第10話 繋がりがあるからこそ 

  レオンは、混沌とする状況の中で冷静な声で俺に問いかけた。


「あなたは王国の出迎えを拒否しながら、なぜ違う王国の者にお世話になっているのですか?」


 スズカはすぐにレオンに「黙って!」と反論するが、レオンは気にせずに続けた。


「そもそも、あなたが素直に王国に来れば、ここのアイリも離れる必要はなかったんですよ」


 俺はその言葉に、何かを思い当たる節があった。確かに、アイリとは違う。彼女は優秀な家柄出身で、辺境の村出身の俺とは違う。


 レオンの言葉に、俺は何も言えなかった。それは、心のどこかで分かっていた事実だったからだ。


 そして、アイリが静かに口を開いた。


「……ジュラーク、話したと思うけど、王国での2年間は私も辛かったのよ。両親もそこで一緒に暮らしていたからずっと……言われ続けたの、ここで暮らしなさいとね」


 アイリの言葉に、俺はただ黙って聞いていた。彼女の言葉からは、ある種の悲痛さが感じられた。

 そのとき、俺は思い出した。既に龍はレオンとアイリ、そして精鋭の王国の騎士たちに倒されていたのだ。

 俺は、倒れた龍を見た。かつての俺の復讐の対象が、今はただの死んだ魔物となっている。


 「こんなことになるとは……」


 俺の声は震えていた。あれほど恐ろしく、強大だった龍が、今はただの死骸になっている。その事実に、俺は何か感じることができなかった。


 レオンは満足げに微笑んでいた。彼にとって、龍を倒すことは、ただの任務だったのだろう。でも、俺にとっては、それが全てだった。


 「レオン……お前たちがここに来た理由は何だ?」


 俺の声は、疲労と混乱で荒れていた。レオンとアイリがここにいる意味が分からなかった。彼らは何を求めて、ここに来たのか?


 レオンは俺の方を見て、冷ややかに答えた。


「僕の目的は、ただ龍を倒すことだけです……それ以外には興味ありません」


 俺はその言葉を聞いて、何かが心の中で壊れたような気がした。俺の復讐は、もう達成されてしまっていた。だけど、それによって何も解決されていない。

 スズカは俺の隣で黙って立っていた。彼女の顔には心配の色が浮かんでいた。彼女は俺を支えようとしているが、俺はどうしていいか分からなかった。


 そして、俺はアイリの方を見た。彼女の表情は読めなかった。彼女の心はどこにあるのだろうか?


 「アイリ……俺たちはもう……」


 俺の言葉は途切れた。もう何を言っても無駄なのかもしれない。アイリとの間には、もう戻れない距離が生まれていた。


 レオンとアイリの前に立ち、俺はただ、彼らを見つめていた。今の俺には何もできない。ただ、俺の中の何かが、まだ彼らに何かを訴えかけようとしている。



 その中で、俺の目の前に横たわる龍は、昔俺が見たあの龍とは似ているようで、いくつか違っていた。色は黒く、目も赤いはずだったが、この龍はそうではなかった。羽の大きさや、その他の特徴も異なる。この龍は、俺の記憶の中の龍とは別の存在なのか?


 そのとき、アイリがまた口を開いた。


「なんで来てくれなかったの? 私のことが本当に好きなら、王国まで見に来てくれるはずなんじゃないの?」


 アイリの言葉に、俺は思わず言葉を失った。心の中では、アイリへの心配で何度も王国を訪れようとしたことがあった。王国は好きではなかったが、アイリのためならと思った。しかし、毎回断られていたんだ。


 「お前が言う通り、俺は何度も王国に行こうとした……でも、毎回門前払いだったんだ」


 俺はアイリの言葉に反論した。当時は、一人の村人が簡単に王国に入れるような時代ではなかった。それに、俺はある疑念を抱いていた。


「お前たち、というかお前が原因だろう……レオン」


 俺の視線はレオンに向けられ、怒りに満ちた目で彼を睨みつけた。この状況を作ったのは、レオン、そして王国の連中だ。


 「クソみたいな趣味を持ち合わせている……お前は、どこまで俺を試すつもりだ?」


 俺の声には怒りが込められていた。彼らの行動が、俺の人生を狂わせた。そして、今、俺の前には瀕死の龍がいる。この龍が本当に俺の復讐の対象なのか、俺にはまだ確信が持てなかった。


 「俺の人生を壊したのは……お前だ」


 俺はレオンとアイリを睨み続けた。彼らの存在が、俺の心を乱す。俺はただ、過去の復讐を果たすことしか考えられなかった。でも、今の俺には、それを成し遂げる力がない。


 スズカが俺の横で静かに立っていた。彼女は何も言わず、ただ俺を支えてくれていた。俺はスズカの存在に感謝しつつも、自分の無力さを痛感していた。


 「スズカ……俺は、どうすればいいんだ?」



 俺は小さな声で彼女に尋ねた。弱音を吐くなんて自分らしくもない。

 スズカは俺に微笑みかけ、優しく手を握ってくれた。


 「ジュラークさん、あなたはまだ戦えます! 私がそばにいますから」


 スズカの言葉に、俺は心のどこかで安堵した。彼女の支えがあれば、俺もまだ戦い続けられるかもしれない。でも、その戦いがどこへ向かうのか、俺にはまだ分からなかった。


 しかし次のアイリの言葉が、俺の耳にまともに突き刺さる。


「でも、やっぱり両親も居なくて、繋がりがないあなたにとって私の気持ちはわからないか……」


 その言葉で、俺の堪忍袋の緒が切れた。怒りが湧き上がり、俺の体が熱くなるのを感じた。


 「なんだと……? 俺にはお前の気持ちがわからないだと?」


 俺の声は怒りに震えていた。アイリが言う「繋がり」については、彼女の立場からすれば理解できないこともなかったが、それが俺を傷つけた。家柄や世間の枠に縛られ、自分の特別な力に縛られているアイリ。でも、それが全てじゃない。


