第10話 未来のコスモポリタン

 バーにはいろいろなお客様がいらっしゃる。楽しいお客様、うつむき加減で黙ったままのお客様も。初めていらしたのに、すでに何度もいらっしゃったことがあるようなお客様。

 僕たちバーテンダーは、おいしいいお酒を飲んでいただき、楽しんで帰っていただければそれでいいのです。


 今晩はお客様が多かった。しかし、みなさん帰られて、僕と後輩バーテンダーだけになってしまった。

 忙しい日はすぐに終わってしまう。しかし、忙しいからといって必ずしも売上が良いわけではない。ボトルを入れてくれるお客様が多ければ売上があがるが、以前に入れたボトルを飲まれると、さほど売上はあがらない。また、カクテルがたくさん出ると売上はあがる。

 僕はカクテルがたくさん出るほうがうれしい。


 もうお客様がいらっしゃらないと思った僕は、後輩と今晩出たお酒を振り返った。

 一番はこの春のキャンペーンの青いカクテル。次がスタンダードなカクテル。ウィスキーはブレンデット・ウィスキー、次はバーボンかブランデーとなる。

 シングルモルトはあまり出なかった。

 後輩もカクテルが多かった事はうれしかったようだ。作らせてもらえるカクテルが決まっている後輩は何杯作ったか覚えていた。

 二人でそんな話をしていると、すでに時間は明日になっていた。やはりお客様はいらっしゃらないのだろうか、カウンターもボックスも、まるで時間が止まったように動かなかった。

 ふと、入口を見ると男性の姿が。その男性は三ボタンの英国風のクラシックなスーツでなんとも趣味がいい。

 「いらっしゃいませ」

 男性はカウンターの真ん中に座わられた。

 「いらっしゃいませ。ホテルにお泊りのお客様ですか」

 「いや」

 「こちらがメニューになっております。おつまみはこちらのメニューで、食事のほうは申し訳ありませんが終了いたしました」

 「おつまみはいいよ。『コスモポリタン』をいただこうか」

 「かしこまりました」

 コスモポリタンは後輩バーテンダーが作った。後輩は既に何度もコスモポリタンを作っているから安心だ。

 男性は店内を見渡し、バックの棚の上の段をご覧になり、『オヤッ』という顔をされた。

 「どうかなさいまたか」

 僕は気になって、そんな言葉がつい出てしまった。

 「いや、まだ無いんでね。メダルが」

 メダル?何の事だ。

 僕が勤めるずっと以前にこのバーにいらっしゃた事があるのだろうか。その時に棚の上にメダルでもあったのか。

 「こちらのバーには以前いらしたことがありますか」

 「フフッ。難しい質問だな。来たことはあるが、以前ではないよ。その時もコスモポリタンを頼んだ。そして、君が作ったよ。いや『作る』と言ったほうがいいだろう」

 僕は男性がおっしゃっている事がまったく理解できなかった。

 「どうぞ」

 男性の前に後輩バーテンダーが作ったコスモポリタンを置くと、男性は膝の上においていた右手をカウンターの上に出された。

 カクテル・グラスを下からかかえるように持ち、姿勢を正してグラスを口元に持っていかれた。よく口をグラスに持っていくお客様はいるが、男性はグラスを口元に持っていかれた。しかし、すぐに口をつず、香をかぎ、色をご覧になっている。

 「シェイクが。君と少し違うな」

 「えっ」

 僕のコスモポリタンをご存じなのか。いや、僕はこの男性に初めて会う。絶対に初めてだ。

 後輩バーテンダーにコスモポリタンを教えたのは僕だが、教えたからといって同じレシピでカクテルを作っても、同じ味や口ざわりが出ない事がある。それは仕方がない。しかし、以前僕が飲んだときはそんなに違いは感じなかった。それを香りや見た目だけでわかるというのか。それに僕はこの男性にコスモポリタンを作った事は絶対にない。

