第3話 彼女のトム・コリンズ(R18)
どこのバーにでも言えることだが、店内は暗い。いやそう断言して良いかは判らないが、僕の知る限り、明るいバーに出会った事はない。
そんな暗いバーを明るくしてくれるのが女性だ。カウンターに女性が座っていただくだけで、そこだけピンスポットを当てたように明るくなる。同じカウンターに座る男性はその明るさにいつの間にか目が行ってしまい、意識してしまう。
もちろんカウンターの中の僕もそうだ。
しかし、バーと言うと『男性のイメージがする』からとおっしゃって、独りでやって入る事を躊躇される女性もいる。そんな女性に僕は「バーは男性だけのものではありません。女性の方お独りでもいらしてください」と言っている。
彼女はいつも男性と一緒だ。しかし、一緒の男性は彼女のお仕事のお客様ばかり。彼女は大きな会社の九州支社にお勤めになってるそうだ。
その彼女は誰が見たって美人だ。女性が見ても美人と思うだろう。
しっかりとした顔というのだろうか、目鼻立ちがはっきりとしている。そのうえ、背も高く、すらりと伸びた長い足。バツグンのスタイルだ。
そして、彼女の声がたまらない。
彼女に話しかけられると、まるで僕の体大切なところを優しく触られるようだ。なんと言ってよいのだろうか、このたまらなさは男にしかわからない。
美人でスタイルもバツグン。きっと頭も良くって、仕事もできる女性なのだろう。
だって、何度も取引先の方と握手をしていた。
しかし、あれだけの美人だ、一緒の男性は変なことを考えたりしないか心配になる。まぁ、僕が心配しても仕方がない事だが。
でも、本当は考えちゃいけない事だが、もしも、二人だけで会ったら、いやいや、考えちゃいけない。
そうそう、彼女はいつもロングのカクテルを、時間をかけて飲まれる。
そのカクテルの名前は『トム・コリンズ』。
そんな彼女が突然土曜日にいらっしゃった。
それも、お独りで。
もちろんお仕事ではなく。プライベートだ。
そして、その土曜日は僕の当番だった。それも、独りぼっちで。
もちろん仕事で。プライベートではない。
今晩の彼女はいつもの黒っぽいビジネススーツではなく、鎖骨が見えるほど襟が開いた白いブラウス。胸元には金のネックレスがあり、その先に赤い宝石。僕は宝石のことはまったくわからないが、涙のような形をした宝石。それと同じ宝石がピアスにもあった。
何より僕を引き寄せたのは、洋服や宝石ではなく、彼女の潤んでプルンと震えそうな唇だ。口紅の色も普段よりも赤い。そのせいだろうか、いつもより分厚く濡れている。いや濡れているのではなく濡れているように見えるのだ。
僕はその唇をじっと見ていると、魔法にかけられたように、体が固まってしまい、声を失ってしまった。
「土曜日は初めて来るわね」
「そ、そ、そうですね。いつものように、トム・コリンズになさいますか」
「ウーン。トムは後でいただくから。他のカクテルにするわ」
僕はバックの棚からメニューを出し、彼女にカクテルのページを広げて渡した。
その時、ほんのわずか彼女の指先に触れてしまった。胸が高鳴り、再び、魔法にかけられたように、体が固まってしまい、声を失ってしまった。
何の激しい運動もしていないのに、心臓が激しく動く。
『どうした、僕の心臓。オイ、どうした』
僕は落ち着こうと思い、軽く深呼吸をした瞬間だ、今度は彼女の香水の香りが僕の鼻から脳に渡り、そして激しく動く心臓を止めそうになった。
死ぬ、死ぬ。いや、まだ死ねない。何もやってない。やってないって、何をやる。
「じゃ。『フローズン・バナナダイキリ』をもらおうかしら。バナナは少し長めがいいわ」
「か・か・かしこまりました」
僕はしどろもどろになり、上ずった声で答えてしまった。
激しく動く心臓がおさまっていないながらも、僕はバナナを取りに行った。
