第7話 王国の女騎士

 

「お前は……逃げろ」


 この言葉が、俺の心に響いている。父親が巨大な龍と戦っている様子は、今でもはっきりと目に焼き付いている。その時の彼は、力強く、勇敢だった。父親の剣は、龍の鱗に何度も打ち付けられ、火花を散らしていた。


 母は違った。彼女はいつも、家の中で優しくて、暖かいご飯を作ってくれていた。その日も例外ではなかった。彼女は、笑顔で料理をしていて、その温もりが家中に広がっていた。


 そして、アイリ。彼女は俺にとって、まさに女神のような存在だった。彼女の笑顔、彼女の優しさ、全てが俺にとっては大切なものだった。俺たちは、一緒に笑い、一緒に夢を見た。彼女は俺の全てだったんだ。


 だけど、その全てが崩れ去った。


「ごめんなさい、ジュラーク」


 アイリの言葉が、俺の耳に響く。その言葉と共に、彼女とレオンの姿が遠ざかっていった。彼らの背中を見ながら、俺は無力感に打ちひしがれた。愛していた女性が、他の男と共に去っていくのをただ見つめるしかなかった。



 夢から覚めたとき、俺は自分の体が治療され、包帯で巻かれているのに気づいた。火傷の痕はほとんどなく、痛みもあまり感じなかった。夢で見たのは、父が龍と戦う姿と、母が暖かいご飯を作る光景。そばにはいつもアイリがいた。彼女は俺にとって女神みたいな存在だった。だけど、今は……


「ごめんなさい、ジュラーク」


「……っ!? ここは?」


 目が覚めた瞬間、俺は違和感に満ちた空間にいることに気づいた。体は火傷の痕から解放され、痛みもほとんど感じない。どこか遠くで見た悪夢から一転、現実はまるで別世界だった。自分の身体は丁寧に包帯で巻かれており、治療された形跡があった。


 ここは自分の家じゃない。広くて、なんだかいい匂いがする部屋。天井は高く、壁には絵が飾られている。どこにいるんだろう? 俺は混乱し、自分がどうなってしまったのか、わからなくなった。一体、何が起こったんだ?


 俺はそっと体を起こそうとした。包帯は体をしっかりと包んでいる。少し動くと、身体にはまだ弱い痛みがあったが、火傷の苦痛はもうない。包帯の巻き方が丁寧だ。誰かが俺をここまで手厚く治療してくれたのか。しかし、どうしてここにいるんだ? 何があったんだ?


 周囲を見回す。窓からは光が差し込んでおり、外は青空が広がっていた。でも、この景色は見覚えがない。まるで別の世界にいるようだった。俺はただ、この新しい現実に慣れようとした。でも、心のどこかでまだ現実を受け入れられないでいた。




 部屋は自分の家よりもずっと大きく、どこかいい匂いがする。どこなんだ? そして、俺は一体どうなってしまったんだ? 焦りが心を支配する。



 その時、扉が開いた。入ってきたのは女性―いや、女騎士だ。頑丈な甲冑を纏いながらも、その姿はどこか可憐で、まだ若い。俺は彼女を見つめた。彼女は表情を柔らかくして言った。


「やっと目覚めましたね! よかったです……本当に!」


 彼女の声には安堵の涙が滲んでいた。


 ここは一体どこなんだ? そして、この女騎士は誰なんだ? 俺はただ茫然として、彼女の言葉を聞いていた。この状況についていけないでいる。それでも、彼女の声はどこか心地よく、少しだけ心が落ち着く気がした。




 何なんだ、ここは? 俺はただ戸惑っているだけだった。でも、その女騎士の顔を見て、俺は何かを思い出した。頬の傷、俺は自分についているその傷を思い出した。それが、すべてを思い出させた。


「お前は……スズカ!?」


 俺の声には驚きが滲んでいた。スズカは俺の包帯に巻かれた手を握りながら、嬉しそうに答えた。


「はい、覚えていてくれてたんですね」


 彼女の目には涙が光っていた。


 スズカは成長して、王国マルベラの騎士になっていたんだ。俺はただただ驚くばかりだった。あの時、俺が助けた少女が、こんなにも立派に成長して……。俺は、思わず涙が出てきた。俺も歳を取った。若かった自分ももう、おっさんの域に入っている。


