第19話 私以外を見ないで下さい
呪いが解かれてから、早くも1週間が経った。体を縛り付けていた重さがなくなり、久しぶりに感じる自由な感覚――それは、まるで何年も封じ込められていた鳥が空を飛び始めるような気持ちだった。
だが、俺には自由を喜んでいる暇はなかった。部屋の片隅に置かれた愛剣を手に取り、俺は黙々と剣を振るっていた。
「剣は使わなければ錆びる。腕も、な」
そう独り言のように呟きながら、俺は剣を振る。リズムよく風を切る音が心地よい。かつて天才剣士と呼ばれていた俺だが、どれほどの才能があろうと鍛錬を怠れば衰える。それを痛感していた。
呪いに縛られていた間、体は思うように動かず、剣も満足に振れなかった。今こうして振り抜けるのは嬉しいが、その分、体に染み付いていた感覚がまだ完全には戻っていないのが分かる。
「……もっと振らないとな」
俺はさらに剣を振り続けた。
だが、鍛錬中も、俺の頭の片隅にはどうしても引っかかることがあった。それは、スズカとの距離感だ。
呪いが解けてから、スズカは何かと俺に近づいてくるようになった。彼女が俺を助けてくれたのは感謝している。だが、最近はその距離感が……少し近すぎるような気がしてならない。
「ジュラークさん、鍛錬のお手伝いをしましょうか?」
スズカの声が俺の背後から聞こえてきた。振り返ると、彼女は木剣を持ち、いつでも準備は万端といった様子だ。
「ああ、助かる。ちょうど一人じゃ物足りなかったところだ」
俺はそう答え、彼女に向き直った。
スズカと向かい合い、木剣を構える。呪いが解けた今の俺には、本来の力が戻ってきている。それを相手に、スズカがどこまで立ち向かえるのか――俺自身、少し楽しみでもあった。
「いきますよ、ジュラークさん!」
スズカが木剣を振りかざし、勢いよく突っ込んでくる。その動きは素早く、正確だ。だが、俺にはそれが見えている。
「まだ甘い!」
俺は木剣で彼女の攻撃をいなすと同時に、一瞬の隙を突いて反撃する。
「くっ……!」
スズカは防御に回るが、俺の動きが彼女の限界を超えているのは明らかだった。数合のやり取りの後、彼女の木剣があっけなく弾き飛ばされる。
「……参りました!」
スズカが息を切らしながら降参の言葉を口にする。その瞬間、俺は木剣を下ろし、彼女に向かって歩み寄った。
「さすがです、ジュラークさん!」
スズカは嬉しそうな声を上げると、そのまま俺に駆け寄ってきた。そして――俺に抱きついてきた。
「お、おい……!」
思わずたじろぐ俺だが、スズカは気にした様子もなく、俺の胸に顔を押し付けている。
「やっぱり、ジュラークさんはすごいです……!」
彼女の声には、心からの尊敬と喜びが込められているのが分かる。だが、問題はそこではない。最近、この距離感がますます近くなっていることが俺を戸惑わせていた。
「スズカ、少し離れろ。汗で汚れてるぞ」
俺がそう言うと、スズカはようやく手を離したが、その顔には満面の笑みが浮かんでいる。
俺はスズカの笑顔を見ながら、内心でため息をついた。
最近、本当に近い……。いや、感謝しているんだが……。
俺の中で整理しきれない感情が渦巻く。彼女が俺のために命を懸けてくれたことは分かっている。それが絆として強まるのも理解できる。だが、これほどまでに急接近されると、どうにも落ち着かない。
スズカは一歩下がると、真剣な表情で俺を見上げた。
「ジュラークさん、次も負けませんからね! 私、もっともっと強くなります!」
その言葉に、俺は小さく笑って答えた。
「楽しみにしてるよ。だけど、鍛錬は一人で十分な部分もある。お前はお前で自分の修行に集中しろ」
「いえ、私がジュラークさんを手伝うんです。だって、私以外の人がジュラークさんの鍛錬を手伝うなんて、嫌ですから!」
スズカは頬を少し赤らめながら、そう言い切った。その一言に、俺は思わず言葉を失った。
スズカの言葉は冗談ではなかった。彼女の真剣な瞳を見ていると、俺は何も返せなかった。ただ――胸の中で妙な感情が膨らんでいくのを感じた。
