第26話

 シャワーを浴びて制服に着替えた俺はニーナと舞子、寝起き眼を擦る志津、そして黒猫のロゼッタで仲良く朝の食卓を囲んでいる。とても異様な光景だった。だが、なんと言うかそんなに違和感を覚えないのは不思議なものである。


 淹れたてのコーヒーの香りが漂うダイニングテーブルにはニーナの作ってくれた豪華な朝食が並んでいた。


 焼きたてのクロワッサンやベーグル、フランスパン、フレインチトーストにスクランブルエッグや自家製ベーコン、季節のサラダといった洋食モーニングが食卓の半分を占め、残りの半分の面積を鯵のヒラキに手作り豆腐と自家製納豆、それから自家製海苔や炊き立ての銀シャリが入った土鍋などの和食が所狭しと並んでいる。


 朝からこんなに食えるかよとツッコミを入れてしまう量だが、ニーナが食事を残したことはない。ヤツの胃袋が一体どうなっているのか、そしてこれらの食費がどこから捻出されているのか未だ謎だ。


「すごい、これ全部ニーナが作ったの?」


 舞子が上げた感嘆の声は俺がニーナと夕飯を食べた初日に放ったセリフと同一である。


「……はむはむ、おいしい……」


 俺が風呂に入っている間に制服に着替えていた志津は、いただきますよりも前にベーグルを頬ぼっていた。


「そうですよ。さあ、どんどん食べてください!」

「こいつ料理スキルだけはとんでもなく高いんだ」


「だけってなんですか」

 ニーナはぷくっと頬を膨らませた。


 そんでもって、俺は「いただきます」と合掌して食べ始めた。しばらくは無言が続き、付けっぱなしのテレビの音だけが朝の食卓に響いている。


「それにしてもフヒトがプレイヤーだったなんてね……」

 ポツリと呟いた舞子はベーグルを千切り、口に運んだ。


 俺はテレビから眼を離し対面に座る舞子を見つめる。彼女の視線はそれとなくベーグルを毟る自らの手に向けられていた。


 舞子は表情や言葉には出さないけど、俺が同じプレイヤーであることを喜んでいるように思えた。俺も舞子が同じ境遇にあると知ったとき妙に嬉しかったからその気持ちはよく解る。誰にも相談できず言えない秘密を抱えることは意外と精神的負担が大きいのかもしれない。


「ああ、ジョブは死神だけどな」


「うん、それはアンタが眠っている間にニーナから聴いたよ」

「そうか……」


 隣に座るニーナを横目に見るとクロワッサンを頬張るニーナも同じように横目でこちらをチラリと見てきた。もぐもぐとパンを咀嚼する無垢な姿にドキッとしてしまった。

 俺は自分を誤魔化すように志津に顔を向けた。


「っていうか志津、お前はいつの間にプレイヤーになったんだよ?」

「……フヒト、びっくりした?」


「そりゃしたさ、あの金髪少女がお前だって気付けなかったくらいだ」


 記憶を思い起こしてみれば、志津と金髪少女の容姿が重ならない訳ではない。つまり、元からこいつはかなりの美少女なのだ。


「豚のモンスターと闘ったあの日、フヒトの家から帰ったその日の夜、ゲームに登録したらユーリがやってきた……」


「ユーリって?」

「白いフクロウ……」


「ああ、あの肩にとまってた梟か。で、ジョブはなんなんだ?」


「……プリジストン?」


 タイヤメーカーによく似た名前を呟き、志津は首をかしげる。


「プリジストン? えーと、ひょっとしてプリーストのことか?」


「そう、それ……」

「ってことは回復魔法とか使えるのか?」


「まだ使えない……」

「なんで?」


「レベルが足りないってユーリが……。でも上げられる数値は全部上げた。武器と防具も装備できる段階では最高レベル」


「え? どうやって? まさか……」


 志津はこくりと頷く。

「課金した。走攻守、全て現状ではMAX……」


「そりゃドラフト一位指名間違いないな……。しかし、すごい綺麗だったなぁ、変身後の志津の姿、思わず見惚れちまったぜ」


 俺は考え深く、目に焼き付いた金色聖女の姿を思い浮かべる。

 志津は少し驚いたように、どこか嬉しそうに瞳をパチクリと瞬かせた。


「フヒト、好き?」

「ん? ああ、好きだぞ、ああいう感じ」


「じゃあ結婚、する?」

「け、結婚!?」


 付き合うを飛び越えて結婚ときやがった。志津の瞳に偽りは感じられない。彼女は珍しく明確に俺を見つめて、


「フヒトが好きなら、ボク、ずっとあの姿でいる」


 それは魅力的な提案だ。金髪美少女と夢のような新婚生活、たまらん――背中がピシャリと冷たくなった。条件反射的に全身が粟立っている。

 舞子から放たれる殺気、大気が怒りで満ちているッ!


「フヒト様はアタシのだからダメですよぅ!」

「誰がお前のだ!」


「一夫多妻でもボクは構わない」

「アタシもそれならいいですよ」


「いいのかよ! ってマジで!? これってベストエンディングじゃね!?」


 パキパキと握りしめた拳の関節を鳴らしている舞子。冥界からの足音に我に返った俺は、「キミたち! 結婚は十八歳からですよ!」と二人をたしなめる。


「迷宮に住めば年齢なんて関係ないですよ」


 なるほど、そうかそうか。迷宮内では結婚できる年齢が決まってないのか――って「民法の問題じゃないんだ! 私法による私人のための私刑が問題なんだよ! つまり俺はまだ死にたくないんです! 察してくださいお願いしますッ!」


 そんなことより、と言ったのはテーブルの下でホットミルクをチロチロと舐めていた黒猫だった。ロゼッタは顔を上げて、


「死神のジョブなんて初めて聴いたニャ。まあ、吾輩にも知らないジョブはたくさんあるけどニャ」


 ふぅ、と溜め息を付いた舞子が黒猫に続く。


「空腹のときじゃないと透明になれないスキルなんて結構不便よね」

「え?」


 舞子の認識がなんだかおかしい。スキルの発動条件が尿意ではなく空腹になっている。ニーナのやつが気を使って嘘を付いたのか? まあ、尿意を催さないとスキルが使えないなんてあまり知られたくないことは確かではある……、ここは話を合わせておいた方が無難か。


「ああ……まあ、そうだな」

「……アンタ、まさかいやらしいことに使ってないわよね?」

「ば、バカいうんじゃねえよっ……、はうっ!」


 いわれのない疑いを完全否定した直後、脳天に稲妻が落ちるほどの衝撃が走った。一瞬固まった俺は舞子のセリフを逡巡する。


 ひょっとして透明になればあんなこといいなできたらいいな、あんな夢やこんな夢、ましてやそんなことまで出来るのではないかッ!? 企画モノやり放題ッ!?


「その手があったか!」

「……殴るわよ」


 舞子の手の中でグシャリとフランスパンが丸ごと握りつぶされる。


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