第23話 錯乱

 ゼファラ王国のとある酒場。そこは、王宮の近くに位置するものの、外の喧騒を遮るように静かで落ち着いた雰囲気を持つ場所だった。


 レオンはカウンター席に腰を下ろし、酒を手にしていた。王国の仕事を終えた後、ここで彼はある人物を待っていた。


 グラスに揺れる琥珀色の液体をゆっくりと回しながら、レオンは目を細める。飲む仕草は優雅で、彼の纏う空気には余裕が漂っていたが、その瞳には鋭さが宿っている。




「はーい、お待たせ~」


 軽やかな声が響き、酒場の入り口から姿を見せたのはリールだった。黒いコートを羽織り、余裕たっぷりの笑顔を浮かべている。


 リールは諜報員として各国を回り、その能力を遺憾なく発揮している人物だ。ゼファラ王国の中でも、彼女の情報収集力と柔軟な対応力には一目置かれていた。


「遅いぞ、リール」


 レオンが冷たい声で言うと、リールは肩をすくめた。


「そんなに待たせたかしら? でも、ほら、こうして来てあげたんだから許してよ」


 彼女はレオンの向かいの椅子に腰を下ろし、軽く足を組んで見せた。その態度はいつも通りに見えたが、どこか違和感を覚えるのは気のせいだろうか。




「ジュラークの動きはどうだ?」


 レオンは単刀直入に切り出した。リールは口元に微笑を浮かべながら、手袋を外して指を伸ばした。


「ええ、ちゃんと見てるわよ。最近、彼はさらに鍛錬を積んでいるわ。あの呪いが解けてからというもの、力を取り戻してきてるの」


「……そうか」


 レオンは酒を一口飲みながら、静かに頷いた。その瞳には、冷静な計算が渦巻いている。


「他には何かあるか?」


「スズカと一緒に次の目的地に向かう準備を進めているわね。スノーフォールという極寒の地……青の龍がいる場所に向かうみたいよ」


 その言葉に、レオンの眉が僅かに動いた。


「青の龍か……」


 レオンは一瞬視線を落とし、グラスを回す指を止めた。そして、何かを考えるように小さく息を吐いた。




「ジュラークが脅威になるとは思わないのか?」


 レオンが問いかけると、リールは少し考える仕草を見せた後、微笑を浮かべたまま答えた。


「ええ、なると思うわ。でも、それ以上のことは教えてあげない」


「……どういう意味だ?」


「そのままよ、レオン。彼はあなたにとって無視できない存在になるわ。でも、その時が来るまで楽しみに待っていればいいんじゃない?」


 リールはあっけらかんと答えたが、その目にはどこか影が差しているように見えた。




「お前……何を考えている?」


 レオンはグラスをテーブルに置き、リールの顔をじっと見つめた。その視線には鋭い疑念が込められていた。


「いつもなら、もっと分かりやすい言葉で情報をくれるはずだ。それに、今日はどこか様子がおかしい」


 リールはレオンの視線を正面から受け止めたが、特に動じた様子もなく、軽く肩をすくめた。


「別に嘘はついていないわよ。ただ、全部を教える義理もないだけ」


 その言葉に、レオンは微かに眉をひそめた。


「お前の真意は分からないが……何かを隠しているようにしか見えない」


「ふふ、さあね。レオン、あなたが気にするようなことじゃないわ」


 リールの言葉にはいつもの軽薄さがあったが、どこか奥底に冷たさを感じさせるものがあった。




 レオンはグラスを見つめながら、静かに息を吐いた。リールの情報が信頼できるものであるのは分かるが、それだけでは足りない。


「ジュラーク……次に会うときが楽しみだ」


 そう心の中で呟きながら、レオンは再びグラスを傾けた。


 リールはその様子を満足げに見つめながら、席を立つ準備をする。


「それじゃあ、私はそろそろ行くわね。また何かあったら教えてあげるから、楽しみに待ってて」


 リールは軽やかに手を振りながら去っていった。その背中を見送りながら、レオンは再び静かに考えを巡らせていた。


「何を企んでいる……リール」


 その疑念が消えることはなかった。



 酒場の静かな空気の中、レオンはグラスを置き、じっとリールを見据えた。その瞳には冷たい鋭さが宿っている。


「ひとつ聞いておきたいことがある」


 リールはその言葉に軽く目を細めたが、余裕たっぷりの笑みを崩さない。


「何かしら?」


 レオンは間を置かずに問いかけた。


「俺がジュラークにかけた呪い――それをどうやって解除した?」


 その質問に、リールは一瞬だけ表情を曇らせたように見えた。しかし、それを悟らせないようにすぐに笑顔を浮かべ、首を傾げて見せる。


「あら、それを私に聞くの? 確かに、ジュラークさんが呪いを解いたのは事実だけど、私がやったわけじゃないわよ」


「……ふざけるな。お前が渡した巻物が原因だろう」


