第14話

 あんなことがあったにも関わらず、翌朝には何事もなかったかのようにニーナはケロッとしていた。


 俺の頬にはまだ彼女の温かく柔らかい感触が残っている。今朝ニーナと顔を合わせたときに思わず顔を逸らしてしまったくらいだ。

 

 なんだか俺だけ意識しているみたいで馬鹿らしい。まあ、いいや。考えるだけ時間の無駄ってものだろう。それにあいつに変に意識されても生活しにくいってものだ。


 んで、ニーナに振り回されながらも俺の高校生活は続いていた。もちろんあの日以来リクオとは口をきいていないし聞く気もない。


 俺の学校生活が元に戻っただけで特に変化はない。ニーナのヤツは友達もできたみたいで公私ともに楽しそうに過ごしている。


 先日はクラスの連中と放課後にカラオケへ行ってきたそうだ。無論オレは誘われていない。昨日は何組の誰々に告白されたとか困った素振りをしながら嬉しそうに語っていやがった。どうでもいい情報をイチイチ報告するな。

 

 サキュバスのくせに俺よりも高校生らしい青春を謳歌しているのが実に腹立たしい。

それに加えて舞子はあの日以来、相変わらず口をきいてくれない。


 そして本日、金曜日の午後三時半、俺はとある泌尿器科クリニックの待合室にいた。


 いまさっき診察を終えて会計待ちだ。待合室に並ぶソファーには俺以外にも女性が三人ほどいるけど男は俺だけだ。


 そして学生も俺だけだ。とてつもなく居心地が悪い。考え過ぎかも知れないが女性陣からの無言のプレッシャーによるアウェー感が半端ない。とにかく早く帰りたい。


 なぜ俺がこんなところにいるのかと言えば、今朝からオシッコするときにアソコがムズ痛くなったからであり、いわゆる排尿痛というやつだ。


 とりあえず登校したもののさすがに危機を覚えた俺は学校を早退し、ここ直江クリニックに来ている。


 診察の結果、医者から下された診断名は〝急性膀胱炎〟だった。


〝訳あってオシッコを我慢しなければならない環境にあったこと〟を医者に告げると、オシッコで膀胱炎になることは非常に稀であり、本来は長時間我慢しなければ滅多にならないのだが、過度なストレスが加わり免疫力が下がったからではないかと告げられた。


 思い当たる節はある。そりゃあもうアリアリだ。明白だ。驚きの白さだ。


 もちろんその一端はミノタウロス戦の影響もあるのだが、確定的な原因と発端は一昨日の水曜日にさかのぼる。



『――そう、あれは水曜日の午後八時、夕飯の後で俺が自室に籠りストコレをやっているときだった。


「修行をしましょう!」


 なんの前触れもなくニーナが部屋のドアを開け放ち、少年マンガの一コマみたいなセリフを放った。


「修行?」


 怪訝な顔で振り返った俺は桜髪の少女に問う。というかノックもなしに開けるな、もし仮に俺が自分を慰める行為に興じていたら由々しき問題だぞ……。


「アタシ、一所懸命に考えたんです」


 あ……、ろくでもない予感がそこはかとなくする。

 白い眼を向ける俺のことなどまるで気にすることなく、彼女は鼻息荒く距離を詰めてきた。


「前回のミノタウロス戦の反省を活かすためにオシッコを我慢する修行をしましょう! それからオシッコを我慢しながら迅速に走る修行、さらには尿意を自在にコントロールする修行です! 尿意を自在にコントロールできるようになればフヒト様は無敵ですよ!」


 俺は心底阿呆を見つめる目つきで得意気な阿呆を見つめた。


「はあ? バカ言ってんじゃねぇよ。どれだけ辛いと思っているんだコノアマ……、くだらないこと言ってないでとっとと出ていけ」


 パソコン画面に顔を戻して再びマウスを握り締めた俺に、ピンク少女は得意げにふふんと鼻を鳴らした。


「ストコレがサービス終了するという噂はご存知ですか?」


 ニーナの言葉にピクリと俺の肩が強張る。

 知っていた。というか否が応でも耳に入っていた。


 ユーザー数が一万にも満たないストコレがサービス終了間近であるという噂はストコレファンが集うネット上の掲示板で騒がれていたのだ。


 徐々にユーザー数を増やしつつあるストコレだったが、それも雀の涙ほどで現実はほぼ横ばいの状態、一説によると再来月の二周年を迎える日のメンテナンスと同時に終了が濃厚らしい。


「うぐ……、それが今回の件となんの関係があるんだ……」


 ニーナが含みのある口調で諭すように語り掛ける。


「ユーザー数が伸びないストコレは危機にあります。私が所属するサキュバスドットインクがストコレを配信するマテリアルカンパニーに対し業務提携という形で当該コンテンツを支援することでサービスの継続が可能になります。もちろん私が役員に本案を提案し承認される必要がありますが、何もしなければ確実に不人気ゲーのストコレは切られるでしょう」


 阿呆が珍しく難しいことをスラスラと言いやがった。

 苛立ちと焦りからマウスを握る俺の手に力がこもっていく。


「脅迫するのか……」


「脅迫ではありません、これは提案です」

 ニーナはニコリと微笑んだ。


 しかしその笑顔の裏には打算が含まれていることに間違いない。


〝選択肢のない提案〟と書いて〝脅迫〟と読むのだ。


 

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