11/12---?

「じゃあいくよ」



 根津が懐中電灯のスイッチを入れたようだ。

 まぶた越しに強烈な光を感じた。


 だがそれは一瞬のことで、すぐに光は感じなくなる。


 壊れたのだろうか。

 タイムマシンがインチキであるどころか、懐中電灯としても不良品だったようだ



「だから言っただろ」



 根津に対して文句をつけながら目を開けたとき、そこは根津の部屋ではなかった。


 立っていたはずなのにいつの間にか座っているし、部屋はもっと狭い。

 耳障りにならない程度の音量でクラシック音楽まで流れている。


 ここ、どこだ?


 混乱しながらも状況を把握しようとする。


 四方を薄いパーティションの区切られていて、目の前にはデスクトップパソコンが鎮座していた。


 フカフカとした座り心地のシートは、寝るとしても困らない程度のスペースはある。

 隣には毛布が塊になって雑に置かれていた。


 この部屋そのものに見覚えはないが、こういう構造の場所を知っている。


 どうやらここはネットカフェのようだ。

 実際に来たことはないが、ボックスシートとかいう座席もあると聞く。


 なにかと便利な場所のようで、パソコンの横には氷のとけた炭酸飲料が安っぽいプラスチックのコップにおさまっている。

 ドリンクバーで入れてきた飲み物だろう。


 持ち込んだらしい軽食のゴミも袋にまとめてあった。


 さっきまで根津の部屋にいたはずなのに今はネットカフェにいる。


 まさかあの懐中電灯が本当にタイムマシンだったのか?


 仮にそうだとすれば、ここは少なくとも未来であるということがわかる。

 俺はこれまでネットカフェを利用したことがないから過去ではない。


 問題はどれくらい未来なのかだ。


 身体の異常は見当たらない。

 着ている服も着慣れた中学の制服だ。

 仮に未来だったとしても、そう遠い未来ではないらしい。


 とにかく時間を確認すべきだろう。


 まずポケットから携帯電話を取り出そうとしてみるが、右側は空だった。

 左ポケットの中身は財布で、携帯電話はない。

 テーブルの上も確認したが、置いていないようだ。


 数少ない所持品である財布には、なんとも言えない違和感があった。


 普段から愛用している二つ折り財布だが、今は妙に分厚い。


 俺の財布というのはいつもペラペラであることがアイデンティティのようなものなので、厚みが違うとそれだけで別人のもののように感じる。


 開いてみると各種ポイントカードが記憶のとおりに収納されていた。

 どうやら俺の財布であるらしいが、しかしそれだと厚みの説明がついていない。


 おそるおそる確認してみると、数十枚の札が雑に突っ込まれていた。


 全部千円札だったとしても俺が所持するには大きな金額なのに、どういうわけかすべて一万円札のようだ。


 つまりこの財布には数十万円という金が収められていることになる。


 じっとりと背中に汗をかいていることに気がつく。


 見覚えのないネットカフェ。

 知らないうちに増えていた財布の中身。

 消えた携帯電話。


 なにもかもが不気味だ。

 不安と恐怖で鼓動が早くなる。


 うまく表現できないが、なにか嫌な予感がする。

 そのとき札束の他に、別の紙切れが財布に挟んであることに気づいた。


 どうやらコピー用紙のようだ。

 広げてみると、ネットニュースを印刷したものだった。

 ネットカフェにはプリンターもあるだろうから、おそらくそれで印刷したのだろう。


 書かれているのは殺人事件に関する報道だ。


 女子中学生が殺害された、という内容で驚くべきことに近所での出来事らしい。


 同年代の殺人事件と聞いて脳裏をよぎったのは、教室で虐げられていた坂下の姿だ。


 エスカレートしたいじめによって、坂下は高見たちに――



「んん……」



 すぐそばから誰か別人の声がして、俺は飛び上がりそうになった。


 毛布の塊がもぞもぞと身じろぎをする。


 どうやらそこで誰か寝ていたらしい。


 悪夢にうなされているのだろうか。


 毛布をかぶった人物は苦しげにうめき声をもらす。

 顔は見えないが女の声だった。


 俺はまばたきを何度か繰り返す。

 それでなにかが変わるわけはなく、目の乾きが多少癒えるだけだった。


 どうやら室内にいるのは俺と毛布の中で眠る誰かの二人きりらしい。


 謎がまた増えた。


 女子と二人でネットカフェのペアシートに来るなど、普段の自分からは考えられないおこないだが、今のところは事実のようだ。


 女が小さく寝返りをうつ。

 それによって毛布がめくれ、こちらに顔が見えるようになる。


 隣でうなされていた女子は坂下翔子だった。


 こうなってくると感覚が麻痺して、もはや驚く気にもなれなかった。


 ついでに言うなら、俺の想像は杞憂に終わったらしい。


 坂下はこうして生きている。


 なら殺人事件とは無関係ということだ。

 なぜ俺たちが一緒にいるのかは相変わらず不明だが、たまには嫌な予感も外れてくれるらしい。


 印刷された記事に再び目を落とす。

 よく見ると、今まで見たことももないニュースサイトだ。

 しかも日付も未来のものになっている。


 俺の記憶が確かなら今日は十一月十二日、木曜日だ。


 だがニュースの日付は二十七日、金曜日の夜になっている。

 二週間以上も先の日付だ。


 おそらく、この記事はいわゆるフェイクニュースを集めたサイトのものだろう。

 悪趣味な内容だが、それならば納得できる。


 なぜわざわざ財布に入れていたのかは不明だけど、裏側の白紙をメモ用紙にでも使おうとしていたのかもしれない。


 記事をしまおうと折りたたみかけたところで、再びその文面が気になってしまう。


 これには被害者の女子生徒は刃物で殺された、と書かれている。


 刃物、という表現で脳裏をよぎったのはカッターナイフだ。


 再びバカげた想像が思い浮かぶ。

 さっきの想像は被害者と加害者を入れ替えてもある程度の現実味がある。


 つまり加害者が坂下で、被害者が高見という可能性だ。


 なにかのきっかけで、坂下が逆襲することだって、ありえないとは言い切れない。


 考え過ぎだな、まったくバカバカしい。


 そう思いつつも、眠る坂下のかたわらに置かれた通学カバンが気になってしまう。


 それが気になったのは、カバンの口からくしゃくしゃの新聞紙が少しだけ顔を出していたせいである。


 どうも違和感のある物体だ。

 まさか石焼き芋を包んで持ち歩いているということもないだろう。


 新聞紙に包んで持ち歩かなければならないもの。

 俺の拙い想像力で思い浮かぶものはたかがしれている。


 たとえばそれは、汚れたものだ。


 なにで汚れた、どんなものなのか。

 その想像がどうしても良い方向に向かわない。

 デタラメなニュース記事のせいだろう。


 もしもこれが俺の考え過ぎで済むならそれに越したことはない。

 だけど確かめられないかぎり、俺は不安を抱え続けることになる。


 坂下を起こさないようカバンをそっと引き寄せ、膝の上にのせた。

 そして音を立てないよう慎重に、ゆっくりと新聞紙で包まれたものを取り出し、中を確認する。



 そこに包まれていたのは、刃が出たままのカッターナイフだった。



 色も形も見覚えがある。

 これは坂下翔子の持ち物だ。


 だが以前と決定的に違うのは汚れていることだろう。


 カッターナイフと新聞紙にはべったりと血が付着していて、それはすでに黒く乾いていた。


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