11/21~11/24

 三連休の間に俺は根津と協力していくつかの事前準備を済ませることにした。


 まずは逃走資金の調達だ。


 これは俺が自分の貯金を財布に入れておくだけで済む。

 お年玉貯金もまさかこういう使われ方するとは思っていなかっただろうが、役に立つなら眠ったままでいるより本望だろう。


 次にネットニュースの記事が必要だった。


 これも未来で財布に入っていたものだ。

 最初はネットカフェで印刷したものだと思っていたが、事前に用意しておいていけない理由もない。


 実はニセモノでした、という風にするならむしろ先に用意しておくべきだ。


 これについてはうまく作れる自信がなかったので、覚えているかぎりの詳細な図を書いて、実際の作成は根津に任せることにした。


 コンビニのポスターを作っていた根津ならパソコンの操作もお手のものだったようで、一日で記憶通りの記事を作成してくれた。


 根津とはそれ以外にも綿密な打ち合わせを重ねる。


 良い結末を手繰り寄せるにはどうしても根津の協力が必要不可欠だ。


 まずは俺の考えを話し、出てくる根津の指摘を受け止め、適宜修正を繰り返しながら詳細な予定を詰めていく。

 修学旅行のしおりよりもしっかりとした計画を立て、何度も確認した。


 俺個人でも都合をつけておかないといけないことがある。


 逃避行中に大事にならないよう、両親に近々旅に出そうなことを予告しておく。

 うちの両親はまったく引き止めることもなく「若いうちにどこへでも行け」という雑な言葉で了承してくれた。


 ついでに事件当日と逃避行している間は塾を休むことも先に向こうへ連絡しておく。

 これで足元を固めることができた。


 意外に慌ただしく三連休は終わり、休み明けの火曜日がやってくる。


 十一月二十四日。

 事件発生まで残り三日。



「私、美術の先生に呼び出されたって聞いて来たんだけど、どうしてここに平尾くんがいるのかしら」



 昼休みの美術室で、高見琴乃は不敵に微笑む。



「その様子だと、想像はついてたみたいだな」


「ええ、だって根津さんから伝えられたんだもの。それに私、美術の成績も悪くないのよ」


「俺はご覧のとおり、補習中だ」



 本当は授業時間だけでは絵が仕上がりそうもないから、と美術の先生にお願いして昼休みに鍵を開けてもらっている。

 そしてこの時間は職員会議で先生は留守だ。


 そのため広い美術室は俺と高見の二人だけである。

 そうなるように根津に頼んで、高見を呼び出してもらった。



「まさかとは思うけれど、愛の告白かしら? だとすれば呼び出すところから自力でやってくれないと評価は下がっちゃうけど」


「前に俺と一緒のところを見られるとセンスを疑われるって言ってただろう。こちらとしてはそれなりに気をつかったつもりだ」


「そこまで気をつかってわざわざ三階にまで呼びつけたからには、それなりに大事な用件であることを願うわ」



 俺たちの教室は一階なので、美術室のある三階はたしかに距離がある。

 といっても、恩に着せるほどのことではないと思うけど。



「単刀直入に言うと、手伝ってほしいことがある」


「へぇ、意外ね。平尾くんには嫌われてると思ってた」



 好きとか嫌いだけで物事を進めることができれば、それは楽なんだろうけどそうはいかない状況だ。



「でも、私が平尾くんのお願いを聞いいてあげる義理ってあるのかしら」


「もちろんただとは言わない。毎日が退屈なんだろう? だからとびっきり面白いことをして見せよう。それで高見の退屈が紛れたら、俺の簡単なお願いを聞いてもらいたい」


「意外と大口をたたくのね。それで、面白い見世物はいつ見せてくれるの?」


「今、すぐだ」



 言い終わる前に俺は開け放たれたままの窓から飛び出した。


 繰り返すことになるが、美術室は校舎の三階にある。

 正確な高さはわからないけど十メートルくらいはあるんじゃないだろうか。


 それなりの高所であり、飛び降りれば無傷ではいられない。

 打ちどころが悪ければ死ぬことだってありうるだろう。


 でもだからこそ、高見を驚かせることができる。


 一秒前後。


 体感ではもっと長く感じたが、実際に俺が落下していた時間というのはその程度だったはずだ。


 地面に両足で着地したとき、全身に強い衝撃が走る。

 電撃のようなものが足先から頭のてっぺんまでを突き抜けた。


 けれど、それだけだ。


 これといったケガはないし、骨折もない。

 ぴょんぴょんと跳ねることもできる。


 つまりまったくの無傷だ。


 ゆっくりと美術室を見上げると、窓から身を乗り出している高見の姿が見えた。

 ここからだとよく見えないが、さすがに血相を変えていることだろう。


 俺は無事であることをアピールするため、大きく手を振ってみせた。



「そっちに戻るよ」



 普段よりも大きめの声を出して伝えると、高見は手を振り返してきた。


 俺は早足で校舎に戻り、階段を上がる。

 相変わらず身体に異変はない。


 なぜ俺が無事だったのか。


 それは、俺の力では未来が変えられないからだ。


 未来は変えられない。

 このことはもうとっくに受け入れた。


 しかしだからこそできることが増える。


 俺はこの後の日付で根津と逃避行をしなければならない。

 そして月末には撲殺される予定もある。


 その未来をどう努力しても変えられないのであれば、それ以前の日付で高所から飛び降りたところで死ぬことはない。

 どんな方法を試みても、月末に撲殺されるまでは無事でなければ辻褄が合わなくなってしまう。


 それは言い換えれば、月末まではなにをしても死なないということだ。


 俺はこれを〝無敵モード〟と名付けようと思う。

 と言ったら根津に微妙な顔をされたので心の中でだけそう呼称する。


 あくまでこれは仮説であり、実証したのは今が初めてだ。

 自信のある仮説ではあっても、さすがに飛び降りるときには緊張した。

 今もまだ心臓はバクバクしている。


 けれどそんなことはおくびにも出さず、美術室へ戻った。



「どうだった?」


「仕掛けはなんなのか知らないけれど、たしかに退屈はしなかったかな。ううん、びっくりさせてもらいました」



 高見は呆れたように笑う。



「本当に無傷なの?」


「ああ、ピンピンしてるよ」


「種明かしはしてくれるのかしら?」


「また今度な。でも、良い子はマネしないほうがいいだろうな」



 仮に〝無敵モード〟について懇切丁寧な説明をしたところで高見は信用しないだろう。



「それで、俺の頼みを聞く気になったか?」


「どうしようかな」


「おい」


「冗談だよ。そうね、よほどの無茶でないかぎりは、聞いてあげてもいいわ」


「良かった。頼みたいことは二つある」



 はたしてこれが高見の言う「よほどの無茶」に含まれるのかどうかは判断が難しい。


 説明しているうちに、少しずつ高見の表情が変わっていく。


 それは楽しそうにも見えたし、意外にも怖気づいているようにも見えた。



「ええ、わかったわ。仕方ないから手伝ってあげる。けど、一つだけ言わせて」


「なんだ?」


「あなた、頭おかしいんじゃない?」



 まさか高見のような女にそんなことを言われるとは思っていなかった。

 つい俺は笑ってしまう。



「そのときがくれば――未来になれば意味がわかるさ」



 どれほど気合を入れたところで、俺にできることは限られている。


 だから俺は未来を変えないまま、望んだ結果を手にしてみせる。

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