同じだったようで、そのママさんから見て三津木という存在は、

「ちょっと子供っぽいところがあって、悩みもまだまだ子供なんだけど、そこが新鮮なのかしらね」

 と思っていたようで、二人が合いそうだということは、結構最初の方から分かっていたようだった。

 三津木は、結婚までを考えた女性とは、最後まで行っていたのだが、別れに際して、

「ああ、何もしていなければ、もっと楽に別れられたかも知れない」

 と思っていた。

 実際には、

「そんなことは関係ない」

 と思っているにも関わらず、そう感じようとするのは、

「どうやろうとも、苦しむことに変わりがないのであれば、何もなかったことにした方が気が楽なのかも知れない」

 と思ったのだ。

 そんな三津木の気持ちが分かっているのか、友達も、三津木の気持ちを分かると同時に、自分の話もして、

「分かってもらおう」

 と感じるのだった。

 友達の気持ちが、三津木にも分かったからこそ、二人は仲良くなったのだ。

 ママさんの感じた通り、

「この二人は、結構合うかも知れないな」

 ということなのかも知れない。

 ママさんとしては、三津木と友達が、

「よく似た性格だ」

 とは思っているわけではない。

 あくまでも、

「この二人は合うだろう」

 ということで、引き合わせたわけだった。

 性格が合うというのは、

「何も、性格が似ているからだ」

 というわけではないということであろう。

 ママさんに、

「二人のうちの、どっちが好きか?」

 と聞いたとすれば、

「三津木さんかしら?」

 と答えるであろう。

 二人は、ママさんの考えに似合っているのだが、友達の方が、どちらかというと、性格が別れているようで、

「自分の意識から、少しはみ出したところがあるように見える」

 という感覚だった。

 三津木の方は、すべて自分の視界の範囲に入っているようで、だから、

「三津木の方が好きだ」

 ということになるのだろう。

 ママさんは、三津木の方をずっと見ていて、その意識が友達の方に分かり、そのせいか、次第に友達の足が遠のいていったのだ。

 店のママとすれば、気にしなければいけないところであろうが、三津木が来てくれるだけで嬉しいということなので、友達が来なくなったことを、必要以上に気にすることはなかった。

 そんなママが気に入っている客の中に、母子で来る人がいるのだった。

 母親と娘なのだが、こんな偶然があるというのか、その母親というのは、友達のところで働いている、パートの事務員さんだという。

 もっとも、社長自身が、よくこの店を利用しているのだから、社員やパートさんが、利用するというのも決して不思議なことではないだろう。

 それを思うと。

「あら、またご一緒になったわね」

 とママさんがいうのも分かる気がした。

 三津木は、パートさんとは少し話をするようになったが、娘の方とは、どうも話をする雰囲気はない。どちらかというと、

「娘の方が嫌っているような気がするわ」

 とママさんは思っていた。

 三津木の方とすれば、

「俺の方は別に嫌っているわけではない」

 と思っていたのだが、どうもママさんが、彼女に話をそれとなく聞いてみると、どうやら、三津木の視線が気になるということだったのだ。

 つまり、彼女とすれば、

「私は、あの人に嫌われているんだわ」

 ということだったようで、

「嫌われているのなら、それでもいいわ。私も近寄らないだけだから」

 ということだったようだ。

 ただ二人とも、

「タイプではない」

 と思っていたようで、彼女の方から見て三津木は、

「何か嫌らしい目線を感じる」

 ということのようで、三津木からすれば、

「あの視線が怖い」

 というほどに、睨まれているような気がしたというのだ。

「ニワトリが先か、タマゴが先か」

 ということのように、きっと、どちらからの見方が先だったのだろうが、時間が経ってしまうと、分からなくなってしまうようで、まさに、

「どちらから始まったか、分からないだけで、結果は同じだ」

 ということになるのであろう。

 どちらが先であっても、大きな問題ではないが、

「始まりがないように、終わりもないんだ」

 ということを理解しておかないと、厄介なことになると。感じるのであった。

 余談であるが、

「人間は生まれながらにして平等である」

 と言われているが、本当にそうであろうか?

