第13話 呪いを解くために
暗がりの部屋に、俺は一人で腰を下ろしていた。窓の外から差し込むわずかな月明かりが、無機質な部屋の中に淡い影を作り出している。俺はベッドに背中を預け、高い天井を見上げながら、深いため息をついた。
アイリの姿が脳裏に浮かぶ。彼女の笑顔、暖かな声、優しい仕草。俺たちはいつも一緒だった。彼女は俺にとって、全てだった。両親を失った俺にとって、アイリは唯一無二の「家族」だった。彼女がいるからこそ、俺は戦い続けることができた。剣を握り続ける理由も、彼女の存在だったんだ。
だけど今は違う。アイリはもう、俺の隣にはいない。レオンと共に、別の道を歩んでいる。
俺は瞳を閉じ、アイリと過ごした幸せな日々を思い出す。俺たちが誓った未来、共に作ろうとした時間……。
それらが、一瞬で崩れ去ったあの日。彼女の「ごめんなさい、ジュラーク」という言葉が、まるで呪いのように頭の中で何度も繰り返される。あの時の彼女の目には、迷いや後悔が確かに映っていたはずだ。それでも、彼女は俺の元を去った。
「どうしてだ……アイリ」
俺は自分の手を見つめた。火傷の跡がまだ生々しく残っている。レオンの呪いによって、剣を握る力さえ失ってしまったこの手。かつてはアイリを守るために振るっていた剣が、今はただの無意味な鉄の塊になってしまった。
「天才剣士」と呼ばれた俺。人々から称賛され、剣の技術を誇っていた時代があった。でも、今の俺には何も残されていない。失われたものは、剣だけじゃない。俺の心の中には、ぽっかりと大きな空白が生まれてしまった。それを埋めるものは、もうどこにもない。
「俺が王国までアイリを迎えに行っていれば、何かが変わったのか……?」
自問しても、答えは出ない。何度も王国の門を叩いた。何度も断られた。その理由が、レオンにあったのだとしても、今さら悔やんだところで何も変わらない。
「繋がりがないから、私の気持ちはわからない」。アイリの言葉が、俺の胸に突き刺さる。俺は両親を失った。だからこそ、アイリとの繋がりに全てを賭けていたんだ。それでも、アイリにとって俺は「家族」ではなかったのか?
俺は目を閉じ、息を吐き出した。涙が滲む。悔しさ、悲しさ、そして、何よりも強いのは、諦めに似た絶望感だ。もう、何をしても元には戻らない。アイリとの未来は消え去ってしまったんだ。
「……もうどうでもいい」
そう呟いた瞬間、俺の中で何かが壊れた。希望も、愛も、全てが砂のように崩れていく感覚。俺には、もう何も残されていない。ただ、スズカの優しさだけが、俺をかろうじて現実に繋ぎとめている。それが、また辛い。
「スズカの気持ちには応えられない」。そう分かっていても、彼女の支えがなければ、俺は今すぐにでも消えてしまいたいと感じるほどだ。俺はベッドに倒れ込んだ。重い体、何もかもが疲れ果てている。
「アイリ……俺はまだ、お前を愛している」
声に出して、そう言わなければ、この感情が消えてしまいそうだった。胸に手を当てる。痛みは消えない。それでも、この痛みが、俺がまだ生きている証だと感じた。
「アイリ、俺は……」
スズカは部屋に入ってくると、俺の顔を見てすぐに異変に気づいた。彼女の瞳には、いつもの元気さとは違う、深い悲しみが宿っている。
「ジュラークさん、大丈夫ですか?」とスズカが優しく問いかけてくる。
俺は答えられずに、ただ黙って彼女の顔を見つめた。アイリへの想いが胸に渦巻いて、何も言えなかった。そんな俺を見て、スズカはそっと近づき、俺の手を優しく握った。その手の温もりが、まるで俺の心の冷たさを溶かそうとしているかのようだった。
「ジュラークさん、泣かないでください……」スズカの声は震えている。彼女は俺のことを、本当に心から心配しているんだ。
「俺はもう……何もできないんだ。剣を握ることさえできないし、復讐も果たせない。アイリも、もう戻ってこない……」
そう言って、俺は目を閉じた。過去の栄光も、未来の希望も、今の俺には何一つ残されていない。それを痛感する度に、胸が締め付けられるように苦しかった。
スズカは、そんな俺の手をさらに強く握りしめた。その握り方には、ただの慰め以上の感情が込められていた。彼女は涙を浮かべながら、俺の目をまっすぐに見つめて言った。
「ジュラークさん、私はあなたがどんな状態でも、あなたを支えます。呪いなんて、絶対に解いてみせますから……だから、私を信じてください」
その言葉には、強い決意が感じられた。スズカの瞳の奥には、まるで燃えるような情熱が宿っている。その情熱は、ただの忠誠心ではない。彼女の心には、もっと深く、もっと強い「好き」という感情が根付いているのだと、俺はようやく気づいた。
「スズカ……お前は、俺なんかにそこまで……」
俺の声はかすれていた。彼女の純粋な愛情に、俺はどう応えていいのか分からなかった。こんなにも弱く、惨めな自分が、彼女の想いを受け入れる資格があるのか。
スズカは微笑んで、俺の顔にそっと手を添えた。その指先が、火傷の痕に触れる。その触れ方は、まるで壊れたものを慈しむような、優しさと愛に満ちていた。
「ジュラークさん、私はあなたが好きです。あなたがどんなに傷ついても、どんなに苦しんでも、私はあなたのそばにいます。だから、もう自分を責めないでください」
