第18話 呪いの解除と決意
マルベラ王国の静かな部屋の中で、俺たちは巻物をテーブルに置き、準備を進めていた。スズカは目の前の巻物を睨むように見つめ、眉間に皺を寄せている。その横顔から、彼女の緊張が伝わってきた。
「ジュラークさん、本当にこれを使うんですか……?」
スズカの声には明らかな不安が滲んでいた。
「そうするしかない。リールの言葉が真実かどうか、この巻物で確かめるんだ」
俺の答えに、スズカは視線を落とした。
「……でも、あの女……信用できません」
彼女の声には怒りさえ含まれていた。
「リールがジュラークさんを助ける理由なんて、どこにもないはずです。むしろ……ジュラークさんを苦しめるための罠かもしれません」
スズカの拳が震えているのが分かった。
「そうかもしれない。だが、リールの言葉が全て嘘だとも限らない。だから、慎重に進めるしかないんだ」
俺の言葉にスズカは一瞬目を閉じ、何かを抑えるように息を吐いた。そして、覚悟を決めたように顔を上げた。
「分かりました……でも、もし何かあったら、私が全力で守りますから!」
罠の可能性を警戒しながら巻物を開く
スズカは魔術の呪文を唱え、巻物と周囲の安全を確認した。青白い光が部屋中を照らし、異常がないことを示している。
「特に危険な反応はありません。でも……油断は禁物です」
「そうだな。万が一のことがあっても対応できるように準備しておこう」
俺たちはすべての確認を終え、巻物を慎重に開く準備を進めた。スズカが深呼吸をしてから頷く。
「……開いてください、ジュラークさん」
俺はゆっくりと巻物の封を解いた。その瞬間、部屋の空気が少し変わったような気がした。中には解読が難しい奇妙な文字がびっしりと並んでいる。
「……これは?」
俺が巻物を見下ろすと、スズカがそれを覗き込み、眉をひそめた。
「……古代魔術の文字です。リールが本物を渡してきたなんて……信じられない」
彼女は疑念を押し殺すように呟き、すぐに解読を始めた。スズカの目が文字を追いながら、徐々に真剣さを増していく。
スズカは慎重に呪文を唱えながら巻物に手をかざし、その魔力を丹念に探った。
「……魔力の流れは正常です。でも……何か隠されているかもしれません」
彼女の表情は険しく、額には薄く汗が浮かんでいる。
「ジュラークさん、罠ではありません……これは本物です。この魔術構造は非常に精巧で、呪いを解除するために作られたものだと断言できます」
「本当に信じていいのか?」
俺が確認すると、スズカは少し迷ったようにしながらも頷いた。
「……疑いたい気持ちは分かります。でも、この構造には嘘がありません。リールがどうしてこれを渡したのかは分かりませんが、これは本物です」
彼女の言葉に俺は頷き、スズカに全てを任せることにした。
「分かった。頼む、スズカ」
スズカは巻物を持ち、俺の前に立った。その表情は真剣そのもので、迷いが一切ない。彼女は深呼吸をしてから、呪文を唱え始めた。
「アエテルナ・リベラ……古の鎖よ、断ち切られし時を迎えよ……」
彼女の手から青い光が生まれ、それが俺の体に向かって伸びてくる。その光が胸に触れた瞬間、全身が鋭い痛みに襲われた。
痛みに苦しむジュラークとスズカの必死さ
「ぐっ……!」
体の中を何かが抉るような感覚が広がり、俺は思わず膝をつきそうになった。全身が熱に包まれ、まるで内側から焼かれているようだった。
「ジュラークさん、大丈夫ですか!?」
スズカが心配そうに声をかけるが、俺は苦痛で答えられない。拳を握りしめ、何とか耐えるしかなかった。
「しっかりしてください! 絶対に終わらせますから……!」
スズカは必死に呪文を唱え続けた。その声は震えながらも力強く、彼女の決意が伝わってくる。
「あと少し……絶対に成功させます……!」
スズカの額には汗が浮かび、手は微かに震えている。それでも彼女は諦めることなく、俺に向けて光を送り続けた。
ついにスズカが最後の呪文を唱え終えると、青い光は急速に収縮し、俺の体の中に吸い込まれた。同時に、体を縛り付けていた重い感覚が解けていくのを感じた。
「……ジュラークさん!」
スズカが駆け寄る。その目には涙が浮かんでいる。
「おい、スズカ……俺は平気だ。体が軽い……まるで鎖が解けたみたいだ」
俺が言葉を紡ぐと、スズカはそれを聞くなり俺に抱きついてきた。
「よかった……本当によかった……!」
彼女は俺の胸に顔を埋め、嗚咽を漏らしている。肩を震わせながら泣くスズカの姿に、俺は戸惑いながらもそっと彼女の背中に手を置いた。
「怖かったんです……ジュラークさんが、もし何かあったらって……私、どうしたらいいか分からなくて……」
彼女の声は震えながらも、心の底からの安堵を伝えていた。
「スズカ……泣くなよ。お前がいなければ、これは成功しなかった。お前のおかげだ」
「でも……本当に無事でよかったんです……!」
彼女の涙は止まらなかった。俺は彼女の肩を軽く叩きながら、静かに言った。
「ありがとう、スズカ。お前には感謝してもしきれない」
呪いは解け、俺の体は自由を取り戻した。しかし、スズカの涙を見て俺は改めて感じた――この戦いは、俺一人のものではない。彼女との絆が、新たな力を生み出しているのだと。
スズカが俺に抱きつきながら涙を流している。その表情には、今まで見たことのないほどの安心と喜びが浮かんでいた。彼女の肩越しに、俺はふと自分の手を見下ろした。体を蝕んでいた呪いの痕跡はもう感じられない。
