第20話 向き合う時と決別
静かな図書室の中、俺は無数の書物が並ぶ棚の前で手を動かしていた。一冊ずつ目を通しながら、目当ての情報を探している。
「龍……何か手がかりがあるかもしれない」
レオンたちと対峙したときの記憶が蘇る。アイリと共に現れたレオン、その背後には、まるで彼に従うかのように巨大な龍の影があった。そして、影の洞窟――そこに潜むとされる「黒の龍」。その存在がただの伝承ではなく、現実に迫る脅威である可能性が高い。
「黒の龍以外にも、他の種類の龍がいるのか?」
その疑問が俺を突き動かしていた。龍に関する情報を集め、それらが何を意味するのかを突き止める必要がある。レオンたちを倒すためには、彼らの持つ力の正体を知らなければならない。
書物を読み進める中で、アイリの名前がふと頭をよぎる。彼女のことを考えない日はない。だが、それだけではない。俺には向き合わなければならないものが、まだ山積みになっている。
「アイリとレオン……だが、それだけじゃない」
俺の中に渦巻く疑念や怒り。ゼファラ王国との戦いに備える準備。そして、スズカが抱く強い想い。すべてが俺を動かし、止まることを許してはくれない。
そんな時だった。書物に手を伸ばし、次のページをめくった瞬間、目に飛び込んできた言葉。
「青の龍」
「青の龍……」
ページには黒の龍とは異なる特徴が書かれていた。その鱗は深い青色をしており、氷や水を操る力を持つという。さらに、黒の龍と対立する存在として語られている。
「対立……黒の龍の力を封じる存在なのか?」
俺はその記述を食い入るように読み進めた。青の龍が本当に存在し、その力が黒の龍に対抗できるなら――。この情報は、俺たちにとって大きな希望になるかもしれない。
しかし、その考えをさらに深めようとした時――。
「ジュラークさん!」
扉が勢いよく開き、スズカの声が図書室に響いた。振り返ると、彼女は息を切らしながら駆け込んできた。その顔には明らかな緊張が浮かんでいる。
「スズカ、どうした?」
「急いで来てください! 大変なんです!」
スズカは俺の腕を掴み、力強く引っ張る。彼女の様子から、尋常ではない事態であることが伝わってきた。
「何があった? 何が起きてるんだ?」
「……レオンとアイリが……ここに来ています!」
その言葉を聞いた瞬間、体中の血が逆流するような感覚が広がった。胸の奥から湧き上がる怒りと悲しみ、そして混乱。様々な感情が押し寄せてくる。
「……レオンとアイリだと?」
拳を握りしめ、歯を食いしばった。なぜこのタイミングで、奴らがここに来る? 何が目的だ?
「ジュラークさん、早く!」
スズカの言葉に、俺は意識を切り替えた。感情を抑えきれない自分がいる。それでも、今は動かなければならない。
スズカの背中を追いながら、俺の中で感情が渦を巻いていた。あの二人――俺にとって、傷の象徴であり、許せない存在。だが、それだけではない。アイリの名前を思い出すたびに、胸の中で苦しみが広がる。
アイリ……お前は何を考えている? なぜ俺の前に現れる?