 アイリのこともあった。だが、こんな惨めな状態の俺に、スズカは手厚く治療を施してくれたんだ。感謝の気持ちでいっぱいだった。


 スズカは優しく俺の頭を撫でてくれた。


「よしよし、全ての話は知ってますよ。村の人たちや他の王国の情勢も耳に入っていますから」


 スズカの声は温かく、俺の心を少し癒やしてくれた。こんなに惨めな状態の俺に、彼女は優しさをくれたんだ。それが、俺の心に小さな希望の光を灯してくれた。




 スズカの言葉には、俺はただ驚きを隠せなかった。


「えっ、お前、マジで言ってるのか……?」


 スズカの顔は赤らんで、彼女はまるで夢中で話しているようだった。


「ええ、真剣ですよ、ジュラークさん! 私たちが結婚を前提にお付き合いすれば、あなたももう苦しむ必要はないですから」


 俺は呆然とした。彼女は、本気で言ってるのか? この助けた少女が、まさかここまで大胆な提案をするなんて……。


 俺の人生はもう終わったと思ってた。でも、こうしてスズカと再会して、彼女のそんな提案を受けて、俺の心には小さな光が差し込んでいた。


「でも、お前は王国の騎士だろ? それに俺は……」


 俺は自分の言葉に詰まった。俺は今、何もかもを失ってしまった男だ。どうして、こんな俺にそんな提案を?


 スズカはにこやかに微笑んで、俺の手を優しく握った。


「心配しないでください。私がいれば、あなたは一人じゃないですから」


 その言葉に、俺の心は少しだけ温かくなった。


 この出会いが、俺の運命を変えるのかもしれない。失意の中で、スズカという新たな希望の光が俺の前に現れた。それが、俺の新しい人生の始まりかもしれない。

 しかし、俺は少しスズカの愛の重さと突拍子のない提案に驚いているのも事実。


「スズカ、本当に……俺と結婚を?」


 俺は驚きと不安が入り交じった気持ちで尋ねた。スズカの目は俺を見つめ、彼女の顔には恥じらいと決意が浮かんでいた。


「はい、ジュラークさん! 私は真剣です! あなたを守りたい、支えたいんです」


 スズカの言葉は、俺の心を温かくすると同時に、重たいものを感じさせた。彼女の愛情は純粋で、俺を思う気持ちは深い。でも、その深さが俺には重く感じられた。俺はもはや、何も持たない男だ。こんな俺に、彼女のような女性がなぜ……。


「スズカ、俺は……」


 言葉を失い、俺はただ彼女を見つめた。スズカの表情はとても優しく、愛に満ち溢れていた。彼女は俺の手を握ってくる。


「心配しないでください! 私がいますから」


 その言葉には彼女の強い決意が込められていた。


 彼女の言葉は、俺の心を少し安らげた。でも、同時に俺は自分が彼女にとって重荷になるのではないかという不安も感じた。彼女の愛情が深いほど、俺の心は複雑な気持ちで満たされていった。彼女は俺を救おうとしてくれている。でも、俺は本当に、彼女にそんなことをさせていいのだろうか……?



 それとスズカの目には、怒りと決意が宿っていた。

 彼女は力強く言った。


「あなたをこんなにした人たちを、絶対に許しません! なんなら、殺してやりたいくらいです。今はそれくらいの力があると思ってますから」


 俺は彼女の言葉に驚いた。スズカの目には、普段の優しさとは違う、強い殺気が見えた。彼女は、あの惨劇から俺を救ってくれた恩と、俺を苦しめた者への復讐心に燃えているようだった。


「本気か……?」


 俺の声は小さく震えた。スズカの変わりように、俺は戸惑いを感じた。彼女は俺の手を握り、目を細めた。


「もちろんです。そして、あなたにかけられた呪いは、想像以上に深刻です。多分、しばらくは剣を握ることも出来ないでしょう」


 彼女の声は、深刻さを隠さない。


 俺の心は、彼女の言葉に重く沈んだ。剣を握ることができないなんて……俺の人生の一部だったのに。スズカの言葉は、俺にとってただの一言以上のものだった。それは、俺の過去と未来を変えるほどの重みを持っていたんだ。


「でも、スズカ…俺はもう……」


 俺の言葉は途切れ、どう続けていいか分からなくなった。彼女は俺を見つめ、静かに言った。


「大丈夫です! 私がいる限り、あなたは一人じゃありませんから」


 スズカの言葉は、俺の心に少しの光を灯した。彼女の存在は、俺にとって新しい希望のようなものだった。でも、俺はまだ、自分の運命について考える余裕がなかった。それでも、彼女がそばにいてくれることは、何よりの安心だった。

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