四章

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 十一月二十日、金曜日。


 あの事件が起こる日まで残り一週間。

 もしも未来を変えるのであれば、のんびりしている猶予はない。


 しかし俺は学校を休んでいた。


 どうしても体調が戻らない。

 昨日、未来から戻ってきて以降は具合が悪くて立ち上がろうという気にもなれなかった。


 今はまだ高見琴乃は生きている。

 なにも知らず、教室で今日も女王様気取りの振る舞いをしているのだろう。


 今はまだ凶器となるカッターナイフは坂下翔子のポケットに隠されている。

 彼女もまだ自分のカッターナイフが人を刺すとは思っていない。


 そしてまだ、俺は人を殺していない。


 だが血と刃物の感触はもう手の中にある。


 無力感で身体が重くなる。


 最後の望みが最悪の形で断たれた。


 一度体験した未来を再度体験することはできない。


 つまり、もうタイムマシンを使おうが使うまいが関係ないということだ。


 未来を変える方法はない。

 あるいは最初からそんなものはなかったのだろう。


 手を尽くしてはみたが、すべて体験した未来に収束する。


 高見を刺した俺は、坂下に手を引かれてその場から逃げる。


 上着がなかったのは返り血を浴びたものを捨てたから。

 携帯電話もそうだ。


 ネットカフェで会ったとき、坂下が俺に気をつかっていたのは、俺のほうが主犯だったからだ。


 そして逃避行。

 それもやがて終わる。


 すべてがすでに体験した未来の出来事を補強するような事柄ばかりだ。


 月末に俺が誰かに撲殺されることも、これで納得がいった。


 共犯者ではなく主犯なのであれば、高見の関係者が俺を恨むのは当然だ。

 その結果として撲殺されることも、避けようがない。


 事件の発生まではあと一週間。


 もう打つ手は思いつかない。

 タイムスリップをしようという気にもならない。


 形はどうあれ、俺の中ではもう終わったのだ。


 その感覚に身を任せ、俺は現実を拒むように惰眠をむさぼり続けた。


 しつこくインターホンが鳴ったのは、夕方五時を過ぎてからだ。

 ベッドで眠っていた俺は仕方なくのっそりと這い出す。


 共働きの両親はまだ帰宅していないし、セールスにしても、宅配便にしても、ここまで執拗にインターホンを鳴らすことはないだろう。


 無視することも考えたが、我慢比べには弱い自信がある。

 早めに対処したほうがマシだ。



「やっぱり顔色悪いね」



 玄関の扉を開けると、そこにいたのは根津だった。



「……どうかしたのか?」


「お見舞いに来たの。差し入れも用意してあるし、学校のプリントもある」


「プリントは欲しくないかもしれない」


「そんなことを言ってもダメ。立ち話もなんだから上がらせてもらうね」


「それは普通こっちのセリフだ」


「何度もあたしの部屋に入ってるんだから、たまには平尾の部屋にも入れて」


「まぁいいけど……」



 今は強く断る元気もない。

 ズカズカと無遠慮に上がってくる根津と共に自室へと戻る。



「暗い部屋だね。カーテンも窓も開けて換気しないと」


「寒いだろ」


「空気の入れ替えは大事。あと、もうちょっと部屋を片付けないとダメだよ」


「根津の部屋に比べたら、そりゃ散らかってるかもしれないけどさ」



 根津は人の部屋に上がるなり、暖房を止めて窓を開けてしまう。

 コンビニからのお土産を勉強机の上に置いたので、俺は根津のことはほうっておいて差し入れに手を伸ばす。


 中は冷やし中華とプリンだった。



「平尾ならそれがいいかと思って。あ、プリンはあたしのだから食べないで」


「イマイチ食欲がないんだけど」


「ダメ。ちゃんと食べないと本当に寝込んじゃうよ。ほら、せっかく買ってきたんだから冷めないうちに食べて」


「元々冷めてるものだろう」



 根津は足元に散らばった漫画雑誌を一箇所にまとめるだけでは飽き足らず、俺のベッドを手早く整え始めている。

 もはや母親のようだ。



「思ったより元気そうで良かった。昨日の夜から具合が悪いみたいだったから、これでも一応心配してたんだよ」



 一通り整理して納得したのか、根津は俺のベッドをソファの代わりにして座る。



「色々気をつかわせて悪いな」


「悪いと思うならそろそろなにがあったのか、詳しく話してよ。未来の出来事についてあたしに話してないこと、あるでしょ?」


「……そうだな」



 状況はすでに行き詰まっている。

 根津に打ち明けたところでどうなるとも思えない。


 だが、どうにもならないのであれば話さない理由もないだろう。

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