第20話 絶対領域

「誰もいないみたいね」

「あらかじめ情報流しといて正解だったニャ」


 不意の話し声にびっくりした俺は鉄柵を握りしめる。振り返った眼前に〝絶対領域〟が広がっていた。


 距離にして五十センチほど先、ほぼ目の前だ。屋上を囲む柵と〝絶対領域〟の間に今現在、俺は挟まれている。


 白を基調としたロングブーツから覗くのは膝上まである白い二―ソックス、そこから丈の短いプリーツスカートの中に向かって伸びるキメの細かい艶のある太モモ、つまり〝絶対領域〟である。


 それは殺人的な攻撃力を誇っていた。肉付きの程よい健康的な太モモがタイトな二―ソックスの束縛から解放されることによって得られるハリ、そして柔らかそうな弾力感をこれでもかと誇示し主張している。


 まさにフォウビディンゾーン!


「ねえ、ロゼッタ、本当に言わなきゃダメ?」


 上方から聞こえてきたのは女の声。俺は絶対領域から眼を離して顔を上げる。

 スカイブルーのロングヘア、同色の瞳と長いまつ毛。薄紅色の艶やかな唇、気高く気品が溢れる顔立ち。


 とんでもない美人だった。

 あの女優よりもあのアイドルよりも、今まで見てきた誰よりも、比較にならないくらいの美女である。


 ニーナがこの世の者とは思えない可愛さなら、この少女はこの世の者とは思えない美しさといって差し支えない。頭髪の色からして彼女もサキュバスなのだろうか。


 ……しかしこの顔、どこかで見たことがある気がする。


 彼女の腰には銀細工の装飾が施された鞘に収まるレイピア、そして全身を覆うのは白を基調としたライトメイルと呼ぶにはあまりに軽すぎる甲冑を纏っている。それはまるでマーチングバンドで旗を振るカラーガード隊の制服を彷彿とさせる。


 一体彼女は誰に話しかけているんだ。屋上には彼女以外誰もいない。例外として彼女の足元に黒い猫が一匹いるだけだ。


「ダメにゃ、正義の味方であることを宣言しといた方がいいニャよ」


 彼女の問いに答えたのは、その傍らにいた黒猫だった。傍の少女を見上げながら流暢な人語を話している。


「そもそも魔法少女じゃなくて私、セイバーなんだけど……」


「ゲームの設定上は魔法剣士に近いから魔法少女でも問題ないニャ、それにちゃんと口上しないと舞子も敵と見なされて自衛隊に攻撃されちゃうかもニャ」


 …………ん? マイコ? 舞妓? 待てよ、待て待て待て待て! ま、舞子だと!?


「で、でも、恥ずかしいよ」


 もじもじと頬を染める美女の姿はなんとも可愛らしかった。


 それにしても誰かに似ているとは思ったが、言われなければ気付かなかった。確かにこの少女は舞子に間違いない。よく聞けば話し方も声も同じだ。


 兄弟のように一緒に育った幼馴染に気付かなかったとはなんともマヌケな話だ。

 しかし女の子は髪型や格好が違うだけで随分と印象が変わるものだと感心したところで再び黒猫が喋り始める。


「普段の舞子とはだいぶ外見も違うしマスコミは規制線の外だし正体はバレないニャ。それにこのままじゃガーゴイルに街を壊されちゃうニャ、それでもいいニャ?」


「ダメだけど……、ああ~、この前のミノタウロスみたいに勝手に破裂してくれないかしら……」


「あれはきっと他のプレイヤーの仕業ニャね」


「えッ!? 私以外にもいるの?」


「おそらくにゃん、ミノタウロスが自爆することなんてあり得ないニャ。きっとアサシン系か超長距離アウトレンジ型スキルを持ったプレイヤーだと思われるニャ。どちらにしてもミノタウロスを一撃で倒すほどの高レベルプレイヤーの可能性があるニャん」