 レオンの声には明らかな苛立ちが込められていた。だが、リールはそれを軽く流すように笑う。


「確かに巻物を渡したのは私。でも、それをどう使ったかなんて私は知らないわ。もしかしたら、あのマルベラ王国のスズカ――彼女が何かしたんじゃない?」


 リールの言葉に、レオンの眉が僅かに動いた。


「スズカ……ジュラークについているあの女か」


 リールはグラスの中身を見つめながら、肩をすくめた。


「そう。彼女は魔術に長けているみたいだし、ジュラークさんのために一生懸命だったわよ。私なんかより、彼女がどうにかした可能性の方が高いんじゃない?」



「……本当にそれだけか?」


 レオンの目はリールの表情を鋭く観察していた。だが、リールは相変わらず軽やかな笑みを浮かべ、平然と答える。


「ええ、嘘なんてついてないわよ。少なくとも私が知っている範囲ではね」


 その言葉に、レオンは疑念を拭いきれないまま黙り込んだ。


「お前……本当にジュラークに肩入れしているわけじゃないんだな?」


「肩入れ? そんなことするわけないじゃない。私が興味あるのは面白いかどうか、それだけよ」


 リールは手袋をはめ直しながら、軽い口調で答える。しかし、レオンの鋭い視線はその言葉を簡単には信じていないようだった。



「レオン、そんなに疑うのはあなたらしくないわね」


 リールは立ち上がり、レオンの隣に立つ。その態度には挑発的な余裕が漂っている。


「それに、私があなたに隠し事をしているとでも思ってるの?」


「お前の言葉には常に裏がある。それを知っているからこそ疑っているんだ」


 レオンは冷たい声で答えたが、リールはそれを聞いて満足げに笑った。


「なら好きに疑えばいいわ。でも、ジュラークが呪いを解いたのは事実。これからどう動くか、あなたの方が楽しみなんじゃない?」



 リールが去った後、レオンは一人グラスを見つめていた。


「スズカ……そしてリール……お前たちは何を企んでいる?」


 その問いは、誰にも向けられることなく静かに酒場の空気に溶けていった。



 酒場の奥まった席。リールは足を組み、カウンターで注文した果実酒を手にしていた。赤い液体がグラスの中で揺れ、キャンドルの光を受けて淡い輝きを放つ。


「別に、目的はあるわよ」


 リールはグラスに唇を寄せながら、肩をすくめて答えた。その言葉に本音の一端も感じさせない態度だったが、レオンはそれを気にも留めない様子で酒を傾けた。


「……ただ、個人的な想いがあるとしても、あなたに話すつもりなんてないわ」


 リールは少し視線を鋭くしながら言葉を続けた。


「だって、私はあなたのことが嫌いだから」


 その発言に、レオンは一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに冷たい笑みを浮かべた。


「嫌い? 面白いことを言うな。俺に対して嫌悪感を抱いているのに、こうやって報告に来るのはなぜだ?」


「仕事だからよ。私は優秀な諜報員だもの。プロフェッショナルは個人的な感情に左右されないの」


 リールの軽い口調には微かな棘が混じっていた。


「それに――」


 リールは酒をもう一口飲み、涼しげな笑みを浮かべた。


「あなたも罪な男ね。あのアイリって女に、本当は全然興味ないんでしょ?」


 その言葉に、レオンは鼻で笑った。


「当たり前だ。あれは国のために仕方なく招聘して、俺に振り向かせただけだ」


 そう言い放つレオンの口調には、一片の感情も含まれていなかった。


「最も、あの女の頭の悪さには助けられたがな。素直で純粋で、こちらの計画を疑う余地すら持たない。扱いやすいことこの上ない」


「……最低ね」


 リールは冷たく吐き捨てるように言った。その瞳には明らかな軽蔑が浮かんでいる。


 だが、レオンは気にする素振りもなく、平然と笑った。


「お前に言われる筋合いはないな。性悪女が」


 リールはその言葉に少しだけ表情を緩めた。


「お互い様でしょ? どっちがより性悪か、周りに聞いてみる?」


 二人の間に交わされる言葉は軽妙でありながらも、互いの本質を突き合うような鋭さがあった。


 リールが再びグラスを傾け、果実酒を飲み干すと、立ち上がって軽く髪を整えた。




 酒場の静かな空気の中、レオンはグラスを置き、じっとリールを見据えた。その瞳には冷たい鋭さが宿っている。


「ひとつ聞いておきたいことがある」


 リールはその言葉に軽く目を細めたが、余裕たっぷりの笑みを崩さない。


「何かしら?」


 レオンは間を置かずに問いかけた。


「俺がジュラークにかけた呪い――それをどうやって解除した?」


