第35話 苦しみと痛み
レオンとアイリ、二人の氷漬けが解除された瞬間、ゆっくりと目を開いた。ユキナの力で仮死状態から戻された彼らは、短時間だったせいかすぐに意識を取り戻した。
俺はまず、レオンに目を向けた。奴が最初に目を覚ましたからだ。奴は動こうとしたが、冷気の拘束によって体を縛られている。
「よう……」
俺は静かに声をかけた。その言葉には、怒りを押し殺した冷たい響きが込められていた。
レオンは俺の声に気づき、ゆっくりとこちらを見上げた。その顔には動揺の色はなく、むしろ余裕すら感じさせる笑みを浮かべていた。
「何だ、そんなに怒っているのか?」
レオンのその一言が、俺の中の怒りの火種に火をつけた。
「……何も分かってないようだな。」
俺は低い声で呟き、奴の視線を睨み返した。しかし、レオンは動じるどころかさらに笑みを深めた。
「一緒に龍を倒しただろう? そんなに怒ることか?」
その軽薄な言葉に、俺の理性は完全に吹き飛んだ。
「ふざけるな。」
俺は拳を握り締め、奴の顔面に一撃を叩き込んだ。鈍い音と共に、レオンの顔が横にのけ反る。血が唇から滴り落ちるのを見ても、俺の怒りは収まらなかった。
「倒したのは俺だ! お前なんか何もしていないくせに……!」
俺が怒りを露わにする中、レオンは唇の血を舐め取りながら笑った。
「感情的になるのは分かるさ。だって……隣にいる愛する女を俺に取られたんだからな。」
その言葉が、俺の心を完全に突き刺した。
「……っ!」
怒りに震える手で俺は剣を握り、奴に向けて抜き放った。そして、その剣を迷いなくレオンの胸に向けて突き刺した。
「これが、俺の答えだ。」
鋭い刃先がレオンの胸に突き刺さり、奴の笑みが一瞬にして苦悶に変わる。呻き声が部屋に響く中、俺は剣をそのまま押し込んだ。
「お前が奪ったものの痛みを、少しは思い知れ。」
俺の言葉は低く冷たかった。それでもレオンは、苦しみながらもかすかな笑みを浮かべていた。
「……それで満足か?」
その問いに、俺の胸の奥からさらなる怒りが込み上げてきた。許せるはずがない、この男を――。
「お前は何も分かっていない。」
俺は剣を引き抜き、奴を睨み下ろした。
レオンの体から血が流れ出し、奴は息を荒げながらもまだ視線を逸らさない。俺の心の中で怒りと憎しみが渦巻く中、部屋の空気は冷え切ったままだった。
レオンを殴りつけた怒りの余韻がまだ残る中で、今度はアイリが目を覚ました。この騒ぎだ、当然だろう。彼女は寒そうに体を縮め、震えながら俺の方を見た。
「あ……ジュラーク……」
か細い声で俺の名前を呼ぶ。その声にはかつての親しみが滲んでいるようにも思えたが、俺はその声を冷たい視線で一蹴した。
「あと間違っているな、レオン。」
俺は静かに言葉を続ける。その言葉は冷たく、迷いのないものだった。
「もう俺は、アイリを愛してなんていない」
アイリの瞳が驚きと絶望に染まるのが分かった。だが、それは俺にとって何の意味も持たなかった。
「お前が俺を裏切ったあの日から、俺は結婚指輪も気持ちも消し去った。お前に対する愛情なんて、もうどこにもないんだ。」
アイリの顔は一気に絶望に満ちたものになった。目の前の現実を受け止められないのか、彼女の唇が震えている。
「ジュラーク……違うの、私は――」
何か言い訳をしようとする彼女の言葉を、俺は冷酷に遮った。
「違うも何もないだろう。お前も、俺のことを愛してなんかいなかった。それは、この男の前で全て捨てたんだろう?」
俺は視線をレオンに向ける。アイリが守ろうとしたその男――レオン。
「好きでもないのはお前も同じだろ、レオン。」
俺が言葉を投げつけると、レオンは苦しみながらもゆっくりと笑い始めた。口元に血を滲ませたまま、奴はその薄ら笑いを浮かべている。
「はは……あぁ、その通りだよ。」
レオンの言葉が部屋の冷たい空気に響く。
「この女を愛していたことなんて、一度もない。」
レオンは力なく笑いながら、アイリを見もせずに続ける。
「俺にとってアイリはただの道具だった。それだけだ。」
その言葉に、アイリの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。信じたものに裏切られるというのは、こういうことだろう。