 僕がそう考えていると、男性はやっとコスモポリタンを口にされた。

 僕は男性を思い出すために、二、三質問をしてみた。

 「どちらからいらっしゃったのですか」

 「フフッ。どこだろうね」

 「言葉の感じから、九州や関西ではないですね。東京ですか。もしかすると、海外から久しぶりに日本に帰って来られたのですか」

 僕はそのきっちりとした英国風のスーツからそう思った。

 「そうだな、今日はカコからやって来たよ。でも生まれはミライだ」

 「カコ?ミライ?カコって昨日の事の『過去』で、ミライは明日の事の『未来』ですか」

 僕はびっくりしてちょっと声が大きくなった。まさか未来で僕のカクテルを飲んでやって来たというのか。

 僕と後輩バーテンダーは顔を見合わせた。

 まさかとは思うがそんなはずはない。でも、僕達は口をそろえてこう言った。

 「タイム・・マシーンですか」

 「そうだ。生まれは3525年だが、今日は紀元前4000年からやって来たよ」

 「タイム・マシーンがあるのですか」

 「ああ。駅のコインロッカーに入れてある。君達が考えるほどタイム・マシーンは仰々しい物ではないよ」

 そう言って男性はグラスを差し出された。

 「同じものを」

 男性からそう言われると、今度は僕がコスモポリタンを作り、男性の前に置いた。男性は先程と同じ仕草でカクテルを口に運ばれだ。

 「この色、この香、そしてこの味だよ。以前飲んだ。いや未来で飲むであろうコスモポリタンは」

 「すごいですね。タイム・マシーンなんて。その3525年の人達はみんなタイム・マシーンに乗っているんですか」

 後輩バーテンダーと僕は場所を交代し、男性の前に立ち、驚いた表情でそう言った。

 「みんな乗っていたら、3525年の人間がこの世界にたくさんやってくるよ」

 「そ、そ、そうですね」

 「たぶん乗っているのは私だけだよ」

 「では。お客様が作られたのですか」

 「ああ。いろいろ理由があってね」

 「理由って、どんな理由ですか。差し支えなければ教えていただけますか」

 後輩バーテンダーは身を乗り出している。男性は後輩バーテンダーに向かい、笑顔で話しを続けられた。

 「どこから話を始めたらよいだろうか。そうだな。

 じゃあ・・・。

 いきなりだが、未来にも今と同じように犯罪者はいるだ。殺人や強盗、詐欺や痴漢、いろいろな犯罪者がいる。

 その未来で、私の兄は今の時代で言う銀行のシステムを監視していた。銀行と言ってもお金を管理しているのではなく、電子マネーだ。

 未来はすべて電子マネーになってしまい、お札や硬貨はまったくないんだよ。データベースの中でお金は支払われ、お釣りをもらう。利子や利息をつけたりもする。

 お店でお金を払わなくって、ただ電子データがデータベースの中を飛び交うだけなのさ。

 そして、電子マネーのシステムは停めることはできない。システムが停止するとマネーの支払いや受け取りなど、すべての取引ができなくなってしまう。そこでシステムが停止しないように監視が必要なんだ。

 私の兄はその電子マネーのメイン・コンピューターを監視していた。

 ところが、悪い奴等がいて、コンピューターで自分達の借金をなくしたり、自分達の電子マネー口座に勝手にチャージしようとした奴等がいた。

 しかし、そんな悪さをするには電子マネーのメイン・コンピューターで直接行わないとできなかった。

 そして兄の監視の日に、メイン・コンピューター室に奴等は侵入したんだ。兄はシステムを守るために奴等に抵抗したんだが、殺されてしまった。

 私は悲しんだ、大好きで尊敬する兄をなくし、毎日泣いた。そして、いつの間にか私の悲しみは兄を殺した奴等への怒りへと変わっていった。

 あいつ等さえいなければ、兄は死ななかったのにってね」

 「未来は平和ではないんですね」


 「ちょうどその頃、私は光の研究をしていた。光が向かうベクトルに、光よりも早く進むと未来に行き、ベクトルと逆に光より早く進むと過去に行けることを発見した。私はその原理を利用してタイム・マシーンを作った。

 そして、そのタイム・マシーンに乗って過去に行き、兄を殺した奴等の首謀者を殺してしまえば、こんな事件もおきず兄も死ななかったろうって思ったんだ」

 男性はコスモポリタンを一気に飲み干され、話を続けられた。

 「しかしタイム・マシーンで過去に行くと、その首謀者には子供がいる事がわかったんだ。私は子供が父親を亡くすとかわいそうに思って、その時代で殺すのはやめて、もっと過去に戻った。子供が生まれる前にね。しかし、もっと過去に戻って殺してしまえば、さっき見た子供は世の中には出てこないと思った。