「……ったく、勝手にしろ」
俺は木剣を肩に担ぎ、背を向けた。鍛錬はこれで終わりのはずだが、体以上に心が妙に疲れているのを感じながら、俺は一歩を踏み出した。
呪いが解けたことで、新たな力を取り戻しつつある俺。
リールとの交戦を終えてからというもの、スズカが俺にさらに近づいてくるようになった。助け合い、戦いを共にした結果、絆が深まったのは分かる。だが、それだけでは説明できないくらいに、最近のスズカは積極的すぎる気がする。
例えば、何かを渡してくれる時だ。わざわざ体を俺に押し付けるように近づいてきたり、顔を覗き込むようにして距離を詰めてくる。それが偶然だとは思えない仕草ばかりだった。
「ジュラークさん、お疲れ様です。水、どうぞ!」
今日もまた、スズカが俺に水筒を差し出しながら、近すぎる距離で微笑む。その柔らかな髪が俺の肩に触れそうなほどの近さに、思わず後ずさる。
「……ああ、ありがとう。でも、そんなに近づかなくても聞こえるぞ」
俺が少し距離を取ろうとすると、スズカは首を傾げながら、どこか困ったような笑みを浮かべた。
「そんなことないですよ。近くにいた方が、ジュラークさんも安心するでしょ?」
「いや、俺は別に……」
俺が言葉を濁すと、スズカは何か思い詰めたような表情になり、ふいに真剣な瞳で俺を見つめてきた。
「ジュラークさん、私……もっと近くにいたいんです」
「……スズカ?」
その突然の言葉に、俺は戸惑った。スズカの瞳は揺るぎない意志を秘めているように見える。
「ジュラークさん、今日は楽しいですね。こうして二人で過ごす時間……私、大好きです」
「そうか? まあ、たまには悪くないかもしれないな」
俺の何気ない言葉に、スズカの表情が少し真剣なものに変わった。
「でも……ジュラークさんが他の人に優しくするのを見ると、少し……嫌なんです」
「……何だ、それは?」
「だって……私、ジュラークさんの隣にいたいんです。他の誰でもなく……私がジュラークさんを幸せにできるって思うんです」
スズカは少し黙った後に。
「私だけ見て下さい。リールみたいな人じゃなくて……私なら、ジュラークさんを幸せにできるんです!」
「……っ!」
思わず言葉を失った。スズカの言葉は、冗談ではないと直感で分かった。彼女の瞳には、どこか切実なものが宿っていた。
「お前……俺は、お前にとっては年上すぎるだろう。それに、俺からしたらお前は娘みたいなものなんだぞ?」
俺は苦笑しながらそう言ったが、スズカはすぐに首を振った。
「そんなの関係ありません! 私は……私はジュラークさんのそばにいることで、もっと強くなれるし……幸せなんです。だから、私だけを見て下さい」
その真っ直ぐな言葉に、俺はますます困惑した。スズカが俺を慕っているのは分かるが、ここまで踏み込んだ言葉を聞くとは思わなかった。
そんなやり取りが続く中、今日はスズカの提案で王国の中を散策することになった。彼女の「リラックスも大事です!」という言葉に押し切られ、俺は剣を置いて街を歩いている。
「ジュラークさん、見てください! あの屋台、美味しそうです!」
スズカが笑顔で手を引きながら、屋台を指差す。その手が俺の腕をしっかりと握っているのが、どうにも落ち着かない。
「おいおい、そんなに引っ張るな。俺は逃げたりしないぞ」
「だって、ジュラークさん、すぐに鍛錬ばかりするじゃないですか。たまにはこうやって一緒に楽しんでくれないと!」
スズカの明るい笑顔に、俺は苦笑しながら歩みを進めた。
散策の途中、ふと俺が周囲に目をやると、スズカがすかさず言葉を放った。
「ジュラークさん、私以外に興味なんて持たないでくださいね?」
「……は?」
突然の言葉に、俺は思わずスズカを見下ろした。彼女は冗談めかした笑みを浮かべているが、その目には本気の光が宿っている。
「だって……他の人に目を向けるなんて、許せませんから」
その言葉に、俺は思わず眉をひそめた。
第19話「私だけ見て下さい」(デート中の会話)
