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 俺が昨日どんな奇妙な放課後を過ごしていようと、それでなにかが変わるってことはない。


 一夜が明けた教室も普段と変わらない風景だ。


 休み時間になると、教室にはいくつかのグループが自然に発生する。


 そのうちの一つに坂下翔子がいた。


 笑い声の絶えない幸せな教室には、不幸せな人間が必ずいるというのは中々しびれる状況ではある。


 普段なら用もなく廊下をウロウロする俺だが、今日は文庫本を広げ、目で文字を拾うフリをしながら坂下翔子の様子をうかがった。



「お化粧してあげる」



 坂下翔子は現在、そんな言葉と共に黒板消しで顔をぬぐわれている。

 様々な色の混じったチョークの粉はお世辞にも白粉おしろいに見えそうもなかった。


 声にもならない声をかすかに上げながら、坂下は咳き込んでいる。


 いじめの主犯は三人組だ。

 主に様々なことを実行しているのが二人、そしてそれを見て笑っているリーダー格が一人。


 ところで唐突に話は変わるが、自分のクラスで誰が一番美人なのかということを考えたことはあるだろうか。


 俺にもある程度の友達付き合いがあるので、たまにはそんな話になることもある。


 そういうとき、うちのクラスで真っ先に名前が上がるのが高見琴乃たかみことのだ。


 なんでもモデルとしてファッション雑誌の紙面を飾ったことがあるとか、芸能事務所に所属しているとかで、男子だけでなく女子の間でも人気が高い。


 たしかに遠くから見ても、一人だけ雰囲気が違う。


 すらりとした長身で、足が長い。

 長い髪は三日として同じ髪型ではないし、持ち物や身につけているものも高級感がある。


 わかったふりをして言うなら、垢抜けている女子だ。

 年上の彼氏がいるとかなんとか、そんな噂もある。


 ということを踏まえた上で話を戻す。


 いじめをしている三人組、そのリーダー格が噂の高見琴乃だ。


 決して自分からは手を出さず、取り巻き二人が創意工夫をして坂下翔子をいたぶるさまを眺めて楽しんでいる。


 指示を出しているわけでもないのだろう。

 あの取り巻きは、高見に気に入られようと自主的にいじめをショーとして見せているだけだ。


 あんなものを見世物にする側も、それを見て楽しむ側も、どっちも俺には理解できないけれど。


 だけど、と俺は視線を手元の文庫本に落とす。


 いたぶられている坂下を眺めているだけ、というのであれば俺や他のクラスメイトも同じ立場であるとも言える。


 そういう点で、このクラスはまったく救いようがない。

 誰にも人を救う気がないのだから、それは自然なことでもある。


 普段なら気にしないことだが、今日は妙に気分が悪い。

 廊下に出ることで、気を紛らすことにした。


 うちの中学校は三階建てで、俺たちの教室は一階にある。

 学年が若いほど上の階になっている仕組みだ。

 そして職員室があるのも一階である。



「今も坂下さんはひどい目に遭ってるんですよ。どうしてなにもしてくれないんですか?」



 廊下を歩いていると、職員室の前で教師に食らいついている女子生徒の姿が目についた。

 休み時間の喧騒が立ち込める廊下でも、ひときわ目を引く。


 あれはクラスメイトの根津巴ねづともえだ。


 声質のせいか、なにを言っても淡々と聞こえて怖い印象を受ける。

 本人としてはそんなつもりはない、と前に言っていたが今は間違いなく詰問しているのだろう。



「うーん、そうは言ってもなぁ」



 曖昧な笑みを浮かべ、面倒そうに頭をかいているのは我らが担任である男性教師だ。

 タヌキのように膨らんだ腹が特徴的で、教師の中では親しみやすい性格をしている。


 でも、それがすなわち良い先生の条件ってわけではない。



「友達同士の付き合いなら、ああいうこともあるんじゃないのか?」


「度が過ぎています」


「坂下が嫌がっていないなら別に構わんだろう」


「あれが喜んでいるように見えるんですか?」


「おれは直接見てないからなぁ。まぁ、あんまり目にあまるようなら根津から注意しておいてくれ」


「私が言っても効果がないから、こうして先生に頼んでるんじゃないですか」



 それはそうだ。

 根津が口を挟んだところで「友達同士でじゃれてるだけ」と言われてしまえばそれ以上口を挟めない。


 加害者の前では被害者である坂下だっておおっぴらに困っているとは口にできないため、どういうわけか根津がひんしゅくを買うことになる。

 そんな光景をこれまでに何度も見たことがあった。



「なんでもすぐにいじめと結びつけることはないだろう。坂下本人が相談してくるなら考えるが、現時点ではなぁ」


「先生は私の言うことが信用できないってことですか?」


「そうは言ってないよ。おっと、すまん。次の授業の準備があるんだ。まぁ、根津が気にかけてやってくれ。頼りにしてるよ」



 言い訳めいたことを口にして、タヌキ先生はのしのしと職員室へ入っていった。

 根津は追いかける気にもなれないようで、その場に立ち尽くしていた。


 別に関わる必要もない事態だ。

 だけど眺めていた以上、観覧料くらいは支払うべきだろう。



「お疲れさまです」



 声をかけると、根津は眉間のシワを一層深くした。



「それ、嫌味?」


「本心だよ」



 成果に期待ができない状態で、それでも努力を続けられるのは尊いことだ。

 眺めているだけの俺よりかは、よほどマシな感性をしていると思う。



「見てたのなら、加勢してくれても良かったのに」


「俺が役に立つわけないだろ」



 教師というのは成績と生活態度で生徒を格付けする。

 あと人によっては、性別や容姿で露骨に差をつけて優遇したり、冷遇したりすることも珍しくない。


 成績優秀な優等生であり、なおかつ女子でもある根津が訴えてもダメなのだ。

 正反対に位置する俺が口添えしたところで効果があるとは思えない。



「あたし、なにかおかしなことを言ってる?」


「俺には正しいことを言っているように聞こえたけど」


「でしょ」



 俺の安い感想に、根津は表情を明るくする。


 しかし俺は根津の擁護をしたわけではない。


 たしかに根津の言うとおり、教室で現在進行系で発生しているのは客観的に見てもいじめだろう。

 百人が見れば、百人とも同じように認定してくれるはずだ。


 そしてその問題に対応するのは担任であるタヌキ先生、ひいては学校側の仕事である。


 根津の言い分は正しい。


 だけど、人に対して正しいことを真正面から主張することが常に正解なのかどうかは判断が分かれるところだろう。


 それとなく、そのことを伝えてみようか。



「噂によると学校の先生っていうのは激務なんだってさ。テストの採点、部活の顧問、授業の準備だなんだと毎日やらないといけないことが山積みだ」


「先生が忙しいっていうのは、いじめを無視していい理由になるの?」


「手が回らない理由くらいにはなるんじゃないの」


「それは向こうの事情でしょ」


「そりゃそうだ」



 気の毒だとは思うが、生徒が教師に遠慮して差し上げる必要はない。


 警察官も他の事件で忙しいかもしれないな、と思って目の前で起きた事件や事故を通報しない人はいないだろう。

 それと似たようなものだ。


 教育者の労働環境まで気にしながら中学生なんてやってはいられない。

 そういうのは大人や社会が対応すればいいことだ。


 そう考えると根津の言うとおり、学校側の対応が全面的にまずいだろう。

 あくまで理屈の上では、だけど。


 当たり前のことが当たり前の行われている状況っていうのは、案外貴重なのかもしれない。

 根津の顔を見て、そんな風に思った。

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