第22話 本当の幸せ
ゼファラ王国の宮廷の一室。アイリは窓から差し込む柔らかな陽光の中で、赤ん坊を抱いていた。その小さな手が彼女の指にしがみつき、ふにゃりとした笑顔を見せる。アイリの心は満たされていた。
「あなた、可愛いわね。本当に……」
穏やかな声で赤ん坊に語りかけながら、アイリは幸福感に包まれていた。
レオンと婚約し、この子を授かってから、アイリは一つの夢が叶ったと感じていた。幼い頃から望んでいた温かな家庭。それは両親に祝福され、周囲からも認められた形で今ここにあった。
「私は幸せ……本当に幸せよ」
窓から見える青空を見つめながら、アイリは心の中でそう繰り返した。不満は一つもなかった。夫となったレオンは頼りがいがあり、この国を平和へと導こうとしている英雄。そんな彼を支えることができる自分に誇りさえ感じていた。
赤ん坊がぐずり始めると、アイリはすぐにあやした。子供の世話に忙しい日々ではあるが、それでも彼女は時間を作って青の龍討伐のための準備を進めていた。
「私はレオンの力になりたい。それが私の役割だもの」
青の龍――その強大な存在に立ち向かうためには、レオンの力だけでは不十分だ。アイリの「天歌」の力も必要不可欠だった。
赤ん坊をあやしながら、アイリは決意を新たにした。
「レオンの目的は、私の目的。彼と共に歩む。それが私の幸せ……」
強くそう思った。
赤ん坊が突然何かに手を伸ばし、笑い声を上げる。
「どうしたの?」
アイリは子供の目線を追い、テーブルの下に落ちていた小さな紙切れを見つけた。
「……これは……」
危ないと思ってそれを拾い上げた瞬間、アイリの手が止まった。
「あぁ……」
小さくつぶやいた。それは、かつてジュラークからもらった手紙だった。
いつからここにあったのか。どうしてまだ残っているのか――アイリの胸にかすかな動揺が広がる。
手紙を手にしたまま、アイリはしばらく立ち尽くした。窓の外から吹き込む風が髪を揺らし、手紙をそっとなぞるように流れる。
「……もういいわ」
アイリは小さく微笑むと、窓を開け放った。手紙の内容を確かめることもなく、軽く息を吐くように言葉を零した。
「私にはもういらない」
その一言と共に、手紙をそっと手放した。風に乗った紙片はゆっくりと宙を舞い、遠くへと流れていった。
アイリは窓を閉じると、再び赤ん坊を抱き上げた。その小さな命が自分に与えられた全てだと、彼女は思った。
「これでいいの。私はこれでいい……」
だが、消えていく手紙を見送るその瞳の奥には、誰にも気づかれないほんの一瞬の影が宿っていた。
次第に青空が夕暮れに染まり始める中、アイリは子供を抱きながら、未来への決意を新たにする。
「レオン、私……これからもあなたのそばで歩いていくわ」
そう心の中で呟きながら、彼女は静かに部屋の扉を閉じた。
アイリは赤ん坊を抱きながら、窓の外の青空を眺めていた。その柔らかな頬、あどけない寝顔――それを見ているだけで、胸が温かくなり、自然と微笑みが浮かんだ。
「私……幸せよ。本当に……」
小さく呟きながら、アイリは自分がいかに恵まれているかを感じていた。
幼い頃から夢見ていた幸せな家庭――夫となったレオンと、愛する子供。両親もこの結婚を祝福してくれ、不満など一つもない。
だが、ふと、胸の中に小さな痛みのような感覚がよぎる。
弱かった自分――そして、レオンを選んだ理由
アイリは静かに息を吐き、赤ん坊の寝顔を見つめながら、自らの選択について考える。
「私……弱い女だったのよね。だから、レオンを選んだ。それだけ」
ジュラークを裏切り、レオンの元に行った。それが自分の本心だった。
「世の中のことを知らなかった。私は何も分かっていなかった……」
あの頃の自分を思い返すと、どれだけ未熟で無知だったかが思い知らされる。だが、レオンはアイリに「外の世界」を教えてくれた。
