第17話 新たな情報とリールの目的

 影の兵士たちを消し去ったスズカの光魔術の余韻が、まだ空間に漂っていた。俺は深く息を吐き出し、拳を握りしめたままスズカを見た。


「スズカ……やったな」


 彼女は肩で息をしながらも、微笑みを浮かべた。


「ジュラークさん、無事でよかった……本当によかった……!」


 俺たちは互いに顔を見合わせ、まるで全ての苦難が終わったかのように一瞬だけ安堵に浸った。この戦いを乗り越えられたのは、スズカが光魔術を成功させたからだ。それがなければ、俺たちはきっとここに立っていられなかった。


「お前のおかげだ。ありがとう」


「いえ、私一人じゃ……」


 スズカがそう言いかけた時だった。


「ふふ……甘いわね」


 聞き慣れた冷たい声が響いた。俺たちが振り返ると、木にもたれかかっていたリールがゆっくりと立ち上がっていた。額にぶつけられた俺の頭突きの痕跡が残っているが、彼女の瞳にはまだ冷たい光が宿っていた。


「お前……まだ立てるのか?」


 俺は驚きと警戒を込めて彼女を睨んだ。だが、リールの動きは攻撃的ではなかった。むしろ――どこか奇妙だった。


 リールはゆっくりと手を挙げ、何かをこちらに向かって放った。俺は反射的にそれを受け止める。


「これは……?」


 手にしたのは、古びた巻物だった。その表面には見覚えのない文字がびっしりと書かれている。


「それには、あなたの呪いの解き方が書かれているわ」


 リールが微笑を浮かべながらそう言った瞬間、俺は彼女を睨みつけた。


「信用できるわけがない。どうしてお前がこんなものを俺に渡す?」


 スズカも同じく警戒の色を浮かべた表情でリールを見つめた。


「ジュラークさん、これは……都合が良すぎます。罠じゃないですか?」


「スズカの言う通りだ。お前が俺に手助けする理由なんてないはずだ」


 俺の疑念を無視するように、リールは肩をすくめた。


「そうね。確かに信用できないでしょうね。でも、これはお礼よ。私が面白いものを見させてもらったそのお礼」


「面白い……?」


 俺はさらに眉をひそめた。その言葉の意味が理解できない。


 

 リールは冷たい笑みを浮かべたまま、静かに語り始めた。


「私はゼファラ王国の諜報員だけど、正直言って、王国のことなんてどうでもいいの。あの王たちの野心にも興味はないわ」


「じゃあ、なぜ俺たちを狙った?」


「それは私の娯楽のためよ。あなたたちの戦いは見ていて本当に面白かったわ。特に、あなたが絶望しながらも立ち上がる姿は……私にとって最高のエンターテインメントだった」


 スズカが困惑した表情でリールに声を上げた。


「ふざけないでください! 私たちは命を懸けて戦ったんです! そんなものを娯楽だなんて……!」


「ええ、そうよ。私にとって重要なのは面白いかどうか。それだけ」


 リールは悪びれる様子もなく、あっさりと言い放った。

 その態度に俺もスズカも言葉を失う。


「それに……あのレオンとアイリ、私は嫌いなのよ」


 リールの言葉に、俺は思わず息を呑んだ。


「何だと?」


「ええ、聞こえたでしょ? あの二人は、私の目には偽善者にしか見えない。アイリはただの道具としてレオンに使われているだけだし、レオンは自分の野心のために彼女を利用しているだけ。そんな彼らのために働くなんて……私には無理なのよ」


 スズカが驚いた顔でリールを見つめた。


「じゃあ、どうしてゼファラ王国に従っているんですか?」


 リールは静かに笑みを浮かべ、俺たちを見つめた。その目には、冷たい光が宿っている。


「私は強い方に味方するのよ。それが私の生き方だから」


「……強い方?」


 俺はリールの言葉に困惑した。彼女の目的が分からない。ただの遊びで俺たちを巻き込んだというのか? それとも、俺たちを試していたのか?


