第33話 混沌
終わりだ。
俺がこの場にいる理由もない――いや、一つだけあるか。
俺は視界に入るアイリを無視し、レオンの姿を見据えた。
元を辿れば、こいつだ。
こいつが余計なことをしなければ、今頃は……いや、考えるな。
「レオン!」
名前を呼ぶと、奴の顔がこちらに向く。その表情には疲労と苛立ちが滲んでいた。
「この前の威勢はどうした?」
俺は声を張り上げ、続ける。
「偉そうに色々と語っていたが、龍の前では手も足も出ず、屈服してるじゃないか。」
奴の眉がわずかに動いた。その反応が俺をさらに煽らせた。
「お前みたいなやつが、国だの使命だのを背負ってる? 笑わせるな。」
俺は剣をゆっくりと奴に向けた。その刃が夕日に輝き、冷たい空気を切り裂く。
「正直に言うと、今すぐお前をどうにかしてやりたい気分だ。この間の続き、どうだ? やるか?」
レオンは黙って俺を見ていたが、やがて唇を歪ませ、低く笑い始めた。
「何が可笑しい?」
俺は苛立ちながら問いかけたが、奴は答えず、ただ笑い続ける。
その笑いには、どこか狂気じみたものが含まれているように感じた。
やがてレオンは笑みを消し、血相を変えて口を開いた。
「本当に……この女もそうだが、あなたも馬鹿なんですね。」
「何だと?」
奴の言葉に眉をひそめる俺を見て、レオンは冷たく笑いながら続けた。
「何も分かっていない。俺が背負っているものの重さを、お前は理解できないだろうな。」
その瞳には冷徹な光が宿り、声は低く震えていた。
「俺が守らなければならないのは……国だ。巨大な国、ゼファラ王国をな。
そのためには、どんな犠牲だって払う。それが俺の使命なんだよ。」
その言葉と同時に、奴は剣を構え、一気に俺との距離を詰めてきた。
「速い……!」
前回の戦いよりも動きが洗練されているのが分かる。迷いのないその剣筋には、確かな成長が感じられた。
だが――。
「甘い!」
俺はその剣の軌道を見切り、冷静に受け流す。そして一瞬の隙を突き、奴の剣を弾き飛ばした。
「っ……!」
奴の剣が凍った湖面に突き刺さり、鈍い音を立てる。
「お前の言う“使命”ってやつは、その程度のもんなのか?」
俺は剣を構え直し、静かに言葉を放った。
「国を守るため? 笑わせるな。お前がやってきたことは、他人を犠牲にして、自分の都合を押し通してきただけだろう。」
レオンは唇を噛み、悔しそうな表情を浮かべた。しかし、次の瞬間、奴の目が冷たく光った。
「俺を舐めるな……!」
その声には怒りが込められていたが、俺は一歩も引かず、じっと奴を睨み返した。
地面に這いつくばるレオンが、血走った目で俺を睨みつけている。だが、その目には威厳の欠片もない。ただの負け犬の視線だ。俺はそんな彼を見下ろしながら、心の中で呟く。
(……こんなやつに、俺はすべてを奪われたのか。)
呆れるやら、情けないやら、複雑な感情が胸を渦巻いていた。その時、隣にいたスズカが手を伸ばし、俺に声をかけてきた。
「ジュラークさん……もうやめましょう。彼は……」
「お前は下がってろ。」
俺は冷静にスズカを制した。その声に込められた確信に、彼女は一瞬戸惑ったが、やがて無言で後ろに下がった。
その瞬間、ユキナが静かに近づいてきた。彼女は冷え切った声で言う。
「これ以上やっても、彼に勝ち目はありませんよ。龍を倒したあなたが、こうして余力を残している時点で、実力差は明白です。」
彼女の視線がレオンに向けられる。それは冷徹そのものだった。
「ここで彼を氷漬けにしてもいいですが、それはあなたの判断に任せます。」
ユキナの提案に、俺は目を伏せる。氷漬けにして、今すぐ全てを終わらせることもできるだろう。だが、それでは足りない。
俺は無言でレオンの前に立ち、拳を握り締めた。
「……!」
レオンが息を飲む。だがその動揺を気にすることなく、俺の拳は彼の頬を捉えた。
「っ……!」
レオンの顔が大きく揺れる。彼は抵抗しようと手を伸ばすが、その瞬間、ユキナが静かに冷気を纏わせ、その手を氷で封じた。
「手を出すなって言っただろう……まあいい。」
俺は低く呟き、再び拳を振り下ろした。鋭い痛みが拳に返ってくるが、それすらも俺を止める理由にはならなかった。
「くそ……くそ……くそ……!」
俺は吐き捨てるように言いながら、レオンを殴り続けた。彼の表情には恐怖と怒りが入り混じり、抵抗しようとする意志が微かに残っている。
それでも、俺の拳は止まらなかった。何度も、何度も。
(俺の怒り……憎しみ……そのすべてを、この男に叩き込んでやる。)
レオンの口から血が滲み、彼の体が徐々に動かなくなっていく。それでも、俺の中に渦巻く感情は消えなかった。隣からスズカが恐る恐る声を上げる。
「ジュラークさん……それ以上は……」
彼女の声を耳にしながらも、俺は拳を止めることができなかった。スズカの叫びすら、今の俺には届いていない。
「……ジュラークさん」
低く、冷ややかな声が響く。それはユキナだった。彼女は無表情のまま、俺を見据えていた。
殴っても何も解決しない。そんなことは分かっていた。だが、それでも拳を止めることができなかった。俺としたことが、スズカの前でこんなにも感情的になっている姿を見せてしまった。普段の俺なら、もっと冷静でいるべきだと自覚している。それでも、ここまで好き放題されてきた相手に、この怒りをぶつけずにはいられなかった。