「愛する形は人それぞれ違う……だけど、私は今の自分が好き。幸せだって言える」
赤ん坊の小さな手が自分の指を握りしめる感覚に、アイリの胸は再び満たされる。
この子の成長を見届けたい――レオンと共に。そう強く思った。
そんなことを考えていると、ノックの音がして、部屋にレオンが入ってきた。彼は若いながらも、一国を動かす力を持つ男。堂々とした立ち振る舞いと冷静な表情が、彼の威厳を物語っていた。
「アイリ、大丈夫か?」
彼の声は穏やかで、アイリを気遣う優しさが込められている。
「あら、レオン……心配してくれたの?」
アイリが微笑むと、レオンは彼女に少しだけ柔らかい表情を返した。
「いよいよスノーフォールへの準備が整う。お前の体調を確認しておきたかったんだ。無理をするなよ」
その気遣いに、アイリの胸がじんと温かくなる。
「ありがとう、大丈夫! 元気いっぱいよ!」
アイリは元気よく答え、赤ん坊を少し抱き上げて見せた。
「この子もきっと、あなたの活躍を応援してるわ」
レオンは赤ん坊に目を向け、わずかに口元を緩めた。
「レオン、私も全力でサポートするわ。青の龍を討伐して、世界に平和をもたらしましょう」
「アイリ……お前が隣にいてくれると心強い。だが無理はするな」
その言葉に、アイリは頷いた。
「分かってるわ。でも、私にできることは全部やりたいの。それが私たちの子供にも誇れる未来になると信じてるから」
レオンは彼女の言葉を聞きながら、静かにアイリの肩に手を置いた。
「お前がそう思ってくれるなら、それだけで十分だ」
彼の手の温かさが、アイリの心にさらなる決意を宿す。
アイリは窓の外を見ながら、小さく息を吐いた。
「ジュラーク……私は今、幸せよ」
過去のことを思い出しながらも、今の自分の選択を誇りに思うアイリの瞳はまっすぐだった。スノーフォールへ向けて準備を進めるレオンを見送りながら、彼女もまた未来への歩みを進めていこうと決意していた。
「私たちの子供のために……そしてレオンのために……」
そう静かに呟きながら、アイリは微笑みを浮かべて赤ん坊を抱き直した。
ゼファラ王国の宮廷の一室。アイリは赤ん坊を抱きながら、レオンの隣で微笑んでいた。その様子は、まさに幸せそのものに見えた。彼女は満たされた表情で赤ん坊を見つめ、静かに語りかけている。
「この子が元気に成長するように、私も頑張らなくちゃ」
そんな彼女の声が耳に入る中、レオンは心の中で別のことを考えていた。
「ああ、面倒だ……」
アイリが笑顔で語りかける隣で、レオンは冷めた目をしていた。天魔の力。それはゼファラ王国にとって必要不可欠な力。アイリを選んだ理由はただそれだけだ。
「国を動かすために必要だった。ただ、それだけのこと……」
アイリが持つ「天歌」の力は、天魔の力を補完し、より強力な戦力をもたらす。だから、たまたま目をつけたアイリをうまく手なづけ、利用する形で妻にしたに過ぎない。
「正直、子供ができた時点で、この女は用済みだ」
アイリの隣でそう心の中でつぶやくレオンの目には、彼女に対する愛情の欠片も見当たらなかった。
レオンはアイリに視線を向けるふりをしながら、実際にはその先を見据えていた。彼の目に映るのは、アイリではなく、その先にある国家、そして支配の未来だった。
「戦いでも使い物にならない。ぬくぬくと一般家庭で育った女には、この厳しい世界の現実なんて分からないだろう」
アイリが笑顔を向けてくるたび、レオンの心の中には冷たい嘲笑が浮かんでいた。
「俺に抱きついてきて、安心しているつもりなんだろうな……」
アイリがそっとレオンの肩に頭を預ける。彼女は夫に愛されていると思い、満たされた表情を浮かべていた。
だが――その瞬間、レオンの顔には信じられないほど冷たい表情が浮かんでいた。
「本当に、この女は何も知らない……」