「ジュラークさん、本当に……本当に良かった……!」
スズカの声は嗚咽に混じりながら、心からの喜びを伝えてくる。その言葉が胸に響いた。俺のためにここまで尽くしてくれる人がいる。その事実が、何よりも温かかった。
この呪いは、レオンが仕掛けたものだ。アイリを奪ったあの男の手によって、俺は生きる力すら奪われそうになっていた。身体だけでなく、心も蝕まれ、何度も立ち上がれないと思った。
苦しかった。悔しくて、死んだ方が楽だと思う瞬間もあった。
だが、今――
スズカの涙に濡れた顔と笑顔を見ていると、それすらも報われたような気持ちになる。この戦いを支えてくれた彼女の存在が、どれだけ俺に力を与えてくれたのか、改めて実感する。
そして、リール……。
あの女の存在もまた、俺に混乱と疑問を残したままだ。彼女が俺に呪いの解き方を教えたのは本当だ。それがなければ、俺はここに立つことさえできなかった。
だが――彼女の真意は分からない。何を考えているのか、どこまで俺を弄ぼうとしているのか……。
スズカがあれほど警戒しているのも無理はない。リールの行動の裏にある何かを、俺は見極めなければならない。これは単なる救済ではないのだから。
スズカが俺の胸に顔を埋めながら、泣き笑いの声を上げる。
「ジュラークさん、本当に良かった……! これで少しは楽になりますよね……?」
「……ああ」
俺は彼女の頭に手を置いて、そっと撫でた。これほどまでに自分の無事を喜んでくれる人がいる。それがどれほど救いなのか、言葉では表現できない。
ジュラークの独白
俺はふと、心の中で問いかける。
アイリ――お前は今、どうしてる?
俺のことなんてもう気にも留めていないのか。それとも、何かを思い出す瞬間はあるのか? 俺の側を離れて選んだ道で、幸せにしているのか――それとも……。
どんな答えが待っているのか分からない。だけど、今の俺にとって、それを確かめることはまだ先の話だ。
俺はもう一度、スズカに目を向けた。彼女はまだ涙を流しながら、それでも笑顔を浮かべている。その姿に胸が温かくなる。
辛くて、死にたいと思ったこともあった。何度も立ち止まり、諦めかけたこともある。
だが――こうして俺のために涙を流し、笑顔を見せてくれる人がいる。
それだけで、俺は幸せだ。
スズカが俺の胸に顔を埋め、泣きながら笑っている。彼女の涙は、これまでの苦しみと安堵の結晶だ。その温かさに、俺は胸の奥が締めつけられるような感覚を覚えた。
だが――俺の心はまだ安らぎを覚えるには早すぎた。
俺は静かにスズカの肩に手を置き、彼女の肩を軽く押して顔を上げさせた。その瞳には涙が溜まりながらも、どこか晴れやかな光が宿っている。
「スズカ、泣くのはまだ早い」
「……ジュラークさん?」
スズカが戸惑いの表情を浮かべる。俺は彼女をじっと見つめながら続けた。
「確かに呪いは解けた。本来の力は戻ったかもしれない。だが――俺は天才剣士と呼ばれていた。それに恥じないよう、いや、それを超える力を身につけなければならない。だから、俺はこれで安心するつもりはない」
スズカは驚いた表情を浮かべながらも、俺の言葉を受け止めようとしている。
「俺たちはまだ始まったばかりだ。ゼファラ王国を相手にするなら、中途半端な力では何も成し遂げられない。だから、ここで立ち止まるわけにはいかないんだ」
スズカは少しだけ顔を伏せたが、すぐに拳を握りしめて顔を上げた。その瞳には、さっきまでの涙の影はもう見えなかった。
「ジュラークさん……分かりました。私も、泣いてる場合じゃないですよね」
彼女の決意のこもった声に、俺は小さく頷く。
「そうだ。次はお前の兄を救いに行く――スノーフォールに向かうぞ」
「……はい!」
スズカの声は力強く、それが俺の背中を押すようだった。
そして、俺は改めて、拳を握りしめた。
「ただ兄を救うだけじゃない。ゼファラ王国に少しでも痛手を与える。それが、俺たちにできる最初の反撃だ」
スズカは驚きながらも、その言葉を受け止めるように頷いた。
「兄を助けるだけじゃなく……ゼファラ王国に……」
「そうだ。リールが何を考えているのかは分からないが、俺たちは俺たちのやり方で進む。それが、俺たちが生き延びる道だ」
スズカの表情が引き締まり、その瞳には新たな覚悟が宿っているのが分かった。
部屋の中には、先ほどまで漂っていた緊張感が薄れ、新たな空気が流れ込んでいるようだった。
俺は巻物を丁寧に丸め直し、それをスズカに渡した。
「これを持っていろ。まだ役立つかもしれない」
「分かりました」
俺たちは静かに部屋を後にした。この呪いの解除は、旅の一つの区切りに過ぎない。これから向かうスノーフォールで、さらなる困難が待ち受けているだろう。
だが――スズカと共に進むことで、それを乗り越える力が湧いてくるのを感じていた。
天才剣士としての誇りを取り戻すため、そしてスズカの兄を救うため。俺たちは北へ――スノーフォールを目指す旅を始める。
「ゼファラ王国……レオン、そしてアイリ。お前たちが俺から奪ったものを――取り返すために進む」
俺の中で、燃え盛るような怒りが再び灯る。それを力に変えなければならない。
俺の体は確かに軽くなった。だが、それだけだ。これで終わりじゃない――むしろ、ここからが本当の始まりだ。
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