第37話 ゼファラ王国とレオンの義務

 ゼファラ王国は、広大な領土と豊かな資源を持つ一方で、貧富の差が極端に激しい国だ。首都ゼファリスは煌びやかで栄えており、王宮は黄金の装飾に輝き、貴族たちの優雅な生活が繰り広げられている。しかし、その繁栄の裏側では、地方の農村や辺境地域が貧困に苦しんでいた。


 地方では、龍による被害が頻発していた。村を襲われた民は家族を失い、故郷を捨てざるを得なくなることも多かった。しかし首都の住民にとって、そうした被害は遠い話でしかなく、貴族たちは「国土を守る使命」を口実に贅沢な生活を続けていた。



 かつて、ゼファラ王国は龍によって存亡の危機に立たされたことがある。

 200年前、当時の国王カイザス三世が「青の龍」と「黒の龍」の討伐を試みたが失敗。王自らが命を落とし、国家は長期間混乱状態に陥った。


 この混乱は隣国に利用され、領土の一部を失う結果を招いた。さらに、王が討伐に失敗したことで、民衆の不満は爆発。国内では内乱が勃発し、ゼファラ王国は分裂寸前にまで追い込まれた。その際、王族や貴族たちは自分たちの利益を優先し、地方の農村や一般市民を見捨てる形となった。


 この歴史的失敗は、現在の王国にも深い影響を与えている。民衆は「龍討伐は王家の責務」と考える一方で、王族への信頼感は薄く、貴族に対する怒りや不満がくすぶり続けている。



 ゼファラ王国の地方では、特に龍の被害が深刻だった。



 農村では、龍が家畜や作物を奪うことが日常茶飯事となっており、農民たちは貧困に追い込まれていた。特に青の龍がもたらす冷気は収穫に壊滅的な影響を与え、何度も飢饉を引き起こしたという。こうした状況に対し、王宮や貴族たちは十分な支援を行わず、農村の民たちは次第にゼファラ王国の統治に疑念を抱くようになった。



 さらに辺境地域では、龍に加えて隣国との紛争も絶えなかった。地方の民は、自分たちの命を守るために武器を取ることを余儀なくされ、ゼファラ王国の軍が駆けつけることは滅多にない。こうして地方の住民たちは、王国の「本当の支配者は龍だ」と半ば諦め、苦しみの中で日々を送っていた。




 過去の失敗を繰り返さないために、ゼファラ王国では「龍討伐の成功」が王の資格とされている。

 レオンがその任務を負わされたのも、父である現王の考えに基づいてのことだった。しかし、その重圧が王族を苦しめ、さらに民衆の期待と王族の現実の乖離が、新たな矛盾を生み出している。



 貴族たちの多くは龍討伐に直接関与することなく、影響を受けるのは農村や辺境だと高を括っている。これが民衆の怒りをさらに煽り、貴族層と民衆層の溝は広がる一方だ。



 レオンは、ゼファラ王国の貴族の家に生まれた。その剣の腕と天魔の力の才能は幼少期から抜きん出ており、若くして国王直属の騎士団に加わった。国は彼に、龍を討伐する使命を課した。これは単なる名誉ではなく、彼にとって義務だった。


「龍を倒すことが国の未来を守ることになる。お前がその責務を果たすのだ。」


 父親から繰り返し言われたその言葉に、レオンはうんざりしていた。彼にとって、父親の言葉は国のためという大義を押し付けるための道具に過ぎなかった。



 レオンにとって、父親である現国王の存在は圧倒的であり、同時に重荷でもあった。



「お前には王としての資質がある。だからこそ、お前が龍を討伐し、ゼファラ王国を安定させなければならない。」


 父の言葉は、何度となくレオンの心に突き刺さった。幼少期から剣術や天魔の訓練を施され、期待され続けたレオンにとって、それは称賛と同時に束縛でもあった。


(俺が王にならなければならないのか?)


 時折、レオンの心に浮かぶ疑念。王位への期待が重すぎて、彼はそれをプレッシャーと感じる一方、自分がそれを背負うべき存在であると無理やり納得させていた。



「俺は父のために動いているわけじゃない。」


 レオンは自分にそう言い聞かせることが多かった。だが、実際には父の影響を強く受けている自分を否定できない。父の理想を実現するため、そして父の期待を裏切らないために動く自分を認めざるを得ない葛藤が、レオンの中に根強く存在していた。





 レオンは、貴族の生活を享受していたものの、国の現実を直視していた。ゼファラ王国は一見すると豊かで平和な国に見えるが、その裏では貧困や不平等が蔓延している。地方の農民たちは重税に苦しみ、都市部では貴族たちの贅沢が民の怒りを募らせていた。