「どうして俺たちに呪いの解き方を教える? それが面白いっていうのか?」


 リールは淡々とした口調で答えた。


「ええ、そうよ。あなたたちがこの巻物をどう使うのか、どこまで進むのか――それを見届けたいの。強い者だけが生き残る。それが私の価値観」


 俺は拳を握りしめながら彼女を睨んだ。スズカもまだ警戒を解いていない。



「そうね……面白さだけじゃないわ。レオンとアイリのことを教えてあげてもいいかしら?」


「……どういう意味だ?」


 リールは少しだけ表情を変え、冷たく言い放った。


「あなたの愛したアイリ。あの女はレオンに利用されているのよ。アイリは純粋すぎる……あの男の本性に気付いていない。彼女が王国に与しているのも、全てレオンの計画の一部に過ぎないわ」


 その言葉に、俺は息を呑んだ。アイリが利用されている――その言葉が信じられない。


「……嘘だ。そんなはずはない」


 俺の声は震えていた。アイリが俺の元を去ったのは彼女自身の意思だと思っていた。だが、リールの言葉が頭の中で反響し、過去の出来事が疑念として浮かび上がる。


「お前がわざわざそれを俺に教える理由はなんだ?」


 リールは俺の問いにすぐに答えた。


「簡単よ。それを聞いた時のあなたの反応が面白いから」


「……ふざけるな!」


 拳を握り締めて叫ぶ俺を見ても、リールは全く動じない。それどころか、彼女の笑みはさらに深くなった。


「それに、私には信念があるの。私は強い方に味方するだけ。今のあなたたちはまだ弱い。でも、もしあなたたちがゼファラ王国にとって脅威になれる存在に成長したら――その時は、協力してあげてもいいわ」


「そんな言葉、信じられるか!」


 俺の叫びに、スズカが追い打ちをかける。


「都合が良すぎます! あなたが私たちに味方するなんて、信用できません!」


「そうかしら?」


 リールは笑いながら、俺たちを見つめた。


「信じられないならそれでもいいわ。ただ……その巻物だけじゃない。私はもう一つの情報を持っているわ。スズカ、あなたの兄の居場所もね」


「……なに?」


 スズカの表情が一変した。彼女は驚きと共に、強い怒りを滲ませた目でリールを睨みつけた。


「兄の場所を……知っているんですか?」


 リールは肩をすくめながら言った。


「ええ、スズカ。あなたのお兄さんの場所、教えてあげる」


 スズカは息を呑んだ。彼女の手が小さく震え、声がかすれる。


「兄の……場所を……?」


「そう。今、彼はゼファラ王国にはいないわ。北の寒い街――『スノーフォール』という場所にいるの。何か重要なことをしているみたいだけど、詳細は分からない」


「スノーフォール……そこはどんな場所なんだ?」


 リールは俺の問いに対し、少しだけ真剣な表情を浮かべた。


「一言で言えば、生きて帰れる保証のない場所。雪と氷に閉ざされた極寒の地で、ゼファラ王国の管理下にある重要な施設があると言われているわ。でもね――その施設に近づけた者は誰も戻ってきていないの」


