第2話 

 突然の爆音に立ち止まり振り返って俺は言った。


「ふむ、この炎の色、そして煙の色から察するに第一石油類、つまるところガソリンスタンドでも爆発したのだろうか?」


「冷静に解説している場合じゃないですよ! これはアイツの仕業なんですよ!」


 彼女の言う〝アイツ〟とは例の世間を騒がしている大仏ダンジョンから出てきたモンスターらしい。この〝アイツ〟は自称サキュバスの少女と違って例え自称がなくてもモンスターであるのは一目瞭然だった。


 SNSにアップされていた投稿動画に映っていたその姿は半馬人とでも表現すればいいのか、RPGに出てくるミノタウロスみたいなモンスターである。

 身長五メール近くあると思われる巨大なモンスターは玩具を放り投げる様に周囲にある車や自動販売機なんかを千切っては投げていた。まるで癇癪を起した子供のようだ。


「早くやっつけないと被害が大きくなっちゃいますよ!」


 少女の悲痛な声に俺は涙目の異世界人と正対した。潤んだ上目遣いの視線と俺の視線がぶつかり合う。

 改めて見てもとんでもなく可愛い。破格の可愛さだ。だが、めんどくさい。


「あのなぁ、良く知らんけどお前はサキュバスなんだろ? ならアイツの仲間みたいなもんじゃないか、じゃあお前が倒してこいよ、それが世の筋ってもんじゃないのか?」


「それが出来ないから頼んでいるんじゃないですかぁ! あなたは選ばれた人間なんですよ! 勇者なんですよ!」


 選ばれた勇者だぁ? うさんくせぇ……。

 だいたい俺を選ぶ理由がどこにも見当たらない。〝当選しました! 一億円あげます!〟みたいなフィッシング詐欺の謳い文句にそっくりだ。


「選んでくれてありがとよ。だが、余裕で拒否するぜ。なぜなら俺にあんな化け物を倒す力なんてないからだ」


「それはさっき説明したじゃないですか! 私と契約すればファンタスティック・デイライトのアバターの力を現実世界で再現できるんです! あのゲームはこの日のために開発されたアプリなんですぅ! これからあんな化け物がいっぱい攻めてくるんですよぉ!」


 矢継ぎ早にがなり立てる少女を俺は怪訝な顔で見返した。


「そもそもお前さ、さっきから俺がファンタスティック・デイライトやってる前提で話てないか? 俺そんなゲームやってないから」


「ええッ!? 嘘おっしゃい! 現役高校生でやってないはずがありません!」


「嘘じゃねーし、そもそも俺ガラケーだし」


「な、なんですって!? この時代にガラケー!? ありえません! それだけでもう変態です!」


「変態であることは否定しないが、とにかく拒否する」


「じゃあこの世界の平和は誰が守るんですかぁ!?」


「そりゃあ、お前、あれだよ。アメリカ様か国連だろ?」


 さらっと言い放った俺のセリフに言葉を詰まらせた少女は、さらに瞳を潤ませタックルするように俺の胸にすがり付いて泣き出した。押し付けられる桜色の髪からほのかに良い香りがする。


「わぁぁぁっぁぁぁぁっぁん! もう私のスマホ貸しますからぁ~、お願いじまずやってくれくだざいぃぃぃッ! やってなくても契約してくださいぃぃぃッ!」


「お前はN〇Kの集金かよ……」


 半ば呆れ気味のツッコミを掻き消す轟音を轟かせた二機の戦闘機が頭上を通過していく。

 紺碧に溶け込む洗礼された機体が飛び去っていく方角は爆発があったと思われる場所で間違いない。遂に自衛隊に攻撃命令が下されたということか?

 ふむ、ならばもう勇者の出る幕はなさそうだな。万事解決だ。

 俺は勇敢な戦闘機を見送りながら少女を諭す。


「ほら、航空自衛隊も来たしなんとかなるだろ? 俺は家に帰ってゆっくりネトゲやるんだ」


「アイツに通常の物理攻撃は効かないんでよぉ! 一時的に動きは止められますけどまた復活しちゃうんですぅ! それにネトゲやるならこのゲームもやってくださいよぉ……えぐっ、ひぐぅっ……うぅっ……」


 嗚咽を上げて泣きはじめた少女は這い上がるように俺のブレザーを引っ張る。


〝ここまでされて見捨てたら男が廃るぜ!〟


 とは欠片も思わない。俺は少女の手を無慈悲に振り払い一蹴した。


「ええい! 離せ! ファンタスティック・デイライトだと? 俺はストラトコレクション一筋だから他のゲームに浮気なんかしない!」


「……えぐっ、ストラトコレクション?」


 首を傾げる彼女の姿に、俺はふっと鼻で笑う。


「説明しよう! ストラトコレクション、略してストコレとは全国の主要道路を美少女擬人化した育成型シミュレーションゲームである。現場監督となり育てたスト娘たちを指揮して悪の道路公団と戦い、スト娘たちの頂点、ハイウェイを目指すという素晴らしいゲームなのだ!」