 この言葉を聞いた時、何ともいえない違和感を感じた。

 それが何を意味するのかというと、

「生まれる時は、親を選べない。だから、死ぬ時も、死を自分で選んではいけないのだ」

 ということになる。

 つまり、生まれる時、親を選べないことで、裕福な家に生まれるか、あるいは、貧困家庭に生まれるかということで、

「生まれながらに不公平だ」

 と言えるのではないだろうか?

 さらに、死ぬ時も、自殺を基本的には許していない宗教がほとんどで、

「生まれた時が不平等なら、死ぬ時も同じだ」

 と言えるだろう。

 そもそも、死ぬ時の、平等というのは何であろう。いつ何時死んでしまうか分からないのだ。よく言われるのは、

「親よりも先に死ぬのは親不孝だ」

 と言われるが、大日本帝国では、

「子供は立派に天皇陛下のために、命を捧げる」

 という理屈がまかり通っているので、実際に、

「親より先に死んでも、陛下のためということで、正当化される」

 そのくせ、

「先立つ不孝をお許しください」

 とは一体どういうことなのだろう? 

 支離滅裂もいいところだ。

 たまに、友達とパートのおばさんと娘とで、店で一緒になると、会話が弾んだりしたものだが、娘の方がある日、

「私の友達」

 と言って一人の女の子を連れてきた。

 可愛らしい女の子だと思ったが、まだまだ失恋のショックが残っていたので、必要以上に意識をしていなかった。

 しかし、これは、友達が気を利かせて、落ち込んでいる三津木に気を遣って、

「あわやくば、カップルにでもなってくれると嬉しいんだけどな」

 という感じだったのだ。

 確かに、失恋のショックから立ち直れてはいなかったが、タイプであることに変わりなく、気になる存在だということで、いい雰囲気になっていた。

 そのうち、積極性を思い出したというのか、それとも、失恋のショックを少しでも和らげようという思いからか、三津木の方からデートに誘った。

 デートといっても、気の利いた店を知っているわけではなく、まずは駅で待ち合わせて、映画を見たりした。食事も居酒屋のようなところしかなく、それでも、彼女も、

「私呑むのが好きなので、ちょうどいいわ」

 と言って、ニッコリ笑って、ついてきてくれる。

 彼女は、実におとなしい女の子で、自分から表に出るようなことは決してしないのだが、喋るのが苦手なのだろうが、いうべきことはきっちりと口にするタイプだった。

 その様子を見ていると、急に頼もしくなって、

「自分から委ねたくなる」

 という気分になっていた。

 本当は、自分が引っ張っていくタイプだと思っていたので、少し戸惑ったが、基本的には、無口で、相手を立てようとするところは、実に嬉しかったのだ。

「前の彼女にはなかったところだな」

 と考えると、

「結婚するなら、こんな女性がいいんだろうな」

 と思うようになっていた。

 前の彼女は確かに、ハッキリとモノをいうタイプであったが、あくまでも、

「自分中心型」

 という感じであった。

 悪いわけではないのだが、今回の彼女と比較すれば、どうしても、自己主張が強すぎて、今から思えば、

「しょっちゅう喧嘩していたのも分かる気がする」

 と思えてきて、

「この子とだったら、喧嘩になんかなりそうにない」

 というところで、安心感が得られたのだった。

 前の彼女と付き合っている時は、安心感どころではない。絶えず彼女が、こちらが不安になるようなことをいうのだ。

 好きになったといっても、こんなに毎回のように、新たな不安材料を与えられるのは、溜まったものではない。

 しかし、逆に、

「ここまで心配させられると、次第に離れられなくなっていくということに気付くのだった」

 だからと言って、ズルズルきたわけではない。そもそも、一目惚れをしたということが、彼女に対して諦めきれない気持ちになっているのだということを思うのだった。

 相手に心配を与えたり、不安にさせるというのは、余計に離れられないような気持ちの絆を持っていたかのように思えてならないのだった。

 まだ、当時、お互いに24歳、結婚適齢期そのものだったのだ。

 特に、彼女の方が、結婚願望が強かったようで、その理由もかなり後になって分かった。三津木と付き合う前に彼女は、10歳くらい年上の人と付き合っていたということであった。