俺はその様子を見ても、何の感情も湧かなかった。ただ、静かに冷めた目で二人を見下ろしていた。
「……結局、何もかもお前らの浅はかな選択の結果だ。」
俺の言葉は、部屋の空気をさらに冷たくするように響き渡った。アイリが嗚咽を漏らし、レオンは視線を逸らしたまま笑い続けている。
「この先、どうするかは俺が決める。覚悟しろ。」
アイリの涙がぽたりと床に落ちる音が聞こえる。嗚咽を漏らしながらも彼女は、レオンの言葉が信じられないようだった。
「どうして……どうしてそんなことを言うの……レオン……?」
彼女の問いかけに、レオンはもう一度薄ら笑いを浮かべるだけだった。その表情には、もはや同情や偽りの優しさすら見えない。
「お前は本当に愚かだな。そんなことも分からなかったのか?」
俺は冷たい視線をレオンに向けた。
「お前、どこまでも最低だな。」
レオンはその言葉にも特に動じる様子を見せなかった。むしろ、笑いを含んだ声で返す。
「最低? そんなの最初から分かってたことだろう? 俺が国を守るためにやることなんて、綺麗なわけがない。」
アイリがレオンを見つめるその瞳は、完全に絶望に染まっていた。彼女は自分が何を信じてここまで来たのか分からなくなっているのだろう。
「ジュラーク……お願い……私を助けて……」
彼女は震える声で俺に訴えかける。だが、その言葉は俺の心には何も響かなかった。
「助けて? お前が今さら俺に何を求めるんだ。」
俺は冷たく言い放つ。アイリの顔がさらに悲痛な表情に歪む。
「お前が俺を裏切ったのは自分で選んだことだ。レオンを選んだのも、お前自身の判断だろう?」
アイリは嗚咽を漏らしながら首を振る。それでも俺の目には、それがただの醜い自己弁護にしか見えなかった。
「ジュラーク……私、間違ってたの……。戻りたい……またあなたと……」
アイリの訴えは続くが、俺の心は全く揺らがない。むしろ、それを聞けば聞くほど怒りと呆れがこみ上げてきた。
「戻りたいだと?」
俺は剣の柄に手をかけながらアイリを睨みつけた。その行動に、彼女は怯えるように体を縮める。
「お前が戻れる場所なんて、もうどこにもないんだよ。」
俺は低い声で言い放つ。
「ジュラーク……!」
彼女が最後の望みをかけて俺の名を呼んだその瞬間、俺は一切の感情を押し殺して背を向けた。
俺の拳がレオンの顔面に叩き込まれるたび、鈍い音が響く。抵抗しようとする気配すらないレオンの顔は、すでに血と傷で覆われていた。それでも、俺の怒りは収まらない。
「復讐するのは構わないが……俺を殺しても何も変わらないぞ……」
レオンが苦しそうに言葉を絞り出す。その挑発とも取れる言葉が、俺の中の怒りに油を注いだ。
「黙れ!」
俺はさらに拳を振り下ろす。殴るたびに、過去の屈辱と憤りが少しずつ消えていくような錯覚すら覚えた。
俺の拳は止まらない。隣で見ているアイリが泣きながら「やめて……!」と叫んでいるのも耳に入っていたが、それでも手が止まらない。
「これ以上うるさく言うと――」
俺はアイリの方を振り向き、怒りのままに言葉をぶつけた。
「子供がどうなってもいいのか?」
その言葉を言い放った瞬間、俺は自分の言葉の重さを理解した。正直、こんなことを言いたくはなかった。だが、怒りに突き動かされた俺の口から、その言葉が出てしまった。
アイリは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに信じられない言葉を口にした。
「……いい。子供なんてどうだっていいから……。」
その言葉を聞いた瞬間、俺の怒りが再び頂点に達した。
「何だと……?」
俺は信じられない思いでアイリを見た。彼女の目には涙が溢れているが、その言葉は確かに彼女の口から出たものだった。
「お前、本気で言ってるのか? 子供なんてどうでもいいだと……?」
拳を握りしめながらアイリを睨む俺に、彼女は泣きながら何も答えない。無言でただ涙を流すだけの彼女の姿に、怒りと呆れが混ざり合う。
「お前にはもう何もないのか? 何も守りたいものがないのか!」
俺の声は怒りに震えていた。その言葉に、アイリは泣き崩れるだけだった。
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