「この国が例え龍から解放されても、内乱は避けられないだろうな。」


 レオンは冷めた目でそう思っていた。ゼファラ王国は広大な領土を持ちながらも、民の不満が膨れ上がっていた。その原因は貧富の差だ。街を歩けば、飢えた子供たちが食べ物を求めて手を伸ばし、豪華な馬車がその横を通り過ぎる。レオン自身、その光景を目にして何度も感じていた。





「この国を救うためには、ただ龍を殺せばいいという話ではない。」


 レオンはそう考え、国を救う手段として天魔の力を必要だと感じていた。それは単なる力ではなく、国を安定させるための象徴にもなると考えていた。だが、その天魔の力を持つ者は限られており、簡単に見つかるものではなかった。


「俺が倒すべき相手は本当に龍だけなのか?」



 ゼファラ王国を脅かす内乱や貧困。これをどうにかしなければ国は滅びるだろう。しかし、目の前の龍を倒すことに全力を注いでいる現状は、それらの問題を先送りにしているに過ぎないという自覚もあった。


「それでも、俺が止まれば国は滅びる。それだけは許されない。」


 使命に向かう一方で、何が正しいのか分からなくなりながらも前に進む姿は、彼の人間的な弱さを際立たせている。



 ゼファラ王国の貧困層に対する不満を、レオンは完全に無視していたわけではない。


「俺たちが龍を倒しても、民の生活がすぐに良くなるわけじゃない。」


 民衆の不満がどこから来ているのかをレオンは理解していた。特に地方の貧困や、龍の脅威を放置してきた王宮への不信感。しかし、貴族という立場ゆえに彼らを救うための行動を取れずにいた。


(俺が動けば、父が怒り、貴族たちは面倒事として俺を切り捨てるだろう。)


 民を救うためには、王宮や貴族たちとの軋轢を覚悟しなければならない。だが、それを実行すれば、国が分裂する可能性もある。


「俺には、王国の未来を守る責務がある」


 そう自分に言い聞かせることで、レオンは自分の行動を正当化し続けていた。




 そんな折、彼のもとにある情報が届いた。リリアン――王国の情報部に所属する彼の協力者が、ある女性の存在を報告してきたのだ。


「天魔の力を持つ女性がいる。アイリという名の者です」


 その報告を聞いた瞬間、レオンは何かが変わるのを感じた。それが自分の運命を大きく動かすものになることを、彼はまだ知らなかった。だが、その直感に従い、彼は動き出した。


「天魔の力……。それが鍵になるのかもしれない」


 レオンの胸の中に、国を救うための手段が一つ灯された。そして、その決断が彼自身の未来だけでなく、ゼファラ王国全体の運命をも左右することになるのだった。




 ゼファラ王国の歴史には、天魔の力を持つ者が国を救ったエピソードが語り継がれている。



「初代天魔の持ち主『エゼルフ』は、かつて龍の襲撃によって壊滅寸前だった国を救った英雄だ」



 彼は風の天魔を宿し、風の刃で龍の翼を切り落とし、その動きを封じたとされている。その後、龍討伐隊がその龍を討ち取ることに成功し、ゼファラ王国の基盤が築かれた。


 この歴史があるため、ゼファラ王国では「天魔を持つ者は国の守護者」という考えが根付いており、天魔持ちの存在は国の運命を左右すると信じられている。


 天魔の悪用による悲劇 しかし、天魔が常に国を守る存在であったわけではない。


「200年前、天魔の力を持つ者が『反逆者』として国を裏切った」



 火の天魔を持つ者が、国の王家に反発し、炎で街を焼き尽くしたとされる。この事件により、天魔の力は「国を救う力」と同時に「国を滅ぼす力」でもあることが明らかとなった。この歴史が、天魔を管理する制度や、天魔持ちを強制的に国に従わせる政策を生み出すきっかけとなった。



 レオンもこの歴史を知っており、アイリの天魔の力を放置することがいかに危険かを理解していた。


「アイリの天魔の力を利用しなければ、国が滅びるかもしれない。しかし、逆に放置すればその力が敵対勢力に渡り、国を壊す刃となる」


 その信念が、アイリを利用するレオンの行動原理の一部となっている。



「龍と天魔は共鳴する力を持つ」



 ゼファラ王国の古文書には、天魔の力が龍に対抗できる唯一の手段であると記されている。龍の力は自然のエネルギーそのものであり、天魔はそのエネルギーを直接干渉・無効化する性質がある。


