第3話 不安の焦点

 石松あいりという女性がいる。

 彼女は、25歳で、三津木に言わせれば、

「結婚適齢期」

 というものであろう。

 彼女は、今までに何度となく、

「都合のいい女」

 に仕立て上げられ、好きになった男性から、最後には、捨てられるようにして、別れを迎えていたのだった。

 あいりは、もちろん、自分がまさか、

「都合のいい女」

 になっているなどということを分かるはずもない。

 食事に誘われても、いつも自分から、

「いいわよ。私が出すわ」

 ということで、男は、最初こそ、自分で出そうとしていたが、すぐにお金を出すということをしなかった。

 それをいいことに、男は、もう財布に手を延ばそうともしなかった。

「この女が出してくれるんだ」

 と言わんばかりである。

 女も、それで満足しているようだ。男から見れば、

「相手が出したいというのを、むげにするのは、却って失礼だ」

 ということなのだろうが、女を、

「自分の都合よく扱おう」

 という男なんだから、そんなことまで考えているなどということもないだろう。

 昔であれば、

「アッシー君、メッシー君」

 などという言葉もあったが、今ではそれも死後になった。

 どちらかというと、男よりも女の方が、都合よく使われる方が多いのではないだろうか?

 本当はそのあたりは、微妙なところで、

「本人が自分のことをどう感じるか?」

 ということなのであり。

「自分で都合のいい女だ」

 と思うと、都合のいい女になっているということである。

 ただ、そのことに気付かない女がたくさんいる。だから、男が、それをいいことに、女を、

「都合よく使う」

 ということなのかも知れない。

 実際には、自分が都合よく使われているのが分からない女性もいるだろう。

 中には、

「私は分かっていて、敢えて相手に尽くしているのよ:

 と、あくまでも、都合よく使われているということを否定する人もいる。

 そういう人は、

「自分が相手を助けている」

 と思っているのだろうから、

「どっちもどっちなのではないだろうか?」

 男にしても、女にしても、

「甘やかされすぎると、ダメになる」

 ということではあるのだろうが、それよりも、

「こんな私にも、相手のためにできることがあるんだ」

 という、普段から自己否定する考え方しかしていない人からすれば、一種の進歩なのではないだろうか?

 それを考えると、

「都合のいい女」

 になってしまうというのは、基本的には、

「オンナが悪い」

 と言われることも多いだろうが、人によっては、

「女性とすれば、やむを得ない部分がある」

 と言えるだろう。

 しかし、男に対しては、

「問答無用」

 と言ってもいいのではないだろうか?

「女性を都合よく扱う」

 というのは、男側からすれば、これは、問答無用で、いいことではないと言えるだろう。

「俺のことを好きになってくれているんだから、都合よく扱ってやるのも、人助けのようなものだ」

 などという、傲慢としか言えないような考えを持っている人もいる。

 まわりから見て、

「あの女性は、都合よく扱われている」

 という風に見える場合、その男性は、ほぼ間違いなく、意識して、女性を都合よく扱っているに違いない。

「そんなつもりはなかった」

 などというのは、詭弁であろう。

 普通であれば、男性は、女性に奢ってやったり、デートではお金を出すのが普通だという意識があるだろう。

 だから、自分がおいしい目を見ていれば、

「その立場を分かっていない」

 というのは、男からすれば、

「実にもったいない」

 という話であり。

 実際には、このような立場を味わいたいから、都合よく利用しているわけだ。

 だから、その状況を分かっておらず、相手を都合よく扱っているとすれば、

「その方が罪ではないだろうか?」

 女性の中には、

「相手が喜んでくれればうれしい」

 と思っている人もいて、それがいくら都合のいい女に成り下がってでも、相手に尽くしているという自分の立場を考えた時、健気な自分をいとおしく思いたいと感じるのであれば、

「それだけで満足だ」

 と思っている人もいるだろう。

 だが、そんなことを女性が考えているとするならば、男にとって、

「これほど、男冥利に尽きることはない」

 と思うだろう。

 男がそう思うことを女性も望んでいるのだとすれば、

「都合のいい女」

 というのが、いいことなのか悪いことなのか?

