第9話 

 俺の前方三十メートル先にミノタウロス、そして二十メートル後方にニーナがビルの陰に隠れている。

 首を傾げたミノタウロスは再び周囲の警戒を始めた。


〝よし! 作戦開始だ!〟


 合図をした直後、物陰から大通り向かって飛び出したニーナが道路中央付近で立ち止まり声を上げる。


「お、おーい! お馬さん、こっちですよぉぉぉ!」


 ミノタウロスに向かって大きく手を振るニーナ。


『ぶるふ?』


 ニーナの声に振り返ったミノタウロスは、突然現れたピンク少女を訝し気にジッと見つめている。

 即座に攻撃に入るだろうと踏んでいたが、意外に警戒心が強いのだろうか、というよりミノタウロスから見てもニーナは怪しく見えるのだろうか……。


「おーい! 早くこっちに来てください! 美味しい人参もありますよぉぉぉ!」

 一体どこから取り出したのか、ニーナは両手に人参を掲げた。旗を振る様に人参を高く掲げて一所懸命振っている。


『………』

 やはり警戒しているのか、ミノタウロスは動かない。


 困惑するモンスター、誘惑するピンク少女。

 天下の往来でなんともシュールな光景が展開されていた。


 ええい! 早くしろこの馬野郎! 既に俺のリミットタイマーが鳴り始めているんだ! このまんま膠着状態じゃコンビニのトイレに駆け込む時間的かつ歩数分の余裕が失われてしまうだろうがっ! 頼むから早くこっちに来てくれ!


〝ニーナ、もっとセクシーにいけ!〟


〝セ、セクシーですか?〟


 人参を掲げたまましばらく考え込んだニーナはおもむろに体をくねらせ始める。その動きは艶麗的や官能的というよりむしろバカっぽい。非常にバカッぽい。こいつの容姿は魅力的だが、こいつ自身がそれを活かしきれないのがなんとも嘆かわしい。


「う、うふ~ん……」


 ああ、ダメかも……。もっとも馬に色仕掛けで誘えってのが、そもそも無理な頼みだったのかもしれない。すまなんだ、ニーナ……。


「あふ~ん」


『……ぶる?』

 再びミノタウロスが首を傾げた。


 くそう! じれったい! あ、ああ、あわわあ……ああ……、やばいやばいもう下手に動けない! ヤツに近づいて自力で倒すという選択肢は失われた。決断が遅かった!

 いつまで経っても色仕掛けに反応しないミノタウロスに業を煮やしたニーナが遂に怒りの声を上げる。


「こらぁ! いい加減にしてくださいよ! こっちだって恥ずかしいんですからね! もう馬刺しにしちゃいますよ! にんにく醤油が私は好きです!」


『馬刺し』という単語に怒ったかどうかは定かではないが、空に向かって嘶いたミノタウロスは身体を前傾させる。その直後、ニーナに向かって突進を始めた。


 ミノタウロスが大地を蹴る度に地面が激しく揺れ、削れたアスファルトが舞う。

 狂い迫るミノタウルスの猛突にニーナが悲鳴を上げた。


「ひぃぃいいいいいいいいっ! フヒトさまぁぁっぁぁぁっ!」


「分かってる! きやがれ馬野郎っ! 《グリムリッパー》!」


 YASOHACHIの刃が青白い光を帯びて輝き出した。


 俺に向かって(正確にはニーナ)猛突するミノタウロスが横を通過しようとした刹那、左手に握られた田中八十八作の草刈鎌を逆手に持ち替え、すれ違うと同時に丸太のような左大腿部を草刈鎌が掠めた。


 ほんの少し、僅かに、皮を一枚切った程度、ほとんどダメージはないだろう。ミノタウロスのHPを1削れたかどうかも怪しい。


 だが次の瞬間、ニーナに猛突していくミノタウロスは、まるで泡が破裂するように弾け飛んで空間に霧散して消えていった。


「――ッ!? や、やった!」


 鎌を握る俺の手は震えていた。いや、全身が震えている。恐怖、あるいはアドレナリンの分泌によるものか。心臓が激しく脈を打ち、両肺が全身を大きく上下させて酸素を取り込もうとしている。


 ニーナは茫然と腰を抜かしてその場にペタリと座り込んでしまった。


「か、勝ったんだ……、うっ!」


 緊張がほどけると同時に激しい尿意が俺を襲い始めた。俺は急いで近くのコンビニに駆け込み、トイレのドアに手を掛ける。


 ――ガッ!

 ドアノブを下げようとした手が跳ね返された。


 開かない! 

 解放不能! 


 トイレのドアは強固なデッドボルトに阻まれていた。

 ドアノブ上部に表示されたマークは〝赤〟―――、つまり使用中ッ!


「くぅ~~~………っ!」



◇◇◇



 コンビニの外でニーナが両手を握りしめて立っていた。コンビニから出てきた青白い顔色をした俺と股間の辺りを心配そうに見つめている。


「だ、大丈夫でしたか……。その、アウト……ですか?」


「……ギリギリ、セーフだった。なんで規制線の内側に人がいるんだよ……、ちゃんと仕事しろ、自衛隊と警察……あと消防も。この戦い方は膀胱がいくらあっても足りないぞ……」


 現場が警察やら自衛隊やらマスコミやらでごった返し始めた頃、俺は夕日に背を向けて帰路に着いていた。

 二人乗りチャリの後部に座るニーナは上機嫌で鼻歌を口ずさんでいる。


「ところでガチャって一回いくらなんだ?」

チャリを漕ぎながら俺はニーナに尋ねた。


「これは私のスマホなので私の国の単位が適用されます。一回一〇〇ルシオンですね」


「ルシオン? それって何円くらい?」


「レートによって異なるのですが、フヒト様くらいだと一ルシオン一円くらいでしょうか?」


「てことは一回一〇〇円かよ、意外と良心的な値段設定だな」


「といってもこれは関係者価格なんです。通常は一回五〇〇円ですから」


「他のユーザーが聞いたら発狂するぞ……」


「あ、それとガチャした対価は後日自動で引き落とされますのでご了承ください」


「……まあ、百円くらいなら痛くもない。今後のためにもう少しアイテムを揃えておいた方がよさそうだな」


「はい! どんどんガチャしてください!」


 ガチャを斡旋促進推奨するとは全くもって社畜の鑑である。

 ていうかなんで俺が自費を投じなければならんのだ。後から政府に防衛費として請求しようかな……。


 んで、無事に帰宅した俺は調子に乗って百回連続でガチャを回してしまった。なんだかんだ言いながらもガチャを回すこと自体は楽しいのだ、それが全ての元凶である。物欲万歳。

 だが、出てきたのはクソみたいアイテムばかりであった。


 ――主な内訳は次のとおりである。


 YASOHACHIが二十五個。

 砥石が五個。

 ソーイングセット、十七個。

 黒ローブが十三着。

 絆創膏など救急セットが七箱。


 その他クズアイテムが諸々――。


「……いや、待てよ。草刈鎌は定価四千五百円だったよな……ってことはこれをネットで売れば!? すげぇ! 錬金術じゃん!」


「あ、ちなみにダブッてる装備は壊れない限り具現化できませんので」


「ちきしょーっ!」


 怒りに任せて砥石をベッドに叩きつけた。叩きつけられた砥石はスプリングによって跳ね返され俺の顔面を直撃する。


 そんなこんなで俺は初陣を見事に勝利で飾ったのであった。



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