第3話 

「は……はぁ?」


「ビバヒルより近所のネカフェの方が俺にとっては天国だ。とりあえず、準備が出来たら出ていくから、後は好きにしてくれ」


 立ち上がった俺はクローゼットから巨大なバックパックを取り出して手当たり次第に物資を放り込んでいく。狼狽する少女を横目に秘蔵データもついでに回収する。


「え、ええ? な、なんで?」


「おっと、すまんがちょっとだけパソコン使うぞ。スト娘たちを出張に出さなきゃいかんのよ、資材の《砂利》が不足気味でな」


 そう言いながら俺は勉強机という名ばかりの机に収まる椅子を引いて腰を掛けた。


「なにを言ってるんですか!? そんなことをされては困りますぅ! 頭おかしいです! 絶対変です! 変態ですよぉ!」


「うるせえ! 離しやがれこのポンコツサキュバス!」

 肩を掴んできた少女の手を俺はにべなく振り払う。


「ひどいですッ! 罵られました!」


 地団駄を踏む少女を無視してデスクトップPCの電源を入れた。パソコンを立ち上げればこの暗澹たる気分も上々になってくる。


 細かい起動音が奥ゆかしく鳴り響き、ハードディスクが回転するとまるで命が吹き込まれるように画面に薄暗い光が灯った。この立ち上がるまでの時間がいじらしくて堪らない。これこそ現代における〝わびさび〟の境地ではないだろうか。

 手に染み付いた一連の流れでホーム画面からストラトコレクションのブラウザに飛ぶ。だがしかし、ゲームブラウザ画面を眼にした俺の全身が硬直した。

 

『OMG! サーバーに障害が発生しています/(^o^)\』


 画面上には衝撃的な文字が映し出されていた。


「FUCK!?」


 全身がフルフルと震えていた。沸々と沸騰するように強くマウスを握りしめる。


 怒り、これほど深い怒りを誰かに抱いたことがこれまでの半生であっただろうか……、いや、断じてない、俺はどちらかと言えば温厚で争い事を好まない男だ……。


 ――あれは小学生の頃だった。運動会の練習で行進していたとき振り上げた手がたまたま前の女子のお尻に触れてしまい、女子からはお尻を触られたと非難され変態扱いされたが、俺は言い返しも言い訳もせず甘んじて罵りの誹りを受け入れた。


 そんな俺にも限界はあるッ!


「これもお前の仕業か……」

「へ?」

「これもお前の仕業かと訊いているんだ!」

「え、え? ええええええぇぇぇええッ!? ち、ちが、ちが……」


 少女は肩をビクリと強張らせ、首を横に振ろうとしている。


 ここまで来て嘘を付くのか……、往生際が悪いにも程がある。しかしその狙いが抜群の効果を発揮していることに間違いはない。褒めてやるぞ、そして、お前の策略にまんまと嵌った俺を笑うがいいッ!


「俺の唯一の楽しみまで奪うとは……。よーし、わかった、契約してやる。お前の望み通りあのモンスターと闘ってやる。その代りすぐにサーバー障害を復旧させろ。そして二度とこんなことをしないと誓え!」

 桜色の少女は阿呆みたいにポカーンと俺の顔をしばし見上げ、何かを悟ったように声を上げた。


「え、あっ! はい、分かりました! 約束します!」


「あのモンスターをぶっ倒して俺は自分の平穏を取り戻す! さあ、お前のスマホを貸せ! 契約してやる! 皆殺しにしてやる! 駆逐してやる!」


 椅子から立ち上がった俺は力強く開いた右手を少女に突き出した。

 少女の表情がぱぁと明るくなる。いそいそとスマホを取り出してアプリの操作を始めた。


「あ、ありがとうございます! ではすぐにゲームを立ち上げますので利用規約に同意してください!」


「なんだよ利用規約って! テンション下がるわッ!」


 ニーナが取り出したスマートフォンはどこにでもある普遍的なスマートフォンだった。なんというか俺はもっと異世界的な〝何か〟を期待していたのだが、その期待は残念ながら叶わなかった。でも今はそんな事はどうでもいい。俺にとって最も大事なのはスト娘たちを束縛する障害を排除することなのだから。


「では、画面の中央に人差し指を置いてもらえますか?」

 

 画面中央には黄色い正方形の枠の中に指先の絵が描かれてある。どうやらここに指を置けということらしい。


「指紋認証なのか?」


「ええ、複アカとリセマラ防止措置なんです。ユーザー登録も兼ねているので楽チンなんですよ」


 言われるがまま指を置くと解読不明な文字の羅列が画面上に浮かび上がる。それはミミズが這っているような摩訶不思議な文字だった。


「なんだこれ!? 読めねえよ」


「あ、失礼しました。私用のスマホなのでサキュバス語のままなんですよ。契約内容の詳細は後ほど翻訳して説明しますので、次はこのボタンを押してください」


 促されて画面下部に現れた黄色い円を押した。

 ミミズ文字が消え去り白色だったバックグラウンドは暗くなり、画面奥から光が溢れるように広がっていく。そして壮大なオーケストラ的な音楽が流れ始めると同時に画面が移り変わりファンタスティックデイライトのプロローグ動画が始まった。


 画面は蒼天の空を駆け抜け、白い雲を突き抜けながら大空をバードビューイングで駆け抜けていく。やがて大海原から大陸に至り、森を突き抜けると近世西洋を彷彿とさせる街並みや古城が映し出された。


「うう、興味のないゲームのプロローグを観させられるのは辛い……、スキップはできないのか?」


「ちゃんと見て下さい。でないと制作した人が可哀想です」


「……」

 ああ、もう辞めたくなってきた。


 ――二十分後。


 げっそりしたところでやっとタイトル画面に切り替わった。


「なげぇよ! なんで二十分もあるんだよ!」


 愚かな俺は立ちっぱなしでずっと画面を眺めている必要がなかったことに今更ながら気付く。


 ニーナはスマホ片手に俺の隣で「うわー、すごいですねー」とか「まるで映画みたいですねー」と展開されるグラフィックに感嘆の声を上げながら一緒に画面を眺めていた。些細なことでも素直に喜べるこの性格はもはや才能だと思う。少なくとも俺にはない天性の才能だ。


 まあ、確かにそこらのスマホゲームとは比べ物にならないクオリティーである。開発費がハリウッド映画並みだという噂はどうやら本当らしい。


 やっとプロローグから解放されたと思ったら今度は宝箱が画面中央に現れた。


「では、ジョブを付与しますので、また指紋認証をお願いします。あ、今キャンペーン中なので、通常はジョブの変更は出来ないのですが特別に二回までチェンジ可能です! ラッキーでしたね」


 ニーナは悪意のない無垢な笑みを隣に立つ俺に向けた。


 くそ、くやしいがイチイチ可愛い……。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る