 しかし、その人とのことが、会社でウワサになり、結果として、彼が転勤を命じられるということになったのだ。

 ちょうどそれから一年後に転勤してきたのが、三津木だった。彼女も、

「ショックからだいぶ立ち直っている」

 という時で、まるで、二人を引き合わせるような転勤命令であったが、最初はどちらも何か、ぞわぞわした感覚があったということであった。

「そういえば、よくケンカになったな」

 と後から思えば、そう感じた。

 今の時代であれば、即行アウト。いわゆる、

「DV認定」

 だったかも知れない。

 しかし、それはお互い様で、

「向こうから先に手を出したのであって、こちらから手を出したことは一度もない」

 と思っていて、逆に、相手も同じことをいうに違いない。

 そうなると、

「言った者勝ち」

 で、逆に、

「オンナに手を出すなんて」

 ということで、明らかに、

「男が悪い」

 ということになるだろう。

 しかし、その頃は、

「夫婦喧嘩は犬も食わない」

 と言われるように、誰も止める人もいないだろう。お互いに、若かったということなのかも知れない。

 今から思い出しても、些細なことだったに違いない。理由の細かいところは、いちいち覚えているわけではないが、それだけ、お互いを思いやるということをしなかったのだろう。

 口喧嘩をしても、

「売り言葉に買い言葉」

 NGワードも結構あるはずなのに、平気で踏み込んでしまっていたに違いない。

 それを思えば、実に幼い喧嘩だったことであろう。

 そんな喧嘩が絶えない女だったので、

「今度付き合う人とは、なるべく喧嘩のないようなおとなしい女性がいいな」

 と思うようになっていた。

 だが、前の彼女も、最初はおとなしく、喧嘩になるなど想像もできなかったような女性だったので、

「相手を見かけだけで判断してはいけない」

 と言えるだろう。

 もっといえば、喧嘩になってしまったのは、自分にも責任があるということで、

「喧嘩両成敗」

 とは、よく言ったものだと感じたのだ。

 そんな、

「若気の至り」

 のような付き合いで、後から思えば、

「ままごとのような交際」

 だったのかも知れないが、やっている本人は、本当に必死だった。

「もし、タイムリープして、もう一度人生をやり直したとして、彼女との付き合いという、また同じことを繰り返すだろうか?」

 と言われれば、

「きっと繰り返すような気がする」

 というだろう。

 経験から、少しは違うだろうが、彼女と付き合うということに関しては、間違いないだろう。

 タイムリープというのは、

「タイムスリップが、自分が、身体ごとまったく別の時代に飛んでいくことなのと違い、飛んでいくのは、魂だけで、飛んでいった時代の、自分の身体に入り込むというものである」

 つまりは、

「同一次元の、同一空間に、同じ人間が存在している」

 という、

「タイムパラドックス」

 とは違った発想であった。

 だから、タイムリープに、タイムパラドックスは成立しない。

 ただ、

「元々あった自分の魂は、どうなってしまうのか?」

 という問題であったり、

「元の世界に戻れるのだろうか?」

 という問題が孕んでいるのだ。

 細かいところは、いろいろ物議をかもすことになるだろうが、あくまでも、一つの考え方である。

 学説というよりも、

「SF小説のネタ」

 として考える方が面白いかも知れない。

 彼女との、壮絶ともいえる交際を経て、結果、うまくいかず、大きなショックが、尾を引いてしまうことになったが、経験値が上がったのは、間違いないだろう。

 新しい出会いを演出してもらい、彼女として自分でも認識できるようになると、彼女の控えめな性格に、次第に惹かれていくのだった。

 彼女は、何と言っても、よく、

「幸せな気分にさせてくれる」

 というところがあった。

 その時は、幸福な気持ちになるのだが、そんな時に限って、前の彼女を思い出し、付き合っている時に、

「こんな気分にさせられたことは一度もなかった」

 と感じていた。

 前の彼女に対しては、

「俺が彼女を幸せにしてやる」

 という思いの方が強かった。

「惚れた者の弱み」

 とばかりに、強い思いがあったことだけは確かだった。

 しかし、いくら自分だけが頑張っても、その状況を打破することはできなかっただろう。

 何と言っても、彼女の方も、気持ちに靡かなければ同じなのであり、結局喧嘩というものの数が増えていくだけのことであった。

 正直、

「喧嘩の数はいくら増えたとしても、それが二人の仲をさらに深くする」

 というわけではないということだ。

 深くするどころか、ちょっとした、ごく小さな穴が開いていたその穴が、あっという間に大きな亀裂となり、どうすることもできなくなることだろう。

 それを考えると、

「どんなにタイムリープしてやり直したとしても、結果として最後は、壮絶な別れ方になるのではないか?」

 と思うのだった。

 タイムリープして歴史が変わってしまえば、いくらタイムパラドックスが成立しないとはいえ、過去から戻った未来は、まったく違う世界が広がっている可能性は、タイムスリップと変わりないだろう。

