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 しつこいくらい強調するが、中学三年生である俺には高校受験が待ち受けている。


 それに備えて、俺は週に何度か塾に通っていた。


 学校での自習だけでは太刀打ちできないのが、受験というやつの恐ろしさだ。

 あるいは今年になるまで、なんの努力もしてこなかった代償と考えるべきか。


 学校から帰り軽食を取った後、私服に着替え、自転車を使って移動する。


 塾の場所を家からも中学からも遠い場所を選んだのは、塾でクラスメイトや友達と会いたくないから。


 一箇所の人間関係を他の場所まで持ち越すのはなんだか気分が悪い。

 自分の生きている世界が狭いことを否応なく思い知らされる気がする。


 塾の時間は午後七時から九時までの二時間。

 そのため帰る頃にはすっかりお腹が空いている。


 だから俺はいつも塾からの帰り道に、寂れたコンビニに立ち寄ることにしていた。

 そこには買ったものをその場で食べられる場所、いわゆるイートインコーナーが店内にある。


 買って帰ってもいいのだが、一人だけズレた時間に食事をとるのは家族に気をつかう。

 その点、ここだと誰にも気をつかわなくていいしゴミも捨てて帰れる。

 さすがコンビニエンス、便利の名を冠しているだけのことはある。


 問題があるとすれば一つだけ。



「だから、今日もいじめなんてみっともないことはやめろって言ってやったの。でもダメだった。加害者の高見さんたちも、被害者の坂下さんもあたしが相手じゃ聞く耳を持ってくれない」



