第16話

「なんで付いてくるんだ……、もう処方箋は受け取っただろ」


 放課後、帰路途中にある俺は直江クリニックの娘に付きまとわれていた。教室を出たところからずっとだ。クラスの連中が変な眼で俺たちを見送っていたことなど既にどうでもいい。もうなるようになれ……。


 以前にもこんなことがあった気がする、というか以前はニーナだった。そのポンコツはこの場にはいない。いつもは一緒に帰宅しているのだが、今日は学校の後そのまま職場に行くと言っていた。あいつには土曜も日曜もないらしい。


 ド社畜め……。ああいうやる気マンマンの奴がいるおかげで全体が疲弊していくことになぜ気付かんのだ。


 直江クリニックの娘は(きっと苗字は直江でいいのだろう)俺の三歩ほど後ろを歩いている。俺が立ち止り振り返ると彼女もピタリと立ち止る。歩き出すと直江も再び歩き出す。


 なんだか『ダルマさんが転んだ』をやっているみたいだ。

 相変わらずそのぼんやりした表情から彼女の意図を読み取ることはできない。


「ボク、知ってる」

 突然、直江がポツリと呟いた。


 俺は振り返って表情の乏しい彼女に尋ねる。

「なにを?」


「あのとき、観た」

 要領を得ない答えに俺の口調は自然と強くなる。


「だから何を?」

「黒いローブの人」

「うえ!?」


 ここに来てまさかの単語が飛び出しやがった。


 黒いローブ、思い当たる節があるなんてレベルじゃない。そんなモンをこの季節、この時代に着ているヤツなんてもはや一人しかいない。


 しかし、まさかそんな馬鹿な……死神のことを言っているのか? 頭をすっぽり覆うほどデカ深いフードで顔は完全に隠れていたはず……。


「二人乗り自転車漕いでた。あれ、フヒト」


 ビンゴーーーッ! 

 思わず叫びそうになったが、「ち、違う!」と俺は必死に首を左右に振った。


「ボク、目がイイ、とても」


「それでちゃんと視えてんのか!?」


 前髪の奥に隠れた左眼がキラリと光る。

「うん。それに後ろに乗ってたの、ニーナ……」


「はうあうあっ!?」


 た、確かに俺と違ってニーナは素面だった。転校前のニーナと一緒に行動しているヤツは限定される。ニーナと一緒にいるヤツ=俺という式が簡単に成り立ってしまうではないか!?


「し、しまった!」


 思わず頭を抱えた俺の顔を直江が指さした。

「あ、認めた」


「いやいやいや! 勘違いだ! とにかくもう付きまとわないでくれ!」


「しょぼーん……」

 少女は肩を落としてうな垂れてしまった。


 儚げな少女の姿に心がズキンと痛んだのは言うまでもない。


「くっ、ニーナと違ってやりずらい……」


 そのときだった。

 直江の後方三メートルの位置に突如眩い紫色の光を放つ魔法陣が展開を始める。


「なんだッ!?」


 人通りの少ない住宅街に突如発生した魔法陣から這い出て来たのは棍棒を持った豚のモンスター。いわゆる世間的にはオークと呼ばれるモンスターだ。


 二本足で立ったオークの身長は俺よりも少し低い。しかしでっぷりと太った体躯は余裕で百キロを超えているだろう。関取のような肉体に革鎧を纏い、巨大な口の両端からは鋭い牙が覗く。


「エンカウントぉッ!?」


 思わず叫んでしまった俺とオークの眼が合ってしまった。


『ブヒ!?』


 意外にもつぶらな瞳のオークはさらに目を丸くした。モンスターにとっても不意の出来事だったのだろう。俺の叫びに肩をビクリと跳ね上げさせた後、硬直している。


 ポカンと俺の顔を見つめる直江に俺は手を差し伸べた。


「直江……、振り返らずにこっちにこい……」

「なんで?」


「い、いいからゆっくり歩いてくるんだ。俺の手を掴め」


 首を傾げた直江はてくてくと歩いてきて、差し出された俺の手を握った。


「走るぞ!」


 しっかりと握りしめた直江の手を一気に引っ張り、俺たちは逃走を開始する。


『ぶッ!? ブヒィィィイイッ!』


 我に返ったオークが棍棒を振り上げて追いかけてきた。


「うわわわわあっ! 追ってきた追ってきた追ってきた!」


 手を引かれながら直江は追ってくるオークを指さし、


「あれ、なに?」


 とあくまで冷静にぼんやりと呟いた。

 この状況でもブレない彼女の姿勢に感服せざるをえない。


「この前、街で暴れたヤツの仲間だろ!」

「あのとき、モンスター倒したの、夜剱不比人?」

「俺はなんにも知らん!」


 俺は間断なく否定するが、


「ああー、急に脚がもつれたぁー」


 俺の手を放した直江はワザとらしくコテッと倒れてしまう。


『ブヒィィイイイイイッ!』


 迫りくるオークが棍棒を振り上げた。


「くそ!《ローディング/デス》!」


 詠唱と同時に黒い一陣の風が俺の身体を包み、漆黒のローブが顕現した刹那、俺は具現化した草刈鎌で振り下ろされた棍棒を受け止める。


 鍔迫り合いならぬ棍棒と鎌の押し合いが始まった。オークよりも重量で劣っている俺は最初こそ圧されていたもののパワーで負けていなかった。


 グッと足に力をこめてオークの棍棒を押し返す。


『ぶ、ブヒ!?』


 重量級の体躯がよろめき、オークは俺から離れ距離を取った。どうやら俺の予想外のパワーに動揺しているようだ。


 闘える!? ミノタウロス戦でレベルが上がってステータスが向上しているのか!?


 だが、しかしここは逃げの一手だ!


 俺は地面にうつ伏せに寝そべる直江を脇に抱えるとジャンプ、オークの頭上を飛び越え着地と同時に逃走を開始する。


 突如戦線離脱した俺の姿をオークはただ呆然と見送っている。


「やっぱり、フヒトはあのときの……」


 脇に抱えられた直江が呟いた。


「ああ、そうだよ! クラスのみんなには内緒だよってね! ヤツは追ってきてるか?」


「うん、追ってきてる。でもこのスピードなら追いつかれない。なんで、逃げる?」


「人気のないところに誘導してるんだよ! 街中で暴れられたら困るだろ! 直江! どっか人気のないところ知ってるか?」


「不比人のエッチ……」

「なんでこの流れでそうなる!?」

「ただの冗談……」

「わかりずれぇッ!」


「……良い場所ある。もう少し先に、森林公園ある。自然がいっぱい良い所、都会のオアシス」


「なるほど、確かにあそこなら! でもこっからどう行けば近いんだ……」

「ボクが案内する」

「おし、任せたぞ!」


 俺はオークと付かず離れず一定の距離を保ちながら走り続ける。オークはドスドスとアスファルトを踏み付けながらガニ股で追いかけてくる。その必死な姿はどこかコミカルで憎めない。


 オークの速度は俺よりも遅いが、それでも時速四十キロは出ていると思われる。なぜなら俺はいま市道を走行する車と並走して走っているからだ。

 助手席に座るお婆さんの視線を感じながらも直江の誘導で小高い丘を駆け上がり、森林公園に入った俺たちは人気の多そうな広場は避けて藪の中に入っていく。作戦通りオークのヤツは追ってきている。


 丘を駆け上がる中腹で立ち止ると直江をその場に降ろしてオークを待ち構えた。〝登り坂を背にして戦え〟みたいなことを孫子かなんかのアニメで観たことがある。

 これぞ兵法というヤツだ! さあ、来やがれ豚野郎!



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