第7話 オリーブとパール・オニオン
こだわりを持たれているお客様はたくさんいらっしゃる。そのこだわりを聞けば『なるほど』とうなずかされる事がある。
たとえば、ウィスキーをストレートやロックで飲むお客様に、チェイサーが必要か尋ねる。「ああ」の一言で、出てきたチェイサーを飲まれるお客様。
そうかと言えば、ミネラルウォーターの銘柄を指定されるお客様も。他にも「ビールをチェイサーに」と言うお客様もいらっしゃた。
みな、いろんな事にこだわっている。
今晩は男三人でカウンターの中にいる。
まったくお客様がいないのに三人もいる。
どうした事だ。
『今晩は暇だ』
普段は僕がメインでバーに入り、後輩はバーとラウンジを行ったり来たり。今晩はラウンジのほうもお客様が入っていないようで、後輩をラウンジに向かわせる必要はなかった。そのうえ、マネージャーまでカウンターの中にいる。
マネージャーはバーとラウンジの責任者で、両方を見ている。普段はカクテルを作る事ができる者がいないラウンジにいる事が多いので、バーのカウンターの中にいる事はほとんどない。たまにカウンターに入るのは、僕が休みを取った時やバーテンダーの会合など、僕がいない時くらい。
ともかく、お客様のいないバーに男三人。
『むさくるしい』の一言だ。早いところお客様がやって来ないだろうか。
三人が退屈な顔をしていると、突然電話が鳴った。電話に一番近かったマネージャーが電話を取った。
「すぐ、行かせるから」
マネージャーはそう言って電話を切ると、後輩に向かって『団体さん』と言ってラウンジを指差した。
後輩はカウンターの中でただ突っ立っているよりも、ラウンジで動き回ったほうが良かったのだろう、ニコリと笑ってラウンジに向かった。
これでカウンターの中は男二人になった。
そこへ、女性の声が。
「こんばんわ」
「いらっしゃいませ」
「ここ、座ってもいいかしら」
マネージャーは『どうぞ』と言って、右手を差し出した。
彼女はバーに入るなり、お客様がいない事を確認して、カウンターの好きな席を選んだ。そして、座るとすぐに持っていたバッグを右隣の椅子の置き、すぐさまスマホとタバコを出してカウンターの上に置かれた。
グレイのスーツをおめしになったきれいな女性。遊びなれたと言うよりも、仕事ができると言ったイメージ。バーに入って来られてから、カウンターに座られるまでの身のこなしはなんともスマート。『ちょっといい女』と思うのは、僕だけだろうか。
マネージャーはすぐにおしぼりを渡し、彼女の前に灰皿を置いた。そして、このホテルの泊り客かどうかを確認した。
「いいえ。近くのホテルに泊まっているの。でも泊まったホテルにはバーがないので、フロントでこのあたりのバーを尋ねたら、ここを教えていただいたわ」
マネージャーは『ありがとうございます』と言って頭を下げ、バックの棚からメニューを取り出し彼女に渡した。
彼女はメニューを受け取られたが、注文は決まっておられたようだ。
「『ギブソン』をもらおうかしら」
マネージャーは『かしこまりました』と言って、また頭を下げ、カウンターの端に向かい、入れ替わりに僕が彼女の前に立った。
「ご出張でいらしたのですか」
僕がそう尋ねると、彼女は煙草に火をつけながら答えてくださった。
「福岡には月に二度ほど来るけれど、博多駅のそばに泊まるのは始めて。普段は天神の方に泊まるんだけど、今晩は何故か満室。でも、博多駅のそばのホテルにこんなオーセンティックなバーがあるなんて、びっくりしたわ」
僕が彼女の話を聞きいて、うなずいている間、マネージャーはギブソンを作っていた。
ギブソンのレシピは『マティーニ』と同じだが、ジンの割合がちょっと違う。
ギブソン ジン5/6
チンザノエクストラ・ドライ1/6
マティーニ ジン4/5
チンザノエクストラ・ドライ1/5
マティーニに比べ、ギブソンの方が若干ジンの割合が多い。それに、最後に添えるデコレーションにも違いがある。
ギブソンは『パール・オニオン』
マティーニは『オリーブ』
また、このバーでギブソンを出す時はフルート・グラスのように背が高く、胴の部分よりふちの部分が少しだけ口広のグラスを使っている。そのグラスを使う理由は、パール・オニオンがグラスの底にすっぽりと収まり、そこからグラスのふちに向かってすっと伸びるラインが美しく見えるからだ。
それは、まるですらりとしたモデルさんのようにね。
マネージャーは彼女の前にコースターを置き、ギブソンを優しく置いた。
「どうぞ、ごゆっくり」
「ありがとう」
彼女は笑顔でそう答えられ、右手でグラスをつまみ、口に運ばれた。そして、ほんの少し口に含むと右の頬だけ上げて『にやり』とされた。
「私は、同じようにジンとドライベルモットを使うマティーニより、このギブソンのほうが好きなの。このバーのギブソンは少しジンが強いわね。でも私はこのくらい強いほうが好きよ。それと、私はこういった透明で強いカクテルのデコレーションにはオリーブよりもパール・オニオンのほうがあっていると思うわ」
確かに彼女が言うとおりだ。僕も見た目はパール・オニオンのほうが好きで、特に辛口のカクテルには薄い緑色のオリーブよりも、白いパール・オニオンのほうがきりっと締まって、似合っていると思う。