 隣で延々と話しかけてくる根津の存在だけが、このコンビニを利用するデメリットだ。



「平尾も真剣に考えてよ。どうすれば解決できると思う?」


「そんなこと、俺に訊いて答えが出ると思うのか?」


「あんまり思ってない。でも、話し相手としてちょうどいいところにいるから」


「残念ながら俺に解ける問題は、せいぜい答案用紙に書き込めるものだけだよ」


「もしかしてそういう言い回し、かっこいいと思ってる? ダサいよ」


「そのスウエットよりはマシだ」



 なぜ根津がこのコンビニにいるのか。


 俺もここに通うようになってから知ったのだが、どうやらここは根津の祖父母が経営している店らしい。

 そして根津はここの二階で暮らしているようだ。


 そのせいか部屋着なのか、コンビニで会う根津は大体もっさりとしたスウェットを着ている。

 普段制服姿しか見ていない女子の私服と言えば、男子中学生としてはときめくポイントだが、これではさすがにときめかない。



「それにしてもこの店、いつも心配になるくらい流行ってないよな」


「このあたりは会社が多いからお昼に賑わってるの。この時期に冷やし中華を買うような人は平尾以外にいないと思うけど」


「季節を問わない味なのにな」



 根津がうるさくてもこのコンビニに通う理由は二つある。


 一つは年中冷やし中華を置いていること。


 十一月になっても冷やし中華を食べられるのは最高だ。

 他のコンビニではやってくれない。


 もう一つはとにかく客がいないこと。


 根津がスウェット姿でウロウロしても、見咎める客もいない。

 俺と根津をのぞけばアルバイトの店員さんが品出しをしているくらいだ。



「そんなことはどうでもいいの。それより教室でのことだよ」


「気持ちはわかるけどさ、いじめとかなんとかっていうのはそう簡単に解決する問題じゃないだろ」


「たった三十人程度が楽しく教室へ通うのがそんなに難しい問題?」



 根津と話していると、どうしても彼女の方に理があるような気がしてくる。



「そう深刻にならなくても、時間が解決するよ。どうせあと半年足らずで卒業だろ」



 クラスメイトの進路までは知らないが、卒業を機に教室での関係は終わる。

 良いものも悪いものもまとめてすべて終わるはずだ。


 坂下がいじめられていることも、卒業してしまえば問題にならない。

 担任であるタヌキ先生が見て見ぬふりを決め込んでいるのは、そういう理由もあるのだろう。



「それを解決とは言わないよ。加害者がこれまでしてきたことを謝って、もう二度とやらないと誓ってこそ解決でしょ?」


「根津は妥協って言葉を知らないのか」


「知らない」


「受験生としては致命的だな」



 それでは志望校選びも苦労するだろう。


 しかし今日の根津はいつにもまして教室でのいじめ問題に熱心だ。


 これまでも孤軍奮闘していたのは知っているが、今日はタヌキ先生に直談判しただけでなく、当事者たちにも突撃したようだし、夜になってもこうして討論を仕掛けてくる。



「やけに教室でのことを気にしてるけど、坂下翔子に相談でもされたのか?」


「ううん、違うけど」


「だよな」



 昨日と今日、思いがけず坂下と一緒に下校した時の様子を思い出す。


 あの気弱ではっきりと話のできないクラスメイトが、誰かに悩みを打ち明けたり、相談を持ちかけるとは思えない。

 だからこそ狙われているのだろう。


 もちろん、俺が気にする義理もないんだけど。



「ごちそうさまでした。じゃあ帰るよ。また学校で」



 食事に向かない重い話題だったが、冷やし中華をなんとか食べ終えて席を立つ。


 しかし肩にかけたカバンをがっしりと掴まれてしまった。



「ねぇ、平尾も手伝って」


「俺は自分の進路で手一杯だよ。それに善意と正義感で行動できるタイプでもない」



 誰かを気の毒だ、と思っていてもそれが自身の行動に反映されることはない。


 痛むだけの良心がある、というだけで自分に満足しているので改善の余地もない。



「それなら報酬を用意するよ」



 しかし根津は俺が見返りをねだっていると解釈したようだ。

 人と誤解なく会話するのは本当に難しい。



「あたし、珍しいものを持ってるよ。あ、でもエロいものじゃないかな」


「男子中学生がエロいものばかりを求めてると思ったら大間違いだ」



 まったく欲しくない、とは言わないけど。



「珍しいものって言うからには、よっぽどのものなんだろうな」


「タイムマシン」


「は?」


「あたし、タイムマシンを持ってるの。手伝ってくれたら、それを平尾にあげるよ」



 根津は相変わらず真面目な顔をしている。


 中学入学以来の付き合いだが、根津が冗談を言うところを見たことがない。

 いつも怖いくらいの真顔だ。


 はたして今の発言が記念すべき初めての冗談に該当するのか。悩む。



「もしかして疑ってる?」


「頭にすんなり入ってこないのは確かだ」


「なら部屋まで来て。こっち」



 スウェット姿の根津に先導されるまま俺はコンビニの奥へといざなわれる。

 カバンを引っ張られるままになっているのは、未だ状況を飲み込めていないからだ。


 タイムマシンも謎だが、それを見せるなんてヘンテコな理由で同級生の部屋に招かれているのも不思議だ。


 しかも相手は色気のかけらもないとはいえ女子である。


 否が応でも鼓動が速くなる。

 同級生女子の部屋に入るのなんて人生初の経験だ。


 廊下を通り、階段を上がってすぐの扉を根津は開けた。



「どうぞ、入って」


「お、お邪魔します」



 若干の気後れを感じながら入る。

 根津の部屋というのには若干興味があった。


 俺の部屋のように漫画とゲームが散らかっているわけではないだろうが、それ以外の想像がつかない。


 どうしようもなく膨らむ期待を押さえつけながら、根津の部屋を観察した。



「……なーんにもないな」



 感想はその一言に尽きる。


 部屋の隅に学習机があるが、その上にはなにものっていない。

 横に通学カバンがかかっているだけだ。

 本棚もなければ、壁や天井にポスターが貼られているということもなかった。



「着替えと布団を押入れにしまってあるからそう見えるだけだよ」


「いや、それにしたって、え、こんな……え?」



 六畳ほどの部屋はものがないせいでとても広く見える。

 真ん中でツイスターゲームが余裕でできるだろう。


 あまりに物が少ないせいで、無地のカーテンが極上の装飾品のように見えてくる。



「これくらい片付いてるほうが良いと思わない?」


「俺はもうちょっと娯楽品がないと息ができないかな」


「お母さんも同じこと言ってた」



 冗談でも聞いたみたいに根津はくすくす笑う。



「珍しいのはわかるけど、あんまり人の部屋をジロジロ見ないで。恥ずかしいから」


「ジロジロ見るほどのものがないだろう。噂のタイムマシンすら見当たらない」



 どうやら想像していたよりも小さいもののようだ。


 タイムマシンが実在するならもっと大規模な装置を思い描いていたのだが、どうやら小型化にまで成功していたらしい。

 どんどん現実味が薄れていく。



「ほら、これだよ」


「これが?」



 根津が机の引き出しから取り出したものは、どう見ても懐中電灯だった。


 銀色の筒のような持ち手、先は少し広がっていて中心には豆電球らしきものがくっついている。

 長さは十五センチほどだろうか。

 片手で扱えるサイズの、よく見る懐中電灯だ。



「根津、お前疲れてるんじゃないか」


「人の正気を簡単に疑わないで」


「いやだってこれ……懐中電灯だろ?」


「そう、懐中電灯型のタイムマシンなの。いかにも未来っぽいデザインだと、誰かに盗まれちゃうかもしれないでしょ? だからこういうありふれた形にするのが一番いいんだって」


「へぇー、そうなんだー」


「もしかして信じてない?」


「その話をあっさり信じるやつがいたら、そいつの正気は疑っておいたほうがいい」


「あたしは信じたよ」


「その事実はもっと恥じたほうがいいな」


「そんなに疑うなら、一度試してみればいいよ。ほらそこに立って」


「えぇー……まぁそれで納得するなら付き合うけどさ」



 ライトでピカッとされるくらいで、根津の目を覚まさせることができるのであれば安いものだ。


 殺風景な部屋の壁際に立った俺は、光で目が痛くならないようにまぶたを閉じた。

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