第27話 利用価値

 スノーフォールへの道のりは順調だった。ゼファラ王国からさほど離れていないため、旅は思いのほか短く済んだ。馬車は雪に覆われた狭い道を慎重に進み、やがて目的地に到着した。



 馬車が停まると、レオンはアイリを伴い中から降りた。アイリは寒さに震えながらも、身に纏った白い毛皮のコートのおかげで多少は寒さを凌げているようだった。彼女はレオンの腕にしっかりと寄り添いながら、小さく息を吐いた。


「寒い……本当にここで龍がいるのかしら……?」


「ここには確実にいる。それが目的だ。」


 レオンは冷ややかにそう言うと、目の前に広がる寂れた景色に目をやった。スノーフォールに来るのは久しぶりだ。かつて栄えていたこの地は、戦争と龍の脅威によって荒廃し、その面影すら残っていない。


 彼が思考を巡らせていると、突如として一人の女性が姿を現した。


「初めまして……いや、久しぶりですね。」


 冷たい声と共に現れたのは、白い髪と肌、そして鮮やかな赤い瞳を持つ女性――ユキナだった。彼女は冷たい風をものともしない様子でレオンたちの前に立ち、じっと彼を見つめていた。


「……ユキナか。」


 レオンは微笑みながら手を差し出し、握手を求めた。だが、ユキナはそれを無視するように首を振り、微かに眉をひそめる。


「私は形だけの挨拶には興味ありません。それで――龍はどこにいるのか、それが目的でしょう?」


「はは……なるほど」


 レオンは手を引っ込めると、わざとらしく笑いながら肩をすくめた。そしてすぐに話を切り替え、龍について尋ねる。


「それで、龍はどこにいるんだ?早く教えてくれないか。」


 だが、ユキナは彼の言葉を無視するように、隣に立つアイリに目を向けた。その瞳は冷たく鋭い。


「その前に……そちらの女性はどなたですか?」


 唐突な問いに、アイリは驚いたように身を震わせた。ユキナの圧力に圧倒され、思わずレオンの方を振り返る。


「あぁ、そういえば自己紹介がまだだったな。」


 レオンは適当に言葉を返し、目を逸らす。アイリは仕方なく、自ら名乗ることにした。


「あ、あの……アイリと申します。ゼファラ王国で……その……」


 言葉を選びながら、アイリはどう説明すべきか迷っている。ユキナはそんな彼女を冷たい視線で見つめたまま、口を挟むことなく静かに待っている。


「その、夫であるレオンと共に……この地に来ました。」


 やっとの思いで言葉を紡いだアイリは、微笑みを浮かべてユキナに頭を下げた。


「そうですか……」


 ユキナは短くそう答えると、再び冷たい視線をレオンに戻した。その瞳には興味の色が全くなく、ただ冷ややかな空気だけが漂っている。




 レオンはその様子を楽しむように目を細めると、軽い口調で言葉を続けた。


「彼女はただの付き添いだ。気にする必要はない。さあ、話を進めようか。」


 だが、ユキナはその言葉には反応せず、アイリを一瞥しただけで話を打ち切った。


「では、私についてきてください。」


 そう言ってユキナは踵を返し、歩き始めた。レオンとアイリはその後に続きながら、スノーフォールの冷たく荒涼とした景色の中へと進んでいった。




 ユキナは先を歩きながらも、ちらりと後ろを振り返り、再びアイリに目を向けた。その瞳には明らかに何かを探るような光が宿っていた。レオンはその様子に気付きながらも、特に反応を示さず歩みを進める。


(えらくあの女を気にかけているな……気になるのか、それとも……)


 レオンは心の中で考えを巡らせる。ユキナの態度がアイリに対して妙に注意深いことに違和感を覚えた。


(もしかして気がついているのか?アイリが俺にとってただの道具でしかないってことに……)




 ユキナも、何かを考え込むように歩いていた。アイリに向ける視線には、どこか同情とも軽蔑とも取れる感情が垣間見える。彼女は伊達に長く生きているわけではない。見た目こそ若いが、数十年という時間を積み重ねてきた。だからこそ、他人の本質を見抜く目を持っていた。


