二章

11/12---11/28

 気づくと俺は根津の部屋に戻ってきていた。


 ネットカフェにいたのと同様に、突然の出来事だ。



「どうだった?」


 そう尋ねてくる根津の姿を見て、ようやく前後の記憶が結びつく。


 俺は塾の帰りにコンビニへ寄った。

 そして成り行きから根津が持つ懐中電灯型タイムマシンとやらを試してみることになったのだ。



「どうもこうもない」



 暑くもないのに全身から汗がにじんでくる。

 俺は壁に背中を預け、そのままずるずると床に座り込んだ。



「根津、今日は何月何日だったっけ?」


「十一月十二日だよ。ね、やっぱりタイムマシンは本物だったでしょ?」


「そうだな、疑って悪かったよ」



 信じがたいが受け入れるしかない。

 さっきの体験が幻覚だとは思えなかった。



「素直でよろしい。でも、なんだか具合悪そう」


「俺の未来が意味不明だったせいだな」


「そうなの? 詳しく聞かせて」



 根津が俺の前でしゃがみ込み、ぐっと顔を近づけてくる。

 どんな問題であってもほうっておけないのが根津巴という人間なのだろう。


 実際、発端が根津である以上彼女も無関係とは言えない。



「どう説明したらいいのかな」



 考えながら俺は先ほどの出来事を思い出す。


 体感としてはつい数分前、しかし本来ならば二週間以上先の出来事だ。



 ***



 まったく辻褄が合わない。


 カッターナイフを元通りに新聞紙でくるみ、カバンを坂下の傍らに戻した後、俺は頭を抱えていた。


 財布に入った大金も、

 ネットニュースの記事も、

 血のついたカッターナイフも、

 すべて妄想か幻覚だと言ってもらえたほうが嬉しいくらいだ。


 しかし俺の感覚を信じるかぎり、すべては現実のものである。


 そして根津の持つ懐中電灯をタイムマシンだと信用するのであれば、これは未来に訪れる出来事だ。


 せめてもの悪あがきとして夢だと思い込もうと目を閉じてみたが、なにも変わってくれなかった。



「あ、あれ……?」



 頭の整理がつく前に、隣の坂下が目を覚ましてしまった。

 くるまっていた毛布を勢いよくはねのけると、あわててこちらを見る。



「ご、ごめんね。眠るつもりはなかったんだけど、いつの間にか寝ちゃってた」



 照れたように笑う表情を見て、俺の混乱は一層深まる。


 この子はいったい誰なんだろう?


 俺の知っている坂下翔子はこんな風には笑わない。


 臆病という言葉を体現するかのようにビクビクとしていて、表情も暗く、誰が相手でもきちんと話している姿なんて見たこともなかった。


 それがどうだ。

 今、目の前にいる坂下は表情も明るく、俺に対してまるで友人か兄弟に話しかけるかのように気さくだ。


 表情一つ、態度一つで、人の印象はこれほど変わるものなのだろうか。


 だとしたら坂下を変えたきっかけはなんだ?


 思い当たるのは、血のついたカッターナイフの存在と印刷されたネットニュースの記事くらいだ。

 今はもうあの記事がニセモノだと信じることができなくなっていた。



「平尾くん、大丈夫?」



 坂下が不安げに眉根を寄せる。



「やっぱり高見さんのこと、気にしてるの?」



 高見、という名前に背筋が凍る思いがした。


 俺の知っている範囲では、高見という名字はクラスメイトの高見琴乃しかいない。

 容姿端麗で、同性の取り巻きが多く、男子からの人気も高い。


 そしてなにより坂下をいじめている張本人。


 実行犯ではないが、裏で糸を引いているのは誰の目にも明らかだ。

 この状況で高見の名前が出てくるのであれば、俺の最悪な推測は当たってしまっている可能性が高い。


 新聞紙についた血は高見のもので、ニュース記事に書かれた被害者もまた彼女である。


 そうだとすれば、殺人事件の加害者はここにいる坂下なのだろう。


 それにしても一気に様々な情報が流れ込んできて、どうしたらいいのかわからない。

 俺は動揺を坂下に気取られないように、できるだけ平静を装う。



「いや、ちょっと寝ぼけてるだけだよ。俺も少し寝てたみたいでさ」


「仕方ないよ。あんなことがあった後だもん」



 あんなこと、とは具体的にどういうことがあったのだろう。


 知りたい気もするが、知るのが怖い。


 知らずに済むならそれに越したことはない気もする。



「今、何時?」


「えぇっとね……あ、ケータイ。そういえば持ってないんだったね」



 カバンを探りかけた坂下が失敗をごまかすように笑う。

 この明るい振る舞いが不気味で仕方がない。


 それともこれが本来の坂下翔子なのだろうか?