 「アイリ、お前はわかってない……俺はただお前のそばにいたかっただけなんだ」


 俺は心からそう言った。自分の気持ちを、今一度アイリに伝えたかった。でも、アイリの表情は変わらなかった。


 スズカは俺の隣で黙って立っている。彼女の目は、何を考えているのか読めない。でも、彼女が何をしようとしているのかが分からないのが、俺には怖かった。


 アイリは続ける。


「家柄に縛られて、世間に縛られて、王国に縛られて……私の力は特別と言われて、だからここにいるのよ」


 アイリの言葉は、自分が置かれている状況を正当化するようなものだった。彼女は自分の中で納得しているようだった。しかし、俺にはその言葉が違って聞こえた。


 「俺がどれだけお前のために戦ったか……わかってるのか?」


 俺はアイリに問いかけた。でも、アイリの反応は冷ややかだった。


 「ジュラーク、あなたには私の立場は理解できないわ……私たちはもう違う世界の人間なのよ」


 アイリの言葉は、俺にとっては別れの言葉のように聞こえた。もう、元に戻ることはないと確信してしまった。


 「……何言ってんだよ、お前。それを乗り越えて結婚したんじゃないのかよ!」


 俺の声は、失望と怒りに震えていた。アイリへの感情は、今も少し残っていた。長い年月を共にした仲だ。どれだけ愛していたと思っているんだ。

 でも、今の俺の気持ちは悲しみよりも諦めが強かった。もうどうでもいい。どんなに俺が頑張っても、アイリは戻ってこない。彼女の言葉は、その全てを物語っていた。


 そして、レオンが追い打ちをかけてきた。彼の言葉は冷たく、俺の心に突き刺さった。


 「アイリは貴重なゼファラ王国の天魔を持っており、それを継承しなければならないんです……つまり、既にアイリは私の子供を妊娠しているということです、これで完全に諦めがつきましたか?」


 その言葉を聞いて、俺の心は完全に凍り付いた。アイリがレオンの子供を……? 信じられなかった。でも、レオンの自信に満ちた態度は、その言葉が真実だと告げているようだった。


 俺はただ立ち尽くし、その事実を受け止めようとしていた。アイリは俺のものではなくなってしまった。もう、二度と戻ってこない。


 「アイリ……お前は……」


 言葉が出てこなかった。アイリは遠く、彼女の目は俺を見ていなかった。レオンの隣で、彼女はただ静かに立っている。


 俺の目の前で、スズカがレオンに剣を向けた。彼女の剣技は、驚くほど速く鋭い。これなら……と思った瞬間、レオンが静かに目を閉じ、何かを唱え始めた。


 「いでよ! 雷獣! 雷の力でやつを沈めろ!」


 レオンの声が響くと同時に、雷の犬が現れてスズカに襲いかかる。


 状況は一瞬で変わった。スズカは驚異的な身のこなしで、雷獣の攻撃を回避した。しかし、雷獣の存在によって、場はビリビリとした感覚に包まれた。雷獣は周囲の壁も破壊していく。


 俺はその光景に息を呑んだ。


「天魔……」


 そして、レオンが冷静に宣言した。


 「これが私の天魔、雷刀です……あなたとは違うんですよ、ジュラークさん……この間も見せましたけど、これが王国の私の力です」


 レオンの言葉には、明らかな挑発が含まれていた。こいつの冷たい瞳は、俺を見下ろし、その存在を否定するかのようだ。



 結局、レオン率いるゼファラ王国の騎士団は、龍の死体を引き取り、その場を後にした。俺はただ、その背中を見つめることしかできなかった。龍が倒れた場所には、もはや何も残っていない。


 俺は力なく、その場に崩れ落ちた。身体は痛みで張り詰め、心は空虚になっていた。俺の目の前で龍は死んだ。でも、それに手を下すことはできなかった。復讐、憎しみ、失われた全てが、俺の手の届かないところに消え去った。


 地面の砂を掴む。その粗い感触が、俺の手のひらに伝わる。でも、それも何も変えることはできない。


「結局……何も……果たせなかった……」


 俺の声は、自分の耳にも遠く感じられた。全ての努力、戦い、そして追い求めてきたもの。それらすべてが、今、虚しく感じられる。


 「なんのために……戦ってきたんだ……」


 涙が頬を伝い、地面に落ちた。どれだけ泣いても、戻ってくるものは何もない。しかし、涙は止まらない。


 スズカが俺の側に静かに近づいてきた。彼女の目には、同情と何かを決意したような輝きがあった。


 「ジュラークさん、どうか……」


 彼女の言葉が聞こえない。俺の心は、過去の記憶と悲しみでいっぱいだった。アイリ、両親、そして失われた全てが、心の中を渦巻いていた。


 スズカは俺の肩を優しく抱き、何かを言おうとしている。でも、その声は遠く、俺には届かない。俺の心は、完全に折れてしまった。


 「全部……終わったんだ……」


 俺はそうつぶやいた。この場で、涙を流すことしかできない自分が情けない。天才剣士としての名声も、復讐の思いも、すべてが無意味だった。


 「もう……何もかも……」


 俺は涙とともに、自分の過去を悔やんだ。もはや、何も残されていない。ただ、スズカの温かい手の感触だけが、俺を現実に繋ぎとめていた。


 これが、俺の敗北だ。全てを失い、何も成し遂げることができない。ただ、涙と砂を掴むこの手だけが、俺の存在を証明している。

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