第32話
俺は恐怖を打ち破る様に大声を上げた。
「舞子! こいつの弱点は水だ! 水属性魔法を撃てッ!」
「え!? でも私の水属性魔法はまだレベル低いのよ!」
困惑する舞子が声を荒げる。
「いいから撃つんだッ!」
「わ、わかった!」
両手を突き出した舞子は呪文詠唱に入り、
「《アクアインパルス》!」
掌の前に魔法陣が展開、淡い光を放った魔法陣から濃霧の弾丸が飛び出しベヒモスに向かって飛翔する。
舞子の魔法を無視して突っ込んでくるベヒモス。破格のプレッシャーがビリビリと皮膚に響いてくる。全身が粟立つ。全神経を迫りくる化け物の動きに集中させる。
躱せ、躱せ! ただの突進、躱せない訳がない! それにこの展開は既にオーク戦
で実戦済だぜ!
はためくローブとベヒモスの角が接触する直前で俺は身体を入れ替え右に跳躍、突きを回避する。だが、巨大な体で機敏に切り返したベヒモスの鋭利な角がローブを貫き、ローブの奥にある俺の脇腹に突き刺さった。
「――ッ!?」
くの字に折れ曲がる身体、骨が軋み、脇腹の筋線維が切断されていく。山ほどの砂利を積載したダンプカーに跳ね飛ばされたような衝撃が全身を駆け巡った。
しかし、ベヒモスの角は俺の身体を直接貫いていなかった。ベヒモスの角から俺の脇腹を守っていたのはローブの下に隠し持っていた草刈鎌YASOHACHI――。
ローブが散り散りに破れ、露わになった草刈鎌が火花を散らして激しくベヒモスの角と衝突する。
耐えろ! 耐えてくれYASOHACHIッ!
――バキンッ!
圧されて湾曲した鎌の刃が半分にへし折れて脇腹に突き刺さる。さらに、抉るように突き上げられた俺の体は大きく宙を舞った。
「がはぁっ!」
くそ……、これはもう……、ダメかもしれない……、視界が……窄んでいく……。意識が遠のいて――……、
「フヒトさまぁぁぁぁっぁぁぁぁっぁぁ!」
飛びそうな意識の中で俺はニーナの声を聞いた。その声が俺の意識を再び引き戻す。激痛に耐えながら地上を見た。落下地点に立つベヒモスが巨大な角で串刺しにしようと俺を待ち構えている。
「ぐぅ……」
まだだ! まだ終わってない!
俺は脇腹に刺さる折れた刃先を抜いて強く握しめた。
「うあああぁぁぁぁぁっぁぁっぁぁぁっ!」
落下しながら呪文を詠唱する。
「《グリムリッパー》ッ!」
光を帯びる折れた刃――、ベヒモスが角を突き上げた刹那、俺は身体を捻じり体軸を回転させて突きを躱し、ベヒモスの右目に折れた刃を突き立てた。
「おおおっぉぉぉぉぉッ!」
『ブォォォォォオオオオオオオオォォッ!』
眩い光に包まれ、豪快な断末魔を上げながら、泡状になったベヒモスの巨大な身体を空間に飛散して消えていった。
コンマ数秒遅れて波状の水撃砲弾、アクアインパンスが地面に激突する直前の俺を吹っ飛ばした。まるでダンゴムシが転がるように俺の身体はゴロゴロとアスファルトを転がっていく。
そして俺は今、晴天のスクランブル交差点の中心で仰向けに倒れている。
生きている……。
降り注ぐ太陽の日差しが眩しかった。
顔から大量の汗が滴り落ちていく。いや、汗が混じった水だろうか。
舞子の放った魔法によって全身がびっしょり濡れていることに気付いた。
全身の強張りや極度の緊張からやっと解放された俺は大きく息を吸い込み、そして吐き出した。同時に、羞恥心やプライド、それからなんか大切なモノまで流れ出ていってしまった気がした。
「ヒフト様ぁぁぁっ!」
「フヒトっ! 生きてる!?」
「フヒトッ!」
ニーナと舞子、志津が駆け寄って来るのが視界の端に映る。
差し伸べられた舞子の手を握り、俺は立ち上がった。
「舞子、志津、お前らのおかげでなんとか倒すことができたよ、ありがとう」
志津はほのかに笑み、親指をグッと立てた。
「そんなことないわよ。こっちこそありがとう……、それに、その……、びしょびしょにしちゃってごめんなさい。まさかフヒトに当たるなんて」
いつになく潮らしく謝罪する舞子に俺は小さく首を振り、蒼い空に輝く太陽を見上げた。とても眩しく、とても美しかった。この世界がこんなにも美しいと俺はこのとき初めて知ったのだ。
「ああ、濡れちまったぜ……。パンツの中までびしょ濡れだ……」
ポケットに両手を突っ込んで、雲一つない青空を仰ぐ俺の目から一筋の雫が落ちていった。
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