 それを思うと、タイムリープの場合は、

「決して戻ることのない、片道のタイムトラベルなのではないだろうか?」

 ということになるのだろう。

 だから、いくら、

「人生をやり直したいから、過去に行きたいということで、タイムリープを選んだとしても、そこから続く未来は、やり直した瞬間から、規則正しい時系列で動いていくことなので、結果の未来に矛盾は生じない」

 と言っても過言ではないだろう。

 そんなことを考えていると、

「どんな世界線にいたとしても、出会いの一つ一つが変わることはないだろう」

 というものだった。

 そこで付き合うかどうかということは別にして、その人の人生にとってのターニングポイントになる出会いは、必ずあるのであって、ただ、ターニングポイントとして、存在することになるかどうかということは、別問題なのであろう。

 そんなことを考えると、

「今回の彼女との出会いもターニングポイントだ」

 と言えるだろう。

 それが、結果として、結婚に繋がるのだから、おかしなものである。

 付き合い始めた頃は、まだまだショックから立ち直れず、きっと彼女も、

「この人は、どういうつもりなのだろう?」

 と思っていたのではないかと思う。

 話しかけても、上の空だっただろうし、後から思えば、口下手の彼女が話しかけてくれるということは、それだけ、三津木を気にかけてくれていて、勇気を振り絞ってのことだっただろう。

「それをどこまで分かっていたのか?」

 あるいは、

「分かっていても、実感が湧いていなかったのか?」

 ということであった。

 どちらにしても、彼女に対して、

「失礼なこと」

 であり、

「どう考えればいいのか?」

 ということになるのだった。

 そういう意味で、

「よく結婚にまでこぎつけたものだ」

 と言えるだろう。

 前の彼女と結婚できずに、

「もう俺は、結婚することはないだろう」

 と感じていただけに、実際に結婚するということは考えられなかったはずだった。

 それを考えされてくれたのが、

「そろそろ、結婚を考えてもいいんじゃない?」

 という彼女の一言だったのだ。

 その時点で、交際期間が4年を過ぎていた。

「長すぎた春」

 になりかかっていた時期だった。

 それを思えば彼女の一言は、実に絶妙のタイミングだったといってもいいだろう。

「長すぎた春」

 に終止符を打つことで、自分の人生の転換期に入ったことが分かり、気合も入ったというものだ。

 結婚するまで、決して平たんな道ではなかったが、それなりの、苦労もあって、結婚したのだった。

 結婚してしまえば、過去の苦労はすでに忘却の彼方に封印されていて。結婚したことで、

「結婚できてよかった」

 という思いと、

「結婚というのは、こんなものなのか?」

 というものであった。

 その時に、それまで思い出さなかった前の彼女を思い出すことになるのだが、結婚をこんなものなのかと思ったというのは、

「あれだけ夢見た結婚というものが」

 という言葉が上につくと言ってもいいだろう。

「味気ない」

 というわけではないのだが、

「目指していた結婚、ゴールだと思った結婚は、最初こそ、軽いカルチャーショックのようなものを感じさせられた」

 というのは、

「結婚して、何が変わったというのか?」

 という思いからであった。

 どちらかというと、交際期間の方が、もっとどきどきしていたし、

「このままずっと一緒にいたい」

 と思ったものだ。

 しかし、ずっと一緒にいられるようになって、

「結婚なんて、人生の墓場だ」

 というが、その言葉まで思い出されたのだった。

「人間、欲しがっているものを手に入れることができるようになると、スタートがどんなものであっても、大丈夫だ」

 と思い込んでしまうのかも知れない。

 甘く見てしまうというのもあるのか、有頂天になっているはずなのに、実際には、

「こんなものか」

 と思うのは、往々にしてあったりする。

 それだけ自分の認識が間違っているのかも知れないのだが、本当にそうなのだろうか?