彼女のお話に納得する僕の横で、マネージャーはにこりと笑って頭を下げた。
すると、彼女は話を続けられた。
「私は、マティーニは男性的で、ギブソンは女性的な印象をもっているの。
バーテンダーさんにこんな事を言うのは、『釈迦に説法』かも知れないけど、私が知っている限りの事でお話させていただくと。
マティーニの誕生にはいろいろな説があって。ゴールドラッシュに沸くサンフランシスコで、カリフォルニアのマルティーニに向かう男たちが立ち寄るバーがあったそうで。そこで景気付けのために振舞ったカクテルがマティーニだという話ね。ゴールドラッシュっていうと一攫千金を夢見た『男達』の話でしょ。
また、ニューヨークのニッカー・ボッカー・ホテルで現在のドライ・マティーニができたなんて話もあるわ。当時そのホテルのメインバーテンダーだった『男性』の名前がマルティーニ・アルマ・ティッジャだった。
それに初期のマティーニはジンとドライベルモットの割合が一対一だった。でも、禁酒法時代にその比率は三対一になり。徐々にベリー・ドライ、ウルトラ・ドライと称するマティーニが出てきて、いつのまにかドライなものが主流になったんですって。ドライなものを好む。強い酒を好むといったところなんか『男性的』よね」
彼女の話は聞いた事がある。それにマティーニは『カクテルの帝王』なんて呼ばれるのだから、やっぱり男性的なイメージがある。
彼女はもう一口ギブソンを飲んで、話を続けた。
「それに対して、ギブソンは、グラスの底に真珠のようなパール・オニオンが沈む優雅なカクテル。真珠はご存知のように、女性がネックレスやイヤリング、そして指輪なんかに使うでしょ。『女性』の持ち物を入れるなんてね。
でもね、ギブソンって言う名前は男性の名前で、十九世紀の終わり頃に流行した画家って言うかイラストを描いていたチャールズ・ダナ・ギブソンの事。そのギブソンが愛飲した事からついたんですって。ギブソンは『ギブソン・ガール』と呼ばれた女性画家で有名だったの。また、『ギブソン・ガール・コワフュール』っていう髪形や、『ギブソンガール・シルエット』って言うのもあるわ。もし、ギブソンが自分でレシピを考えたのならば、ギブソン・ガールと言われる『女性』をイメージしたのかもしれないわね」
なるほど。女性画家としてそんなに有名な人だなんて、知らなかった。
ふと、僕の横で同じように彼女の話を聞いていたマネージャーが、おもむろに冷蔵庫からオリーブの瓶を出した。
「私が今持っている瓶に入っているのがオリーブです。マティーニで使うオリーブは主にスタッフドと言われる種を抜いた後に、何かを詰めたものを使う事が多いようです。このオリーブにはご存知の『オリーブオイル』が含まれています。マティーニを飲む時にオリーブを食べて、この油分を一緒に取ることにより、胃壁にオイルの粘膜を張ってアルコールの刺激から胃を保護する役目があると言われています。オリーブは、『男性的』なマティーニをたくさん飲む方には欠かせないものです。
しかし、そんな自分の体の事なんかを考えてお酒を飲んでいる男性がどれだけいるでしょうか。たぶん、少ないでしょう。いや、もしかするといなかったかもしれませんね。たとえば、こう考えることもできますよ。
昔、そう、ゴールドラッシュのころですかね。頑固で力強い男性がいました。
男性はいつもジンとベルモットを合わせたカクテル『マティーニ』を飲んで仲間の男衆と騒いでいました。
それも一杯や二杯ではなく、酔いつぶれるまで何杯も飲んで。
ある日、男性はいつの間に自分のマティーニには何故かオリーブが入っている事に気がつきました。
不思議に思った男性はバーテンダーにその事を聞いてみましたが、『自分は入れていない』と答えるのです。男性はどうやって入って来たのか気なってしょうがありません。そこで、男性はマティーニが自分の元に運ばれて来ても、わざと知らない振りをして、横目でマティーニを見ていました。すると、白い手が伸びてきます。そして、その手にはスティックにさしたオリーブが付いているではありませんか。男性は振り向いて、手の主を見るとそこに女性が立っていました。
男性はその女性に、なぜ自分のマティーニにオリーブを入れるのか尋ねたところ。
女性は。その男性がいつも強いお酒ばかり飲んでいて、体を壊すんじゃないかとずっと気になっていたので、オリーブをそっとグラスに入れたそうです。
男性は自分の体を心配していくれる女性がいたなんてびっくりしました。だって、いつも男衆の中で騒いでいたのですから、自分の体を心配してくれる者などいないと思っていたのです。
男性は女性の優しさに気が付き、すぐに好きになってしまったそうです。
それ以来、マティーニには、オリーブを入れて飲むようになったそうです。
オリーブは、強い『男性的』なマティーニに寄り添う『女性』なのかもしれませんね。
これがマティーニにオリーブを入れる理由かは分かりませんがね。
余談ですが、強いポパイの恋人の名前も『オリーブ・オイル』ですしね」
マネージャーの話を聞き終えた彼女は、口をまるくして笑われてました。
それは、まるで種を抜かれた『スタッフドオリーブ』のように。
第七話 終わり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます