第25話 雪女

 氷の洞窟の中、冷気が容赦なく襲いかかる。俺たちの前に立ちはだかるのは、白い着物を纏った女――雪女としか言いようのない存在だった。彼女の赤い瞳が冷たく輝き、その視線だけで体が凍りつきそうになる。


「ジュラークさん、気をつけて! 地面が滑ります!」スズカが叫ぶ。


 足元は薄い氷で覆われ、移動するたびに滑りそうになる。剣を構え、慎重に歩を進めながら、俺はスズカと連携を取ることに集中した。


「スズカ、俺が前に出る。お前は後方から援護しろ!」


「分かりました!」



 俺は雪女に向かって剣を構え、真っ直ぐ突進した。だが、彼女は微動だにせず、その白い手を軽く動かしただけで、鋭い氷の槍が俺に向かって飛んでくる。


「くっ……!」


 俺は剣を振り、氷の槍を弾き飛ばしたが、その数は次々と増えていく。背後からスズカの光の魔術が俺を援護し、迫りくる氷の槍をいくつか消し去る。


「ジュラークさん、右です!」


 スズカの声に反応しながら、俺は体をひねり、また一つの氷の槍を弾き飛ばした。



 雪女はまるで氷そのものを操るかのように、無限とも思える冷気を生み出している。その冷気は剣を振るうたびに皮膚を刺し、指先を痺れさせる。


「美しい顔して……やることは容赦ないな……!」


 俺は息を切らしながら呟いた。


「美しい……?」


 スズカが少しだけムッとした声を上げるが、すぐに状況に集中し直す。


 雪女は冷たい笑みを浮かべ、低い声で呟いた。


「褒めても何も得られませんよ、外来者。ここはあなたたちのような者が来る場所ではない。」



 俺は剣に力を込め、拳に炎を発生させた。冷気に対抗するには炎しかない。燃え上がる拳を振りかざし、雪女の冷気を打ち破ろうとする。


「燃えろ……!」


 俺が叫びながら拳を振り下ろすと、炎が冷気を押し返す。だが、それも一瞬のことだった。


 雪女が再び冷たい手を動かすと、俺の炎は瞬く間に冷気でかき消される。


「くそ……! この冷気、強すぎる!」



 俺は歯を食いしばりながら、再び構え直した。


 一方でスズカは光属性の魔術で援護を続けている。彼女の光が氷の槍を弾き、雪女の冷気を一部消し去る。だが、その代償は大きかった。


「スズカ、お前の手……!」


 スズカの手が凍傷で赤く腫れ上がっているのに気づき、俺は驚愕した。


「大丈夫です、ジュラークさん……まだ……やれますから!」


 彼女の声には決意がこもっているが、その体は明らかに限界に近づいていた。


 


 雪女がふいに攻撃を止め、その冷たい瞳を俺たちに向けてきた。


「外来者よ。あなたたちは何者で、ここで何を求めているのですか?」


 その問いに俺は剣を構えたまま、冷静に答えた。


「お前こそ何者だ? なぜ俺たちを襲う?」


 雪女は少し微笑みながら名乗った。


「私はユキネ。この氷の世界を守る者。そして、スノーフォールに向かう者たちを選定し、排除するのが私の役目。過去に多くの者が訪れ、この地を荒らしたからです。」


「荒らした……? それは、まさかゼファラ王国の連中のことか?」


 俺が問い返すと、ユキネの表情が一瞬だけ揺らいだ。



「その名を口にするとは……」


 ユキネの冷たい瞳が鋭く光る。


「彼らは確かにこの地を踏み荒らしました。彼らの目的が何であれ、この地には必要のない存在です。」


 その言葉に、俺は彼女の敵意がゼファラ王国に向いていることを確信した。


「ならば、俺たちは敵ではない。俺たちはゼファラ王国の連中を追ってここに来た。スノーフォールで待つ何かを阻止するためにな。」


 ユキネは俺の言葉を聞きながら、一瞬だけ考え込んだように見えた。そして再び微笑む。



「本当にそうなら、証明してみせなさい。この氷の試練を超えられるなら……あなたたちを通しましょう。」


 冷たい風が再び吹き付け、ユキネが手を動かすと、氷の槍が再び俺たちに向かって襲いかかってきた。


「ジュラークさん……どうしますか?」


 スズカが息を切らしながら問いかける。


「決まってるだろう。突破するんだ!」


 俺は剣を振りかざし、再びユキネの冷気に立ち向かった。




 ユキネ――ただ者ではない。

 その圧倒的な冷気と氷の魔術を目の当たりにし、俺は確信した。この女性は並大抵の相手ではない。だが、俺たちはこの先を進まなければならない。この洞窟を突破し、スノーフォールへ向かい、青の龍を討ち、レオンとアイリに再び対峙する――そして、スズカの兄を救うためにも。