 ということは別にして、少なくとも、

「この二人にとっては、いいことなのだ」

 だから、一人でも、これをいいことだと思っている人がいるということであれば、完璧な悪いことではなく、

「人によって受け止め方が違う」

 と言えるのではないだろうか?

 では、もし、これが立場が逆であれば、どうだろう?

「都合のいい男」

 昔であれば、前述のアッシー君などが、そのいい例であろう。

「友達と呑みに行っていて、終電がなくなってしまった。タクシーで帰るしかない」

 となった時、女が男を呼びだすのだ。

 もちろん、ウソのない呼びだしである。男の方も、しょうがないと思いながらも、やってくることだろう。

 男としても、迎えに来ることにメリットがある。

 彼女が友達に、

「私には、電話一本でやってきてくれる優しい彼がいる」

 ということを自慢したいがために、彼女は自分を呼びだす。

 という発想である。

 しかあし、女性の方が、まさか、自分にことを、

「都合よく使っている」

 とは思ってもいないだろう。

 というのが、女性側である。

 しかし、男性というのは、そこまでバカではない。

「友達に見せびらかしたい」

 という気持ちは男も嬉しいというものだ。

 それだけ、

「自慢の彼氏」

 として見せつけたいと思っているのだろうと思うのだが、実際には、

「私の言いなりの彼氏」

 ということで、お互いの考え方が正反対なのだ。

 だから、その考えを否定することは、なかなかできないだろう。

 それと同じことが、

「都合のいい女」

 の場合にも言えるだろう。

 ただ、この場合は、もっと深刻なところがある。

 男は、一度セカンドにしたり、

「都合のいい女」

 として認定した女性を、

「彼女」

 ということで、昇格させることはないということだ。

「側室になってしまえば、正室には絶対になれない」

 ということである。

 昔の大名などの場合で、

「正室が、何かの病気などで死んだりすると、側室から、正室に上がることはない」

 であろう。

 それは、家柄というのもあるだろうし、

「側室から正室になるということは、それまでのしきたりを崩す」

 ということで、容認できないことだろう。

 もし、後添いを考えるのであれば、

「由緒正しき家柄の娘を、正室候補として考える」

 に違いない。

 確かに、側室というのが、

「大奥」

 のようなところにいるとすれば、あくまでも、側室は側室としての立場をわきまえているわけだ。

 もし、正室に子供ができず、側室の一人が、後継ぎを生んだとしても、その人が正室になるということはありえない。

「側室の中のトップということになるのだろうが、そこまでである」

 それは、

「大奥の秩序を守る」

 ということもあるだろうし。

「今までの決められたしきたりを次世代以降も守っていく」

 という考えもあるだろう。

 あいりは、今まで自分が、

「都合のいい女だ」

 ということに気付いていなかった。

 いや、気付かないふりをしていたのだ。

 なぜなら、気付いた時、それほどのショックがなかったからだ。

「身体を壊すほど、ショックだった」

 と言われれば大げさすぎて、嘘くさいと思うかも知れないが、

「自分にとって都合のいい女というのがどういうことなのか?」

 というのを、他の女性は、どう考えているのだろう?