彼女の告白に、俺は驚き、言葉を失った。スズカの表情は真剣で、その目には涙が溢れている。彼女の気持ちは、俺の心に深く染み込んでくる。それは、俺がアイリに抱いていた想いと同じくらい、いや、それ以上に強い感情だったのかもしれない。
「スズカ……」
俺は震える声で彼女の名前を呼んだ。彼女の手が俺の頬に触れて、その温かさが、俺の心の氷を溶かしていくようだった。
「ジュラークさん、私はあなたのためなら、どんな困難でも乗り越えます。だから、呪いを解くために、一緒に頑張りましょう。あなたがまた剣を握れるようになる日まで、私が支えます」
彼女の言葉には、揺るぎない決意が感じられた。スズカはただの優しい少女ではない。彼女は俺のために、何かを犠牲にしてでも、俺を救おうとしている。
「スズカ……ありがとう。でも、お前の気持ちに俺は……」
俺が言い終える前に、スズカは俺の唇に人差し指を当てて、静かに微笑んだ。
「今は、私に任せてください。ジュラークさんはただ、私を信じてくれればそれでいいんです」
その言葉と共に、スズカは俺にそっと抱きついてきた。彼女の体温が、俺の冷たい心を温めてくれる。俺は、ゆっくりと彼女の背中に手を回し、その温もりを感じた。
「スズカ……お前がいてくれて、本当に良かった」
俺はそう呟き、目を閉じた。少しだけ、過去の痛みが和らいでいくのを感じた。スズカの愛情が、俺の心の傷を少しずつ癒していくようだった。
スズカの温もりに包まれて、俺はしばしの間、現実を忘れていた。彼女の抱擁は、今の俺にとって唯一の救いだった。けれども、胸の奥に沈んだ暗い感情は消えない。アイリへの想い、失われた未来、そして呪いに縛られたこの体。それらは重く、俺の心を苦しめ続ける。
「ジュラークさん、私は絶対にあなたの呪いを解きます。それができなければ、私の気が済みません」
スズカの声は力強く、まるで決意の炎が灯っているかのようだった。俺は彼女の言葉に小さく頷いた。
「でも、どうやって……?」俺は虚ろな声で問いかける。呪いを解く方法など、俺には見当もつかない。それほどにレオンの魔術は強力で、俺の体と魂を絡め取っている。
「それをこれから探しましょう」
スズカは明るく言った。
「私たち二人でなら、必ず見つかります」
スズカはそう言い切って、俺の手を握りしめた。その目には、疑いの色は一切なかった。彼女の信念が、俺の心に一筋の光を差し込む。
「お前は、本当に強いな……」
俺は少し笑みを浮かべた。
「ジュラークさんがいるからです。あなたが私にとって、唯一の希望だから」
スズカの言葉に、俺は心の奥底で揺れ動くものを感じた。彼女のその純粋な愛情が、俺には眩しすぎて、受け止めきれない自分が情けなかった。俺はかつて、剣を振るうことでしか自分の価値を見出せなかった。それが今、ただ優しさに甘えているだけの男になり下がっている。
「スズカ、俺はお前の期待に応えられるだろうか……?」
俺の問いに、スズカは強く頷いた。
「もちろんです。ジュラークさんならできます。私が信じています」
彼女の言葉は、俺の心に小さな灯火を灯した。スズカのその信頼を裏切るわけにはいかない。どれだけ落ちぶれても、彼女の目にはまだ俺が「天才剣士」として映っているのだ。
「……ありがとう、スズカ。お前がいるから、俺も立ち上がれる」
俺はそう言って、スズカの手を握り返した。彼女の手は小さく、でもその温もりは確かだった。俺は、もう一度前を向いて歩き出す覚悟を決めた。
「まずは手がかりだ。どこに行けば、この呪いを解く方法が見つかるんだ?」
「実は、情報があります」
スズカが少し得意げに言う。「王国の北にある『影の洞窟』です。そこには古い秘術が眠っていると、古い文献に書かれていました」
「影の洞窟……」
その名前を聞いた瞬間、俺の脳裏に一つの記憶が蘇った。
「覚えているかもしれない。俺がまだ若かった頃、修行の途中で一度だけ足を踏み入れたことがある」
スズカは目を輝かせた。
「さすがです、ジュラークさん! やっぱり頼りになりますね!」
そう言って、彼女は再び俺に抱きついてきた。
「お、おい、スズカ……」
俺は少し戸惑いながらも、その抱擁を受け入れた。こんなにも自分を信じてくれる存在がいることが、心の底から嬉しかった。
「影の洞窟に行けば、呪いを解く方法が見つかるかもしれません。それに、龍についての手がかりも得られる可能性があります」
「龍……」
その言葉に、俺の心は激しく揺れ動いた。龍は俺の両親を奪った存在であり、俺の復讐の対象でもある。その手がかりが得られるならば、行かない理由はない。
「よし、決まりだな。俺たちは『影の洞窟』に向かう」
俺はそう言って立ち上がった。久しぶりに体が軽く感じる。この一歩が、新たな道の始まりになるかもしれない。スズカが隣で嬉しそうに微笑んでいる。
「ジュラークさん、きっと大丈夫です。私たちなら、どんな困難も乗り越えられます」
スズカのその言葉が、俺の背中を押してくれる。そして、俺たちは共に決意を新たにした。
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