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冷やし中華の封を開けつつ、俺は未来での出来事を順番に説明した。
殺人事件が防げなかったこと、
高見を刺したのが俺だったこと、
そして月末には誰かに自分が撲殺されてしまうこと。
すっかり話し終える頃には、俺は冷やし中華を、根津はプリンを食べ終えていた。
体調もさっきより悪くない。
これは空気を入れ替えたおかげなのか、冷やし中華のおかげなのか、それとも他の要因があったのかは不明だ。
「そっか」
俺の話を黙って聞いていた根津の感想は、まずそんな一言からだった。
「いくつか疑問があるんだけど、訊いていい?」
「俺にわかることなら」
「どうして坂下さんは平尾と一緒に逃げようと思ったんだろう」
「早速俺にはわからない質問だな」
想像だけならできる。
俺が高見を刺したことになにか感じるところがあったのかもしれない。
あるいは俺と高見が共犯関係ではなかったことを、わかってくれたとか。
だが実際のところは不明だ。
知りたければ坂下に訊いてみるしかない。
俺はそんなに知りたくない。
「じゃあ次の疑問。お金の出どころはどこ?」
「お金ってなんの?」
「ネットカフェで財布を確認したとき大金が入ってたって言ってたよね」
「あれは逃走資金だろう。俺が貯金をおろしたとか、そんなことじゃないか」
「あたしもそれで納得してた。でもそれは平尾が共犯者だと思ってたからだよ。人を刺したことにショックを受けていた平尾が、どこかで冷静に現金を用意している姿は想像できない」
「それなら坂下と出かける前に、準備していたのかもしれない」
「二人で映画を観に行くだけで、財布に何十万円も入れておいたの?」
「……言われてみれば不自然だな」
最初のタイムスリップが午前三時。
そして事件が起こったのが前日の午後九時半頃だ。
空白の時間から考えれば自宅へ戻って貯金を財布に仕込む余裕はあるかもしれないが、犯行直後の俺の状態を考えるとあまり自然な行動とは言えない。
「それと、これが最後の疑問なんだけど」
プラスチックのスプーンをくわえたまま、フガフガと根津は言った。
「ファーストキスってどんな感じだった?」
「人のトラウマを気安くえぐるんじゃない」
「ごめん。でも未来の出来事だからこれから平尾が一週間以内に誰かとキスすれば少なくともファーストキスじゃなくなっちゃうね」
「なんだ、俺とキスしてくれるのか?」
「どうしてもって言うのなら考えるだけは考えてあげる」
「はいはい、お気遣いどうも」
緊張感には欠けるが、冗談が言えるだけは自分の体調も回復してきたのかもしれない。
根津がいなければ、どうなっていたことか。
恥ずかしいから口には出さないけど、心の中で少しだけ感謝はしておく。
「待てよ……」
根津がいなければどうなっていたのか、と考えたとき奇妙な引っ掛かりを感じた。
そしてキスの話。
なにか重要なヒントがある気がした。
それを手繰り寄せると、ある違和感に気づく。
「根津、お前どこでなにをしてた?」
「今日の話? それなら普通に学校に行って……」
「そうじゃない。未来の話だ」
「それはわからないよ。平尾もあたしとは会ってないんでしょ?」
「ああ。だけど、そこが変だと思わないか?」
「そうかな? 平尾は逃避行の最中でこの町を離れてるんでしょ。だったら、あたしと会う機会はなくて当然だと思うけど」
「お前と俺はそんな薄い関係じゃないだろ」
「そこまで深い関係にはまだなってないよ」
「いいや、不自然だ。考えてみろ、今の段階で根津は事件の発生も逃避行の行き先も知っている。それなのに一切介入してこないのはありえないだろう」
根津の性格なら高見に撒かれた後でも、必死になって探してどうにか事件の発生を食い止めようとするはずだ。
逃避行についても先回りして自首を促すように説得してくるのが自然な行動だ。
未来ではそのどちらも起きていない。
「俺たちは今、誰よりも強い協力関係にある。こうして未来の情報を共有している俺たちが、その未来では一切連絡を取っていないのはおかしいだろ」
「でも未来の平尾は携帯電話を捨てたんだよね。それじゃあ連絡は取れないよ」