「今日も来てくれないかしら、その人……」


「都合良く来てくれるならそれに越したことはニャいけど、来ないことを想定して動いていた方がいいニャね。あ……、ヤツが帰ってきたニャ。いまニャよ舞子!」


 猫が肉球で指さした方角に舞子が顔を向ける。俺も振り返りその方向を見た。


 夕日を背にして空を飛ぶガーゴイルが眼に映る。コウモリの様な巨大な翼をはためかせながらこちらに近づいてくる。その後方を二機の自衛隊ヘリコプターが続いていた。


 自衛隊機に攻撃する意志は感じられない。当然ながらこんな街中でミサイルや機関砲をぶっぱなす訳にもいかないのだろう。


「うう……、もう知らないんだから!」


 柵を乗り越えた舞子は屋上の縁に立ち、

「あ、現れたわね! 悪事を働く悪いモンスターめ!」

 幼女向けアニメヒロインさながらの口上を大声で叫ぶ。


 地上から無数のフラッシュが焚かれる。マスコミも警察も自衛隊も、空も飛んでいるモンスターも舞子の姿に括目した。


「こ、こここぉここッこの……ま、ままま、ま、魔法少女マジカルプリンアラモードは……す、すすすっ、スイーツみたいに甘くないんだからねっ!」


 どもりながらも舞子は右目の前でビシッとピースサインを作り、変身ヒーローぽいポーズを決めた。彼女はこっちが恥ずかしくなるくらい赤面している。


「ぶぶーーーーッ!」


 思わず声に出して噴き出してしまった俺は慌てて口を押える。茹った顔で振り返った舞子は黒猫を睨み付けた。


「ちょ、ちょっとロゼッタ! いま笑ったでしょ!?」


「違うニャ、吾輩じゃないニャ! おかしいニャねぇ? 確かに声がしたニャけど」


 やばい! 笑いを! 笑いを堪えるのと! 小便を堪えるのがっ! ダ、ダブルで辛い! 笑った瞬間に漏れてしまう!


「舞子! ヤツが向かってきたニャ!」


「もう! 早く倒して早く帰る!」


 魔法少女マジカルプリンアラモード、もとい小川舞子は、足場のない空へと飛び出した。


「――ッ!?」


 スタリッ――、と地面に着地するように空中に足を付いた舞子は帯刀するレイピアを抜いて空を駆け出した。何もない空中を魔法少女の握りしめるレイピアが光の尾を空間に残していく。


 迫り来る敵にガーゴイルも臨戦態勢に入った。


 甲高い雄叫びを上げて舞子に向かって一直線に飛翔する。舞子も速度を上げてレイピアを振りかぶった。モンスターの爪と舞子のレイピアが交錯してすれ違う。


 キィイインッ!

 衝突する金属音と弾ける火花。


 互いに致命傷が与えられず踵を返した両者は同時に次の攻撃に移った。


 ガーゴイルが咢を大きく開き、バスケットボールほどの火の玉を連続で吐き出した。迫りくる三つの火の玉の一つを舞子はレイピアを薙いで切り裂く。


 残り二つが舞子の左右を通り過ぎ、後方でホバリングしている自衛隊ヘリに向かって飛んでいく。

 急旋回で回避を試みる自衛隊機、だが直撃は必至である。

 咄嗟に踵を返した舞子の口元が呪文を唱えるように動く。彼女の前方に直径一メートルほどの魔法陣が展開され、陣の中心から無数の氷結の散弾が飛び出した。


 飛翔速度で上回る氷結の弾丸が正確に二つの火の玉を捉える。火と氷、互いが接触した瞬間、相反する性質によって相殺され、火の玉と氷結の弾丸は僅かな蒸気となって空中に霧散していった。


 自衛隊機が無事に戦線離脱していく様子を確認した舞子はガーゴイルに身体を向き直す。だが既にガーゴイルが迫っていた。鋭利な爪の生えた腕を舞子に向けて振り降ろす。


 身体を入れ替えるようにして華麗に攻撃を回避する舞子、次いで空高く掲げたレイピアが眩い光を放つ。ガーゴイルが聖なる光に怯んだ刹那に距離を詰めた舞子が怪鳥の体躯を真っ二つに両断した。


 空飛ぶモンスターの体は蒼い炎に包まれ燃え上がり、夕焼け空に霧散していった。


 俺はゴクリと唾を呑み込んだ。すっかり尿意も忘れて、夕日を背に浴びて凛と空に立つ舞子の姿に見惚れていた。


「す、スゲぇ……」


 なんだよアイツ、まじカッコイイんだけど! 主人公属性の塊じゃねえか……。ていうか、これなら俺いらねえじゃん……。




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