 普通に考えれば、

「本命の彼女がいて、自分はいつまでも浮気相手。報われることなどあるわけはなく、金銭的にも、肉体的にも、男の欲を満たすためだけに使われる」

 ということになるのだろう。

「私は、それでもいいの」

 と考える女はまずいないだろう。

 何といっても、自分の健気な気持ちを踏みにじられて、

「相手に食い物」

 にされ、さらに、

「本命の彼女がいることを悟られないように、していて、本命の彼女との間に期が熟すれば、あっけなく捨てられる運命にある」

 ということなのだ。

 女とすれば、何が腹立つのかというと、

「自分の行為に対して、報おうとしないのは、仕方がないかも知れない。自分の努力が足りないからだ。しかし、何が嫌と言って、自分に尽くすべき気持ちを、本命の彼女のために使っていると感じると、これほどやるせない気持ちになることはない」

 ということになるだろう。

 自分の気持ちを、相手の男は理解しようともせず、自分は自分で、本命の彼女に、必死になって取り入ろうとしている。その時、都合のいい女たちがいることをまったく無視しているのだった。

「どんなに努力をしても報われない」

 というのは、ある意味、自分を、

「健気な女」

 として評価できるからまだいい。

 しかし、彼の気持ちが本命のオンナに向いているということであれば、それは、まわりの努力はすべてが無駄ということになり、結局、

「彼女たちは、完全否定されている」

 ということになるのだった。

 完全否定されてしまうと、自分で気づかぬうちに、泥沼の精神状態に落ち込んでいるようで、

「これ以上、どうすることもできないアリジゴクのようだ」

 と感じるのだ。

 アリ地獄の中に入り込んでしまうと、

「好きになればなるほど、その傷口は広がってしまう」

 ということになるだろう。

 その思いをあいりは、今までに何度もしてきている。

 失恋と言えるもの、言えないかも知れないこと合わせると、かなりの数であるが、そのほとんどが、

「都合のいい女にされてしまった」

 ということになるのであり。

「自分を都合のいい女にしている男」

 のことを再度考えると、

「このままいけば、苦しみしか待っていない」

 と感じる。

 何とかして、

「自分が傷つかない理由を考えないといけない」

 と考えるが、

「自分が傷つくということは、あの男の鼻を明かすどころか、武勇伝の一つも作ってやるということでしかない」

 と思うようになると、その少し前まで、

「彼のために一生懸命になっている自分を健気だ」

 と思っていたことを、まるで、遠い過去のように感じるようになるのだった。

 しかし、健気も限界があるようで、

「男が、自分のことをまったく考えないどころか、考えていることが、本命のことばかりだと思うと、自分を全否定されたかのようになり、正直、病んでしまう」

 ということになりかねないだろう。

「私と本命の間に、どのような隔たりがあるというのだろう?」

 と考えさせられる。

 そうなると、健気な気持ちが次第に、限界に近づいてきていることに気付かされる。

 バレンタインのチョコであれば、

「本命」

 もあれば、

「義理」

 というのもある。

 本命しかなければ、わざわざ本命などという言葉を使うことをしないだろう。

 ただ、義理というのは、あくまでも社交辞令。

「側室」

 とは種類が違うものだ。

 側室は側室として、今で考えれば、

「何ともみじめな存在だ」

 ということになるのだろうが、義理チョコを貰うよりもマシである。

 立場としては、少なくとも、殿様のそばにいるということで、家老クラスよりも下であれば、彼女たちに逆らうことはできないくらいのポストではないだろうか?

 それを考えると、

「側室」

 と、

「都合のいい女」

 というのは、まったく違う性質のものであろうが、

「都合のいい女」

 という側から見れば、

「側室と、同じ立場ではないか?」

 と考えたとしても無理もないことではないだろうか?

