第26話 覚悟

 氷の洞窟を抜けた先、ユキネは迷うことなく一部の通路を進み、俺たちを案内していった。その道は狭く、滑りやすい氷で覆われているが、ユキネの足取りには迷いがない。そして――。


「……着きました。」


 ユキネが静かに言うと、目の前に広がる景色に俺とスズカは言葉を失った。



 そこは事前情報以上に荒涼とした地だった。大地は一面の氷と雪で覆われ、寒風が肌を刺すように吹き抜ける。遠くには崩れかけた建物が見えるが、人の気配は全くない。民家らしき建物も点在しているが、どれも壊れかけていて、人が住んでいるとは思えなかった。


「ここが……スノーフォールなのか?」


 俺は目の前の光景を見つめながら、ユキネに問いかけた。


「ええ、ここがスノーフォールです。」


 ユキネは表情を崩さずに答える。


「……以前はここも栄えていました。ですが、過去の戦争、そして龍の襲撃により、このような姿になりました。今ではご覧の通り、寒さと荒廃だけが支配する場所です。」



 その言葉を聞いて、俺は言葉を失った。

 栄えていた街が、こんなにも無残な姿になってしまう――戦争と龍、それらがもたらす破壊の力がどれほど凄まじいものかを、改めて実感する。


「……なるほど。」


 俺は短く答えるしかなかった。言葉の裏には悲しみと、怒りがない交ぜになった感情が渦巻いている。こんな光景を見せられて、俺はただ拳を握りしめるしかできなかった。



 その沈黙を破ったのはスズカだった。彼女は冷たい風に耐えながら、少し不安げな声でユキネに問いかけた。


「兄もここにいるんですか?」


 ユキネは一瞬だけ目を伏せると、静かに答えた。「ええ……ここにいます。」


 その答えを聞いたスズカは、少しだけ安堵の表情を浮かべる。しかし、次のユキネの言葉がそれを一瞬で打ち消した。


「ですが、ここにはゼファラ王国や他国から襲撃者がやってきます。私はその者たちを全て氷漬けにしています。」



「氷漬け……ですか?」


 スズカがその言葉の意味を確認するように尋ねる。その声には明らかに怒りが含まれていた。


「はい。」


 ユキネは淡々と答える。その冷静な態度が、スズカの感情をさらに煽った。


「そんなの酷いです! どうしてそんなことをするんですか!? どんな理由があったとしても……!」


 スズカの声は震え、目には涙が浮かんでいた。


 ユキネはその感情的な反応にも動じず、冷たい視線をスズカに向けて言い返す。


「では問います。他の国が突然襲撃してきたらどうしますか? ここは過去に何度も侵略を受け、多くの者が命を落としました。無防備では生き残れないのです。」


 その冷静で容赦ない言葉に、スズカは返す言葉を失った。彼女の拳が震え、何かを言おうとするが、声にならない。



 俺はそのやり取りを黙って見守っていたが、ユキネの言葉が胸に刺さるのを感じていた。彼女の行動が正しいとは思えない。だが、この場所がどれほど過酷で、絶望的な環境にあるのか――それを思えば、彼女を否定するのも難しい。