レオンは心の中でそう呟きながらも、表向きは優しげな表情を崩さなかった。
「アイリ、君がいてくれるおかげで僕は強くなれる。ありがとう」
その言葉に、アイリは感激したように微笑み返した。
「レオン……私、あなたのためにもっと頑張るわ」
その言葉に、レオンは心の中でまた冷笑を浮かべる。
「……勝手にそう思っていればいい」
彼はそっとアイリの髪を撫でながら、次の戦いの準備について考えを巡らせていた。
レオンの視線は、もうアイリに向けられるものではなかった。彼の目はさらに遠く、国家の未来、そして自らが手に入れるべき更なる力を見つめていた。
「天魔の力を使い、ゼファラ王国をもっと強大なものにする……それが俺の目的だ」
アイリの声や笑顔は、もはやレオンにとって何の意味も持たなかった。ただ彼の計画の一部に過ぎない。
「幸せそうだな、アイリ。だが……俺が求めるものは、その先だ」
アイリが赤ん坊を抱きしめ、幸せそうに笑うその横で、レオンの心には冷たい野心が渦巻いていた。それは、愛情とはかけ離れた、彼自身の目的を果たすための冷酷な計算そのものだった。
レオンは部屋の窓際に立ち、遠くを見つめていた。彼の背後では、アイリが赤ん坊をあやしながら微笑んでいる。その光景は、外から見ればまるで幸せな家庭そのものだった。
だが――レオンの心は冷え切っていた。
「アイリか……」
心の中で名前を呟きながら、レオンは微かに口元を歪めた。彼にとって、アイリという存在はただの道具でしかない。
「全くと言っていいほど興味はないな……」
アイリは自分を愛し、子供を生み、家族としての役割を全うしている。それだけだ。それ以上でも以下でもない。
「夢の中で生きている女だ」
レオンの目には、アイリが現実を見ていないように映っていた。彼女は幸福に浸り、自分の隣に立つことが全てだと信じ込んでいる。
「まあ、その方が都合がいい」
彼は内心で冷たい笑みを浮かべた。
「ジュラーク……」
ふとレオンの脳裏に、かつてのアイリの選択が蘇る。ジュラークと共にいた頃の彼女の迷い。その迷いが、いかに短いものであったか。
「最初は迷っていたが、すぐに俺に心変わりした。全く……酷い女だ」
レオンは冷酷な視線をアイリに向けたが、その表情に気づく者はいなかった。
「だが、それでいい。これからも利用させてもらおう」
アイリが持つ「天歌」の力は、レオンにとって欠かせない武器だった。彼女の能力を駆使すれば、さらに多くの力を得られる。それが唯一、彼がアイリを必要としている理由だった。
レオンは再び窓の外に目を向けた。その瞳には、野心と冷酷な計算だけが宿っている。
「結局、信用しているのはアイリだけだ。それは、この女が俺の掌の上にいるからだ」
アイリが彼に逆らうことはない――そう確信しているからこそ、レオンは彼女を傍に置いているだけだった。
「それで十分だ。もっと利用させてもらおう……お前も、子供も」
彼の心には、家族への愛情など微塵もなかった。ただ、次なる目的のための駒として見ているだけだった。
「アイリ、準備はできたか?」
レオンは振り返り、笑顔を浮かべてアイリに声をかけた。その表情に冷たさを感じさせない演技力は完璧だった。
「ええ、もちろん。私、レオンの力になれるように頑張ります!」
アイリは笑顔で答え、赤ん坊を抱きしめる。その言葉に、レオンは優しく頷いてみせた。
「そうか。それなら安心だ」
だが、その心の中では別の言葉が浮かんでいた。
「お前にはまだ役割がある。そのために俺は進み続けるだけだ……」
レオンの野心は留まることを知らない。彼にとって重要なのは、力を手にし、次なる目標を達成することだけだった。
その先にある未来のために――レオンは冷酷に進み続けていた。
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