(あの女性、何も分かっていないわね……。自分が利用されているだけだってことも。)


 ユキナの冷静な判断は、レオンの奥底に隠された意図をも見抜いていた。




 レオンは心の奥底で密かに笑みを浮かべていた。表面上は丁寧な態度を保ちながらも、彼の中には別の考えが渦巻いている。


(ここの龍の場所を知るのが目的だが……何かがおかしい。ここには別の何かが待っている気がする。)


 その違和感が何なのかは分からない。ただ、この荒れ果てた土地には単なる龍だけではない、別の何かが潜んでいる予感がしていた。



 そんな中、何も考えていないのはアイリだけだった。彼女は辺りの寒さに震えながらも、まるで観光気分のような様子を見せていた。


「寒い……でも、レオンがいるから安心だわ。」


 そう呟きながら、彼女はレオンの腕に寄り添う。その言葉にレオンは何も答えず、ただ前を見据えたままだった。



 アイリが抱いているのは安心感だけだった。彼女は子供のことも忘れているかのように振る舞う。実際には、子供はゼファラ王国に待機させている。レオンがそう決めたのだ。理由は簡単だった――子供を連れて行く価値がないから。


 アイリはただ従っただけだった。それでも彼女の中では、レオンと共にいられることが何よりも幸せだったのだ。



 一行はスノーフォールの奥へと進んでいく。荒涼とした景色の中で、ユキナの態度は変わらず冷静だが、その視線には何かを警戒するような鋭さがあった。


(この先に待っているのは……龍だけではない。)


 ユキナはそう確信していた。彼女が見つめる先には、レオンとアイリが知り得ない、さらに大きな危険が潜んでいるのだろう。



 雪と氷に覆われたスノーフォールの風景の中、レオンは目を細めながら歩いていた。横にはアイリが笑顔で寄り添っているが、レオンの心は彼女とは全く別の場所にあった。


(アイリへの気持ち?そんなもの、最初からないさ。)


 彼女の純粋さと素直さが、レオンにとっては利用しやすい道具だった。ただそれだけだった。今の彼にとって、アイリはゼファラ王国の目的を達成するための一つのコマに過ぎない。


(ここで利用価値がなくなれば捨てるだけのことだ。いや、いっそのこと返してやってもいい。ここで待っている男にな。)


 レオンはそう考えると、薄気味悪い笑みを浮かべた。その笑みは周囲の冷たい空気と同じくらい冷酷で、何かが崩れる音が聞こえるようだった。




 そんなレオンの笑みを、ユキナは見逃さなかった。後ろを歩く彼の視線や表情を一瞬捉え、眉をひそめる。


(本当に食えない男……ですね)


 ユキナは心の中で呟いた。彼女にとってレオンという存在は、最初から信用できるものではなかった。初めて会った時から、レオンの言葉と行動には違和感があった。ただ、彼が「龍を倒す」という目的を掲げ、その力を持っていることは事実だった。


(だからこそ、ここまで見逃してきた。でも……本当なら通したくなかった。)


 ユキナの中には複雑な感情が渦巻いていた。スノーフォールを守るためには、時に妥協しなければならないこともある。それがレオンの通行を許した理由だった。だが――。


(彼に私一人で立ち向かうのは難しい。それを分かっているからこそ、私は彼を止められない……。)



 レオンとユキナの間に、言葉に表されない静かな戦いが繰り広げられていた。お互いに相手の内面を見抜こうとしながらも、表面上は何も起こっていないかのように歩みを進めている。


 アイリはと言えば、何も気づかず、ただルンルンとした足取りでレオンに寄り添っていた。


「レオン、ここって本当に寒いけど……すごく綺麗ね!」


 アイリは目を輝かせながら辺りを見回し、純粋にこの場所を楽しんでいる様子だった。そんな彼女に、レオンは軽く微笑みを返すだけだった。


(馬鹿な女だ……だが、それがちょうどいい。)


 アイリの無邪気さは、レオンにとっては扱いやすさそのものだった。彼女を言葉巧みに操るのは簡単だったし、彼女が疑念を抱くこともない。それが彼女の弱点であり、レオンが利用している最大の理由だった。




