第15話
そんでもって、その日から地獄のような(無駄な)修行が始まった。
尿意を保った状態でオシッコを長時間我慢するため、家のトイレは使用を制限され、トイレには外から鍵を掛けられる錠が設置された。もちろん鍵はニーナしか持っていない。さらに尿意を感じた瞬間から走ったり跳んだりする練習やエトセトラエトセトラ……。
地獄のような(意味のない)修行が水曜日の夜から金曜の朝まで続いたのだが、金曜の朝一の排尿から俺はムスコの異変に気付いた。
オシッコをする度に痛みが伴うのだ。そこまで強い痛みではないが、初めての経験に俺は軽いパニックに陥った。右往左往しながら学校に登校し、やはり不安に駆られた俺は熱があるという理由で学校を早退させてもらい、近所の泌尿器科に駆け込んだのである。
ちなみに両親不在の俺は保険証と親のキャッシュカードを常に持ち歩いている。
――回想はここで終わる』
医者からオシッコを我慢しないようにと至極当たり前の注意をされ、免罪符を得たことでアホみたいな修行から解放された俺はホっと息を吐き、会計を済ませてそそくさとクリニックを出た。
現在時間は四時半を過ぎている。夕焼け空の下、学生たちが帰宅してくる時間だ。いつも以上に周囲を警戒する必要がある。こんなところを学校のヤツらにでも見られたら変な勘違いをされかねない……。
俺がクリニックの外階段を一段飛ばしで降りていると、誰かが階段を上がってくることに気付いた。
「――っ!」
なんてこった……、我が校のセーラー服だ。
階段を上がってきたのは一人の少女、ニーナより小柄な少女だった。一段一段ゆっくり階段を上がる少女はまだこちらには気付いていない様子。
少女の左眼は長く黒い髪で覆われており、右眼はぼんやりとただ前方を見つめていた。
片目しか見えてなくて遠近感が狂わないのだろうか? それともあれで視えているのか?
いかんいかん、そんなことはどうでもいいのだ。何年何組だが知らないがこんなところで鉢合わせてしまうとは全くもって不運、顔を覚えられる前にとっとと去らねば!
最新鋭のステルス性能を駆使して俺は少女と視線を合わさずにサッとすれ違うことに成功した――のだが、懸念していた事態は翌日の土曜日に起こってしまう。
学校に登校した俺はいつもの様に誰とも挨拶を交わすことなく自席に座り、窓の外を眺めていた。
ちなみにうちは私立だから土曜も当然のように授業がある。まったくもってブラックな環境だ。なぜこんな学校に来てしまったのかと後悔が尽きない。
そんな後悔を抱いていたとき、ふと誰かが机の前に立ったことに気付いた俺が窓の外から前方に視線を移すと、あのサイコロプス少女が立っていた。
「ふぁッ!?」
俺は思わずヘンテコな声を漏らした。意図せずクラスメイトの視線を集めてしまう。
それは正しく昨日、直江クリニックの階段ですれ違った小柄な少女だ。前髪の奥の瞳がぼんやりと俺を見つめている。
なんでこんなところに!? なにしてきたんだ!? ていうか同じ学年? さすがにクラスは違うよな?
一切の気配を感じさせない突然の出現に戸惑い、声を失う俺に少女は一枚の小さな用紙を差し出してきた。
「これ、受付の人が渡すの忘れたって……」
意識しないと聞き逃してしまいそうなくらいか細い声が鼓膜を震わせた。
「……え、なに?」
俺は少女の顔から視線を落とす。
「処方箋、お薬の」
薄っぺらい用紙には直江ウィメンズクリニックと明記されていた。
「は!? え? ち、違う! 俺じゃないしっ!」
何も言わずに受け取ればいいものを、狼狽した俺は咄嗟に嘘を付いてしまう。これが非常に不味かった。
少女はふるふると明瞭に首を振る。
「違くない。ボクの家、泌尿器科、夜剱不比人、昨日きた」
静まり返る朝の教室に、少女の声がはっきりと響き渡った。
お前の家だったのかよ! 今思い返せば確かにあのクリニックが入っているビルは住居兼医院みたいな造りをしていた。一階が駐車場、二階がクリニック、三階が住居でこの少女は帰宅中に俺とすれ違ったということか!?
ていうか、いくら同じ学校だからって個人の処方箋を他人に渡すなよ!
「そ、それでも俺は行ってない!」
再度の嘘に再びふるふると首を横に振った少女は、なぜ嘘を付くのか理解不能という具合に俺の目を観察するように見つめ、
「おチンチンの処方箋、確かに渡した」と、その可愛らしい小さな口でハッキリと言った。
「うおいッ!」
おチンチンという単語に教室がざわつき出す。ヒソヒソ声で溢れかえる教室に俺の叫びが響き渡り、既に俺たちのやりとりは完全にクラスの注目のマトになっている。
「う、嘘だ!」
一体何がウソなのか、反射的に付いた嘘を嘘で塗り重ねるが、状況は悪くなる一方であり、ぼんやりしたキャラからは窺えないほど意固地な少女は再三再度首を振って否定する。ブレない精神と確固たる意志を秘めた彼女の瞳に微かな炎が灯り、あくまで否定を続ける見苦しい俺にトドメを刺す。
「ウソじゃない、おチンチン、ウソ付かない」
「あぁぁぁぁぁーっ! この親不孝モノがぁぁぁぁぁぁっ!」
立ち上がり頭を抱えて叫んだ俺の後方で、タイミング良く立ち上がったのはポンコツ代表のニーナだ。
彼女は俺の誤解を解くべく声を上げる。
「そうです! 誤解なのです! フヒト様はアソコがちょっと痛くなっちゃっただけなのです! アソコを酷使し過ぎた結果なのですよ!」
が、当然そんな器量はなかった。
ドッと息を呑む音が教室に沸き上がった。
両手で口を押えて眼を見開く女子、不潔な物から眼を逸らす女子、歯ぎしりさせて耳を傾ける男子、妬みや嫉みの視線を浴びせる野郎ども。その中で一際苛烈で殺意のこもった視線を注ぐのは――隣の席の住人、小川舞子だ。
ジッとりと、それでいて煉獄の焔が宿るクズを蔑む視線が突き刺さるッ!
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