「……何が正しいかなんて、分からないな。」


 俺は心の中でそう呟いた。


 スズカが悔しそうに唇を噛んでいるのを横目で見ながら、俺は彼女の肩にそっと手を置いた。


「スズカ、落ち着け。」


 俺は肩を震わせるスズカに手を置いて声をかけた。彼女は悔しそうな表情でユキナを睨みつけていたが、俺の声に反応してゆっくりと息を整えた。


「でも、ジュラークさん……!」


 スズカは振り返って俺を見上げる。瞳にはまだ怒りと悲しみが浮かんでいたが、俺は彼女の目をじっと見つめて言葉を続けた。


「ここは紛争地帯みたいなもんだ。他の国に囲まれている以上、どうしてもそうなってしまう。ユキナは、この場所を守るために戦っているんだ。」


 スズカは唇を噛み、しばらく黙り込んだ。それでも、俺の言葉が少しは彼女の怒りを和らげたようだった。




「ユキナ、氷漬けにしたって言ったが……それは、命を奪ったわけじゃないんだよな?」


 俺はユキナに向き直って問いかけた。


 ユキナは少しだけ目を伏せ、静かに頷いた。


「ええ。彼らは今も生きています。ただ、私の天魔――氷の力で、活動を封じているだけです。」


「天魔だと……?」


 俺はその言葉に驚きを隠せなかった。スズカも目を見開き、ユキナを見つめている。


「お前も天魔を持っていたのか。」


 俺の問いに、ユキナは静かに「はい」と答えた。その声には、どこか悲しみが混じっているように感じられた。


 ユキナはゆっくりと話し始めた。


「私の天魔の力は、他国に狙われています。かつて、このスノーフォールは各国から何度も襲撃を受けました。時には勧誘もありました。ですが、それを断ると――」


 ユキナは一瞬、言葉を詰まらせた。


「このスノーフォールは火の海にされました。」


 その言葉に、スズカは目を見開き、息を呑んだ。俺も言葉を失った。



 ユキナの話を聞きながら、俺の脳裏に過去の記憶がよぎる。

 それはアイリのことだった。彼女もまた、天魔の力を持つ存在としてゼファラ王国に取り込まれた。その結果、彼女は俺の元を離れ、レオンの隣に立つことを選んだ。


「……他人事じゃねえな。」


 俺は心の中で呟いた。


 天魔の力を持つ者たちは、望むと望まざるとに関わらず、運命に翻弄される。それはユキナも、アイリも、同じだったのだ。



「ジュラークさん、スズカさん。」


 ユキナは静かな声で俺たちに向き直った。


「私は、このスノーフォールを守るために、自分の力を使います。たとえ、それがどれほど非情に見えたとしても……それしか方法がないのです。」



「ユキナ、さっき言っていた氷漬けって、具体的にはどういうことなんだ?」

 俺は歩みを止めて、ユキナに尋ねた。彼女は少しだけためらうような表情を見せたが、静かに答えた。


「私の天魔――氷の力は、対象の生命活動を限りなく低下させることで、仮死状態にするものです。凍結させることで、その体は損傷せず、時間が止まったような状態になるのです。」


 スズカが驚きの声を上げる。


「そんなことができるんですか……?」


 ユキナは静かに頷いた。


「ええ。それが私の力。だからこそ、多くの国から狙われました。」



 スズカは息を飲み、ユキナに詰め寄った。


「じゃあ……私の兄も氷漬けにされているんですか?」


 ユキナは一瞬だけ目を伏せ、冷静に答えた。


「はい。あなたの兄も仮死状態で安全に保たれています。」


 スズカはその言葉に息を呑み、手を胸に当てて立ち尽くした。彼女の目には涙が浮かんでいる。


 俺はユキナを見つめながら問いかける。


「それを……解いてくれるのか?」


 ユキナは表情を変えずに答えた。


「それは、あなたたち次第です。」


 俺は眉をひそめ、続けて問いかける。


「次第ってどういう意味だ?お前は何を望んでいる?」


 ユキナは一度深く息をつき、真剣な表情で俺たちを見つめた。


「あなたたちにお願いしたいことがあります。このスノーフォールを、迫り来る脅威から守ってほしいのです。」


「脅威……それは何だ?」


 俺の声が少し硬くなる。


「一つは龍。そしてもう一つ――それと同じくらい憎むべき、ゼファラ王国の者たちです。」



 スズカは衝撃を受けたように口元を抑えた。


「ゼファラ王国……。」


 俺はその言葉を聞くや否や、拳を強く握りしめた。


「ゼファラ王国の者たち……レオンとアイリか!?」


 その名前を口に出すだけで、胸の奥に熱い怒りがこみ上げてくる。俺の拳に力が入りすぎて、手のひらから血が滲みそうだった。


 ユキナは冷静なまま、俺の反応をじっと見ていた。


「詳しいことは分かりませんが、ゼファラ王国は間違いなく、この地を狙っています。そして、彼らを止められるのは、あなたたちしかいないのです。」



 俺はしばらくユキナを睨みつけたが、次第に視線を落とし、深呼吸をした。


「分かった。俺たちが協力しよう。」


 スズカが不安そうな顔でユキナを見つめながら、強い意志を込めて口を開いた。


「ユキナさん……早く兄を助けたいんです。だから約束してください。必ず、全てが終わったら兄を助けてくれるって。」


 ユキナは少しだけ目を伏せ、冷静な口調で答えた。


「私は嘘をつきません。それに、あなたの兄はこの地にとって重要な存在ではありませんでした。むしろ、彼はこの地の事情に否定的な意見を持っていた。それは彼と対峙した時に伝わりました。」


 スズカは驚きと困惑の表情を浮かべる。


「兄が……否定的? でも、それならどうしてここにいるんですか?」


「それは、彼がこの地の現実を変えたかったからでしょう。真実を知るために、彼は自ら選んでここに来たのだと思います。しかし、現実は残酷です。この地では理想だけでは生き残れない。」



 スズカの目には涙が浮かんでいた。彼女は震える声で続ける。


「それでも……兄を助けたいんです」


 ユキナはスズカの真剣な願いを受け止め、静かに頷いた。


「約束します。全てが終われば、彼を助けます。それまで……どうか、あなたたちの力を貸してください。」


 スズカは涙を拭い、真っ直ぐにユキナを見つめた。


「ありがとうございます……!」


 そのやり取りを見守っていた俺は、スズカの肩にそっと手を置き、穏やかに言った。


「大丈夫だ、スズカ。俺が必ず全てを解決してみせる。お前の兄も、ここを救うことも、全て……俺たちでやり遂げよう。」


 スズカは少し驚いた顔で俺を見上げたが、すぐに小さく微笑んで頷いた。


「……はい、ジュラークさん。」


 俺は視線を前に向け、握りしめた拳に新たな決意を込めた。


「助けてくれた人のためにも、俺自身のためにも……この地で待ち受ける全てに決着をつけてみせる。」


 冷たい風が吹き抜ける中、俺たちの旅は、さらなる困難と覚悟を胸に進んでいくのだった。

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