第14話 ヤヌの記録


~第13話までのあらすじ~

 ひびき伊奈瀬いなせ永久野とわのと一緒に、自然石からアパートへ戻ってきた。そしてアパートのすぐ近くで科戸衣央しなといおというオトナと会い、これから一緒に生活することになった。4人で楽しく遊んでいる時に新たな訪問者が現れ、彼は杉野ヤヌと名乗った。




「おっ、響くん。わざわざ持ってきてくれたのはありがたいんだが...」

響がヤヌにそう言われたのは、ヤヌのぶんのお茶を運んでいた時だ。

「君が今持っているそれは、もうすぐ消えちゃうんだ」


そして驚くべきことに数秒後、そのお茶はトレーごと姿を消したのだ。


これには響だけでなく、永久野、伊奈瀬衣央もそろって唖然あぜんとしている。

対してヤヌは、得意げに笑う。

「ははっ、驚いただろう」

それは驚くだろう。たった今、手に持っていたものが姿を消しただけでなく、目の前の男はそれを予言したのだから。

「...なぜわかったのですか?」

響が問うと、男は答えた。

「今日、といっても、いま日付が変わったから昨日か、が2028年2月30日。存在しない日だからだ。」


響はうまく理解できなかった。時計を見ると、3月1日の午前0:00。確かに日付が変わっている。

「どういうことですか?」

こう尋ねたのは永久野さんだ。ヤヌは答えた。

「今年はうるう年だが、それでも2月29日までしかないはずだ。つまり今日は「存在しない日」なんだ。でもバグで出現したオトナと、前オーナーである俺、そして今のオーナーの君だけは動ける。動けない人々にとって、動ける俺らが世界に干渉しちまったら矛盾が生じるだろう?その矛盾をなくすため、バグに関係しないすべての状態が2月29日が終わる瞬間の状態に戻ったんだ」


ヤヌは続ける。

「例えば、2月29日23時59分59秒。ある人物の前に茶が置かれているとするだろ?で、その人物が停止している2月30日のうちに、俺がそれを飲んじまう。すると3月1日午前0時、そいつは1秒前まで茶が入っていたコップが空になっていることに気づくんだ」


(そうか。だからオレがさっきまで持っていたお茶は、元のコップとティーバックの状態に戻ったわけだ)

響は理解した。伊奈瀬と衣央も理解したようだが、永久野はまだ腑に落ちないようだ。その後伊奈瀬が懸命に説明してくれたおかげで、ようやく少しだけ納得したようではあるが。


杉野ヤヌはなぜその仕組みを知っていたのか。

「今日は君に、これを見せるために来たんだ」


ヤヌが紙袋から取り出したのは、1冊のノート。

杉野ヤヌ理論帳。土が付着した形跡のあるそのノートには、そう名がつけられていた。


ヤヌはノートを響に手渡し、ゆっくりと言った。

「俺がオーナーだった時の、記憶と記録のノートだ」


響はその本を受け取り、ゆっくりと開いた。


内容は日記のようであった。


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2018年7月29日(月)

 明日はいよいよ中学校で同じクラスの○○と△△と一緒に宮崎へ!

 お姉ちゃんの誕生日プレゼント、何にしよっかな~!


2018年7月30日(火)

 今日は宮崎へ新幹線で!

 近くにめっちゃでかい杉があった!しかも2本!

 その下にHalf of なんちゃらって書いてあった石もあったけど、他に字はなく横棒が1本引いてあるだけ。パワースポットだって○○が言うから一応触ってみた。あまりパワーを感じなかったけど、どんな意味があるんだろう。


2018年7月31日(水)

 記録なし。


2018年7月32日(—)

 朝起きたら一緒に旅行に来た女子がいなくなっていた。もう1人の○○は何をしても動かない。7月32日って何?昨日何かあったか思い出そうとしても、途中から全く思い出せない。旅館の外をみたら大きい女の人が歩いていた。もう、意味が分からない。とにかくお姉ちゃんが心配だ。電話をしてもつながらなかった。戻らなきゃ。

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響は言葉を失った。

自分がこの3日間でしてきた経験とぴたりと重なっている。記録なし、というのはおそらく、その日の途中からの記憶がなかったのだろう。

すぐに続きを読む。


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2018年8月1日(木)

