第13話

 それから十数分ほどゲームに興じていたところで俺はリクオのちょっとした異変に気付いた。なんだかさっきからゲームそっちの気でそわそわとしているようだ。俺の話も上の空である。


「悪い。俺ちょっとトイレ行ってくるわ」

「ん? ああ、トイレは一階だからな。風呂の隣」


 なんだ、そわそわしていたのは便所に行きたかったのか……。


 リクオが部屋を出てからしばらくして、俺はなんだか落ち着かない気分になっていた。身体的にというよりは精神的に腹の下あたりがムズムズして気持ちが悪い。


 なんとなく部屋を出て一階に降りた俺はトイレを確認する。リクオが入っているならドアノブは回らないはず……。


 カチャ――。


 あれ、空いてる? どこに行きやがったんだ?


 俺は脱衣所の戸が若干空いていることに気付いた。戸の隙間から暖色系の灯りとシャワーの音が漏れている。


 いやいや、まさかと戸を開けると、

「お、おま……」

 いま正に風呂を覗こうとしている山根陸夫の姿がそこにあった。風呂のすりガラス戸を前に身を低くして屈むリクオは振り返り、


「バカ静かにしろ」

 声を殺しながら叫んだ。


「静かにしろだと? こっちに来い!」


 俺はリクオの襟首を掴み脱衣所から引っ張り出した。


「お前何やってんだ!」

「いいじゃねぇか少しくらい……」


 廊下のフローリングの上で胡坐を掻くリクオは不機嫌そうにそっぽを向いた。


「少しもクソもないだろ、恥ずかしくないのか!」


「関係ないだろ? 別にフヒトとニーナが付き合ってる訳じゃねぇんだからちょっと風呂覗いたっていいじゃねぇか。な? それよりお前も一緒に覗こうぜ!」


「ふざけんなよ! 大体お前はストコレやりに来たんだろうが!」


「はあ? あんなのついでだよついで!」

 リクオは苛立ちを露わにしながら口を尖らせた。


「な、なんだと……」


「はんっ、お前と仲良くなればニーナちゃんとも仲良くできるだろうが? そうじゃなきゃお前みたいなボッチ野郎とわざわざ仲良くしないつーの」


 リクオの口から吐き捨てられたセリフに俺は怒りからギリッと奥歯を噛みしめる。


 完全に頭に血が昇っていた。この男を屈服させてやりたかった。悔しがらせてやりたかった。熱くなっていた俺は勢いに任せてとんでもなく血迷ったことを口走っていたのだ。


「うるせえ! ニーナは俺の女だ! 誰にも渡さねぇ! 今後一切、二度とニーナに近寄るんじゃねえ!」


 不意の怒号にリクオは眼を丸くした。その後すぐにリクオの目から様々な興味が削がれていくのを感じた。


 俺から視線を逸らして立ち上がったリクオは、

「……ちっ、つまんねぇ。帰るわ……。あーあ、ストコレなんてクソゲーやって損したぜ」

 頭を掻きながら捨て台詞を吐いて玄関から出て行った。


 ヤツの姿が見えなくなっても俺のムカムカは収まらない。速攻でドアに鍵を掛けてチェーンロックを掛ける。


「二度と来んなってんだ! くそ! あいつのせいであんなこと言っちまったじゃねぇか……、とにかくニーナに聞かれなくてよか――っ!」


 踵を返した俺は固まった。バスタオルを体に巻いたニーナが脱衣所のドアの前に立っていた。濡れた髪から湯気が上がり、湯にのぼせているのか顔が真っ赤になっている。


「に、ニーナ! おまおま……、お前! い、いつからそこに……な、何も聞いてない、よな?」


「――っ!」

 たじろぐニーナ、狼狽える視線を左右に泳がせている。


「き、聞いてませんよ、何も聞こえなかったです! ただちょっと言い争う声がしたので様子を見に来ただけです……、お、おやすみなさい!」


 バスタオル姿のままニーナは二階へ駆け昇っていってしまった。


「おやすみってお前! 夕飯は!?」



 日付が変わった深夜零時過ぎ、誰もいない暗いリビングのソファーに一人、俺は身を丸めるようにして坐っていた。頭から白いシーツを掛けている。もし泥棒が入って来たらきっと幽霊に見える事だろう。


 夕飯をカップラーメンで済ませ、風呂に入ってテレビをぼんやりと眺めていた俺は、時間の経過と共に怒りが収まり、落ち着きを取り戻していた。だけど途端に、急に悲しくなってきた訳で、傷ついた心身を守るように全身をシーツで包んでいる。


 俺は友達を失ったんだ。


 いや、あの野郎はニーナ目当てで、最初から俺と友達になりたいとは思っていなかったんだ。それでも、あのとき我慢していれば仲良くなれたかもしれないのに、例え上辺だけだとしても共通の趣味を持つ友として語らえたかもしれのに……。


 俺がショックだったのはストコレを馬鹿にされたことよりも、意外にも友達を失ったことによる精神的ダメージを大きく受けていたことだ。あれほど大切にしていた物を貶されたというのに……。なぜだ……、オレはそれほどまで友達を渇望していのか?


 でも、例えあの場は取り繕って友達のフリをしても、そんなものは本物じゃない。俺は間違っていない。あんなヤツに気を許して心を開いてしまった自分が悔しい。虚しい。


 不意にリビングのドアがゆっくりと開く音が暗がりに響いた。


「わっ! なにしてるんですか?」


 パジャマ姿のニーナが声を上げた。俺はニーナの視線から隠れる様に俯く。


「うるさいあっちいけ……」


「……フヒト様」


 静まり返ったリビングルーム、フローリングを小さく軋ませる音を立てながら近づいてきたニーナは俺の隣に座った。その加重を受けてソファーが沈み込む。


 シーツ越しに互いの肩が触れているのが分かる。静かに体の向きを変え、ソファーの上に正座したニーナは俺の体を引き寄せ、包み込むように優しく抱きしめたのだ。

彼女の柔らかい温もりが伝わってくる。


「……やめろよ、あっちいけ」


 ニーナは何も言わなかった。まるで泣いている子供をあやす様に俺の頭を撫でる。

 不意に込み上がってきた嗚咽を、俺は鼻を啜る音で誤魔化そうとする。だけど身体は小さく震え、涙が零れ落ちていた。


「大丈夫ですよ……、フヒト様は間違ってません、大丈夫です」

 彼女は小さく囁いた。


 そうだ……俺は、きっと〝間違っていない〟と、誰かに言って欲しかったんだ。

 その優しさに包まれながら、俺はいつの間にか眠ってしまっていた。


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