 その質問に、リールは一瞬だけ表情を曇らせたように見えた。しかし、それを悟らせないようにすぐに笑顔を浮かべ、首を傾げて見せる。


「あら、それを私に聞くの? 確かに、ジュラークさんが呪いを解いたのは事実だけど、私がやったわけじゃないわよ」


「……ふざけるな。お前が渡した巻物が原因だろう」


 レオンの声には明らかな苛立ちが込められていた。だが、リールはそれを軽く流すように笑う。


「確かに巻物を渡したのは私。でも、それをどう使ったかなんて私は知らないわ。もしかしたら、あのマルベラ王国のスズカ――彼女が何かしたんじゃない?」


 リールの言葉に、レオンの眉が僅かに動いた。


「スズカ……ジュラークについているあの女か」


 リールはグラスの中身を見つめながら、肩をすくめた。


「そう。彼女は魔術に長けているみたいだし、ジュラークさんのために一生懸命だったわよ。私なんかより、彼女がどうにかした可能性の方が高いんじゃない?」



 リールは席を立ちかけたが、ふと思い出したように足を止め、レオンを振り返った。その顔には、どこか計算されたような微笑が浮かんでいる。


「そうだ、レオン。一応、味方として言っておくべきことがあるわ。」


「……なんだ?」


 レオンが少し眉を上げながら問いかけると、リールは軽く髪をかき上げながら、わざとらしく間を取った。


「ジュラークには気を付けた方がいいわよ。」


 その名前を聞いた瞬間、レオンの目が鋭く光る。だが、リールは気にも留めず、続ける。


「彼は天才的な剣の腕を持っている。それに、あなた以上のものを持っているかもしれないわ。」


 リールの言葉は、軽い調子ながらもどこか核心を突くものだった。だが、レオンは冷ややかな笑みを浮かべる。


「俺以上? 冗談も大概にしろ。」


「冗談かどうかは、あなた自身が確かめればいいわ。でも、彼がただの剣士ではないことは確かよ」


 リールは笑いながら、グラスを持ち上げて空になったことを確認し、そっとテーブルに置いた。



「まあ、これは忠告。あなたがどう受け取るかは自由よ」


 リールはそう言いながら肩をすくめ、酒場の出口に向かう。その背中には、特有の軽快さが漂っている。


「それじゃあ、私は仕事に戻るわ。面白いことがあればまた教えてあげる。次に会うときまで、気を付けてね、レオン」


 最後にそう言い残し、リールは去って行った。その足音が静かに酒場の空気に溶けていく。


「俺以上だと? そんなはずがない。」


 そう呟くレオンの目には、不快感とわずかな焦りが混じっている。ジュラークという存在が、リールの口から語られるたびに重く心にのしかかるのを、彼自身も自覚していた。


「だが、注意して損はないか……。」





 リールが去った後、酒場に残ったレオンは静かにグラスを置いた。その目には冷たい光が宿っている。


「リールの言葉が錯乱を狙ったものだとしても、俺には通用しない。」


 レオンは内心でそう強く思い、唇を固く引き結んだ。リール――彼女が優秀な諜報員であることは疑いようがない。各地を回り、情報を収集し、任務を確実に遂行する能力は目を見張るものがある。だが――。



「読めない女だ。」


 レオンはグラスの中に残った酒をじっと見つめながら、静かに呟いた。リールの存在にはどうしても完全に信用できない部分があった。彼女の行動や言葉にはどこか裏があるように感じられるのだ。


「優秀な駒ではあるが、駒として扱えない。」


 アイリよりは遥かに使い物になる存在だが、彼女を手駒として完全に動かすのは難しい。リールはあまりにも自由すぎる――そして、それが彼女の最大の武器でもある。レオンはその危険性を理解しながらも、使わざるを得ない状況にあることに苛立ちを覚えていた。



「ジュラークがどうであれ、俺の計画に支障はない。」


 レオンはそう自分に言い聞かせるように考えた。だが、リールの言葉が完全に頭の中から消えたわけではなかった。ジュラークの剣の腕、彼が持つ潜在的な脅威――それらを無視するわけにはいかない。


「リールの言葉に振り回されるほど、俺は甘くない。」


 レオンは椅子から立ち上がり、静かに酒場を後にした。その背中には、確固たる覚悟が宿っている。次の目標に向けて進むその姿は、一切の迷いを感じさせなかった。


「全てはゼファラ王国のためだ。」


 レオンは冷たい夜風を浴びながら、心の中でそう呟いた。疑心暗鬼に苛まれながらも、彼は進み続ける。リールやジュラーク、そしてアイリすらも、レオンにとっては手段に過ぎない。


 彼の視線はただ先を見据えていた――この世界を制するため、そしてゼファラ王国の未来を切り開くために。

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