11/25~11/27

 高見との交渉が成立したことによって、事前準備はすべて終わった。


 よって、事件発生までの数日は余ってしまったことになる。


 だから俺はつとめて普段どおりに過ごした。


 当たり前のように受験勉強を続けたし、時には坂下と一緒に下校もする。

 塾に通って、根津のコンビニで冷やし中華も食べた。


 根津とはこれまで以上にたくさんの話をしたが、事件や未来についてはあえて話題にしなかった。

 もっぱら「ファーストキスとは肉体的なものか、精神的なものか」という内容がほとんどだった気がする。


 そして、ついにその日がやってくる。


 十一月二十七日、金曜日。

 事件発生当日。


 だが、その日は事件の前にも重要なことがあった。



「付き合わせて申し訳ない」


「ううん、全然……」



 放課後、俺は坂下翔子と共に学校を出る。

 時刻は午後五時過ぎだ。


 俺は以前、事件の発生を防ぐために坂下を釘付けにするという作戦を立案した。

 結果的にそれは失敗するのだが、それとこれとは別問題である。


 かつての俺にどんな狙いがあろうと、坂下には関係ない。

 できるだけ楽しんでもらえるようにつとめるだけだ。


 問題は、俺が女子をもてなした経験に乏しいという点である。



「坂下は普段、どういう映画を観るんだ?」


「えっと、テレビでやってるものを見るくらいで……映画館に行くのは、もうずいぶん久しぶり。平尾くんは?」


「俺は時々行くかな」


「そう、なんだ」


「うん……」



 普段より明るく振る舞おうと頑張ってみたが、どこか空々しく途切れてしまう。


 こんなことなら女子との楽しい会話の仕方を根津に相談しておくんだった。

 あんまりアテにならない気はするけど。


 中学から映画館まではバスで移動する。

 十五分ほどで目的地に到着すると、俺たちは散発的な日常会話を続けながら館内に入る。



「ところで今日はどんな映画を観るの?」


「ああ、そういえば言ってなかったっけ」



 というか、なにを観るかの確認もせずに映画館まで来てくれているのか。

 なんだか申し訳なくなってくる。



「あれだよ」



 ちょうど看板が目に入ったため指差す。


 アニメ映画で、対象年齢が俺たちよりもかなり下に設定されたものだ。

 いわゆる冬休みに向けて公開された映画だと思われる。


 これならば、男一人で観に行きにくいという条件を満たしているはずだ。

 もちろんこうなれば隅々まで楽しむつもりではあるが。



「たまには童心に帰りたいというか、なんというか」


「うん、わかるよ。実は私もちょっと観てみたかったから」


「そう言ってもらえると助かるよ」



 おそらく気をつかわれている。


 しかしここは真に受けておいたほうがいい。

 なんでも裏を読んだり、本音を察することができれば良いというものでもないだろう。

 最近は特にそう感じる。


 誘った身としては映画代を持つつもりだったのだが、坂下が珍しく固辞したため、仕方なくチケット代を受け取った。

 代わりにポップコーンや飲み物の代金を二人分支払うことでどうにか格好つける。


 映画は六時からの回に入場できた。

 やはり対象年齢が低いせいか、平日の夕方に見に来る客の数はまばらだ。


 俺と坂下以外にはほんの数人しかおらず、座席が空席目立った。


 俺が子どもの頃、もっと言えば親が子どもの頃から続いているような有名なアニメ作品の映画で、久しぶりに触れても登場人物やその関係性は覚えている。


 最初は、女子と二人きりで映画を観るという状況に緊張を感じていたが、あっという間にスクリーンのほうへ惹きつけられた。


 綺麗な物語だった。


 つらいことも苦しいこともあるけれど、仲間と協力し、見知らぬ誰かにも助けられ、困難を乗り越えるような、そういう綺麗な物語だった。


 成り行きで観ることになった映画ではあるが、想像以上に胸をうたれてしまい、坂下と一緒じゃなかったら興奮して物販を買い漁っていたかもしれないほどだ。


 きっかり二時間の上映を終え、映画館を出ると夕日はとっくに沈んでおり、あたりはすっかり夜の装いだった。


 映画館に入る前はまだ明るかったのに、出てきたときには外の印象が変わっている。

 それはまるでタイムスリップをしたみたいだ。

 こういう時間旅行なら幸せだと思う。


 時刻は午後八時。


 いくらポップコーンをつまんでいても、空腹を感じる時間帯だ。



「まだ時間は大丈夫?」


「うん」


「なら、軽く晩ごはんを食べて帰らない? その、映画の話もしたいし」



 坂下相手にはできるだけ本心を話そうと心がけている。

 だけど、そのせいで他の誰と話すときよりも気恥ずかしさを感じた。



「私も」



 そんな俺とは対照的に坂下の態度はどんどん打ち解けたものに変わりつつある。

 まるで坂下が感じていた気恥ずかしさを、俺が吸い上げているみたいだ。


 ちょうど近くにファストフード店があったので、そこで夕食を取ることにする。



「私、こういうところで誰かと一緒にごはんを食べるのって初めて」



 ハンバーガーを両手で持った坂下は、打ち明けるような口調で言った。


 それから俺たちはさっき観ていた映画について語り合う。


 どのシーンに熱くなったのかとか、

 どのキャラクターが好きだとか。


 そんな他愛のないことを話せば話すほど坂下との距離が近づいていくような錯覚があった。


 おそろしく穏やかな時間だ。


 この店内にいるかぎり、いじめも、タイムスリップも、殺人事件も、すべて俺たちとは無関係なんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。


 でもこの瞬間が心地よいのは、俺たちが友達未満の間柄だからだ。


 お互いの苦境も事情も見て見ぬふりをして、それでも相手に不満を感じない関係だからだろう。


 これ以上踏み込めば、坂下は同じ教室にいながら自分を助けてくれない俺に対して不満を抱く。

 俺もまたそのことに強い罪悪感を抱くことになる。


 俺たちはまだそのギリギリのラインを踏み越えていない。

 少なくとも、あと一時間は越えないはずだ。


 結局穏やかな時間はどれほど引き伸ばしても一時間ほどで終わりを迎え、俺たちはバスで学校近くの停留所へと戻った。


 すっかり遅くなったため、俺は坂下に家まで送ると提案する。



「ありがとう」



 坂下が気負った様子なく、お礼を言ってくれた。


 これで坂下とのデートのようなものが終わる。


 そして俺の十一月二十七日も終わりだった。


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