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「じゃあ、始めよっか」



 塾帰りに立ち寄ったコンビニで会うなり、根津は懐中電灯を構えた。



「待て待て、一旦それをしまえ。まだ食べ終わってない」



 俺は買ったばかりの冷やし中華を盾に根津を説得し、イートインコーナーに移動する。



「今日も冷やし中華? 他の商品もおいしいものあるよ。ほら」



 根津が指し示したのは店内に貼ってあるポスターだ。


 そこには今月の新商品についてコメントと共に紹介してある。

 冬場ということであたたかい食べ物が主流のようだ。



「ちなみにおすすめは?」


「ポスター」


「紙を食えってか」


「あれ、あたしが作ったの。すごいでしょ?」


「商品のプレゼンじゃないのかよ」



 仮になにをおすすめされたとしても、俺はこだわりを曲げないけど。


 晩ごはんの封を開け、丁寧に具をのせる。



「ああいうポスターってパソコンとかで作るのか?」


「そう。まだお店には立てないから、こういうところで手伝ってるの」


「へぇ、そりゃ立派だな」



 根津の相手をしながら冷やし中華を食べ進める。


 人が少ないことで選んだ店でもあるはずだが、根津に目をつけられてからというもの、いつも賑やかだ。

 当たり前のように隣に座って、あれこれ話しかけてくる。

 もしかすると家で食べるときより賑やかになっているかもしれない。



「ごちそうさまでした」



 そして今日もなんとか冷やし中華を食べ終える。



「食べ終わった? じゃあ早速――」


「気軽にそれをこっちに向けるな」



 根津が取り出した懐中電灯を掴んで、あさっての方向にそらす。



「しかしこの懐中電灯がタイムマシンとはね」



 プラスチックっぽい手触りはいかにも安物の懐中電灯でしかなく、これでタイムスリップしたというのは未だに冗談みたいな話だ。



「俺の知ってるタイムマシンっていうのは、もっと乗り物っぽい形だったけど」


「平尾は他のタイムマシンを見たことがあるの?」


「映画やアニメでなら。タイムマシンに乗り込んで、いざ時間旅行へって感じでさ」


「これはそういう乗り物とは違って、人の意識だけを未来へ送るんだって」



 言われてみれば乗り物形式のタイムマシンは身体ごと時間旅行していた。


 それに対して俺が昨日体験したものは、意識だけの時間旅行だ。

 肉体自体はその時間における自分のものだったから、身に覚えがない疲労感があったのだろう。



「光の速さを超えると、時間を行き来できるっていう話があるでしょ?」


「いわゆる相対性理論とかいうやつだな」


「意外。知ってるんだ」


「ぼんやりとなら」



 俺も詳しいことは知らないので、専門的な説明はできない。


 簡単に言うと、時間の流れは絶対的なものではなく相対的なもので、光に近い速さで移動することができれば、未来へのタイムスリップはできる……みたいな話だったはずだ。



「なら話が早いね。つまり光なら、ちょっと加速すれば未来へ行くことができるってことらしいよ」


「その懐中電灯は光速以上の速度で光を吐き出してるってことか」


「うん。で、その光に人の意識という情報をのせて未来方向へ加速すると平尾が体験したような時間旅行ができるんだって」


「戻ってこれたのは?」


「光の照射で意識を押し出している形になるから、懐中電灯を消すと時間旅行から強制送還されるみたい。現在と未来では時間の流れが違うから、一分照らしたからって一分間だけ未来に行くとは限らないみたいなんだけど」