 意気揚々と語っていた。まるで自分の手柄の様に、自分でもびっくりするくらい誇らしげに語っていた。


「うわ、なんかクソゲー臭がプンプンします」

「ぶち殺すぞオラァ!」

「ひぃぃいいいいい! ごめんなさい!」




 で、結局――。


 右手で涙を拭い、左手で俺のブレザーの裾を引っ張る桜色の少女は我が家の門扉まで付いてきてしまった。


 繁華街の方ではさっきから黒煙がいくつも立ち昇っている。自衛隊がモンスターを倒したのだろうか。それとも逆なのか……、現在は爆発音も聴こえず小康状態だ。


「先に言っとくけど家の中まで入ってきたら警察呼ぶからな」


 少女は答えない。

 両手で顔を覆い、しゃっくりを絡ませながら嗚咽を上げている。


 こいつを外に放置して家に入るのは気分の良いものではないが、ここで同情したら妙な戦いに巻き込まれてしまう。選ばれた勇者だかなんだか知らないがふざけるな、冗談じゃない。なんで俺がこのリア充優遇社会のためにそんなことしなきゃならんのだ。


 さてさて、ネトゲネトゲ……。

 門を開いた俺は玄関の鍵穴に鍵を差し込む。


「あれ?」


 キーが入らない。鍵穴に。押しても引いても力任せにねじ込んでも入らない。

なぜ?

 頭の上に疑問符を浮かべている俺の脇の間からスッと伸びた白い腕が鍵穴にカギを差し込み、ガチャリと開錠した。


「え……」


 予想外の展開にあっけにとられる俺を残して、桜色の少女は玄関ドアを開けて家に入っていった。

 何事もなく。平然と、まるで自分の家のように靴を脱いで玄関から家に上がる。


「お、おい! なに勝手に入ってんだよ!」


 振り向いた少女はくすりと微笑む。その笑顔に一滴の涙も泣いた形跡さえも見当たらなかった。


「ここは私の家ですよ」


「はあ!? 何言ってんだよ! ここは今も昔も俺の家だ! いや、正確には三十五年ローンを組んだ親父の一軒家だ! 早く出ていけ!」


「そんなにおっしゃるなら表札を見てきてはどうですか?」


 自信たっぷりの少女の笑顔に嫌な予感がした。まさかと思い踵を返して門扉脇に掲げられているはずの表札を確認する。


「な、なんじゃこりゃ……」


 天然石の表札に掘られていたのは俺の苗字〝夜剱〟の文字はなく、平仮名で〝にーな・あいりす・えーてりあな〟と明記されていた。


「バ、バカな! じゃあ俺の家はどうなった!? 親父は!? 母さんは!? ねえちゃんは!?」


「みなさん、ビバリーヒルズに引っ越しされましたよ」

「ビバリーヒルズ!? なんで!?」

「宝くじで七億円が当たったそうです」


「俺を置いてく意味は!?」

「捨てられたんじゃないですか?」

「畜生以下ッ!?」


 さらっと酷いことを言いやがった。俺のメンタルが豆腐級ならトラウマ確定だ。


「さあ、いつまでもそんな所に立っていないでおあがり下さいませ。粗末な家屋で何もありませんが粗茶くらいならお出し致します」


 少女はまるで住み慣れた我が家の様に下駄箱から来客用のスリッパを取り出し並べやがった。

 開かれた下駄箱の中に親父たちの靴は一つもなく、俺の薄汚れたスニーカーが数足あるだけだ。本当に置いていきやがったのかあのクソ親父共が……。


「……ぐぬぬう。はッ! 俺の部屋は!? パソコンは!? 部屋の荷物はどうなってるんだ!?」


 靴を脱ぎ捨て、俺は階段を駆け上がり自室のドアを勢いよく開けた。

 俺の部屋から一切の家具や私物が消失して――は、いなかった。


 そのまんまだ。朝、学校に行く前に脱ぎ捨てたパジャマも、昨日空になったティッシュ箱も、途中で投げ捨てたバイクのプラモも、読みかけて挫折したファッション雑誌も、なに一つ変わっていない。


 遅れて部屋に入ってきた少女はワザとらしく開かれたドアをノックした。


「この家の一切の物はそのままです。何も動かしていませんよ。当然ながらベッドの下にあった外付けハードディスクのデータ『ランジェリーナース』も、『キャビンアテンダント・ガータベルトの誘惑』も、『お天気お姉さんやりすぎボンテージ』も『レオタード女教師』、それから――」


「もう止めてくれ! 分かったからやめてくださいお願いします!」


 カーペットにガクリと膝を付いた俺は頭を項垂れ、声を震わせる。


「これは全て……、お前の仕業なのか? 俺に、俺にあのモンスターと戦わせるための……」


 少女は愛くるしくニコリと微笑んだ。天使の如き悪魔の笑顔だ。


「戦っていただけますか? 世界の平和のために」


「……ああ、わかったよ」俺はカーペットを握りしめる。


「ホントですかぁ!」

 少女は声の調子を上げて小さく飛び跳ねた。


「ああ……、ネカフェ民に俺はなる!」



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