 坂下は手を伸ばしてスリープ状態だったパソコンの電源を入れる。

 するとすぐに画面が明るくなり、右下には日付と時刻が表示された。



「まだ午前三時だよ。お互い、変な時間に起きちゃったね」



 俺は時刻よりも表示された日付に目を奪われてしまう。


 十一月二十八日。

 ニュース記事に書かれた殺人事件の翌日だ。

 いや、事件発生が夜と書かれていたからまだ半日も経っていないことになる。


 もはやこの状況では疑いようがないだろう。


 俺は二週間以上も未来に飛ばされてしまったようだ。


 そしてそこではクラスメイトの一人が殺され、もう一人が殺人犯となっている。

 それだけでも十分衝撃的だ。


 だが、あろうことか俺はその犯人と一緒にネットカフェで寝泊まりしている。


 認めたくないくらい怖い話だが、おそらく坂下は逃亡中だ。


 学校や教師からではない、殺人犯を追う警察から逃げている。


 今ある情報を矛盾なく並べれば、そうとしか考えられない。


 でも、まだ納得はできない。


 殺人事件も警察も、何一つとして冗談にならないことばかりだ。

 こんなものが自分の未来に関わってくるとは信じたくない。


 百歩譲って、殺人事件が発生してしまったことはまだわかる。


 被害者と加害者が高見と坂下であることも不自然とは言えない。



 もっとも不可解なのは俺がここにいることだ。



 それが最大の謎だと言ってもいい。


 親しげな坂下の様子からも、未来の俺が自らの意志で彼女の逃亡を手助けしているのは間違いないだろう。


 では、いったい俺はなぜ殺人犯となった坂下の逃亡に付き合っているのか。


 いくら考えてもその理由が思い当たらない。



「もうちょっと寝てたほうがいいんじゃないかな。ほら平尾くん、今日ずっと歩いていたから疲れてるでしょ?」



 気遣うような坂下の言葉で、初めて疲労を感じた。


 今まで混乱していたせいで気がつかなかったが、たしかに身体がずっしりと重い。

 まるでマラソン大会の翌日のようだ。



「そうだな。お言葉に甘えるよ」



 考えごとをするのに夜は向いていない。

 思考がどんどん悪い方向にばかり向かってしまうから、という話を聞いたことがある。


 自分の足元にあった毛布を引っ張り上げて、俺は目を閉じる。


 意外と目が覚めたら勝手にすべて解決しているかもしれない。

 そんな儚い望みを胸に、眠りを目指す。


 実際は不安と恐怖で眠れそうになかったが、それでも目を開けて現実を見ているよりかはいい。



「おやすみなさい」



 最後に聞こえた声はやわらかなもので、やはり俺の知る坂下とは全然印象が違った。



 ***



「よくわからない」



 俺の話を聞き終えた根津の感想は、そんな身も蓋もないものだった。

 表情もテスト範囲を間違えて勉強していたときのようなしかめっ面だ。


 懐中電灯に照らされることで体験したのは、今のですべてだ。


 ネットカフェで目を閉じてしばらくすると根津の部屋へ、つまり元の時間へ戻ってきた。



「タイムマシンを取り扱った根津にわからないなら、俺にはもっとわからないよ」


「でも未来で殺人事件が起きてしまうってわかったのは収穫だよ」


「そんなものを収穫しに行ったわけじゃない」



 わざわざ未来へ行ってまで知ったのがクラスメイトによる殺人事件と、その逃走を自分が助けているという事実ではあんまりだ。

 宝くじの当選番号とか、そういうもののほうがよほど知りたい。



「こうなったら次にすることは決まってるね」



 げんなりしている俺とは対照的に、根津はなんだか興奮しているようだ。

 鼻息が荒い。



「未来で起きる事件を未然に防がないと。一緒に頑張ろうね」



 しかも俺の仲間入りを疑ってすらいない。


 たしかに防げるものなら防いだほうが、倫理的にも道徳的にも正しいのだろう。


 俺にとっても、殺人犯の逃走幇助を現実にしないためには、事件の発生を未然に防ぐのは名案だ。



「じゃあ具体的にどうするかを考えよっか」


「悪いけど、今日はもう疲れた。頭の整理もしたいし、話の続きはまた今度にしてくれ」


「なら明日、作戦会議をしよう。それでいい?」


「わかった、わかった」



 しつこい根津をなだめながら考える。


 はたして一晩眠ったくらいで、この事態を収集する方法を思いつくことなんてできるのだろうか、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る