 状況を説明し、朝一番の新幹線に乗って帰ると言ったら、○○も一緒に来てくれた。駅に行く途中にあった神社がなぜか妙に気になり、寄った。鳥居をくぐったとき、隣にいた○○が消えた。その代わりに、大きな杉の木の前でポテチを食べる女の子と遭遇した。

 女の子は王那と名乗り、俺を『オーナー』と言った。△△が消えた理由や大きい女の人の正体がわかった。


2018年8月2日(金)

 神社で○○とはぐれてから○○を見ていない。急いで帰りたいから連絡を入れておいた。新幹線に乗ってる間に、今までわかったことと考えたことをまとめておく。

・俺が『オーナー』になったのはあの石に触れたから。王那が世界の所有権を放棄したいと思ったタイミングであの石に触れたことで、王那との契約が結ばれた。

・その契約が結ばれてから24時間は何も起こらなかった。「バグ」が起きたのはおそらく、2018年7月32日午前0時。△△たち3次元の住人と入れ替わるように、4次元から「オトナ」と呼ばれる人々が来た。

・このバグが起こった直後、最適化が行われた。

 1つ目。言語が日本語に統一された。バグに関係することは英語のままらしい。

 2つ目。物理的な法則も、オトナが生きられる環境へと最適化したようだ。


 家に帰ったら、姉もオトナになっていた。

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続きを読み進めた響は、寒気がした。


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2018年8月3日(土)

 ○○が行方不明になったそうだ。

 今は何も考えたくない。


2018年8月4日(日)

 姉の持病が急激に悪化した。

 小さい頃からずっと持っていた病気だったけど、時間の経過とともに良くなっていくと聞いていたのに。

 もってあと48時間だって。

 もう嫌だ。何もかも。

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こんなの、あまりにひどいじゃないか。

数日間で友達1人は遠くへ行き、もう1人は行方不明。さらには姉の余命宣告。

1人の中学生が受け入れるには、あまりに重すぎる現実だ。


次のページを開く。響は、2018年8月5日の記録を読んだ。


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 ヤヌは新幹線で、家から再びあの神社へ向かった。王那と会った神社だ。神様である彼女が、最後の希望だと思ったのだろう。


ヤヌが神社の境内へ入ると、王那はこの前と同じ場所にいた。


「姉を...助けてください」

すると王那は言った。

「君のお姉ちゃんも同じことを言ってたよ。弟を助けてください、って」

「...え?」

(お姉ちゃん?なんで...?)


「そうしたらね、神楽を踊ってくれたの。小さい頃から巫女さんになるのが夢だったって。とても良い神楽舞だったよ」

「...お姉ちゃんが、ここに来たんですか?」

「来たよ。8月1日にね。7月32日、君に電話をかけたが繋がらなかったみたいだよ。当然、電車も動いていなかったから、次の日の始発でここまで。」


知らなかった。お姉ちゃんも同じ日、ここに来ていたなんて。

「だからね、君を助ける代わりに、彼女の寿命をもらったの。」

(.........は?)

「彼女の行いは正しかった。あのままだと君は、時間タイム切れ《リミット》を迎えていたからね。」

時間タイム...切れ《リミット》...」

「私と契約を結んで1週間。明日だ。時間切れ《タイムリミット》を迎えたオーナー、つまり君は、世界から消されるんだ。」


何という残酷な話だ。目の前で何の感情もなく淡々と話すこの人物を神様だと知らなければ、ヤヌは殴っていたかもしれない。それほどまでに、残酷だ。


「でも君は世界から消されない。君のお姉ちゃんの言うことに従えばね。」


 ヤヌは王那に会いに来たことを激しく後悔した。唯一頼れる人に裏切られた気分だった。

まさか、姉を助けてほしいと頼みに行った人物が、姉を苦しませた張本人だったなんて。しかし、時間タイム切れ《リミット》まで余裕がない。今すぐに帰らなければ。


お姉ちゃん。なんてことをしてくれたんだよ。勝手にこいつと契約を結ぶなんて。お姉ちゃんがオレを助けたいと思うなら、オレもお姉ちゃんを助けたいと思うに決まってんだろ。