フローズン・ダイキリでなく、フローズン・バナナダイキリか。ライムがバナナに変わるくらいなのに、わざわざバナナ・ダイキリを頼むななんて。
ホワイト・ラム、ホワイト・キュラソー、レモンジュースに砂糖。もちろんバナナも入れてミキサーにかけ、ゆっくりとシャンパングラスに移し、最後にバナナを飾った。もちろん、彼女が言うようにバナナを少し長めにした。
僕が彼女の前にフローズン・バナナダイキリをそっと差し出すと、彼女は最初に、バナナを優しくつまみ、あの赤く、分厚く、濡れた唇を開け・・・。
くわえた。
いや、いや、お口にされた。
僕はつばを飲んだ。
その「ゴクリ」という音がのどをとおり二つに分かれ、上半身の理性と下半身の欲望を刺激した。
そして、彼女がバナナに歯をたて、半分ほどサクリと噛み切ると、僕は目をつぶってしまい、魔法にかけられたように、体が固まってしまい、声を失ってしまった。これで三度目だ。
「ねぇ。バーテンダーさん。あなたはどんな人がお好きなの」
「ぼ、ぼ、僕ですか。そうですね。優しい女性が好きですね。それに一緒にいて、なんか気が会う人がいいなぁ」
「やっぱり顔やスタイルではなく、心よね。気が会う事が大事よねぇ」
僕はしどろもどろになりながらも、嘘をついた。
それからしばらくして、何とか平常心を取り戻した僕は、彼女と食事の話や音楽の話、そして趣味の話をした。彼女は映画がお好きだそうで、恋愛映画よりも男くさい映画がお好きだと。なんか、彼女に似つかわないと思ったが、そんな事はどうでも良かった。僕はただ彼女と二人だけで話ができる事がうれしかった。
お約束の時間が来たのだろうか、彼女は二杯目のフローズン・バナナダイキリを飲まれて、バーを出て行かれた。
ところで、「トム・コリンズを後でいただく」とおっしゃっていたが飲まれなかった。話しが弾んで忘れてしまわれたのだろうか、それともこの後で会う誰かとどこかのバーでトム・コリンズ飲まれるのだろうか。あんなにおしゃれをしているから、きっとデートだ。
僕はこれから一緒に時間を過ごせる男性が、うらやましく思えた。
そして、ほんの少しだが、考えちゃいけない事を考えようとした。その男性と・・、いやいや、考えちゃいけない。
そして、あの土曜日から二週間が経った。
再び僕が当番だ。もう少し時間が経てば、二週間前のあの時間になる。
僕は今晩も彼女がプライベートでいらっしゃればと願い、いつもより高価なバナナを仕入れた。
彼女がやさしくバナナをつまんで、あの赤く、分厚く、濡れた唇でくわえる、いやお口にされる姿を僕はバナナを握って想像していると、ふと入口に影が。
ジーンズに白いシャツ姿の背の高い男性が立っている。その後ろには手をつないだ外人男性も。
「いらっしゃいませ」
「こんばんは」
慣れた口調で挨拶するその男性に僕は会釈をした。
何度か来たことがあるのだろうか、慣れた口調だ。しかし、僕は初めて会うような。
不思議に思った僕は、良く目を凝らして男性を見た。
すると、その男性は『彼女』だった。
「こんな格好で来るから、びっくりしたぁ?。実はね、私、いや、ほんとは僕ね・・・」
笑いながら、そう話を続けられる彼女の、いや彼の言葉は、途中から耳に入らなくなり、体が固まってしまい、声を失ってしまった。魔法にかけられたわけでもなく、心臓が高鳴ったわけでも、そして目をつぶったわけではない。
「彼はパートナーのトム。来週からカナダで一緒に住むことになったの。だから今晩が最後ね」
僕は、ほんの少し考えちゃいけない事を考えようとした、いやいや、考えちゃいけない。いや、もう考えよう。
『後でいただいたトム(コリンズ)はこいつかぁ!』僕は心の中でそう叫んだ。
声を失ったわけではない、声には出さなかっただけだ。
第三話 終わり
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