 今まで、結婚前に思っていたこととして、

「早く、ずっと一緒にいられるようになればいいな」

 と漠然と思っていた。

 しかし、本当にずっと一緒にいるようになると、

「それだけでいいんだ」

 と感じてしまう。

 ということは、

「実際に一緒にいるということになると、希望や願望と現実が一緒になったことなので、その二つにギャップがまったくなければ、さらに、高みを見つけられると思う」

 と感じた。

 しかし、

「ギャップがまったくない」

 などというのは、まるで幻のようであり、本当にそうなのかと思うと、自分でも不思議でしょうがなくなるのだ。

 かといって、幸せであることには間違いなく、そう思うと、

「自分が、さらに有頂天にでもなりたいと、勘違いしているのかも知れない」

 と思った。

 そう、今見ている有頂天が、

「こんなものではないはずだ」

 として、自分に言い聞かせてくることになるのではないだろうか?

 と感じるのだった。

 ただ、自分の妻になった女性が、そんなことを考えているようには見えない。

 有頂天という感じもしないので、

「最初から、こんな気分になるということを分かっていたのかも知れない」

 と感じるほどだった。

 そういう意味で、

「舞い上がっているのは、自分だけなのではないだろうか?」

 ということを考えるようになると、またしても、

「結婚とはどういうものだったのだろうか?」

 と思い知らされる。

 一つ分かったことは、

「結婚とは、スタートであり、ゴールではない」

 ということだった。

 結婚をゴールだと思っていたのは、間違いないが、

「新たなスタートだ」

 とも思っていたことに、変わりはないだろう。

 しかし、結婚というのは、それだけではないはずだ。

「好きになった人と一緒にいること」

 それが一番で、もう一つは、

「守らなければいけない大切なことができた」

 ということであった。

 それは一つではなく、複数ある。

「パートナー」

 であることは間違いない。

 そして、結婚したことで、

「家庭」

 もその中に加わるのだ。

 そう思うと、普通であれば、やる気がこみあげてくるのだろうが、結婚を、最初のゴールだと思ってしまったことで、考え方として確立させる思いと、

「交際していたハネムーンのような、お花畑思想」

 というものが、結婚では、許されないものだということになかなか気づけない。

 許されないというと語弊があるが、結婚というものと、交際期間との大きな違いは、

「覚悟と責任」

 というものではないだろうか?

 その二つがなければ、お互いにうまくいかないところがあることだろう。ぎこちなくなってくるものなのだが、片方は気づいても、相手は気づかないという、そんなところがえてしてあるもののようだ。

 それを考えると、

「世の中、3組に1組が別れる」

 と言われているが、えてしてウソでもないのではないか?

 と思えてくるのだった

 そんな中で、彼女と結婚することになった。

 彼女の名前は初枝というが、初枝と結婚したのは、付き合い始めてから、5年目であった。

「俺のどこを気に入ったんだい?」

 と聞くと、苦笑いをしながら、

「秘密」

 と言われた。

 最初は照れくささからなのかと思ったが、よくよく考えてみると、

「そんな分かり切っていることを聞くの?」

 ということだったのかも知れない。

 三津木には、それが分からなかったので、さらに聞いてみたのだが、どうもそれが、彼女には、不信感につながったようで、五年で離婚することになったのだが、最初に別れを考えたことがいつだったのかということだけ、彼女が教えてくれたのだが、それがこの時だったようだ。

 三津木は、離婚に対して、

「絶対に反対だ」

 と言った。

 娘がまだ小さく、

「娘のためにも、親が仲良くしなければ」

 と言い出したのだが、もう聞く耳を持たなかった。

 最初は、

「付き合っていた時のことを思い出せば、きっと別れようなんて言わない」

 と思うようになっていたのだが、実際には、そうではなかった。

「結婚したいといったのは、彼女の方だった」

 という思いがあったのだが、

「離婚しない」

 ということへの正当性には、何ともほど遠いものだったのだ。

 というのも、その時、三津木は、

「女性というものを分かっていなかった」

 と言えるのではないだろうか?

