第12話 僕の後輩

 お客様とお話しをしていていると、自分とどこかで繋がっている事があったりする。

 実は親戚だったと言う事はないが、共通の友達がいる事や、同級生だったり。僕はずっと地元にいるわけだからそんな事があってもおかしくない。

 でも、付き合っている女性が一緒だなんていうのは、やめてほしいものだ。


 どうした事か、今晩の彼女はふさぎこんでいる。それに、このバーが何件目なのだろうか、ずいぶんと酔っている。

 彼女がこんなに酔っている姿を見るのは初めてだ。いつもは友達とやって来て楽しく飲んで帰る。いつも楽しく、陽気なのに。

 しかし、今晩の彼女はふさぎこんでいる。

 彼女が初めてこのバーに来たのは五年前。短大を出て、地元の製薬会社に入社して二年程経ってからだった。

 会社の歓送迎会の後で、遅い時間だったから三次会くらいだったのだろう。会社の同僚と一緒に入ってきた。みんなでボックスに座り、二次会の続きで盛り上がっていた。しばらくして、彼女がボックスから出てきて、戸惑いながらカウンターの席を選んでいた。

 「あのー。ちょっとだけここに座ってもいいですか」

 「ええ。どうぞ」

 うれしさを隠せない。いや、隠すつもりはない彼女はカウンターに座った。

 「バーのカウンターに座るのは初めてなんです。なんとなく『大人』になったという感じがしますね。映画やテレビなんかで見ると、かっこいい男性が独りで座ってウィスキーを飲んで、煙草を吸っているじゃないですか。あれって、なんかあこがれますよね」

 彼女はカウンターに座るなり僕にそう話しかけてきた。

 「私、本当は独りでバーに入りたいんですけど、臆病なんで独りだとちょっと入れなくて。それに、さっきは『ダメ』って言われるかと思っていました」

 「いいえ。僕たちバーテンダーがいますから、安心してお独りでいらしてください」

 彼女のかわいい笑顔に、僕も笑顔でそう答えた。

 僕はウィスキーの水割りを用意してあげた。彼女はコースターに載るウィスキーグラスをくるくる回しながら、カウンターの中やボックスに座る会社の同僚を眺めてニコニコしていた。彼女はあまりお酒には詳しくないらしく、僕にお酒の質問ばかりしてきた。そして、僕と話をするうちに安心したのか自分の話を始めた。家族の話や友達の話。それに幼稚園からの話。

 その彼女の話の中に出てくる中学校の事だが、どこかしら聞いた事がある。

そこで、彼女に学校名を尋ねてみると、なんと僕が卒業した中学校だった。

 そういうわけで、彼女は中学校の『後輩』にあたる。

 その晩から、彼女は僕がいるから安心したのだろう、独りで何度もバーにやって来るようになった。

 僕の事を「先パ~イ」と呼ぶ、なれなれしい後輩だ。

 後輩は短大時代の茶道部の同級生や、後輩を連れて来るようになった。また、会社に入った今でも、茶道の「何とかの会」には顔を出すと言っているので、茶道を続けているようだ。

 僕が「その何とかの会に出る時は着物を着るのか」と尋ねると、自慢げに「当たり前です」と言っていた。

 そう言えば、茶道の友達と一緒にやって来て、モスコミュールを注文した時に、僕が「茶道でやるみたいにして飲んでごらんよ」と言ったら。何流の裏か表か忘れたけれど、手のひらで上手にグラスを回して飲んで、最後にひとこと言って笑っていた。

 「けっこうなお手前でした」

 かわいい後輩だ。

 そんなかわいい後輩が、今晩はふさぎこんでいる。


 僕は『どうした、いつもの笑顔は』と言ってあげたいが、そんな雰囲気じゃない。しかし。このままじゃ埒が明かないので、ちょっとだけ話しかけてみた。

 「うん。どうした。今日はおとなしいな。それにまだ一杯目も飲み終えてないぞ」

 「先パイ。実はね、私、転勤になるの」

 後輩は下を向けていた顔を上げて、投げ捨てるように言った。僕が初めて聞く後輩の口調だ。

 「転勤?転勤って。お前は事務職じゃなかったか」

 「そう。今度、東京営業所を拡大して、関東支社にするんですって。それで、向こうにも経理部門を作るの。

 私はこっちの経理の中じゃ二番目に長く働いているから行ってくれって。その代わり係長にするからって言われたの」

 「おう。昇進か。お祝いしなきゃな」

 僕の明るい声とは反対に、後輩は暗い声で話を続けた。

 「私、福岡を離れたくないの。両親も弟もいるし、それに友達がこっちにはたくさんいるでしょ。東京なんかには友達もいないし、それに初めての一人暮らしなのよ。なんかすごく不安で、不安で。友達ができなかったらどうしようと思って。それで、すごく落ち込んじゃったの」