「公衆電話くらい今でも探せば見つかる。それに俺の行き先はわかってるんだ。根津のほうからネットカフェやそば屋に電話をかけてくるという方法もあるだろう」
その気になれば逃走中でも連絡を取り合うことはできる。
なにせ俺たちは未来を覗いているのだから、通常の逃避行とは勝手が違う。
「俺の未来に根津が出てこない理由で、考えられるのは二つだ。まず根津の身になにかがあったという場合」
「なんだか怖い話」
「でもこの可能性は低い。少々の怪我なら電話くらいはできるだろうし、よほどのことなら高見や坂下がどこかのタイミングで話題にしているはずだ」
そもそも事件発生当日、高見は根津を撒いてきたと言っている。
であれば少なくとも学校へ来て、一度は高見を引きつけようとしていたことになるはずだ。
怪我や病気、ましてや命を落としていてはできない。
「もう一つは?」
「いちいち連絡を交わさなくてもいいくらい、綿密な計画を立てて暗躍している可能性だ」
「どっちかを選ぶならそっちのほうがいいかな」
「なら、そっちにしよう」
「そっちって、そんな気軽に決められるの?」
「根津のおかげでわかった。つまりキスと同じなんだよ」
「ちょっとよくわからない」
「俺が高見とキスをしてしまう未来はもう変えられない。だけどあれをファーストキスではなかったことにはできる。今回の騒動そのものに対しても、同じことをすればいい」
未来で体験した出来事は変えられない。
それはすでに答えの決まった数式のようなものだ。
だけど過程はまだ変えられる。
どういう経緯をたどっても俺は高見を刺し、坂下と逃げ、誰かに撲殺されるが、その過程ならまだ変えられる。
それに結末が決まっているからこそ、できることもあるはずだ。
「具体的にはどういうこと?」
「俺に刺された高見を、死なせずに済むかもしれない」
もしそれができれば殺人事件は傷害事件ということになる。
もちろんそれでも一大事だが、死なせてしまうよりもずっとマシだ。
「刺すまでの過程を変えれば、実は壮大なドッキリだった、みたいにはできる。事前に凶器をニセモノとすり替えて、高見が時代劇の切られ役並の演技を見せれば」
「さすがにそれは無理じゃないかな」
「あくまでたとえだよ」
血のりの吹き出すカッターナイフは準備できないし、坂下が肌身離さず持っているものとすり替えるのは難しい。
なによりもっとも難しいのは高見に演技をしてもらうことだ。
そもそも俺の感覚から言って、あれらはすべて本物だった。
俺は本物の人間を刺し、血を浴び、高見は倒れた。
そこはもう覆せない。
だから今のはあくまでたとえだ。
そうなれば良かったのに、という妄想でしかない。
「今のは極端な例だけど、事前準備をすれば少なくとも死んでしまうのは回避できるかもしれない」
「よくわからないけど、あたしのお見舞いで平尾が復活したと思っていいの?」
「ああ、そのとおりだよ」
家で陰々滅々と塞ぎ込んでいても、出てこなかった解決法だ。
俺たちが二人ともうつむいていても見つからなかっただろう。
やはり人間、どんなときでもユーモアを忘れてはいけないということなのかしれない。
「よし、まずは高見に協力してもらおう」
「え、本気で言ってる?」
「もちろんだ」
「素直に協力してくれるとは思えないけど」
「一応秘策がある」
この状況にならなければできなかった方法だが、多分確実に協力してもらえるだろう。
「でも学校に行かないとそっちは手がつけられない。だから土日の間は他の準備を進めよう」
「月曜日も祝日だけどね」
「なら時間がたっぷりあって助かるくらいだ」
仕込んでおきたい小細工はいくつもある。
どれが状況を変えてくれるのかわからない以上、数は多いほうがいい。
「ところで、ファーストキスの件は?」
「そこはあんまり重要じゃない」
「重要じゃないの?」
「……まぁそれもゆっくり考えるよ」
今度こそ本当に最後のチャンスだ。
もはやなにをやってもダメで元々なのだから、気持ちは今までになく落ち着いている。
最悪の結末をどの程度マシにできるのか。
自分でも楽しみになってきた。
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