 もっとも、時代が、封建制度を中心とした中世と、今の民主主義を中心とした現代とでは考え方もまったく違う。

 一概には比較はできないが、まったく別のものという考えもできないのではないかと思うのだ。

 自分のことを、

「都合のいい女」

 になったことがあるというのを自覚しているあいりだったが、その時というのは、相手の男が、正直言って、

「クズだった」

 ということである。

「典型的な、クズ男と、都合のいい女」

 ということのパターンであり、結果として、最後には、

「本命の彼女」

 のところに行くので、彼女は捨てられたことになる。

 ただ、この男はクズというだけのこともあって、

「本命の彼女に気を遣ったりするわけではなかった」

 ということで、もっといえば、

「本命の彼女も、クズだ」

 ということで、結局は、

「バカップルのために利用された」

 ということであった。

 そうと分かれば、かなりショックは大きかったが、逆に冷めてくると。

「あんな男の本命にならなくてよかった」

 ということになる。

 本命になるということは、

「バカではいられない」

 という思いがあいりにはあった。

 つまり、

「都合のいい女」

 というのは、嫌ではないが、

「バカな男に引っかかった」

 と言われるのは、嫌だったのだ。

 それが、彼女の、

「プライド」

 というものであり、

「バカな男に引っかかった」

 ことよりも、

「都合のいい女」

 の方が何倍もいい。

 その理由とすれば、

「すべて、自分の意思で行っていることなので、後悔をすることはない」

 ということだったのだ。

 あいりは、それでも、何度も、

「都合のいい女を繰り返した」

 確かに、何度も続くと、溜まったものではないが、

「バカな女になりかかっている自分というもの」

 それが情けなかったのだ。

「都合のいい女」

 というものを、演出しようとしている人もいる。

 そんな話を聴いたことがあるが、どういうことなのだろうか?

「相手を油断させて、あざとさを後から出していこうというのか」

 正直、あいりには分からなかった。

 だが、あいりには、

「都合のいい女というのを演出しようとしているオンナを見分けることができる」

 と思っている。

「同じ血が流れているからではないか?」

 と感じるからなのだが、実際には、相手は、演出をしようと考えているのだし、こっちは、普通にしていて、勝手に都合よくなっているというだけではないか?

 ただ、そう考えると、

「自覚していないだけで、私にも、そんなあざとさがあるのだろうか?」

 と感じることであった。

 確かに、

「あざとさのない女などいないだろう」

 ともいえるのではないかと思うのだが、それは、

「バカな女になりたくない」

 という思いがあるからだろうか。

「情けない」

 ということを感じたくない。

 この思いが強いのではないだろうか?

 そんな時、あいりは、別の男性と知り合った。

 その人は、あいりが、

「都合のいい女」

 となっているのを知っていたのだ。

 というのも、この男性は、あいりのことを都合よく使っている人の知り合いであり、その関係がなければ、知り合うことはなかった。

 そういう意味では、

「知り合うべくして知り合った仲だ」

 といってもいいのかも知れない。

 彼は、どうやら、あいりのことを好きになりかかっているようだ。あいりは、今までに自分のことを好きになってくれたと思う人は分かっているつもりだった。

 そして、そのほとんどの男性は、あいりのことを好きになることに、一縷の戸惑いもなかったように思う。

「好きになったら、猪突猛進」

 というのが、当たり前のように感じられるのだ。

 それだけ、他の男性は、あいりに苛立ちのようなものを覚えていたようだ。

 というのも、

「彼女は、いつも秘密主義で、他に付き合っている人がいるに違いない」

 と思っているようだった。

 あいりは、自分がモテるなどと思っていない。

「都合のいい女」

 として扱われている自分が、まさか、こんなに男性から好かれるとは思ってもいなかった。

 ひょっとすると、

「都合のいい女性」

 としての佇まいが、まるで甘い蜜のように、男性を引き付けるのかも知れない。

 ただ、あいり自身は、そんな自分に寄ってくる男性の、

「都合のいい女には絶対にならない」

 と、心に決めていた。

 ということは、自分から

「都合のいい女」

 になろうとした相手は、

「決して自分に靡かないそんな男を靡かせるんだ」

 という思いから来ているのではないか?

 と感じるのだった。

 自分によってくる男性には、ヤキモキさせ、自分は、寄って来ようとはしない男性の、まるで言いなりだ。

「他の男がまるで、ピエロのようだ」

 まさしく、その通りではないか?


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