 その言葉に、スズカの顔がさらに強張る。


「兄は……無事なんですか?」


「無事かどうかは知らないわ、そんなのどうだっていいし」


 リールの言葉は事実として理屈が通っているが、その冷徹な口調が、スズカの心を深く抉るのが分かった。


「でも、あなたがそこに行けば分かるかもしれない。それを信じるかどうかは、スズカ……あなた次第よ」


 スズカは拳を握りしめ、眉を下げたまま唇を噛んだ。リールの言葉が真実かどうか分からないが、彼女にとってはそれが唯一の希望だった。



 スズカは拳を握りしめ、下を向いた。肩が小刻みに震えているのを見て、俺は声をかけようとしたが、彼女が先に口を開いた。


「……本当に兄がそこにいるなら、私、絶対に助けに行きます」


 その言葉には、強い決意が込められていた。だが、その声の震えが彼女の中にある不安を物語っていた。


 リールはそれを見て楽しそうに微笑む。


「いいわね、その意気。だけど気をつけて――スノーフォールで何が待っているかは分からない。そこであなたたちが私を楽しませてくれるのを期待しているわ」


 そしてリールはさらに話を進める。



「それと、もう一つ忠告してあげる。この洞窟には、今は入らない方がいい」


「……どういう意味だ?」


 リールは微笑みを崩さずに説明を続けた。


「そこには『黒の龍』が住み着いているのよ。この国でも最強クラスの存在ね。あなたたちが今挑んだら、命を落とすだけ」


「黒の龍だと……?」


 俺の頭の中に、黒の龍に関する伝承が蘇る。それは王国の最深部で語られる神話の一つだ。


『黒の龍はかつて、大陸全土を恐怖に陥れた存在。人間の軍隊が幾度となく討伐を試みたが、誰一人として戻らなかった。その黒い鱗はどんな刃も通さず、吐き出す闇は光すら飲み込む。』


 伝承に語られるその龍が、今も生きている――それが事実ならば、リールの言葉を軽視するわけにはいかない。


「黒の龍……本当か?」


 リールは余裕の笑みを浮かべながら頷いた。


「ええ、本物よ。体長は30メートル以上、全身を漆黒の鱗で覆い、炎ではなく純粋な闇を吐く。しかも、ただの龍じゃない――知性を持ち、こちらの動きを読み取るほどに賢いわ」


「そんな……」


 スズカが言葉を失うのを感じながら、俺はリールを睨んだ。


「その龍をお前は見たことがあるのか?」


 リールは軽く肩をすくめた。


「もちろん。生き延びられたのは私の素早さのおかげかしらね。その龍の目を見た瞬間に悟ったの。『この場に留まったら死ぬ』って」


 彼女の軽い口調とは裏腹に、その瞳には一瞬だけ恐怖の色が浮かんだ。

 それが嘘ではないと直感する。



 俺の胸に冷たい感覚が広がる。スズカも息を呑んでリールを見つめた。


「なら、なぜこの洞窟を目指すように仕向けたんだ?」


「別に。あなたたちがどう動くか見たかっただけよ……龍は私も倒したい存在だったし、でも呪いを解くだけならあなたたちも必要ないでしょ? この洞窟に挑む必要も」


 リールは無邪気な笑顔を浮かべながらそう言ったが、その瞳の奥には底知れない悪意が宿っていた。


「お前は……俺たちを試しているのか?」


 俺が問いかけると、リールは満足げに頷いた。

 俺の言葉に、リールは冷たい笑みを浮かべたまま肩をすくめた。


「それもあるけど、 私は――あなたが好みだから」


「……は?」


 俺は一瞬、耳を疑った。だがリールは真面目な顔で続けた。


「あなたの顔も体つきも、私の好みにピッタリなの。強くて荒々しいところも、私にはたまらないわ」


「……なんだそれは。ふざけているのか?」


 俺が困惑している横で、スズカが怒りを込めた声を上げた。


「冗談でもやめてください! ジュラークさんをからかうのは!」


「からかってなんていないわ。私は正直なだけ。まあ、こんな立派な男が呪いに苦しめられているのは見ていてもったいないし……助けてあげたくなるのも当然でしょ?」


 リールはスズカの怒りを全く意に介さず、満足そうに笑みを浮かべる。


「信じるかどうかはあなたたち次第。でも……私はあなたたちに期待しているのよ、ジュラーク」



「さあ、そろそろ私は行くわ。この続きはまた次の機会にしましょう」


 彼女は軽く手を振り、影に溶け込むように消えかけた――だが、直前でふと足を止めた。わずかに振り返るような仕草を見せ、その瞳で俺をじっと見つめる。冷たさと挑発的な光が宿ったその目に、俺は思わず拳を握りしめた。


