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 放課後、俺は学校で自習をする。


 学校に長く滞在してから帰ると、なんだかすごく勉強しているように見えて両親からの評価が上がる。


 一緒に暮らしていく以上、両親の機嫌が良いに越したことはない。

 不機嫌な人間と同じ空間にいるのは気が滅入るし、もしかすると小遣いやお年玉が増えるかもしれない、と期待できる。


 だから俺は部活もしていないのに、完全下校時間まで学校で時間を潰す。


 もちろん、それで昨日どうなったのかを忘れたわけではない。


 うっかり坂下と遭遇してしまったのは、良い出来事には含まれないだろう。

 それを回避するためには、わざわざ教室には寄らず自習室から直接家路につくのが安全だ。


 しかしそれは安易で平凡な発想である。


 一度人に見つかった場所で同じようなことをするほど、坂下翔子も迂闊ではないはずだ。


 ならば、むしろ俺は普段どおりに過ごすのが良い。


 はず、だったのだが。



「あ……」



 完全下校の時刻を数分過ぎた教室には、今日も坂下翔子がいた。


 昨日と違うのは手にカッターナイフを持っていないことくらいだろうか。


 席に座っていた坂下翔子は、入ってきたのが俺だと気づくと慌てて立ち上がった。



「あ、あの、えっと……今日は、その、別に……」


「わかってる」



 カッターナイフを出していないのは見ればわかる。


 ではなぜこんな時間まで教室に残っていたのだろう。

 想像するのは簡単だった。



「なにか探してたんだよな」



 それが坂下自身の過失によるものなのか、それとも高見たちによるいじめの一環なのかはわからない。


 だけどこんな時間まで教室にいたのなら、なにかを探していると考えるのが自然なはずだ。



「あ、う、うん……そう、なんです。お、お財布を落としたみたいで……」


「手伝うよ」



 と、しか言えない雰囲気のためそのとおり言葉にして行動する。

 他の選択肢はない。


 これは俺が善人だからではなく、小心者だからだ。

 親切心による行動ではない。


 普段の教室での俺は不特定多数の一部でしかないが、今は坂下と一対一である。


 この状況で「ふーん、そう。じゃあさよなら」と言って立ち去ることのできる面の皮が厚い人がいるなら弟子入りさせてほしいくらいだ。

 俺のような小心者にはとてもできない。



「そ、その、あ、ありがとう……でも、ついさっき見つかったから……」



 そして小心者が味わうのは、いつもこういう地獄のような恥ずかしさだ。


 行動しても、しなくても、羞恥心からは逃れられない。


 すでにその場にかがんで探索を始めていた俺は、できるだけ冷静かつ自然に立ち上がった。


 一刻も早く帰りたい。


 そして押入れにこもってこの恥ずかしさを吐き出すのだ。


 そうしないと、夜寝る前に何度も思い出して「あー! あー!」ってなるから。

 どうして寝る直前というのは、恥ずかしい体験や失敗ばかり思い出すんだろう。



「だったら早く帰ろう。完全下校時間を過ぎて残ってると、先生がうるさいから」


「う、うん……」



 校門を出たところで、昨日と同じような下校になってしまっていることに気づく。


 原因は不明だ。

 俺が悪いのか、それとも他の誰かが悪いのか、それすらわからない。


 こんなはずじゃなかったのに。


 それほど親しくもないクラスメイトと二日連続で肩を並べて下校する。

 奇妙な状況だ。



「ひ、平尾くんは、どうして遅くまで学校に……?」



 今日も坂下はこちらの機嫌を取るように、おずおずと口を開く。

 ただ沈黙を埋めるためだけの薄い質問だ。



「自習だよ。問題集を端から順番に解いてるだけだ」


「そう、なんだ……」


「うん」


 そして中身のない会話は途切れる。


 ほとんど昨日のやりとりの再演だ。


 こうなってくると特に興味もないのに質問をさせてしまったのは、むしろ心苦しい。


 かといって俺から坂下になにか尋ねるのは危険だろう。


 昨日のカッターナイフについて話題にするのもためらわれるし、今日の財布紛失についても危険だ。

 授業や学校での出来事を話すのも空々しい。


 すると、他に話すようなこともない。


 そして結局無言のまま、俺は坂下と交差点のあたりで別れた。


 明日の放課後は自分のポリシーを曲げるべきかどうか、少し考える必要がありそうだ。

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