スズカの提案で始まった王国散策。俺にとっては鍛錬を休んで街を歩くなど久しぶりのことだが、彼女の楽しそうな表情を見ると、無下にはできなかった。
「ジュラークさん、あの屋台、面白そうですよ!」
スズカが俺の袖を引っ張りながら、小さな笑顔で手を振る。俺は苦笑しつつも歩みを進めた。
「おいおい、落ち着けよ。俺が逃げるわけじゃないんだぞ」
「だって、ジュラークさん、すぐに鍛錬ばかりするんですもん。こうやって一緒に歩いてくれるの、貴重なんですよ?」
彼女の言葉に俺は肩をすくめた。たまにはリラックスするのも悪くない――そう思っていた。だが、スズカの視線がずっと俺に向けられていることに気づき、どうにも落ち着かない気分になる。
しばらく街を歩いていると、スズカがふいに立ち止まり、俺の顔をじっと見つめてきた。
「ジュラークさん、私、ひとつお願いがあるんです」
「……なんだ?」
その真剣な表情に少しだけ身構えながら答えると、スズカは一歩俺に近づき、小さな声でこう言った。
「私だけを見ていてください。約束してください」
その言葉に、俺は思わず息を呑んだ。スズカの目には、真剣な想いが込められている。それがただの軽い冗談ではないと分かるからこそ、俺は困惑せざるを得なかった。
「……それは約束できない」
俺は少し言葉を選びながら答えた。だが、スズカは表情を曇らせることなく、さらに言葉を続けてきた。
「どうしてですか?」
「お前にはもっと若いやつの方が合うだろう。俺なんかより、近い歳の、普通のやつが……」
スズカは俺の言葉を遮るように首を振った。
「いえ、私は隣にいるジュラークさんがいいんです」
その断言に、俺は完全に言葉を失った。彼女の瞳には迷いがなく、その言葉が本心から出ているのが分かる。
「スズカ……俺には過去がある。それに、お前が俺に向けている想いがどれほど強いのかは分かっているつもりだ。でも――」
「でもなんですか?」
スズカの言葉は強く、俺が何かを言う隙を与えない。彼女の視線はまっすぐで、少しも揺らがない。
「ジュラークさん、私には関係ありません。過去のことも、周りがどう思うかも……私にとって重要なのは、ジュラークさんが隣にいることなんです」
「……」
「リールの時もそうでした。私はただ、ジュラークさんを守りたかった。ジュラークさんが幸せになれるように、私が力になりたかったんです。だから――」
スズカは一歩俺に近づき、再び真剣な表情で言葉を紡ぐ。
「ジュラークさん、どうか私だけを見てください。それが、私の願いです」
俺は返答に詰まり、スズカから視線を逸らした。過去のアイリとの関係が頭をよぎる。俺がどれほどアイリを想い、その想いがどれほど深く傷つけられたか。それを知るからこそ、スズカの言葉をどう受け止めればいいのか分からなかった。
だが、スズカの想いはそれを凌駕するほどの強さを持っている。ここまで真っ直ぐに気持ちをぶつけられると、俺はただ困惑するばかりだった。
「スズカ……」
名前を呼んだものの、何を言えばいいのか分からない。スズカは静かに微笑み、また歩き出した。
「ジュラークさん、あっちに行ってみましょう! 面白そうなお店がありそうです」
彼女の明るい声に救われるような気持ちになりながら、俺は一歩後ろをついて歩き出した。
スズカの背中を見つめながら、俺は心の中で独り言を呟く。
スズカ……お前の気持ちは本当に伝わっている。でも、それを受け止められるかどうかは分からない。
アイリとの過去、俺の未熟さ、そしてスズカの真剣すぎる想い。それらが俺の中で絡み合い、答えを出すのを妨げていた。
だが――その笑顔を見ていると、俺の胸にまた新たな感情が芽生えていくのを感じる。
スズカの気持ちの強さに戸惑いながらも、その言葉が俺の中に深く刻まれた。過去の傷を抱えながらも、俺は少しずつ彼女との関係を見つめ直さなければならないのだろう。
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