 後輩がふさぎこんでいる理由がわかった。

 いつも友達と一緒の後輩。誰かがいないと寂しい後輩。なんとなく後輩らしい。

 「おまえ彼氏はどうなんだ」

 「ええっ。先パイ、実はそっちのほうはまったくで、まだ一度も男性と付き合ったことないの」

 後輩は再びうずくまるように下を向いて、先程よりも、もっとふさぎこんでしまった。

 『シマッタ!』

 僕は先の事など考えずにそんな話を出してしまい、もうなんと声をかけていいのか分からなくなっていた。

 ところが、そんな僕に助け舟が現れた。それは二つ隣の席の男性の声だった。


 「その関東支社は東京のどのあたりにできるんですか」

 僕と後輩はその声の主の方を振り向いた。

 「いや、すみません。他人様お話を聞いちゃって。僕は東京生まれの東京育ち。実は東京以外に住んだ事がないんですよ。

 場所は違いますが、そちらの女性と同じなんですね。でもね、仕事は東京ですが、全国にお客様があって出張が多いんです。大体、月のうち五日、多いときで十日は出張ですかね。僕の場合は転勤ではなく出張ですが、生まれ育った街を離れて知らない街へやってくる。その上、友達もいない。そりゃ寂しいですよ」

 そう、この男性は毎月東京から出張でやって来る常連さんで、このホテルをよく利用してくださる。

 「実は、彼女をこのバーで見るのは今日で三回目なんですよ。こないだもお友達いらっしゃって、楽しく飲んでおられた。それに、いつも笑顔だ。

 私は独りで出張に来て寂しいが、彼女の笑顔は寂しさなんか忘れさせてくれる。それに、一番印象に残っているのは、女性三人でカクテルを飲んで「けっこうなお手前でした」って言っているとこだね。ありゃ。かわいかったよ」

 その話を聞いた後輩は、照れくさそうに笑った。

 「おお。笑ったね。いつもの笑顔だ。その笑顔があれば東京でも友達はたくさんできるよ。知らない街だから友達がいない。そう思っていたら、どこへいっても寂しいよ。でも勇気を出して飛び込んでみるのもひとつさ。こうやって、バーに入って、バーテンダーさんと話をしたり、今晩のように知らない男性に話しかけたりかけられたりするうちに、友達はできるもんさ。実は僕も茶道をやっているんだよ。やっているというか、習っているだけどね。

 東京に来ても茶道やってみてはどうかな。そこから友達は広がるものさ。

 あなたの笑顔をもってすれば、すぐに友達はできる。こうやって知らない人でもすぐに声をかけてくれるさ。

 やって見なきゃわからんよ」

 後輩の笑顔は戻った。

 それから後輩と男性は茶道の話をしていた。話しの端々に後輩の笑い声が聞こえる。そして、後輩は今晩の二杯目を注文した。

 「そうですよね先パイ。私もそろそろ勇気を出して、独り立ちしなきゃね。お嫁にだって行けないわ」

 「おお。そんな言葉が出てくるか。さっきまで、あれだけふさぎこんでいたのに」

 「えへへへ。私が独り立ちするんだから、先パイも早く彼女でも見つけて、独り立ちしなきゃね」

 いつもの後輩の笑顔だ。もう心配はない。

 僕も笑顔で彼女を睨んだ。

 「経理の人がこんなに笑顔がいいとうらやましいよ。うちの会社の経理は、やれ書き方が間違っているとか、やれ新幹線の料金が違うとか。そんな事ばかり言って、微笑んでもくれない。

 そんな人から出張旅費をもらいたくないね。早いとこ銀行振り込みにしてほしいよ。

 しかし、彼女の笑顔で出張旅費を手渡しされたら、男性社員はほっとかないよ、きっと。出張先のお土産は要注意だな」

 「えー」

 それからも後輩と男性の笑い声は続いた。

 僕は男性に向かって心の中で、『けっこうなお手前でした』と頭を下げた。 


 第十二話 終わり

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