 大切な子供の人生をなくしてしまう。いや、世の中に出られなくなってしまうと思った私は、もう殺すことはあきらめた」

 僕達は、ただうなずくだけだった。

 「私は思った。過去は変えちゃいけないんだ。そして私は兄の死という過去を受け入れた。

 ところが、私はこうやって過去や未来に行くのが楽しくなってきた。そうして、私は地球の過去や未来を見る旅に出た」

 「ええ。地球の未来をご覧になったのですか」

 今度は僕が身を乗り出して尋ねた。

 「ああ。未来と言っても20億年後だよ。地球の寿命は50億年といわれている。今はすでに46億年たっていることになっている。だから、あと20億年もすれば地球はなくなっているはずだ」

 「それでどうだったんですか」

 僕はますます身を乗り出した。

 「地球はあったよ。緑の大地と青い海が。しかし、人類はいなかった」

 僕はショックだった。人類は滅亡してしまうのか。

 「じゃあ過去の話をしてあげよう。さっきとは逆だ。地球ができたばかりの46億年前さ。みんなは、46億年前の地球は小さな惑星がぶつかって高温のマグマのような状態になっていると思っているだろう。いや学説ではそうなっている。

 しかし違うんだ。20億年先と同じように緑の大地と青い海なんだよ。でも人類はいないんだ。それから、もっと10億年昔に行くと。そう今の時代から56億年前。まだ地球ができていないと思われている頃だ。しかし、そこには人類がいたんだ。大勢の人類がいた。それは想像もできない科学力を持った人類だ。しかし、その後に人類は滅びる。理由は言わないが。

 さっき未来は誰もいないと言ったが。何十億年すればまた、今の地球のように人類がいる。心配しなくてもいいよ。

 地球は僕らが考えも及ばないくらいの長い周期で生きているんだ」

 「僕らの前にも人類がいたのか」

 僕は天井を見上げながら、その頃の事を考えた。

 今と同じようにバーがあったのだろうか。どんなお酒を飲んでいたのだろうか。

 不思議な話だ。

 「じゃ。最後は『オールドファッションド』にするか」

 僕は再び気を取り直してオールドファッションドを作った。僕の横では後輩バーテンダーがボーっと突っ立ている。奴にとってもショックだったに違いない。

 男性はオールドファッションドのグラスを持たれ、先程と同じように香をかぎ、色を見て一口飲まれた。そして、にこりと笑った口から優しい声が漏れた。

 「未来でもオールドファッションドを頼むよ」

 僕は軽く会釈した。

 「支払はミリオンでいいかい」

 「ミリオン?」

 「ああ。あと二年もすると日本もヨーロッパECに参加し、アメリカとも一緒になる。その時の全世界国際共通通貨がミリオン、電子マネーの基本となる通貨だ。

 今の金額で100万ユーロ。釣りはいらないから。あと二年もすると両替できるよ。

 では未来で待っていてくれ」

 そう言って男性は銀色の硬貨をカウンター置いて帰っていかれた。


 未来は。僕の未来は。もし未来がわかったらどうしよう。競馬やギャンブル、宝くじなんて簡単に当たってしまう。どんな人と結婚するのか、どんな子供が生まれるのか、そして、どんな僕がいるのかもわかる。

でも未来が見えたらおもしろくないかもしれない。いや、きっとおもしろくない。

 過去は確かに変えることができないかもしれないが、未来を変えるのは、今だ。今さえ見えればいいんだ。僕はそう思って、グラスを洗い始めた。

 「ガチャッ」

 「もうそろそろ締めようか」

 マネージャーがレジを締めに入ってきた。

 「おおっ!このコイン」

 マネージャーは先程の男性が置いていったミリオンを指でつまんた。

 「ネージャー。ミリオン知っているんですか」

 「ああ。駅前にできたパチンコ屋があるだろう。その店のスロットのコインだよ。『ミリオン』って店だよ」

 「ほらコインの表に英字でMILLIONって書いて、裏にカタカナでミリオンって書いてあるだろう」

 「ええっ。いや、それ、さっき男性がタイム・マシーンに乗って・・それで、未来は緑の大地で・・50億年前に別の・・」

 「なに言ってるんだ。ああ。それ無銭飲食だ。昨晩は北九州に現れたって聞いたぞ。なんか未来の過去のって話をして、無銭飲食していくんだってな。うちにも来たのか」

 マネージャーの話を聞いた僕と後輩は、ただ突っ立ったまま動けなかった。

 それはまるで、過去に取り残されたかのように。


 第十話 終わり

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