美心。杉野美心。今帰るから待っててくれ。

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 響は、美心という名前に心当たりがあった。

神楽美心。現在は王那のもとで巫女として仕えている。2日前に神社で会った人だ。

しかし、杉野美心は余命いくばくもなかったはずだ。響は残り少ないページをめくった。


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 すぐに家に帰ると、美心はベッドの上で横たわっていた。

「お姉ちゃん!」

ヤヌは美心のもとへ走る。

「あれ...ヤヌ...。おかえり...」

美心はかなり衰弱しているようだ。本当に明日まで持つかどうかすらわからない。

「お姉ちゃん...なんで...」

ヤヌの目はすでに濡れていた。悲しく寂しい感情が、1人の中学生の中で渦巻いている。美心はそれに答えず、王那から教わった、ヤヌに伝えるべきことを話し始めた。

「禁忌を...犯しなさい...。自分が...オーナーであることを...人に伝えるの...。そうすれば...ヤヌは...助かるから」

「そうしたらお姉ちゃんはどうなるの!」

「私は...4次元に行くの...。でもね、ヤヌ。安心して。4次元の医療なら...私は元気になれるの...」

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今の響にはなんとなく理解できた。4次元はつまり、異次元なのだ。医療へのアプローチが、この世界とは全く異なるのだろう。それに、あの王那の性格である。弟を助けようとした優しい姉に、不治の病など与えないはずだ。


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「え、でも...そんな...」

「おねがい......」

戸惑うヤヌに優しく微笑み、美心はとうとう目を閉じた。


禁忌。自分がオーナーであることを人に伝える。


ヤヌは覚悟した。美心が今ここで聞いてくれなければ、他に聞いてくれる人は近くに誰もいない。

「ありがとう...お姉ちゃん...」

ヤヌは、最後の姉との時間をかみしめるように、姉の顔に触れた。美心は小さく、そしてゆっくりとうなずいた。ヤヌは息を吸い込み、姉に別れを告げた。


「お姉ちゃん。俺はオーナー。この世界の所有者だ」


弟に語りかけられた言葉に、美心はもう一度、小さくうなずいた。

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「これが俺のオーナーのときの記録のすべてだ」


響たちが読み終えたタイミングで、杉野ヤヌはそう言った。

杉野ヤヌ理論帳を隣で一緒に読んでいた3人は、すでに涙でぐちゃぐちゃだ。

響も言葉を発することなく、ただただこの男の過去をかみしめていた。


時間切れ。石に触れたことで、王那と契約を交わしたその瞬間から、1週間。響の場合、2月27日の正午から1週間。今日が3月1日だから...あと4日。響が時間切れを迎えるのは3月5日という計算だ。まだ少し猶予がある。

それにもう一つ。

禁忌。自分がオーナーであることを他言すること。これを破ったヤヌは、姉である美心を4次元へ飛ばすことになった。響の場合、それは妹である糸葉になるだろう。

響には、愛する妹をまた会える保証のない世界へ飛ばすことなど考えられない。その場で決心したヤヌに、響は格段の敬意を抱いた。


 そして、響は知っている。神楽美心のことを。

今の響には、彼女がヤヌの姉、杉野美心であることは十分に考えられた。このことをヤヌに伝えれば、おそらく、いやほぼ間違いなく、この姉弟は再会できる。


ところが次の瞬間、ヤヌは思いもよらないことを口にした。


「ただ、あいにくだが、俺はこのときの記憶がないんだ」


...え?そのときの記憶が...ない?

さっきまで嗚咽していた永久野さんたちも、これを聞いて言葉を失った。

そして次の言葉に、全員がショックを受けた。


「そもそも姉がいたことも覚えていない」




小ネタ)

杉野ヤヌが2月30日のことを知っていたのも、この理論帳に書いてあったため。


禁忌を犯した時に、全世界の記憶や記録が消えてしまったはずだが、なぜこの理論帳だけは生きているのか。この理由は本編では登場しないので、この作品をより多くの人に読んでいただけるようになったら、「世界のハン分、バグりました。」のスピンオフの一部として投稿しようかと思います!

(だからぜひいろんな人に読んでほしい!

以上、作者からの心の声でした)


杉野ヤヌ理論(帳)をアナグラムすると、

すぎのやぬりろん→ろんぎぬすのやり→ロンギヌスのやり

となる。聖槍せいそうと呼ばれる聖遺物。

この物語に登場する重要な道具のモチーフとなっているが、これももう少し先のお話となる。


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