第31話

 ベヒモスは舞子の動きに付いていけていない。舞子は順調に巨大なモンスターの体に傷を刻んでいく。さらに死角から放たれる志津の的確な打撃に巨体がくの字に折れ曲がった。付け焼刃とは思えない完璧なコンビネーションだった。


 このまま俺の出番なくフィナーレを迎えられると予感したそのとき、異変は既に起こっていた。


 スピードでベヒモスを圧倒していたはずの舞子と志津にベヒモスの拳が掠り始めている。やがてベヒモスの攻撃と二人の回避が紙一重となっていた。彼女たちの動きが遅くなっているのではない。ベヒモスのスピードがどんどん上がっているのだ。


 さらに、舞子のレイピアがベヒモスの体を通さなくなっていた。レイピアの刃が鋼鉄と衝突する様に弾かれている。志津の打撃も同様に鋼の肉体に弾き返されている。


 なんてことだ……。

 俺は悟る。戦いの最中でベヒモスのスピードと防御力が上がっているのだ。


 これじゃあ決定力に欠ける彼女たちに勝ち目はない。このまま消耗戦に持ち込まれたらやられてしまう……。

 ベヒモスの変化を察したのか、舞子が後方に飛んでベヒモスから距離を取った。


「くらいなさい!」


 舞子が呪文を詠唱し炎属性魔法を放つ。直径一メートルの火炎の弾がベヒモスに向かって飛翔する。だが火炎の弾はベヒモスに到達する前に電撃鎖で掻き消されてしまった。


 舞子は怯まない。間断なく攻撃魔法を行使していく。ベヒモスは全てを防ぐことができず数発の攻撃魔法がヒットした。だが大したダメージは受けていないようだ。ベヒモスは電撃鎖を振るって反撃を開始。間一髪、舞子の前に立ちはだかった志津がロッドでベヒモスの攻撃を受け止めた。その隙を付いて再び舞子が魔法を放つ。戦況は完全に膠着状態へと移行した。


「つまりここが好機!《スピリテッドアウェー》!」


 姿を消した俺は尿意を堪えながらベヒモスのガラ空きになった背中に向かって走り出した。今のが七度目の魔法、あと三回、十回目の魔法で舞子の攻撃が一度止まる。そのタイミングでヤツを仕留める。


 ヤツとの距離は五十メートル強。リミットが近い俺の最高速度は、さっきリクオを助けたときの六割程度がマックスだ。これ以上のスピードは出せない。なぜなら我が膀胱括約筋(あるかどうかは不明)が緩んでしまう恐れがある。


 女走りみたいに、両太腿を擦らせるようにして俺は黒く焼け焦げたスクランブル交差点を全力で疾走する。残り十メートルに切ったとき俺の第六感が危険を察知する。ベヒモスのヤツが鼻を引くつかせている。


 俺が立っていたのは風上――。


 こいつ、匂いを感じ取っているんだ! やばいッ!


 突如、振り返ったベヒモスがやみくもに雷撃鎖を振り回し始めた。


「うお!?」


 雷撃鎖の一部が鼻を掠める。熱感の伴う痛みの後に鼻腔から鮮血が迸った。


「いてっててぇぇぇぇっぇええっ!」


 完全に鼻ごと持っていかれたと思ったが、鼻を掠めただけで鼻自体も顔の骨も幸いにして無事だった。でもあと数センチ進んでいたら俺の頭部は木っ端微塵だっただろう。

 ベヒモスは舞子の攻撃魔法を浴びながら怯むことなく電撃鎖を振り回し続ける。舞子の魔法が十度目を数えたところで一旦止まった。


 くそっ! これじゃあ近づけない……。


 ここに来て俺は重大な事実に気付いた。


 はうぅっ! や、やばい……ッ! そういえばトイレの位置を確認していなかった……。ここから一番近いコンビニ、それかガソリンスタンドは!?


 周囲を見渡す視界の中に、


 ――コンビニがあった! 

 だけど百メートル以上あるではないか!


 余計なターンを重ねてしまったせいでリミット間近だ。前回の経験からリミット近いこの状態での行動可能距離は約二十メートル。これじゃあヤツを倒してトイレに駆け込む前に確実に漏れてしまう! 天下の往来で小便を漏らしてしまう! 漏らした瞬間魔法が解ける! マスコミがカメラで狙っている!


「フヒト! 何やってるのよ! 早くして!」


 痺れを切らせた舞子が声を上げる。


 俺だって早くしてぇぇぇぇぇっぇぇぇっ! どうするどうするどうする!? 考えろ考えろ考えろ、考えるんだ夜剱不比人ッ!


 ベヒモスがやみくもにブン回していた雷撃鎖が信号機に当たり突然軌道を変えた。その軌道の先に志津がいた。予測不能の鎖の動きを避けることができず、巨大な鎖と志津の細い体が衝突する。薙ぎ払われた彼女はビルの壁面に激突した。


「あうっ!」

「志津!」

「うぅぅ……」


 志津は動けない。瓦礫にもたれ掛かるも自重を支えきれずズルズルと地面に膝が落ちていく。


『グオオオォォォォオォォッォオッツ!』


 ベヒモスが咆哮を上げた。大気がビリリと響き、地面が揺らぐ。前傾姿勢を取ったベヒモスはトドメを刺すため志津に向かって角を突き出した。その巨大な角で突き刺すつもりなのだ。


 このままじゃ志津が……、くそ! もう世間体なんか気にしている場合じゃねぇ!


「こっちだ牛野郎!」


 俺は自らスピリテッドアウェーを解除して声を上げた。


 振り返ったベヒモスが新たな得物を紅い双眸でギラリと睨み付け、相手の強さを計るようにこちらの様子を窺っている。突然姿を現した新たな敵の存在に少なからず警戒しているようだ。


「てめえの相手はこっちだって言ってんだよ! かかってきやがれ!」


 俺はローブを脱いだ。そして闘牛士のようにローブを揺らしてベヒモスを威嚇する。

 牛には赤色が認識できないという。実は赤色で興奮しているのは観客の方なのだ。闘牛はただ闘牛士がひらひらと揺らすマントに反応しているだけ――ってマンガで読んだことがある。


 だから、黒いローブでも大丈夫なはず!


「一撃、たった一撃当てれば、たった一度攻撃を躱せば、俺の勝ちだ! きやがれサーロイン! 俺はステーキにはワサビ醤油派だ!」


 ベヒモスが後ろ脚を蹴り上げて威嚇を開始する。その度にアスファルトが削れて粉塵が舞う。


 そして、遂に角を突き出したベヒモスが突進を開始した。

 地面が揺れ、巨大な圧力に押しつぶされそうになる。ベヒモスの咆哮がビリビリと腹の奥に響く。


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