「離婚する」

 と考えた時には、女性は、ほとんど、腹が決まっているといってもいいだろう。

 もうそうなってしまうと、いくら説得しようとも、もう遅いのだ。相手は、引き返すことができなくなってから、やっと気持ちを公表する。相手は、もう何も言えなくなってしまうのだった。

 そんな状態において、男は、置き去りにされた形になり、

「女性の方は逃げた」

 ということになるだろう。

 もちろん、三津木はそのことはわからなかった。あくまでも、

「女房の気持ちは一過性のもので、すぐい戻ってきてくれる」

 と結構高い確率で感じていた。

 しかし、

「いきなり離婚という言葉を突き付けられて、パニックになっているだけだ」

 と感じたのだった。

「離婚には、結婚よりも数倍の体力がいる」

 とよく言われるが、まさにその通りだ。

 まずはいきなり突き付けられた離婚要求に、戸惑うのは当たり前だ。

「まさか、本気なわけはないよな」

 とその時はまだ信用していないに違いない。

 だが、話をしているうちに、

「取り付く島もない」

 というほどになってしまうと、

「本当に離婚を考えているということか?」

 と感じ

 その時にやっと、

「事の重大さ」

 に気付くのだった。

「離婚というワードは自分には無縁だ」

 と思っていたが、そうではなかったということだ。

 離婚を言い渡された、

「3人に1人」

 というのは、皆、この時の恐怖を味わったということだろう。

 結婚してから離婚までの期間の長さに、この時の恐怖の大きさは関係ないだろう。

「どんなに長く一緒にいても、半永久的な生活に結びつくことはなかったからだ」

 ということであろう。

 結婚してから最初の2年間くらいは、

「新婚さん」

 であった。

 その間、二人の取り決めとして、

「お互いに好きなことの邪魔はしない」

 ということであった。

 だから、彼女も仕事を辞めるわけではなく、生活費への、それぞれのお金の配分などは、曖昧にしていた。

 実はそれも悪かったのかも知れない。別れを決意する前に、彼女から、

「もっと、生活費の方も見てくれないと困る」

 と、三津木は言ったことがあった。

「何言ってるのよ。あなたが最初にちゃんと決めておいてくれないから、こっちは分からないのよ」

 と言われた。

 確かに、最初の頃は、

「何も言わなくとも彼女には分かってもらえる」

 ということから、

「強く言えなかった」

 つまりは、

「遠慮した」

 ということであった。

 敬意を表し手遠慮したはずなのに、いまさらそのことを引っ張り出されると、苛立ちもするというものだ」

 実際に遠慮したというより、

「変に決めて、そのことの不満で嫌われるのが嫌だった」

 ということなのだ。

 後になって、このような形で責められるなどということは、普通なら分かるのだろうが、その時は、新婚という甘い蜜のせいで、分からなかったのだった。

 新婚が甘い蜜だというのは、その時の楽しさが、離婚の時の足かせになろうとは思ってもみなかったからである。

「あの時の楽しかったことを思い出してごらんよ」

 と、旦那は思い、説得する。

 しかも、旦那は、まだまだお花畑にいるのだから、そういう言い方をするだろう。

 しかし、女はすでに冷めているのだ。そんなことを言われたとしても、

「いまさら何を」

 としか思わない。

 それよりも、新婚の時期に、奥さんの方も、

「あの時私が、少し含みを持たせて話したことを、まったく無視したのは、どっちなのよ?」

 と言いたいようだ。

 旦那としては、

「楽しい時間を、ちょっとしたことで気分を害するようなことはしたくない」

 と思っているのだが、女房の方とすれば、

「私の方をまったく向いてくれていないから、私の言っていることも平気で無視できるんだ」

 と思ってしまうことだろう。

 この時点で、

「気持ちのすれ違い」

 というものはすっかりできていて、ただ、実際には、すれ違いではなく、男から見れば、女はまったく遠くまで行ってしまっていて、その姿も確認できないのではないか?