「さっきから気になってたけど、全部伝聞なんだな」



 らしい、とか。

 みたい、とか。

 そんな表現が頻出している。



「だって、あたしが作ったわけじゃないから」


「そりゃそうだろうけど。じゃあどうやって手に入れたんだ」


「自称父親からもらったの」


「は? 父親?」



 根津の話は時々飛躍してついていけないことがある。

 相変わらずの真顔なので、冗談やウソではないとは思うが。



「あ、うちが母子家庭だって話はしてたかな」


「前にうっすらと聞いたことくらいはある。詳しくは知らない」


「そっか。とにかく父親がいないまま、お母さんが一人であたしを生んだんだよ。で、最近になってその父親がふらっと現れたの」


「父親ってわかったのか?」


「うん、向こうがそう名乗ったから」


「だからすぐ信用するなって」


「でも赤の他人があたしの父親を名乗る理由ってないでしょ? お金の無心をしに来たわけでもなかったよ」



 根津はまず相手を信用するところから始める。

 そうでなければタイムマシンなど最初から相手にしていなかったはずだ。


 俺は当然、相手を疑うところから始める。


 どちらのほうが正しいのかでいえば、根津のほうがいいのだろう。


 だけど俺のやり方のほうが安全ではあるはずだ。



「お前、本当に気をつけろよ」


「うん、大丈夫。それでね」



 まったく俺の話を聞いている様子もなく、根津は続ける。



「学校帰りにその父親とばったり会ったから、そのまま公園で少し話をしたの。お母さんとは顔を合わせにくいみたいで、家には近寄ろうとしなかったから」


「金の無心じゃないなら、なんの用があったんだ?」


「自分のしたことを後悔してるって言ってたよ」


「それはまたずいぶん勝手な話だな」



 というか、こんな話を気軽に聞いてしまっていいのだろうか。

 内容よりもそっちのほうが心配になる。


 人の家庭についてはあまり知らないほうがいい。


 しかし根津は特に気負った様子もなく、昨日見た夢について語るような気楽な調子だ。



「あたしもそう思ったんだけど、なんかずいぶん落ち込んでるみたいだったから、話くらいは聞いたほうがいいかと思って。そうしたら自分は未来から来たって言い出したの」


「自称父親が自称未来人か」



 笑っていいのかさえわからない話だ。



「なんで未来から来たのかっていうと、昔の時代で色んな美人と恋愛するためなんだって」


「ひどい理由だ」



 しかし、たしかに根津の母親は美人だった。


 何度かしか顔を合わせたことはないが、女優かと見紛う美貌の持ち主で、今も記憶に焼き付いている。

 出会うのが早ければ初恋になりかねないところだった。



「で、父親は未来の知識を利用して色んな場所で色んな美人を口説いて、たくさん子どもを作ったらしいよ。あたしもそのうちの一人で、異母兄弟がこの国だけで十人以上いるって言ってたかな」


「どう考えてもダメ人間だ」



 考えうる中でも、かなりゲスなタイムスリップだと思う。

 未来人に対する清廉なイメージが崩れてしまいそうだ。



「それで根津はそんな怪しいやつの言うことを信用したのか?」


「うん。だって未来人がダメな人っていうのは説得力があるでしょ? 未来で起こった問題を過去のせいにするなんて、いかにも思考が後ろ向きだよ」



 たしかに、自分が生きていた時代で幸せになろうとするのではなく、過去で未来人特権を行使しようとするのだから、未来人とは基本的にダメ人間なのかもしれない。



「でもなんだか最近病気が見つかったらしくって、いよいよ死期を悟った時自分のしてきたことを後悔し始めたんだって。それで今は世界中を巡って我が子に会う贖罪の旅をしている最中だったらしいよ」



 これほど同情の余地がない話も珍しい。



「で、そのときにくれたのがこの懐中電灯型タイムマシンなの。さっきのタイムマシンについての理屈も自称父親からの伝聞。この時代にある材料だけで作ったんだって」


「能力のあるダメ人間って一番たちの悪いやつだ」


「そうだね。父親には良い感情はないけど、でもこのタイムマシンをくれたことには感謝しないと。おかげで殺人事件が未然に防げるんだから」



 まだ防げると決まったわけじゃない、と言おうと思ったがわざわざ不興を買うようなことを口にする必要もないだろう。


 何事も否定するのは良くない。

 三回に一回くらいは異論を飲み込むのが良識というものだ。



「それで、ここからが本題なんだけど」



 根津はタイムマシンが本物だったことにまだ興奮しているようだった。

 口調に熱がこもっている。



「事件の情報を集めるためには、やっぱりもう一度未来へ行ったほうがいいと思うの。今の状態だとまだなにがきっかけだったのかも、どこでどんな風に事件が起こったのかわからないでしょ? 対策を考えるための情報が不足してる」


「俺にまた未来へ行けって?」


「それが確実でしょ」


「理屈はわかるけど、まだタイムマシンの詳しいルールがわかってないだろ」



 未来へのタイムスリップは、俺からすれば底の見えない穴に飛び込むようなものだ。

 穴の深さもわからないところに飛び込むのだから、せめて命綱が信用できることくらいは確かめてからにしたい。


 もっと言えば未来へのバンジージャンプもしたくないのだが、その要望は叶えられそうもなかった。



「せめて先に色々と試して、なにができてなにができないのかを調べてからにしよう」


「のんびりしてる場合?」


「事件発生までまだ二週間もあるんだぞ。急いては事を仕損じるって言うだろう」


「そっか。それもそうだね」



 根津は強引なようで、案外人の意見を素直に取り入れる。


 いつも否定してばかりの俺としては、なんだか眩しくて、申し訳なくなる。



「じゃあ、いつにする? これから?」


「せめて明日にしようぜ。それなら学校は休みだし、疲れても帰って眠れる」


「わかった、なら今日のところは諦める」



 ようやく根津は手にしていた懐中電灯をポケットにしまった。



「しかし、根津の父親が未来人とはな。泣ける話だ」



 せめてもう少し尊敬できる動機があれば未来人でも別に良かったのに、根津の話を聞くかぎりではその様子もない。

 未来人に対する憧れのようなものが消えると共に、子どもの頃の夢が崩れたような気さえしてくる。


 未来からタイムスリップしてくるやつはダメ人間だ、と根津は言った。


 なら過去から未来へ行く俺はどういう風に見えるのだろう。



「そうなの?」



 俺の感傷は根津には伝わらないようで、彼女は不思議そうに首をかしげるだけだった。

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