「ジュラーク、私を失望させないでね。あなたにはまだ、もっと面白い姿を見せてもらわないと困るわ」


 その声は低く、だが確実に俺の心を刺してきた。リールは巻物をちらりと指さしながら続けた。


「その巻物が真実かどうかなんて、あなたの行動次第よ。強くなるか、挫けるか――あなたがどう選ぶかで運命は決まるわ。私は、強い男を見るのが好きなの」


 彼女の唇に浮かぶ微笑みは、まるで勝利者のようだった。


 リールは再び体を影に沈めるように動き出す。その輪郭が徐々に薄れていく中、彼女の声だけが最後に響いた。


「さあ、次はどんな物語を見せてくれるのかしら? 楽しみにしているわ――ジュラーク」


 影の中に完全に姿を消したその瞬間、辺りに漂っていた彼女の気配すら霧散した。それは、リールが単に去っただけではなく、あらゆる存在の痕跡をも消し去ったかのようだった。



 静けさが戻った洞窟の前で、俺は握りしめた拳をゆっくりと解いた。だが、その手のひらには、リールの残した挑発の言葉が今も焼き付いている。


「ジュラークさん……あの人、何なんでしょう?」


 スズカが震える声で問いかけた。俺は深く息を吐きながら答える。


「分からない。だが……あの女の言葉が真実かどうか――確かめるのは俺たちの役目だ」


 スズカは少し迷うような顔をしてから、小さく頷いた。


 そして巻物を手にした俺は、それを開こうとするスズカを制した。


「待て。今はまだ信じるかどうか分からない」


 俺は巻物を見つめながら呟いた。


「スノーフォール……スズカ、お前はどうする?」


「兄を……助けに行きます。それが真実かどうか確かめるためにも」


 スズカは目を閉じ、震える拳を握りしめた。彼女の声には強い決意が込められていた。

 彼女の瞳には、迷いのない光が宿っていた。俺は深く息を吐き、巻物を握り直した。

 しかし、スズカは顔を下に向けたまま、唇を噛みしめて小さく呟いた。


「兄を……助けたい。だけど、もし間に合わなかったら……もし、罠だったら……」


 その言葉は彼女自身にも言いたくなかったものだろう。スズカの拳が震え、涙が一筋こぼれ落ちる。


「私は……信じたいんです。兄が無事だって。でも、信じたことで失敗したら……私、どうしたらいいか分からない……」


 俺はスズカの肩に手を置いた。その瞬間、彼女の体が小さく跳ねたが、俺はできるだけ落ち着いた声で言った。


「スズカ……お前が不安に思うのは当然だ。だけど、今はその情報を信じるしかない。他に道はないんだ。たとえ罠だったとしても、確かめることで前に進むしかない」


 スズカは顔を上げた。その瞳にはまだ揺れる不安が見えたが、同時に少しだけ決意の光が戻っているように感じた。

 スズカは小さく頷き、震えを抑えるように深呼吸をした。そして、もう一度拳を握りしめた。


「……兄を助けに行きます。それが罠でも、何が待っていても……私がやらなきゃいけない」


 その言葉には確かに決意が込められていた。だが、彼女の声の端にはまだ不安が残っている。それでもスズカは、その不安を押し殺すように顔を上げた。


「ジュラークさん……一緒に来てくれますか?」


「当たり前だ。俺はお前を一人にはしない。兄を助けるなら、俺たちで一緒にやる。それが俺たちの選んだ道だろう」


 その言葉に、スズカの表情が少しだけ和らいだ。だが、その瞳の奥に潜む不安が完全に消えることはなかった。それでも彼女は、足を前に踏み出そうとしている。


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