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それから何事もない穏やかな日曜日を過ごして、月曜日。
学校行事のほとんどが終わったとはいえ、まだ残っているものがある。
その一つが本日おこなわれている球技大会だった。
通常の授業は午前中まで。
午後からは男女に分かれて、グラウンドと体育館でそれぞれサッカーとバレーボールに打ち込んでいる。
とはいえ一学年に六クラスもあると、試合をしている時間よりも寒空の下で待っている時間のほうが長い。
女子は暇つぶしに体育館から出て、堂々と男子のサッカーを応援している。
一方、体育館へ行く男子はどこかコソコソとしている。
目つきがいやらしい、と言われがちだからだろう。
そしてそれもあながち間違ってはいない。
俺は下駄箱のあたりでぼんやりと出番を待っていた。
友達に付き合って体育館へ乗り込むのも楽しそうだが、そこまで元気にはなれない寒さだ。
体操服の上にジャージを着ているが、風が吹けばその通気性ゆえ気休めにもならない。
せめて職員室から漏れる暖房の気配くらいは感じていたい。
そんな狙いで下駄箱の隙間に潜んで時間を潰していると、よろよろとした足音が近づいてきた。
「あ……」
妙にくぐもった声がして、俺が顔をあげるとそこには坂下翔子が立っていた。
その手は赤く染まっている。
一瞬息が止まりそうになったが、よく見れば両手とも顔の付近を押さえていた。
手に持ったポケットティッシュが間に合わないほど赤い。
そのことでようやく、坂下が鼻血を出しているということに気づいた。
「あの、えっと……」
「しゃべらなくていい、想像がつく。保健室だろ」
「は、はい……」
「誰かに付き添いくらい頼めよ」
それができなかったのかもしれない、とわかってはいたが言わずにはいられなかった。
口調が強くなってしまったのは自分でも予想外だったけど。
仕方なく立ち上がり、俺が付き添うことにする。
職員室の前を通り過ぎてすぐのところにある保健室へノックをして入る。
だが先生の姿はなかった。
タイミング悪く、出払っているようだ。
「だい、じょうぶ……もうすぐおさまると思いますから」
「そういう問題じゃないだろう」
とりあえず目につくところにあったティッシュ箱を手にして、強引に坂下を座らせる。
「そんなポケットティッシュで間に合うかよ」
「あ、でも、平尾くんに血が……」
「いいから」
「ご、ごめんなさい……」
強引に汚れたティッシュを取り上げ、新しいティッシュをその手に押し付ける。
鼻血が出た原因は多分ボールがぶつかったせいだ。
女子は体育館でバレーボールをしているし、球技大会の最中なのだからそういうことは起こりうる。
問題はそれがどのような状況で起こったのか、という点だ。
坂下がいくらいじめられているとはいえ、試合中の事故であれば教師も周囲の同級生も見て見ぬふりはできない。
だからこれは試合以外の時間に、ひっそりと起こったことだ。
加害者たちは坂下の顔面にわざとボールをぶつけ、鼻血を出した姿を見ても放置している。
これを事故とは呼ばない。
一方で坂下も周囲の誰にも助けを求めることなく、人目を避けるようにして保健室を目指していた。
ちょうど保険医も出ているようなので、もし俺が下駄箱で寒がっていなければ本当に誰にも会わなかっただろう。
だから俺の苛立ちがどれに対するものなのか判断できない。
正直どれだって構わなかった。
イライラしているときに冷静な自己分析なんてどうせ無理だ。
「こんなことまでされて、それでも誰にも相談する気にならないのか」
坂下に背を向け、蓋付きのゴミ箱に赤く湿ったティッシュを落とす。
責める相手が間違っているというのはわかっていた。
だけど俺はそこまで理路整然とした人間ではない。
手についた血の感触が生々しくて嫌になる。
「……逃げたく、なくて」
ぽつり、と坂下がこぼす。
しばらく待ってみたが、それ以上はなにも言わなかった。
「とにかく、これから保険医を呼んでくるし、担任にも鼻血のことは報告する。だからさっさと安静にして、とっとと早退しろよ」
「ご、ごめんなさい……」
怯えたように身をすくませる坂下には返事をせず、俺は保健室を出る。
その足で職員室と体育館にそれぞれ立ち寄り、宣言通りきちんと保険医と担任に事情を説明した。
さすがにそれからの対応は迅速で、坂下はそのまま早退することになったようだ。
坂下は「友達との練習中に偶然ボールがぶつかってしまった」と言ったらしく、よくよく注意するようにと球技大会終了後のホームルームでタヌキ先生が話をして、それで終わりだった。
おそらくあったであろういじめのことも、加害者の存在も、坂下がケガをした事実も教室では話題にならない。
球技大会の結果のほうが、クラスをよほど賑わせていた。
世の中、こんなものである。
教師にも坂下にも誰にも期待していなかったので、特にがっかりはしなかった。
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