第8話
お世辞にもカッコイイと言うことはできない。
どこからどう見てもただの草刈鎌を握りしめた俺は、ビルの角に身を隠しながら大通りを覗き見る。
これじゃ刃物を持った黒ずくめの変態野郎ではないか……、非常時でなければ即職質ものだな……。
片側三車線の道路の真ん中に破壊された戦車や装甲車が山の様に積み上げられていた。
意図的にミノタウロスが積み上げたのかどうかについては分からないが、壊滅した自衛隊車両の瓦礫の上に立つミノタウロスは獲物を探すように眼を光らせている。
現代の力の象徴の上に立つその姿はまるで人間を支配しているかのようにも見えた。
ヤツまでの距離はここから約五十メートルといったところか、当然だがさっき見たときよりもかなりデカく感じる。いや、確実にデカイ……、それにめちゃくちゃマッチョだ。なんだよあの大胸筋! 三角筋! 大腿二頭筋はっ! 太いよ太いよキレてるよ! まるで筋塊の巨像じゃねえか!
うおぉぉぉおお……、こえぇぇっ!
全身がブルッと震える。周囲を見回すヤツとヤツを覗き見ていた俺の視線が一瞬交錯したかのように思えたが、どうやらこちらには気付かれてはいない。
「フヒト様、ミノタウロスが律儀に待ってくれているうちに行きましょう」
俺の後に隠れるニーナが囁いた。真剣な眼差しで俺を見つめている。だが、その屁っ放り腰は何かあればいつでも逃走できる体勢に思えてならない。
まさかコイツ、俺を盾にしているんじゃないだろうな……。
彼女の忠誠心を疑問視しながらも俺は頷く。尿意を堪えるにも限界がある。このまま膀胱にダメージが蓄積されれば俺自身が不能になってしまうかもしれない。ヤツを迅速に倒して可及的速やかにトイレに駆け込まなければならないのだ。
まさにミッションインポッシブルである。
《スピリテッドアウェー》
詠唱後、一呼吸置いてからブティックショップのショーウインドに映っていた自分の姿が徐々に色を失い、薄くなっていき、僅かな時間で完全に姿を消した。今現在、俺が立っていた場所は大通りの反対側の景色がショーウインドに映っている。
視線を下げて自分の体を確認すると両手と右手に持つ草刈鎌、それから黒ローブを着た胴体が眼に映った。どうやら自分の眼で直接見るならば体を確認できるようだ。
「おい、ニーナ」
俺がニーナの耳元で囁くと、
「いやぁん!」
彼女は喘ぎながら肩を跳ね上げた。
美少女の濡れた声にバクバクと心拍が早くなり、股間がそわそわムズムズ騒ぎ出す。今ので放尿デッドラインが五パーセントくらい目減りしてしまった気がする。
「バカ! 変な声出すなよ!」
「い、いきなり耳元で囁かないでくださいよぉ……。こっちはフヒト様の姿が見えないんですから」
「す、すまん。それでだ、お前は奴の注意を引いてくれ。その間に俺が《グリムリッパー》で仕留める」
「え? ええ!? 私も行くんですか!」
「当たり前だろ! あんないつ暴れるか分からんヤツに近づいたら俺が死んじまう! だからお前が注意を引くんだ!」
「で、でも……」
ニーナは不安げに視線を泳がす。
「いいか、作戦はこうだ。まず俺がアイツに近づいていく。時期を見てお前は俺の後方でヤツの注意を引く、つまり俺はヤツとお前の中間地点にいることになる。お前を襲うためにヤツが動き出したらスレ違いざまに俺が《グリムリッパー》でヤツを切り裂く。どうだ、完璧な作戦だろ?」
「で、でもそれって囮ってことですよね……」
当惑を隠しきれないニーナは手を胸の前で握りしめた。そんな彼女を勇気付けるため俺は彼女の肩をガシッと掴んだ。
小さく華奢な肩は微かに震えていた。
「大丈夫だ。絶対上手くいくさ。動物は得物を狩る瞬間が一番無防備になるってユーチューバーが言っていたから」
「ソースはウィキペディア以上にしてくださいぃぃ!」
ニーナをビルの角裏に待機させて、俺は大通り中央で得物を探しているミノタウロスに向かってゆっくりと近づいていく。
遅過ぎず早過ぎず、股間を刺激しないように内股歩きかつ前のめりで忍び寄っていたそのとき、ミノタウロスの耳がピクリと動いたのだ。気のせいではない。確かに動いた。ギロリと探るように視線が左右に動き、なにかを感じ取ったヤツは近くにあった戦車の主砲をその剛腕で引っこ抜き、俺がいる方向に向かってやり投げよろしく投てき。
ビュッ!
風を切る音が鼓膜に響いた。ぶん投げられた主砲が高速で漆黒のフードを掠める。俺の左耳は一瞬で腫れ上がり、真っ赤に染まっていく。
――いっッッ……、てええええぇぇぇぇぇぇぇっぇぇぇぇっ!
強烈な痛みに悶えながらも必死に叫び声を堪える。
〝フヒト様、大丈夫ですか?〟
頭の中に直接ニーナの声が響いてきた。
〝な、なんだ? ニーナか?〟
〝はい、主従契約を結ぶと相互にテレパシーを送れるようになるんです〟
〝そうか……、俺は大丈夫だ。ちょっと掠っただけだ……。それより準備はいいか?〟
〝は、はい〟
ニーナの返事に俺は頷いた。
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