 ということであった。

「オンナというものは、相手に気持ちを明かした時、すでに自分の気持ちはかたまっていて、どんな説得にも応じないところまで来ているものだ」

 ということに、男性は往々にして気づいていないものなのだ。

 だから、そのことに気付いた時、

「女って卑怯だ」

 と感じるのだ。

「相手に分かるように説明もせずに、勝手に決めてしまうというのは、一体どういうことなのか?」

 ということで、

「逃げている」

 としか思えないのだ。

 女からすれば、

「あなたが、私にこんな気持ちにさせたんだから、女とすれば、これくらいのことをして、当たり前なんじゃないか?」

 ということなのだ。

 もうこうなってしまうと、完全に、

「いたちごっこ」

 になってしまい、相手との距離感がマヒしてしまうくらいの感情を抱いてしまうのではないだろうか。

 それでも、子供のことがあるから、親としては、

「何があっても別れてはいけない」

 と思っていて、ただ、それは、三津木が思ってるだけだった。

 女の方とすれば、

「母子家庭になってでも、この子は自分が育ててみせる」

 という思いに駆られるのであった。

 ここまでくれば、一進一退。どうすることもできなくなる。こうなった時の女性の動きは、迅速だった。

 男の方は、

「定期的に説得にいけば、そのうちに、気持ちが変わるだろう」

 などという、今の段階では、もうあり得ないことを考えているのだ。

 女とすれば、

「一日も早く決着をつけて、前に進みたい」

 と思っているのだから、

「このすれ違いは致命的だ」

 と言ってもいいだろう。

 女の方は、さっさと法的手段に訴える、家庭裁判所に話に行き、そこで、

「調停」

 という手段を用いて、意地でも離婚しようと思っているのだ。

「すぐにでも、新たな生活に入りたい」

 と思っているのだから、正直、これが一番手っ取り早い。

 相手は、調停委員という人が出てきて。それぞれの話を聴いて、いい方に持っていこうとする。

 調停と言っても、裁判であることにかわりはないので、

「被告と原告」

 の二人が、同じところに席を儲けるということはしない、

 あくまでも、一人一人意見を聞くことになるのだ。

 調停とはいえ、相手が暴力夫だったりもするわけだ。

「逆上すると、何をするか分からない」

 という感覚である。

 それを考えると、

「調停委員というのは、優しく話をしても、中には逆上する男性もいたりするので、本当に厄介である」

 と言えるだろう。

 まずは、原告である女性側の意見を聞き、それを被告である夫に告げる。

 夫の意見も普通に聞いているが、ほとんどの場合は、

「調停委員は、自分の味方になってくれるだろう」

 ということを考えて、かなり甘く見ていることだろう。

 特に。

「子供がいて、子供のためにならないと思っている」

 ということをいえば、こちらの味方になってくれると思うのだった。

 しかし実際には、

「奥さんの気持ちも硬いようですし、子供のことも、早くケリをつけてあげて、自由にしてあげたいですよな。子供の将来のためにもですね」

 ということを言われるのである。

 男はその時になって、やっと、

「もう時すでに遅し」

 だということに気付くのではないだろうか?