 俺は冷たい空気を吸い込みながら、剣を握りしめる。考える暇はない。いや、考えすぎても意味がない。俺は細かい分析よりも力で道を切り開く。それが俺のやり方だ。


「ジュラークさん!」

 スズカの声が響く。その声に応え、俺は一言だけ呟いた。


「炎だ――すべてを焼き尽くす。」




 俺は深く息を吐き、体内の力を炎へと変える。剣の刃が赤く輝き、次第に強い炎を纏い始める。冷たい氷の洞窟の中でも、その熱は異様な存在感を放ち、周囲の冷気を弾き飛ばす。


「ユキネ、この氷の牢獄を突破させてもらうぞ!」俺は叫び、剣を掲げた。


 ユキネは冷たい笑みを浮かべながら静かに呟く。「正面から来るのですか……愚かですね。無駄なことを。」


 彼女が手を上げると、空気が一層冷たくなり、全身を刺すような冷気が押し寄せてきた。彼女の周囲に無数の氷柱が現れ、まるで生き物のように俺に向かって襲いかかってくる。




「ジュラークさん、危ない!」



 スズカの叫び声が響くが、俺は動じない。氷柱が勢いよく突き刺さるように飛んでくる中、俺は剣を振るい、炎の壁を展開して防ぐ。


 だが、ユキネがさらに力を込めた魔術を放つと、冷気が爆発的に強まり、この場全体を覆い尽くした。視界が白い霧に閉ざされ、寒さが骨の髄まで染み込む。


「終わりですか。」


 ユキネの冷たい声が響く。彼女は勝利を確信したように口元を歪める。



 だが、その瞬間――


「終わりじゃない……俺はここで止まらない!」


 白い霧の中から突如現れたのは、炎に包まれた俺の体だった。剣だけでなく、全身が炎の力を纏っている。その熱が冷気を押し返し、霧を一瞬で消し飛ばした。


「なっ……!」


 ユキネの赤い瞳がわずかに揺れる。その一瞬の隙を見逃すはずがない。


「お前の氷を溶かすのは、この俺だ!」


 俺は炎を纏いながら突進し、剣を巧みに操ってユキネとの距離を一気に詰める。彼女が再び氷柱を放とうとするが、その動きはわずかに遅い。


「くっ……!」


 彼女が魔術を完成させる前に、俺の剣が彼女の首元に近づいていた。熱が彼女の白い肌に伝わり、その冷たい表情に焦りの色が滲む。


「ユキネ、終わりだ。」


 俺は静かに言った。



 俺の剣はユキネの首元に届いていた。だが――。


「……!」


 視界の隅に鋭い冷気を感じ、俺はわずかに目を動かした。ユキネの手元から現れた氷の槍が、俺の胸元に突きつけられていた。お互いの攻撃が一歩も譲らず、膠着状態に陥る。


「なるほど……見事ですね。」


 ユキネは冷たく、それでいてどこか感心したように呟くと、そっと手を下げた。それに合わせて氷の槍が霧散する。


 俺も剣を下ろし、緊張を緩めた。戦いはここで終わりだ。


「あなたたちの実力……確かに見せてもらいました。」


 ユキネはゆっくりと頭を下げると、少し柔らかな声で続けた。


「私の負けです。あなたたちを認めましょう。」




「スズカ、大丈夫か?」


 俺が声をかけると、スズカは凍傷で真っ赤になった手を震えながら見せた。その痛々しい姿に、俺の胸に怒りがこみ上げる。


 だが、ユキネが静かにスズカの手を取り、何かを呟いた。彼女の手から淡い冷気が放たれ、それがスズカの手を包み込む。冷たいはずの冷気が、逆にスズカの傷を癒していくのが分かった。


「……ありがとう。」


 スズカは少し驚いた表情でユキネに感謝を伝える。ユキネは微かに微笑みながら答えた。


「私の力を使った以上、治療も責任のうちです。」



 治療を終えたユキネは、俺たちに向き直り、赤い瞳で静かに言った。


「あなたたちを認めます。そして――案内しましょう。この先、スノーフォールへ。」


 俺はその言葉を聞いて目を細めた。ここまでの戦いが無駄ではなかったという安堵と同時に、彼女の言葉の裏に何かを感じ取った。


「ただし……スノーフォールは単なる寒冷地ではありません。そこには希望も、夢もありません。この凍てついた世界を、あなたたちがどうにかしてくれるかもしれない……その可能性に賭けます。」


「希望も夢もない世界……?」


 スズカが小さな声で繰り返す。


 ユキネは彼女の言葉に応えることなく、静かに背を向けた。そして冷たく輝く洞窟の奥を指差しながら、ゆっくりと歩き出す。




 俺たちはユキネの後に続きながら、冷たい空気を胸に吸い込んだ。戦いを通じて、俺たちは一歩前進した。しかし、スノーフォールがどれほど過酷な地であるか、彼女の言葉の重さがそれを物語っていた。


「ジュラークさん……大丈夫ですか?」


 スズカが隣で小さく囁く。


「ああ、大丈夫だ。けど……この先は簡単じゃないな。」


 スズカは頷き、力強く言った。


「それでも、私たちならきっと乗り越えられます!」


 その言葉に、俺は小さく微笑みを返した。


 スノーフォールの厳しさ――そしてその奥にある龍との戦い。それらを越えて、俺たちはまた進む。夢を、希望を取り戻すために。

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