スズカは振り返り、俺の表情を見て一瞬戸惑ったようだった。それでも、彼女の瞳には迷いがない。俺のために行動しようとしているのが分かる。
「ジュラークさん、大丈夫ですか……?」
「ああ、大丈夫だ」
俺は短く答え、スズカの後に続いた。怒りと悲しみ、そしてわずかな期待――それらが交錯する中で、俺は向き合うべき現実に足を踏み出した。
外に出ると、目の前には予想以上の光景が広がっていた。王国の広場には大勢の人々が集まり、ざわめきと歓声が響いている。その喧騒に紛れ、俺は状況を飲み込もうとしたが、スズカが言葉を絞り出すように説明を始めた。
「ジュラークさん……今日はゼファラ王国との交流会みたいです。そして、あのレオンたちが……」
「交流会……?」
俺は眉をひそめた。ゼファラ王国との交流会。それがどうしてレオンとアイリに関係しているのか。この場に彼らがいる理由が理解できなかった。
人混みの先、壇上に一人の男が立っているのが見えた。その堂々たる立ち振る舞い、そして響く演説の声――間違いない、レオンだ。
「……あいつが何をしている?」
俺は歯を食いしばりながら、スズカの言葉を聞き流し、人混みをかき分けて進んだ。レオンは壇上で何かを演説している。その声は届きにくいが、周囲の人々は彼の言葉に聞き入っている様子だった。
「どうやら……龍を倒したことを祝う祝勝会も兼ねているようです」
スズカが言葉を続ける。それを聞いた瞬間、俺の胸に怒りが湧き上がった。
「……あれは……」
スズカの声に反応して、俺は視線を上げた。そして見えた。壇上のレオンの隣に立つ、忘れもしないその姿――アイリだ。
「アイリ……」
俺は小さく呟いた。彼女の姿を見ただけで、胸の奥が苦しくなる。あの温もりも、微笑みも、今ではすべてレオンの隣にいる。その現実を改めて突きつけられる。
だが、それだけではなかった。
「……赤ん坊?」
俺の目に映ったのは、アイリが抱いている小さな赤ん坊の姿だった。その姿を見た瞬間、心臓が締め付けられるような感覚が俺を襲った。
「ジュラークさん……!」
スズカの声も耳に届かない。ただ、俺は目の前の光景を見つめることしかできなかった。
アイリが赤ん坊を抱いている。その姿はまるで、俺の知る彼女ではなかった。あの柔らかい微笑み、優しさ――それが今、レオンと共に、そして新たな命と共にある。
「……あぁ……」
思わず漏れた声は、自分でも信じられないほど乾いた音だった。何かを言おうとしても声にならない。喉が詰まり、ただ立ち尽くすしかできなかった。
アイリ……お前は、俺のことなど本当にどうでもよかったのか……?
スズカが心配そうに俺を見つめているのが分かった。だが、彼女の声も、その気遣いも、今の俺には届かなかった。ただ、壇上の二人――そして赤ん坊を抱くアイリの姿が胸に突き刺さる。
目の前の光景が、これまでの感情を一気に溢れさせる。怒り、悲しみ、嫉妬――全てが渦巻く中、俺は拳を握りしめた。
「……スズカ、もう少し近くに行くぞ」
「ジュラークさん……!」
スズカの声には明らかな不安が滲んでいる。彼女が俺の行動を止めようとしているのが分かる。それでも、俺は進むしかなかった。この場に奴らが現れた理由を、俺は自分の目で確かめなければならない。
壇上で見える二人の姿――レオンとアイリ。その光景を目の当たりにしながら、俺の心は動揺と怒りで渦巻いていた。
「こんなにも早く再会するとは……」
だが、それも当然だったのかもしれない。レオンの性格を考えれば、奴は計画的に行動する。俺の前に現れるタイミングすら、全て予定通りだろう。わざと俺に見せつけるため、アイリと共にいる自分の「勝利」を知らしめるために。
「いや……それだけじゃない」
俺の目には、アイリとは対照的に幸せそうな笑みを浮かべないレオンの表情が映った。奴の目は、もっと先を見据えているように感じた。アイリを利用しているだけでなく、この場に来た理由が別にある――そう直感させる冷徹な眼差し。
レオンが一瞬視線を巡らせた後、演説を再開した。その声は響き渡り、人々を圧倒するような強さを持っていた。
「今日、この場に集まっていただきありがとうございます。皆様がご存知の通り、私たちゼファラ王国は、龍を討伐し、大陸に平和をもたらしました」
歓声が広場を埋め尽くす。俺はその言葉に苦々しい感情を抱きながらも、黙って聞き続けるしかなかった。
「しかし――新たな問題が発生しました」
レオンの声が低く響いた瞬間、周囲のざわめきが止まった。まるで広場全体が息を飲んだような静寂が訪れる。
「それは……青の龍です」