 三津木もこれを聴いた瞬間、

「俺はいま、四面楚歌の状態の中にいるんだ」

 ということであった。

「旦那さんも、奥さんの覚悟を考えてみてください」

 と言われた時、

「ああ、調停委員というのも、公平ではなく、原告の方に味方するんだ」

 ということを考えると、すべてが、相手の計画通りになっていることに愕然となる。

 離婚を決意したとすれば、この時であろう。

「なるほど、子供のことを考えてしまうと、こちらが簡単に諦めると思っているんだな?」

 と考えると、何とも屈辱感に苛まれるのだが、もっと悔しいのは、

「そんなことも分かっていて、抗えることのできない自分が悔しい」

 ということであった。

 子供というのは、下手をすれば、

「リーサルウェポンだ」

 と言えるかも知れない。

 それまで、子供のことを真剣に考えていて、奥さんの方も、

「いずれは分かってくれる」

 と思っていたのが、実は離婚をしたくない理由に、子供を出しにして使っているということになると思うと、自分が情けなくなってくるのだ。

 ここまでくると、

「もう仕方がないか?」

 と考えるのだ。

 しかも、まわりの家族も、皆奥さんの味方で、こちらも、

「子供のためにも」

 ということで、もう、逃げ場がなくなってしまっているようだった。

 夫というもののメンツも丸つぶれ、しかも、子供の将来を妨げているということになると、もう、どうしようもなくなってくるのだ。

 離婚は簡単に成立した。

 調停内容の証書が作られて、そこにサインするだけで終わりだった。

 結局最後まで相手の顔を見ることもなく、離婚成立。あれだけ仲が良かった女房と、

「最後の別れ」

 もできずに、

「さよなら」

 ということになるのだった。

「まさか、最後、顔を見ることもないだなんて」

 ということがショックだったが、おかげで、そこまで引きずることはなかった。

 だから、離婚が成立すると、却ってスッキリした気分だった。

「どうしてあんなに、何に対して執着をしたのだろう?」

 と考えた。

 やはり、子供の話題を出されて、その子供のことを考えた時、

「調停委員に仲介してもらおう」

 と思っていたのに、それどころか、

「奥さんの意思は固い、元に戻るということは不可能に近いですね」

 と言われてしまう。

 さらに、

「子供の将来を考えると、早くハッキリさせて、あなたの方もまだこれからなんですから、第二の人生を歩むことをお勧めします」

 と言われた。

「第二の人生」

 という言葉を聞いて、正直、全身の力が抜けていくのを感じた。

 というのも、

「確かに、まだまだ自分も若い。再婚というのもいいかも知れない」

 と、それまで考えもしなかったことを言われて、急に目の前が開けたような気がしたのだった。

「そういえば、俺だって、まだまだ捨てたものではない」

 と正直に思った。

「女房と出会った時だって、前の失恋のショックから抜けていない時ではなかったか? ひょっとして、俺ってモテるのかも知れない」

 とばかりに感じたのが、不謹慎と思えるのだが、そもそも、

「まわりが、そうやって、こっちを説得しようとしているのだから、そう考えたとしても、悪いことではない」

 と思うのだった。

 そう考えてくると、それまでの気持ちが楽になってくるのだった。

「なんだ、そういうことか、何も難しく考えることはないんだ」

 ということであった。

 理由を聞いても、女房がわから、何かを言われることはない。

「俺の方では、離婚を言い渡されるような離婚理由となる何かがあるわけじゃないんだ。だからこそ、調停であろうが、こっちがうんと言わなければ、相手に拘束力はないのだから、調停委員も、こっちの味方をしてくれる」

 と思ったのだ。

 しかし、実際に、調停委員としては、

「依頼主の利益を守る」

 という、弁護士と同じようなものではないだろうか?

 弁護士というのは、

「依頼人がいくら悪いと分かっていても、最優先順位は、依頼人の利益を守る」

 ということである。

 つまり、依頼人が犯罪者であっても、無罪放免を勝ち取ろうと、平気でするのだ。

 そのためには、少々の悪いこと、もちろん、法律の範囲内での抜け道を使い、依頼人の利益を守ろうとする。

 それが、弁護士というものだった。

 弁護士というものが、そんな仕事だということが分かっていたので、

「調停委員もそうなのだろう」

 と思っていても、

「夫婦円満ということを前提として考えるんじゃないか?」

 という一縷の望みがあったのだが、それがかなり甘かったということであろう。

「夫婦円満というのは、まるで絵に描いた餅のようなものだったに違いない」

 と言えるだろう。

 実際に、離婚が成立すると、三津木の方は、

「完全に肩の荷が下りた」

 という気がした。

 女房への未練などは、別居生活をしていた1年間くらいの間に、すでに失せていたのだろう。

 離婚が成立してしまうと、

「寂しい」

 というよりも、どちらかというと、

「清々した」

 と言った方が正解だったのかも知れない。

 あくまでも、勝手な思いであるが、

「本当にそうなのか?」

 と一度は自分に問うてみたが、

「女房のあの目を見ることがなくなった」

 と思うことが、清々した理由である。

 別居前に話しかけた時、無言で、こっちをにらんでいるあの顔が、この世のモノとは思えないほどに、気持ち悪さがあったのだ。

 それを思い出すと、

「子供に遭うのも怖い気がする」

 と思うようになってきた。

 子供には悪いと思ったが、

「もうあの家には関わりたくない」

 と思ったとしても無理もないだろう。

 何しろ、理由も言わずに、一方的な離婚なのだ。だからこそ、

「慰謝料もなし、養育費も、最低ラインの金額で落ち着いた」

 ということだったのだ。

 そんなことに巻き込まれた子供は気の毒だが、

「あの女に金輪際、関わりたくない」

 という気持ちは本心だし、間違いではない。

「なんて父親だ」

  とは思うが、無理もないことだと思うしかなかったのだ。


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