「天魔がなければ、龍を傷つけるどころか、その存在に近づくことさえ不可能だ。」


 レオンはこの事実を知っており、だからこそアイリを龍討伐の計画に組み込んだ。




 アイリは、穏やかな都市で何不自由なく育っていた。

 裕福な家庭の娘であり、周囲からは可憐で気品のある存在として大切にされていた。



「危険なことは避けなさい」「何もしなくてもいい」――そんな言葉を両親から繰り返し聞かされていたアイリは、守られる存在として生きることが当たり前になっていた。




 だが、彼女の内に秘めた「天魔の力」が発現したのは幼い頃だった。


「歌声が周囲の空気を震わせ、聞く者の心を癒し、時には操る。」



 その力は、村人たちにとっては神秘の象徴だったが、同時に恐れられてもいた。アイリ自身はその力を制御する術を知らず、発現するたびに家に閉じこもらざるを得なかった。



 アイリの「天魔の力」がゼファラ王国の情報網に引っかかったのは、彼女の力が偶然近隣の領主によって報告されたことがきっかけだった。



「天魔の力を持つ者が、この村にいる」



 その一報を受けたレオンは、アイリの存在に興味を持った。彼はすぐさま調査を進め、彼女が持つ力が「天歌」と呼ばれる極めて希少なものであると知る。


「天歌――それは龍のエネルギーを抑制し、同時に味方の力を高める補助効果を持つ力」


 レオンはその力が、龍討伐の計画において決定的な役割を果たすと確信した。彼はすぐにアイリを取り込む計画を練り始める。




 その中でリリアンは、ゼファラ王国の諜報網の中でも群を抜く情報収集能力を持っていた。彼女は民間人に扮し、各地を巡ることで得た情報を王国にもたらしていた。


「また貴族どもがのんきに酒を飲んでる間に、私は危険な地帯を歩いてきたのですよ」


 彼女は、危険地帯や他国の影響下にある村を巡り、膨大な情報を収集していた。



 アイリの天魔の力についての情報は、リリアンが偶然に得たものではなかった。

 彼女は近い村々を訪れ、天魔の力に関する噂を聞きつけた。その中で「特殊な力を持つ女性がいる」という話が浮上した。



「彼女が祈ると、まるで奇跡のように作物が実る」

「アイリという名前の女性だが、最近はほとんど姿を見せない」



 リリアンは村に潜入し、天魔の力を持つ者がどのように生活しているのかを探るため、住民たちとの信頼関係を構築。村の周辺で「ゼファラ王国のスパイではないか」と疑われた場面もあったが、巧みに切り抜けた。


「天魔の力はどの国にとっても喉から手が出るほど欲しいものです。もしこの女性を手に入れれば、レオン様の計画も大きく進みます」


 リリアンはそう考え、情報を収集し続けた。



 リリアンにとって、レオンは「信用が出来るか分からない」存在だった。


「彼の若さと才能、天魔の力……。ゼファラ王国の未来を背負える男に違いないですけどどこか弱さも感じますね。」


 リリアンはレオンに一目置いていたが、同時に彼を完全に信頼していたわけではなかった。レオンの冷徹さと野心が、時に彼を予測不可能な存在にしていたからだ。



 一方で、レオンにとってリリアンは「使える駒」でしかなかった。


「優秀な諜報員だが、それ以上ではない。」


 レオンはリリアンを重宝しているものの、彼女を完全に信用しているわけではなかった。リリアンが抱く目的や忠誠心が、本当にゼファラ王国のためかどうかを疑っていたからだ。



 リリアンは情報を携え、レオンのもとを訪れる。彼女がドアをノックすると、レオンの声が響いた。


「入れ」


 部屋に入ると、レオンは書類に目を通しながらリリアンを見上げた。


「何か成果は?」


 彼の冷たい口調に、リリアンは一瞬だけ肩をすくめた。


「もちろん……興味深い情報を持ってきました。天魔の力を持つ女性について」


 彼女は机に近づき、小さなメモを置いた。


 レオンがメモに目を通すと、彼の目が微かに輝いた。


「アイリ……その力の詳細は?」


「村人たちの話を総合すると、彼女の力は『天歌』と呼ばれるものらしい。歌声に

 よって人々を癒し、励ます力だと聞いています」


 レオンはその言葉に思案を巡らせた。


「使えるかもしれないですね」


 リリアンは、情報を提供した後も心の中で複雑な感情を抱いていた。


「彼がこの情報をどう利用するのか……」


 彼女はゼファラ王国の未来を思いながらも、レオンの非情な一面に対する危惧を完全には拭えなかった。

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