 ユキナはそんなアイリを見つめながら、内心で溜息をついた。


(あの女性は何も気づいていない。本当に幸せだと思っているのか、それとも……。)


 彼女の目に映るのは、無邪気な笑顔と、それを利用している男の冷たい横顔だった。この状況に怒りや悲しみを感じながらも、ユキナは表情には出さずにその場を進んでいく。



 歩みを進める中で、ユキナはふと足を止めた。彼女の視線は遠くの地平線に向けられている。そこには、この地に広がる終わりのない雪原があるだけだったが、彼女の心には別の危機感が芽生えていた。


(この先で待っているのは龍だけではない。もっと大きな何かが、私たちを飲み込もうとしている。)


 ユキナのその思いは、すぐには形にならなかったが、確かにそこに存在していた。




 それぞれの胸中に異なる思惑を抱えながら、レオン、ユキナ、そしてアイリの三人はスノーフォールの奥地へと足を進めた。ユキナが先導する形で、彼らは、やがてスノーフォールでも特別な場所へと到着した。


 目の前に広がるのは、澄み切った透明感を持つ大きな氷の湖だった。その周囲は一面に広がる氷の木々に囲まれており、光が反射して幻想的な雰囲気を醸し出している。湖面には微かな霧が漂い、その静けさが逆に不気味さを漂わせていた。


「ここが……氷の湖か。」


 レオンは足を止め、目の前の神秘的な光景を一瞥した。その瞳には感動もなく、ただ冷静に周囲を観察する光が宿っている。


「美しいわ……。」


 アイリがポツリと呟き、湖面に映る自分の顔を覗き込んだ。無邪気にしゃがみ込む彼女の姿に、ユキナは軽く眉をひそめる。


「気をつけなさい。その湖はただの景色ではありません。」


 ユキナが冷静な声で警告する。アイリはその言葉に少しだけ戸惑った様子を見せたが、すぐに立ち上がった。



 レオンは湖の周囲を見回しながら、その場の静けさに一抹の不安を感じていた。目に見える範囲では何も起こっていない。しかし――。


(何かが始まる……。)


 レオンの直感が警鐘を鳴らしていた。彼は鋭い目で湖面を見据え、ユキナに問いかけた。


「この場所は何なんだ?ただの景色を見せるためにここに案内したわけじゃないだろう。」


 ユキナはレオンの言葉に少しだけ微笑を浮かべる。その笑顔は冷たく、謎めいていた。


「ここは、龍との因縁が深い場所。過去に多くの者が訪れ、この湖で何かを求めた……。だが、今までここを無事に通り抜けた者はほとんどいないわ。」


「ほとんどいない?」


 レオンが聞き返すと、ユキナは目を細め、湖面を見つめた。その瞳に何かを思い出しているような光が宿る。


「そう。ここはただの湖ではなく……龍たちの記憶が眠る場所。そして、この氷の世界そのものを見守る者がいる。」



 その言葉に、レオンは一層警戒を強めた。彼の手は自然と腰の剣に向かう。気配は何も感じられないが、それが逆に不気味さを際立たせている。


「見守る者……?それは、龍なのか?」


 レオンの質問にユキナは答えず、代わりに湖面を指差した。


「答えはすぐに分かるわ。……その前に、あなたは本当にこの先に進む覚悟があるの?」


 その問いに、レオンは薄く笑った。


「覚悟?そんなものは最初から決まっている。龍を倒す――ただそれだけだ。」


 ユキナはその答えを聞くと、短く息を吐いた。



 その時だった――。湖面に漂っていた霧が、突然渦を巻くように動き始めた。氷の湖にひび割れが走り、何かが動き出している気配がする。


「これは……!」


 アイリが声を上げる。その瞳には恐怖が浮かんでいる。レオンはすぐに剣を抜き、周囲を警戒した。


「ようやく現れたか……。」


 彼の声には緊張感と同時に、自信が滲んでいた。


 ユキナはその場から一歩も動かず、湖の変化をじっと見つめている。


「これが……氷の湖の本当の姿よ。そして……あなたたちを試す者が現れる。」


 湖面から吹き上げる冷気。その中心に何かが現れるのを、三人は固唾を飲んで見守っていた――。

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