その言葉に、俺は思わず目を見開いた。ついさっき書物で読んだばかりの存在――「青の龍」。他の龍と対立し、水と氷の力を持つと言われる存在。
「青の龍が暴れています。その場所は……『スノーフォール』」
スノーフォール。その名前を聞いた瞬間、スズカが息を呑む音が聞こえた。スノーフォールは――スズカの兄がいる場所。
「現在、青の龍はスノーフォール周辺を脅かしており、我々だけではその対処が難しい状況です。ですから……このマルベラ王国の皆様にも協力をお願いしたいのです」
レオンの演説を聞きながら、スズカが俺の袖を掴むのが分かった。その手には強い力が込められている。俺が彼女の方を振り返ると、スズカはまっすぐな目で俺を見つめた。
「ジュラークさん……」
彼女の声は震えていたが、意志の強さが滲んでいた。彼女は小さく息を吐き、静かに言葉を続けた。
「大丈夫です。私がいますから」
その言葉に、胸が少しだけ軽くなるのを感じた。スズカの存在が、俺の支えになっているのは確かだった。
「……ありがとう」
俺は短くそう答えたが、心の中では不安が渦巻いていた。青の龍――それがどれほどの脅威なのか分からない。だが、それ以上に、スノーフォールという場所に向かうことが何を意味するのかが気になって仕方がなかった。
壇上で演説を続けるレオンと、その隣で赤ん坊を抱きかかえるアイリ。その姿を見上げながら、俺は拳を強く握りしめた。
「あいつらの言葉に乗るわけにはいかない……だが、俺には選択肢があるのか?」
スズカの兄を助けるために、俺たちはいずれスノーフォールに向かわなければならない。その場所に青の龍がいるという事実が、俺の心に新たな覚悟を促しているようだった。
壇上に立つレオンは、群衆の注目を一身に浴びながら声を響かせていた。その口調には、自信と野心が滲み出ている。
「この天魔の力を持つ私とアイリで、この世界に散らばる龍を倒し、真の平和をもたらしてみせます。それが私の願いです!」
その言葉に、群衆の間から歓声が湧き起こった。しかし、俺の胸には怒りと嘲笑が渦巻いていた。
「人の妻を取っておいて……何を言うか」
レオンの言葉には偽善しか感じられない。
天魔、俺にはない力。レオンとそしてアイリには備わっている。レオンは強力な雷を使用する。そして、アイリは天歌と呼ばれるもので人々を幸せにする。
そんな俺の疑念をよそに、壇上でアイリが一歩前に出た。その姿は、以前の彼女よりも堂々として見えた。アイリは深くお辞儀をし、穏やかな口調で話し始めた。
「皆様、今日はお集まりいただきありがとうございます。私は、隣にいる夫にたくさんのことを教えてもらいました。そして今――その教えを皆様に分かち合いたいと思っています」
その声は静かで、しかしどこか強い意志を感じさせた。彼女の視線が群衆を優しく見渡しながら続けられる。
「この子供にも、平和な世界で育ってほしい。だからこそ、私たちは龍を討伐し、皆様に幸せを届けるために尽力していきます」
彼女が赤ん坊をそっと抱きしめる仕草に、群衆の中から温かい拍手が湧き起こった。
だが、俺の心には別の感情が押し寄せていた。言葉にできない感情――怒り、悲しみ、そして虚しさ。
「……あいつにとって、俺の存在なんてもうどうでもいいんだろう」
アイリの言葉は、かつて俺が知っていた彼女のものとは別物のように聞こえた。その姿も、その微笑みも、今では全てレオンのものだった。
俺は拳を握りしめ、どうにかその場に立ち続けていたが、耐えられなくなった。
「……もういい」
俺はその場を静かに立ち去った。スズカが何か言おうとする声が聞こえたが、俺はそれに応えることなく人混みを抜け出した。
王国の外れにある人気のない場所に辿り着いた時、手の中に握りしめていたものに気づく。それは、かつてアイリとの絆を象徴するもの――結婚指輪だった。
「……これでいい」
俺は指輪を地面に置き、拳を炎で包み込む。熱い光が指輪を飲み込み、金属が赤く溶けていく。
「これで終わりだ」
指輪が完全に燃え尽きた瞬間、俺の胸に張り付いていた何かが消えていくのを感じた。
立ち上る煙を見つめながら、俺は小さく息を吐いた。アイリへの未練、過去の痛み――全てを燃やし尽くした。これで俺は、前を向ける。
「よし……これでいい。俺は俺の目的を果たすだけだ」
スズカのために、彼女の兄を救うために――そして、ゼファラ王国に一矢報いるために。
俺は再び歩き出した。目的を見失うことなく、まっすぐに進むために。
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