俺は肩で息をしながら、血に塗れた拳を握りしめた。目の前のレオンは地面に這いつくばり、まともに動けない。それでも、その目にはどこかしらの反抗心が残っているように見えた。
(くそ……なんだ、このやりきれない感情は。)
「……もうやめて!」
突然、大声が響いた。振り返ると、黙っていたアイリがレオンの前に立ちはだかっていた。その顔は涙でぐしゃぐしゃになりながらも、必死に訴えかけている。
「お願い、これ以上やめて……!」
その姿を見た瞬間、俺の中でさらに怒りが燃え上がった。拳を握りしめながら、俺は思わず怒鳴り返す。
「やめて、じゃねえだろ! お前がそれを言うか!?」
アイリの震える声と、俺の怒りの声がぶつかり合う。俺の中で、抑えられない感情が渦巻いていた。何を今さら言い出すんだ、この女は。自分がしてきたことの責任すら取れないのか。
だが、俺が次に言葉を紡ぐ前に、乾いた音が響き渡った。
「……っ!」
目の前で、スズカがアイリに平手打ちを放ったのだ。アイリは驚きと痛みで目を見開き、その場で固まった。頬には赤い手形が浮かび上がっている。
スズカの表情は冷たく、氷のような視線をアイリに向けていた。そして、その唇から発せられた言葉は、さらに冷たいものだった。
「……もう、死ねば?」
その一言には、氷のような冷たさと、鋭い刃のような痛烈さが込められていた。
その場が静寂に包まれる。アイリは言葉を失い、涙を浮かべたままスズカを見つめている。スズカの瞳には迷いも同情もなかった。ただ、怒りと嫌悪が見て取れた。
俺はその光景を見ながらも、何も言えなかった。スズカの言葉が、俺の心の中の鬱屈とした感情を代弁しているように思えたからだ。
ユキナが少し離れた場所から静かにその様子を見守っている。その顔には、わずかな同情の色が浮かんでいるが、どこか他人事のような冷静さも感じられる。
アイリは震える手を頬に当てながら、目に涙を浮かべてスズカを見つめた。
「どうして……そんなこと……」
その声はかすれていて、まるで自分自身に問いかけているようだった。
スズカは冷たくその言葉を遮る。
「どうして、じゃないでしょ。あなたがしてきたことを思い出しなさいよ。それでもまだ自分が正しいと思うなら……本当にどうしようもないわ。」
その言葉は冷酷で、容赦のないものでありながら、どこか真実を突きつける鋭さを持っていた。
許せるはずがねえだろ、こんなもんで。
俺は心の中でそう叫んでいた。この程度で終わらせていいわけがない。奴らにはもっと苦しみを味わわせなければ気が済まない――いや、絶対に苦しませてやらなきゃならない。
そんな俺の思考を遮るように、ユキナが冷たく言い放った。
「これ以上感情的になっても意味はありませんよ。」
その言葉と共に、ユキナは手をかざし、この場全体にとてつもない冷気を発生させた。
「……な、何を……!」
アイリが悲鳴を上げる。レオンも抵抗しようとするが、力を使い果たした彼にはどうすることもできない。次の瞬間、二人は冷気に包まれ、一瞬にして氷漬けとなった。
「おい……!」
俺は思わずユキナを睨んだ。だが、ユキナは平然とした表情で答える。
「大丈夫、死んではいません。ただ仮死状態にしただけです。」
その言葉に、俺は目を見張る。これがユキナの天魔の力――対象を一時的に仮死状態にする氷の力。その冷酷さと正確さに、俺は背筋がゾワっとした。
一方で、スズカは驚きと怒りが入り混じった表情でユキナを見つめていた。
「なぜ……こんなことを……!」
スズカの言葉にも動じることなく、ユキナは淡々と答える。
「これ以上、この場で彼らと争っても拉致があきません。それに、あなたたちにはやるべきことがあるでしょう?」
「やるべきこと……?」
俺が眉をひそめると、ユキナは冷たく微笑みながら続けた。
「案内します。拷問部屋へ。」
その言葉に、俺は一瞬言葉を失った。
「拷問部屋……?」
その響きだけで、背筋に嫌な汗が流れる。スズカも驚いた表情でユキナを見つめていた。だが、次の言葉はさらに俺たちを驚かせるものだった。
「そこに、スズカの兄もいます。」
「兄が……そこに?」
スズカが息を呑み、驚愕の表情を浮かべる。その瞳には恐れと不安が混じり、動揺が隠せない様子だった。
「どういうことだ、ユキナ。」
俺は彼女に問い詰めるように聞いた。だが、ユキナは冷静そのものだった。
「この地にやってきた外部の者たちは、私たちスノーフォールにとって脅威でしかありません。その中でも、スズカの兄は何らかの意図を持って動いていた。それを調べるために一時的に捕らえ、仮死状態にしています。」
「兄が……」
「ふふ、安心してください、あなたたちは仕事をしてくれた……約束通りお兄さんは解放します」
スズカの声は震えていた。俺はスズカの肩に手を置き、彼女を落ち着かせようとした。
「落ち着け、スズカ。俺たちで真相を確かめる。それからどうするかを考えよう。」
「では、案内します。」
ユキナが先導するように歩き始める。俺たちはその背中を追うように、氷の冷たい道を進んでいった。心の中では、怒りと不安、そして奇妙な期待が入り混じっていた。
スズカの兄に何が起こったのか――そして、この拷問部屋で俺たちを待ち受けている真実は一体何なのか。俺たちの前には、さらに大きな謎が立ちはだかろうとしていた。
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